5-7.奴隷と魔導書とご主人様と[後編]
シュネアとラスティが浴室に赴いてから数分後、ティオが大欠伸をしながら階段を降りてきた。
桃色の眼を擦りながら、若干ふらついた様子で身体を伸ばし――、俺の姿を捉えた途端吃驚した様子で立ち止まった。
手の甲で口端を拭い、手櫛で髪を梳いてからパタパタと服の裾を叩いてみせる。
「お、お帰り。アヤメお兄さん」
「ただいま、ティオ。もし平気だったら、手伝って欲しいことがあるんだけど」
湯気が漏れる浴室を横目に、ティオは不思議そうに首を傾げた。
「誰か来てるの?」
「昨日言った、奴隷の娘が来てるよ。後で紹介するから」
「そっか。分かったよ、アヤメお兄さん」
ラスティではなく「誰か」と表現したのは、彼女がこんな時間から風呂に入るような人種ではないということをしっかり分かっているからだろう。
期待するような声音が混じっていたことから、プリムヴェールが来ているのだと思ったのだろうが。
何だかんだ言って、ティオもプリムヴェールに懐いているからな。
そういえば、最近あの柔らかいお姉さんと一緒に寝ていない。
贅沢をいうつもりはないが、あえて言わせてもらおう。
たまにはつるぺた娘ではなく、包容力のある大人なお姉さんと甘い時間を過ごしたい。
「で、私は何を手伝えば良いの?」
「シュネアの衣服を洗濯するから、それを手伝って欲しいんだ。ついでに俺たちの服も洗っておきたいし」
「それはもうやっておいたよ。アヤメお兄さんのも私のも、ちゃんと洗って乾燥させておいたから」
パタパタと駆け出し、ティオは部屋の隅から、綺麗に畳まれた衣服を運んできた。
そうか、俺らが留守にしている間に、ちゃんと自分の分の仕事は終わらせていたのか。
「ありがと、ティオ」
「えへへ……。そ、それほどでも、ないよ」
繊細な髪に指を通して優しく梳いてやると、ティオは幸せそうに口元を緩め、頬を染める。
このままいつまでも撫でていたい気分が生じるが、そうもしていられない。
現在シュネアは衣服を一着しか持っていない。
ラスティの防具兼用衣服も一着しかないし、ティオの服は間違っても着れるはずがない。
俺のローブを貸しても良いのだが、彼女は下着を持っていない。
素肌に直接自分の服を着られるというのは――、何とも言えない気持ちだ。
照れくさいと言うかいたたまれないというか。
とにかく、それだけはどうにかして避けたい。
「じゃあ俺は洗濯物を持って先に外に出てるから、ティオは浴室から余ってるタライを二つ持ってきてくれ。あ、あと石鹸も。洗濯用のやつね」
「はぁーい」
意気揚々と駆け出すティオの背中を見送ってから、シュネアとラスティの衣服を持って庭に出る。
衣服の脱ぎ方一つにしても、性格が出ていて面白い。
シュネアのは綺麗に小さく畳まれており、ラスティのはまさに「脱ぎ散らかした」といった感じである。
胸当てなど、裏表が逆になっている。
汗のせいか、ちょっと湿っているな。
とくに汗臭いってことは無いみたいだけど――。
「……アヤメお兄さん、来たよ」
童女用の胸当てをじっくりと見つめている俺の姿を、ティオは興味深げな表情で舐めるように見つめていた。
嫌悪感を得ているようには見えないが、何とも言えない気分だ。
タイミングが最悪過ぎる。
◇ ◇ ◇
洗濯と乾燥を終わらせて暫く経ったところで、シュネアとラスティは風呂から上がってきた。
風呂上りのシュネアは、やはり先ほどよりもサッパリした印象を抱かせる。
若干脂ぎってキシキシしていた髪もさっきよりかはサラサラしており、褐色に近かった素肌もほんのりと日焼けをしたような薄色に。
身体が温まってちょっとばかし心に安心感が出てきたのか、表情もさほど強張っていない。
汚れを落とすために風呂に入れたのだが、これは当初の予定以上に良い結果を出せたかもしれない。
もしくはラスティは、ここまで見越して入浴を提案したのだろうか。
「前髪が真っ直ぐなのは、シュネア殿の趣味かの」
「……いえ、そうではなく。自分で切っていたので、その」
言われてみれば――。濡らした状態でシュネアの髪を見ると、ハサミを一回だけ通したかのように、前髪が真っ直ぐに揃えられている。
海藻類の名前をした小学三年生とまではいかないが、ぱっつんと呼ぶには可愛げがない。
「綺麗な髪なんじゃから、ちっとは気を使うことじゃな。身嗜みに無頓着だと、殿方は振り向いてくれんぞ」
「……申し訳ございません、ラスティお嬢様」
「仕方ないのぅ。妾が切ってやるから、こっちを向け」
衣服を身に着けようとするシュネアを手で制し、さっきまで身体を拭いていたタオルでシュネアの身体をくるりと包む。
流れるような手さばきで正座させると、どこからともなく取り出したハサミでシュネアの前髪を軽くすき始めた。
薄紫の細い糸が空を散り、あっという間に手さぐり感満載だった前髪はその姿を消失させる。
「シュネア殿の髪色だと、額は出しておいた方が似合うじゃろうからな。よし、次は後ろじゃ、そっちを向け」
シュネアをくるりと回転させると、躊躇いなくザクザクとハサミを入れていく。
見事なものだ。
「ふっふっふ。昔よくサザンの髪を切ってやっていたからの。こういうのは慣れているんじゃ」
なるほど、これも経験による技術か。
やはり人並み以上に長生きしていると、出来ることも技術力も格段にアップするんだろうな。
髪を切られているため身動きのとれないシュネアは、ボーっとした様子で部屋の壁を見つめていた。
虚ろとまではいかないが、目に光が灯っていない。
もしかすると、無意識に逃避する癖があるのかもしれないな。
奴隷商の前にいる間は、まだ自分が目の前にいる男の奴隷になるという実感が湧いていなかった。
だが流石にギルドに仮登録をして、自宅まで送られれば、心の何処かで縋り続けていた希望的観測は真っ黒に塗り潰される。
現実を見てしまったのだろう。
原因が俺にあるので、分かったからといって慰めたりするわけにもいかないのだが。
さてどうしようかと視線をさまよわせると、意味ありげにウィンクをするラスティと目が合った。
目が合ったことに気が付くと、今度は舌を出して唇をペローンと舐めてみせた。
しっとりと湿った唇が何とも言えぬ色っぽさを――ではなく。はて、ラスティは何を示そうとしているんだろうか。
暫く舌を出したり黒目をクルクル回してみたり、角をピコピコさせてみたりしていたが、やがて通じないと気が付いたらしく、ふぅと溜息を吐き、
「シュネア殿、この家をどう思うかの?」
と、やれやれといった様子で科白を紡ぎ始めた。
「す、住み心地の良い家だと思います。何というかその、非常に懐かしい雰囲気を感じさせるというか……。人族や魔族の方がお住みになる家とは違うというか」
暫し部屋を見回していたシュネアは不意に俺を見やり、窺うような面差しで口を開いた。
「この家は、どなたが建設なさったのですか?」
「……そういえば聞いておらんかったの。レリー建築は特殊な間取りをしておるから、知識のない人族や獣族、魔族が建てることは不可能なはずじゃ。
レリー建築の特徴は、建設された建物のデザインがどれもこれも寸分違わぬというところにある。
見よう見まねで建造したり、建設者の色を加えたり、そういった手を加えた途端レリー建築の味は失われてしまう。
これは間違いなく、エルフ族の手が加わっていると思うんじゃが」
ラスティが不思議そうに首を傾げると、少し安堵したような表情で、シュネアは再度口を開いた。
「手を加えるというか……。
レリー建築というのは、元はハイエルフ族が生み出した魔法による建築術なのです。
精緻な作り方や技術の伝達などはなく、種族の間に手特殊な魔法陣と詠唱が代々伝えられていくのです。
ですので、エルフ族――もしくはエルフの里にて先代から魔法を教わった方でなければ、この家を建てるのは不可能だと思います」
「ほぉ、そうなのか。八千年という長い年月を生きてきたが、それは初耳じゃったの」
「エルフ――とくに純粋なハイエルフは排他的な種族ですから。それに、仮にその魔法を伝えるための魔法陣や詠唱をお教えしたとしても――」
「マナを使えぬ種族には、無用の長物ということじゃな」
その種族間でしか伝えられない魔法。
仮にそれが誰かの口から漏れたとしても、エルフ族以外の種族は使うことが出来ない。
これが所謂、種族間でのみ伝えられる秘術というものなのか。
「……ということは、誰が建てたのか推理するまでもないことじゃの」
種族間でのみ代々伝えられる秘術を知っていて、しかもその魔法を使うことの出来る部外者――端的に言えば、マナを使うことの出来る者だということになる。
そんな規格外なステータスを所持した者が、こんな辺境に何人も存在するはずが無いだろう。
「そうです。俺が建てました」
「ご、ご主人様が、ですか!?」
緻密な完全犯罪を名探偵に暴かれた犯罪者のように、大仰に両手を上げてやれやれと首を振ってみせる。
シュネアは目を見開いたまま、口をパクパクさせている。
どうやら、奴隷になった緊張や不安を凌駕するほどに、今の発言は衝撃的だったらしい。
「え、だって。ご主人様は、純粋な人族ですよね。確かに、その……。マナの存在を知っている人族の方なんて珍しいなとは、思いましたケド……」
出会った初日から教えて良い事柄かどうか、それは確かに不安だ。
実際まだこの時点では、シュネアは完全なる俺の奴隷として国に定めて貰っているわけではない。
全てを信頼して、シュネアに俺の全てを曝け出しても良いのだろうか。
変なところだけ、壊れるまで石橋を叩くような性格であるために決心が付かないが、今回はそうこう言ってはいられない。
シュネアを購入したのは、ティオの手伝いをしてもらうためだけではない。
そしてそれを実行してもらうためには、ここから先のことを知っていなければならないのだ。
「ああ、確かに俺は人族だ。勿論エルフ族の知り合いもいなければ、エルフ族の里やらに赴いたことは一度もないし、不正に情報を受け取ったこともない」
シュネアが前のめりになり、後ろでチョキチョキやっていたラスティが「あ」という口をした。
不穏な表情を見せたが、ラスティは気にせず再びハサミを動かすことに集中し始めた。
「で、ではどうしてエルフ族と全然関係ないご主人様が、その魔法をお使いになられるのですか」
「それは、これが理由だ」
ローブの内ポケットに手を突っ込み、中からアヤメ色の書物を取り出してみせる。
俺がこの世界に来た原因であり、ここまで来ることが出来た要因であり、全ての元凶であるユグドラシルの魔導書。
「な、何なのですか、その禍々しい書物は」
「ユグドラシルの魔導書と呼ばれる――伝説の魔導書だ」
「で、伝説ですか……」
さっきまでの不安や緊張はどこへ行ったのか。宝物を発掘した冒険者のような表情で、シュネアは魔導書を食い入るように見つめていた。
くんくんと匂いを嗅いでみたり、指先で触れてひっこめてみたり、腰の目の前でそんな仕草をするので、何かちょっぴり変な気分になってきた。
「凄い、です……。伝説の匂いと、超伝説の触り心地がします」
新人のリポーターのような当たり障りのない褒め言葉を紡ぎ、シュネアは感心するように真剣な面差しで頷いていた。
予想以上なシュネアの反応に悪乗りしたくなった俺は、ふとラスティに視線を送ってみた。
悪戯好きな長寿ロリは、ニシシと歯を見せて黒い笑顔。
どうやら同じことを考えていたらしい。
「で、ですが……。このような重要機密事項を、奴隷である私なんかに教えて良いのですか?」
バスタオル一枚で魔導書を撫でるシュネア。その肩にラスティは背後からゆっくりと手を乗せると、童女らしく愛らしい笑みを見せながら、
「勿論――――――――良いわけが無いじゃろう?」
「そ、そうですよね! 奴隷――しかも出会って間もない私なんかが知っていいような内容では――え、あれ?」
シュネアの体躯がピクンと震え、滑らかな肩がキュッと竦められる。
「知ってしまったからには、もう後戻りは出来ないの」
「え、だって。ご主人様とラスティお嬢様が、見せてくれて――えええ、嘘!?」
「俺たちの実験に、関わってもらわなければならなくなるな」
シュネアは信じられないといった様子で、口元を両手で押さえてみせた。
愕然、という言葉がここまで似合う反応も無かろう。
「じ、実験……。もしかして、毒薬か何かの人体実験か何かですか? マナが無ければ解毒魔法が使えないエルフ族を使って、新薬の実験台に――。
それかもしかして、解剖ですか!?
そういえば、昔近所のお兄様に聞いたことがあります。膨大なオドを持った魔族の王様は、夜な夜な美麗な女人を寝室へ連れ込み、精気を吸い尽くすと。
エルフ族の里では、夜遅くまで遊ぶ子供たちは怖い人に連れて行かれて、それで、それで――――」
カタカタと震えて、祈るように指を絡め合い始めた。
キュッと股座も閉め、声音にも若干泣き声のようなものが混じり始めた。
いかん、冗談が過ぎてしまったな。
ここまで過剰に乗ってくれるとは思わなかったが。
さっきの分析に「多少大仰なほどにネガティブな考えが浮かびやすい」と付け加えておこう。
単に思い込みが激しすぎるだけかもしれないが。
今後付き合っていく際に、気を付けておかなければならないからな。
「大丈夫だよ。別に、シュネアの身体に実害を与えるような実験をするつもりはないから」
「ほ、本当ですか……?」
「ああ、じゃがその魔族の王様は妾の知り合いじゃからの。もし変なことを考えたら――、生命はないものと思え」
「ふええぇぇぇぇ!?」
「……ラスティさん、もうその辺にしておきましょう。それ以上からかったら、本当に怖がってしまいますよ」
窘めるようにそう言うと、雫の滲んだシュネアの瞳にキッと睨まれた。
「も、もう既に怖いですよ! も、漏らすかと思いました! 寿命が三十年くらい縮むかと思いましたよ!」
「……人族でいえば三年くらいなんだろうけど、何か申し訳ないことをしたような気分になってくるな」
寿命の異なる種族が入り混じると、こういった喩えの話も変わってくるのだろう。
もしかすると、この世界の文明進化に異様なほど時間がかかっているのも、それが原因かもしれないな。
「しかし、サザンの日課がそのように曲解されて伝えられていたとは……。何だか寂しい話じゃの」
「俺もその逸話を本で読んだことがありますけど、実際はどうだったんですか?」
「生き血とともに魔力と精気を吸い取っていたのは間違いないが――基本的には、罪人や死に欠けの奴隷相手がほとんどじゃったの。死亡した輩のオドを土に還すのは勿体ないと言って、時折自ら赴いてチュチュっとな」
「……倹約家だったんですね」
「当時の荒んだ火大陸を統べるには、資金や魔力がいくらあっても足りんかったからの」
大英雄サザンガンフォルト――火大陸三代目の魔帝様だっけか。
名前だけを聞くといかにも魔王様って感じなんだが、こうして身近な人間から話を聞くと、意外と自分たちと同じ普通の魔族だったんだなと思えてくる。
「……と、そうこうしておる間に切り終わったぞ」
散らばった髪の毛を風魔法で集め、ゴミ箱へ投入と思いきや脇から放たれた火の玉によって瞬時に消し去られた。
風魔法を使ったのはラスティだが、火魔法を使用したのはティオである。
危ないから家の中で火魔法は使うなと教えていたはずだが、そういえば最近は料理やら乾燥やら何やらで火魔法を使う場面も多く、少々見逃し気味になっていた。
まあ精度も上がっているようだから、そう煩く言うことでも無いのだが。
一応、気を付けて見ておこう。
◇ ◇ ◇
「そういえば、実験とはどういったことをなさるのですか?」
乾いた服を身に着け、一応見られる姿になったシュネアは、リビングの床に腰かけながらそんなことを問いかけてきた。
先ほどの騒動(?)のおかげか、シュネアの緊張感は若干薄れたらしい。
まだちょっぴりビクついてはいるが、窺うような視線を向けることもなく、最初に会った時のように瞳にも光が灯っている。
前髪を切ったのも一つの理由かもしれないな。
前より少し、明るく見える。
「新薬――毒薬や解剖など、人体に悪影響を与えるような実験ではないと、先ほどご主人様はおっしゃっていました。
ですが、体外魔力を扱うことの出来るご主人様と、充分な体内魔力を保持しておられるお嬢様お二方がいるのに、私なんかが必要な場面があるのでしょうか」
「ああ、俺にはシュネアが必要だ。君にしか出来ない、大切な仕事があるから」
まあ基本的には、俺が今まで書き込んだ魔法はエルフ族も使えるのかどうか試してもらう――というのが、主な実験内容になる。
膨大なマナを利用する召喚魔法や、一撃で多大な威力を発揮する雷魔法。
それと、以前書き込んで未だ日の目を見ていない、「マナを流し込む」魔法。
これを他者――生物にも行うことが出来るのか。
その辺を、実際に試しておこうと思っている。
無論そんなことだけのために、奴隷を買ったわけではない。
一番の理由は、家事の労働量を軽減させるためだからな。
「……そうですか、私が必要。その、べ、別に私は全く気にしてはいないのですけど。ひ、一つだけお聞きしてもよろしいでしょうか」
「良いよ、何か気になることでもあった?」
俺がそう聞き返すと、シュネアは気まずそうにほんのりと頬を染めた。
ん? 俺、何か変なこと言ったかな。
「その、お仕事の中には……。えっちなことも、含まれているのですか?」
「左様。シュネア殿には毎晩、俺と一緒のベッドで熱い夜を過ごしてもらう」
「……ラスティさん。声真似して妙なことを言うのはやめてください」
ラスティの茶々が入ったので、出来損ないの咳払いで変な空気をごまかす。
さて、何だったか。
シュネアに科す仕事内容に、性的なものは含まれているかどうかという話だったな。
大抵こういう場合は「え、聞こえなかった。もう一回お願い」とかいう場面なのかもしれないが、二度もそんなことを言わせるのは可哀想だから、聞き返すのはやめておこう。
「えと、もう一回言った方がよろしいでしょうか」
「大丈夫、ちゃんと聞こえたから。そうだね――。性的なこととか、シュネアがどうしても嫌なことを強要しようとは思ってないよ。ただ幾つかの事項に関しては、俺としてもシュネアにどうしてもやってほしいって事柄も含まれているから、そこは俺の意思を優先して欲しいかな」
シュネアは別に、性奴隷とか愛玩奴隷として購入したわけではないからな。
白濁液で穢されるような性処理具にするつもりはない。
俺にはプリムヴェールもラスティもいるし。――――ティオは、流石に自重するけど。
……待て、今はそういう話じゃない。
「分かりました。奴隷として、ご主人様のために誠心誠意頑張ります!」
奴隷市場の前で話していたときのような声音だ。
やはり性的な扱いをされるかどうか、心の奥底ではかなり気になっていたらしい。
一つ肩の荷が降りたのだろう。
ただまあ、この辺りは少し矯正する必要があるな。
ここまで分かり易い性格だと、家での情事――じゃなくて事情が、シュネアを通じて外部に筒抜けになってしまうやもしれん。
まあシュネアの目の前で常識はずれな行為をするつもりはないし、そこまで気にするようなことではないだろうけど。
そんなことを思いつつシュネアを眺めていると、遠慮がちな動作でローブの裾が引っ張られた。
見れば桃色の頭がすぐ傍まで接近しており、思わずギョッとしてしまった。
「どうした、ティオ」
「私も、お風呂入りたいなって思って」
「汗、かいちゃったか?」
「ううん。だけどせっかくこんなお日様の高い時間にお湯が沸いてるんだもん。たまには、早く入るのも良いかなって」
窓から差し込む光は、まだ鮮紅の色彩を伴っていない。
無論紫紺の空をすることもなく、傾き始めた鮮やかな太陽が柔らかな日差しを送り込んでいる。
確かにこんな時間に、うちの風呂が沸いているというのは珍しい。
普段はもっと遅く――夕日が完全に沈んでから入るからな。
「ティオお嬢様が、ご入浴なされるのですか? でしたら私めが、お背中を流すことに致しましょう!」
待ってましたとばかりに這い寄り、姿勢を正してティオの傍に佇むシュネア。
だがティオはその申し出に、何とも言えぬ表情で返答。
次いで俺の顔を見つめて、何か言いたげな面差しで心内を訴えてきた。
懇願するような期待するような――所謂「お願い」の視線である。
「大丈夫だよ。私はアヤメお兄さんと一緒に入るから。いつもそうだもん」
「え、ですがご主人様とティオお嬢様は――」
そこまで言ったところで、不意にシュネアは科白を止めた。
何かに気が付いた様子で瞳を斜め上へ動かし、何かを思い出すような素振りを見せる。
はたして何かに合点がいったらしいシュネアは、瞠目したまま、部屋中に響き渡るような声量で叫んだ。
「ご主人様が私めに手を出さない理由が、たった今分かりました!」
「多分絶対確実に違うから、心の中で納得しないで!」
頬を染めて意味ありげに口元を歪め、両手で頬を包み込みながら少しずつ後ずさり。
その表情に嫌悪や不快などの色はなく、むしろ悪戯が成功して満足感を得た童女のような面差しが映り込んでいる。
純粋に、俺の秘密を知ってしまった――という妙な満足感を得ているのだろう。
違う、違うのに。
ふと視線を泳がすと、見慣れた顔でニシシと笑みを零す高齢な幼女の姿が目に入った。
ついさっきシュネアをからかった時に見た顔と同じもの。
く――これは、罰なのか。立場を利用して健気なエルフをからかったことに対する、純真な罰なのだろうか。
どうにもこうにも、これから毎日同じ屋根の下で暮らす相手だ。
変な誤解を植え付けられて、それを前提に付き合うのは俺としても嫌だ。
俺は別にちっちゃな女の子が好きなんじゃない。単に、一人の女の子としてティオが好きなだけだ。
「シュネア、ここに来て最初の、命令だ。今から俺が言う話を、しっかり全部逃すことなく聞いてくれ」
ようやく俺の誤解が晴れた頃には、既に太陽は沈み、辺りは紫紺の闇に包まれ始めていた。




