5-8.賢者様専用魔法陣
シュネアを購入してから、一週間が経過した。
ここ一週間は、基本的にシュネアの教育に全力を注いだ。
端的に言えば、家事やら何やらの手順や、俺たちが一日どのように過ごしているかどうかなど――、日常に不具合や齟齬が出ないようにするための、確認みたいなことだ。
例えば――うちの場合、ご飯の後は三人で雑談なんかをしながら食器を洗い、掃除へと移る。
だがこれを知らずに食器洗いを一人でこなしてしまったり、掃除ではなく洗濯に向かってしまわれると、日常的に行われているリズムがくずされてしまう。
ティオとラスティと俺とで並んで行う食器洗いの時間はティオも楽しみにしているらしいし、鼻とかについた泡をとってやったり、それでくすぐったそうに照れ笑いをするティオを眺めたりと、俺としても楽しい時間だ。
それを張り切り過ぎてパパーッと手早くこなされても、あまり嬉しくない。
故にまずは、この家がどのようにして一日を過ごしているのか、それを把握してもらうことから始めたのだ。
基本的な常識だとか礼儀作法だとかは、俺やラスティが教えずとも最初から身に着けていた。
人族でいえば十八だと言っていたが、実質百年近くの時を生きている娘だ。
そういう点ではもの覚えや言ったことの理解も早く、割と早い段階で色々なことを任せられるようになった。
ただ何度教えても床で眠ろうとするので、ちゃんとベッドで寝るよう躾け(?)るのには多少手間取った。
奴隷は通常馬小屋で眠るものです! と言って聞かず、部屋を与えてから最初の三日間はベッドと壁の隙間を利用して床の上に寝転がっていた。
だが四日目にようやく疲れが出始めたらしく、ふらついていることと治癒魔法では疲労がとれないことを指摘すると、翌日からちゃんとベッドで寝てくれるようになった。
いや、別に寝ているところを確認しにいったわけではない。
翌朝ベッドメイキングに赴いたティオから、一晩使用した痕跡があったと聞いただけだ。
流石にそのくらいの常識は、俺だってちゃんと弁えている。
他にシュネア関係で行ったことと言えば、奴隷申請の提出をしたとかその程度だろうか。
未だに俺はこの世界の文字が書けないため、役所に赴いて細かな事項を記入していただいた。
幸運なことに顔見知りではない方が応対してくれたので、深く追求されたり変な目で見られるということは無かった。
奴隷購入の申請をするだけなら、別に変な話ではない。
奴隷の性別や年齢は伝えたが、俺の風貌から冒険者だということはすぐに解るため、探索や荷物運び用の奴隷だと勝手に勘違いしてくれていると思う。
まあ元々ラスティが言っていた通り、そういう意図でなくとも、異性の奴隷を所有する人は少なくない。
同性の方が安心するとか気が楽だとか、そういう考えもあるようなので一概には言えないのだが。
少なくとも男性の冒険者は、大抵女の奴隷を手に入れることが多いのだとか。
これに関しては、どこの世界も同じだということだ。
女性冒険者が男奴隷を買うことも多いのだとか。
とは言っても、大抵が幼気なショタ奴隷らしいが。
シスターさんの例もあるのでこの世界はそういう趣味の人が多いのかと疑問に思ったが、実際は違う。
武力でも魔力でも権力でも押さえつけることが出来なければ、奴隷を買っても安心して一日を過ごすことなどできない。
故に自分より弱く、教育(という名の洗脳)を施しやすい、まだ体躯も精神も未熟な少年奴隷を購入する人が多いらしい。
どうでもいい話だが、少年・少女奴隷の中には成長するととびきりの美男美女になる者も稀にいるのだとか。
故に南部より、北部の方が年少の奴隷が多く売っているとか、そんな話も聞くことが出来た。
まあ良く喋る受付嬢さんだったよ。
ついでに、エルフ族や一部の魔族の奴隷は愛玩奴隷としての需要がめちゃくちゃ高いらしい。
理由は単純、人族や獣族と比べて老化が非常に遅いからである。
百歳近いエルフが、人族でいうところのピチピチ女子高生と同い年くらい。
花も恥じらう乙女な年頃を人族の五、六倍の年月保つことが出来るのだ。
それだけだと、大した特典にも聞こえないだろう。
だがよく考えて欲しい。
例えば雇用主が二十代の時に、見た目十四歳くらいの可愛い奴隷を買ったとする。購入当初は幼気で可愛らしいかもしれないが、二十年三十年と経つに連れて、少しずつ老けてくる。
無論雇用主も老化するのでお互い様といえばお互い様なのだが、中にはそれを認めたくない者もいる。
まあ気持ちは分からんでもない。二次元の美少女にそれ相応の需要があるのも、劣化の兆しが皆無であることも少なからずは関係しているはずだからだ。
我儘だとは思うが、身勝手だとか傲慢な考えだとは言い難い。
夢想するのは個人の勝手だ。
だがエルフ族であれば、三十年くらい経過しても魅力的な容姿を保っている。
ついでにエルフ族は成長が遅いだけでなく、老化による劣化が少ないのだとか。
個人差はあるらしいが、人によっては亡くなる直前まで若々しい風貌を保っているらしい。
まあ元の世界にも美魔女だとかそんな感じの言葉があったから、話半分に聞いておこうとは思っているが。
ともかく、いつまでも若く瑞々しい奴隷でいてほしいということで、人気が高いことには間違いないらしい。
シュネアやラスティと接していると感覚が鈍るが、別にこの世界の人々は揃って長寿だとか、長寿な種族が多いというわけではない。
特例であるラスティは除外するとして、この世界で一番平均寿命が長い種族は龍族であり、長い者は千年から二千年近くの時を生きるのだとか。
まあこれは例外中の例外だ。基本四種族と呼ばれる種族内では一番長寿だと言われるハイエルフでも、千年生きれば充分なのだとか。
一部魔族は若干の不老を持っているらしいが、それも極一部である。ちなみに完全な「不老不死」は未だ確認されていないのだとか。すぐ身近にそれっぽい方がおられるので、確実にいないとは断言できないのだが。
ちなみに先ほど挙げた龍族だが。他種族とまぐわっても子孫が出来ぬことなどから、一説には龍の血を受け継いだ種族とも言われるらしい。
この世界の龍は知らないけど、元の世界で崇められていた龍は長生きだったからな。
その説ももしかしたら当たっているのかもしれない。
話が逸れたな。
この世界で一番平均寿命が短いのは、獣族と人族だ。
獣だから十年二十年で死ぬ――なんてことは無いらしいが、どれだけ長生きしても百年が限界らしい。それも最長で、である。
人族に関しても同等だ。
だがこの世界には万能な治癒魔法が存在するため、戦士や突然死を除くと基本的には大往生らしい。
ただし延命処置や人工の臓器などもなく医療技術が全くといって良いほど発達していないため、治癒魔法では処置不可能な病気や傷を負ってしまえばそこまでだ。
ちなみにこれが、オドを持たない生物が生き残れない原因の第一位だったりする。
魔法の発達により、医療技術だとか衛生管理だとか健康法だとか――そういうものは全く以て進歩していない。
今はともかく、いずれ妙な病が流行って全滅してしまう気がするな。
一見万能な防護壁で守られた世界ってのは、大抵未知の病原菌が発生して朽ち果ててしまうものなのだ。
◇ ◇ ◇
ティオとの関係もまあまあ良好で、今のところ問題は生じていない。
さて、そろそろもう一つのやってほしいことに携わってもらおうかな。
◇ ◇ ◇
「シュネアは、幼い頃結婚の約束をした幼馴染とか、大切な家族や恋人を里に遺したりしていないか?」
まず第一段階では、エルフ族が召喚魔法を使えるかどうか試すことから始めようと思う。
近隣の森から下級魔族を召喚する魔法の方は全く問題無いのだが、術者に会いたい人間を転移させる方の召喚魔法を使う場合、いくつか注意が必要である。
もし何事もなく発動したとして、万が一シュネアの家族や生き別れた恋人が召喚されてしまったらどうなるか。
これが普通に同業者(冒険者同士という意味)なら、別段問題は生じないだろう。
恋慕を挟んだ仲であれば、これをきっかけに紹介してもらえば良いだけだ。
だが俺とシュネアの関係は、そんな単純なものではない。
奴隷と、そのご主人様である。
人族の里に送り出した娘が奴隷堕ちして、どこの馬の骨かも分からない輩の家で同棲している。
ここ一週間の生活をちゃんと見て貰えれば、俺がシュネアに性的な手出しをしていないことは分かってもらえるだろうが、二十二世紀の未来世界でもないこの世界では、過去に起きた事象を正確に見せつけてやることなど出来やしない。物理的に不可能である。
全く無関係な第三者が奴隷とご主人様の関係を見ても何も言わないだろうが、肉親や恋人になれば話は別だ。
絶望を通り越して怒り狂うだろう。
俺の知らない間にプリムヴェールやティオが奴隷堕ちして、汚らしい豚野郎に犯されるなんてことになったら――。全身の皮という皮を剥いで、穴だらけにしてから逆さまにして磔にして見世物にしてやる。
まあ実際に行動に移すかどうかは別として、それくらい辛い現実であることには違いない。
故にシュネアの肉親にも、今の状況を知られるわけにはいかないのだ。
そんなことを考えた上での疑問だったのだが。
唐突に放たれたプライベートな質問に、シュネアは変な顔をしていた。
「私が冒険者を目指したのは、両親が魔物に襲われて生命を落としたことがきっかけですからね……。恋人もいません。いれば、里から出ないで結婚して一生を過ごしたでしょうから」
「シュネアが奴隷堕ちしたことを知って、俺のことを恨んだりするような人はいない?」
「いないと思いますけど……。何でそんなこと聞くんですか?」
何でと言われても……。ねぇ。
「にぃ様の奴隷になりました! とか、手紙に書かれたら大変なことになるからじゃよ。シュネアは変なところが抜けとるからの」
どう答えようかと思案に暮れていると、隣から丁度良いタイミングで助け舟が来た。
「そ、そこまで抜けてません!」
「ほほぅ、そうかの。では昨日、風呂に入るまでショーツを穿き忘れていたことに気が付かなかったお間抜けさんは、シュネアじゃなかったかの」
「――! そ、それはご主人様には言わないやくそ――言わないで下さいって申しましたのに! それに、よくあることですよ、それくらい!」
「妾も昔寝惚けて同じような失態をおかしたことはあるが、厠に行く際にちゃんと気づいたぞ……」
「……思いましたもん。何かいつもと比べて手順が少ないなって、思いましたもん」
話は逸れてくれたが、本気でシュネアが可哀想になってきた。
二重の意味で。
「辛い過去を思い出させてしまって、申し訳なかったな」
「いえ……。ちょっとスースーしただけで、そこまで嫌な思い出というわけでは……」
違う、そっちじゃない。と言いたかったが、わざわざ蒸し返す必要もないので口を噤む。
まあそうはいっても、出来る限り危ない橋は渡らない方が身のためだろう。
まずは近隣の下級魔族を召喚する魔法――そっちを試してもらって、それが可能だったら、次の召喚魔法に手を出すことにしよう。
真っ白な紙に魔法陣を描き、庭に広げる。
今この家にいるのは、俺とラスティとシュネアの三人だけである。
ティオは現在、商店街に買い出しに出かけている。
トリスコールは見回りの兵士も多く、人攫いや誘拐などの治安はそこまで悪くない。
兵士の捕縛をすり抜け、最後まで逃げ果せた娘だ。彼女なら、変な事件に巻き込まれることは無いだろう。
「ご主人様。これは、何の魔法陣なのですか?」
「説明が難しいから、実際に試してもらって良いかな」
この世に存在しない事象を説明するというのは、これが結構難しい。
バルテルスもティオも、ダークエルフの姉ちゃんは穴を掘って地下から現れたと思い込んでいたしな。
「この魔法陣に、魔力を流し込んで欲しい。――マナの吸い上げは、出来るよね」
「はい、それではやってみます!」
その場に膝を着き、シュネアは右手を魔法陣に宛がい、左手を地面に被せて深く深呼吸。
呼気を吐きながら瞑目し、やがてシュネアの左手に淡い輝きが浮かび上がった。
ブルーとエメラルドの混じったような光の粒子は細く薄い日焼けをした腕を駆け上がり、次いで右手がぼんやりと光る。
魔法陣にマナが流し込まれ、ゆっくりと魔法陣が光を放出し始めたところで――、
「――――っ!?」
パチッという静電気のような音とともに、苦痛に眉を顰めたシュネアは不意に魔法陣から手を放した。
魔法の具現化――とくに召喚魔法に関していえば、発動に必要な魔力が完全に魔法陣へ流し込まれるまで、魔法陣に触れていなければならない。
手を放した瞬間、魔法の波は途切れて魔法は不発になってしまう。
とはいえ一発勝負の賭けなどではないので、もう一度初めからやってもらえば済むだけの話ではあるのだが。
「どうした、何かあったのか?」
だがシュネアは故意に手を放したというよりかは、何か原因があって思わず手を放してしまったように見えた。
痛みか何か、不快感を生じさせたような、そんな感じで。
「申し訳ありませんご主人様。その、思ったより、必要な体外魔力の量が多かったので……」
器のない俺には無関係な制限だが、オドを溜め込む器を持った人々は、体外魔力を吸い上げる量にも限界がある。
これは体外魔力にもオドと同じく魔力の残滓が存在するからである。
体内に備わった器は体外魔力を溜め込む基盤になると同時に、マナを放出すると同時に発生する残滓も体内に溜め込んでしまう。
故に器の限界を超える量のマナを、体内に巡らせることは不可能なのだ。
俺は、これが知りたかった。
エルフ族の器は、どれだけのマナを通すことが出来るのか。
その制限の中で、俺が書き込んだ魔法をどの程度使用できるのだろうか。
それが、俺が知りたかったことの一つだ。
「……失敗、ですか」
だがそうとは知らないシュネアは、潤んだ目で上目遣いをしながら俺の顔をじっと見つめていた。
何か罰を受けるはめになるのだろうか、失望されて捨てられてしまうのだろうか。
そんな心の叫びが、聞こえてくるような表情で。
「いや、魔法の発動が成功したかどうかはこの際関係無いんだ。
シュネアがこの魔法を使えるかどうか――、エルフ族のマナ許容量で発動できる代物なのかどうかを、確認するのが今回の目的だったからな。
失敗しようが成功しようが、実験としては成功だ。
だから、心配しなくて良い」
「そうなんですか。…………良かった、ご主人様に失望されなくて」
安堵した様子で、シュネアは小さく溜息をついていた。
ついでに、何の魔法なのか問われなかったのは好都合だ。
それとも、オド第一主義なこの世界だと、エルフ族が使えない魔法など無数にあるので、とくに珍しいことではなかったのだろうか。
「実験は、これでおしまいですか?」
「いや、あと幾つか使えるかどうか試したいものがある。
だけど別に今日中に終わらせたいってわけじゃないから、シュネアの疲労状態をみてどれを行うかを考えるから、疲れたり身体に不調を覚えたら遠慮なく言ってくれ」
普通の奴隷ならば、主がそんなことを言っても頑張ってしまうものだろうが。
シュネアには初めて会った時から、疲弊や不調に関しては遠慮するなとしっかり教えている。
だから――、
「かしこまりました、ご主人様。今日はもう一つだけ、頑張ってみようかと思います」
シュネアの笑顔を目に焼き付けてから、俺はもう一つの召喚魔法陣を真っ新な紙に書き始めた。




