4-29.幼女と賢者とキツネミミ
基本的に、自分から香る匂いというのは本人には認知しにくいものだと思う。
悪臭ならともかく、それが本人にとって良い香りだと、特に気が付きにくいものだ。
俺は先日の晩飯の時に、身を持ってそれを学ぶこととなった。
素知らぬ風を貫き通したはずだったのだが、ティオは何やら首を傾げ、ラスティは食事中常時口元を緩めていた。
寝る前にラスティに指摘された時は、羞恥のあまり血が上り、顔から火が出るかと思った。
まあ、何ていうかあれだよね。
どういう理由にしろ、時と場合は考えなくちゃいけなかった。
◇ ◇ ◇
匂いに関する教訓を得てから数日後。
快晴の空の下、俺はティオを連れて王都商店街へ買い出しに出ていた。
他に誰もいない。二人っきり、水入らずだ。
ラスティは留守番だ。留守番といっても、敷地内に陣取って家の中で留守を守ってくれているわけではない。
彼女は今頃、近隣の森林にてダークエルフやオークの男衆を喰い散らかしているのだと思う。
事の起こりは、昨晩のこととなる。
ラスティが魔大陸からトリスコールへ召喚されてから、数週間は経過しているだろうか。
プリムヴェールが言うには、リリムとは性的好奇心を抑えることのできない種族なのだとか。
故に三日もしない内に我慢の限界を超えて、何らかの行動に移すのだろうと勝手に思っていたのだが、そんなことはなかった。
力ずくで襲われることも無かったし、リリムとはいえど最低限の節度が護れるんだな――なんて呑気なことを思っていた。
だがそれも、昨晩で終了だ。
玲瓏な月光が差し込む寝室にて、ついに臨界点を突破してしまったらしい。
ラスティの名誉のため詳細な解説は省くが、何というか――何かの中毒か禁断症状を起こしたような有様だった。
まあいってみれば、これも一種の禁断症状ともとれる内容かもしれないが。
そんなわけで、現在ラスティはリリムとしてのお食事を森林にて行っている。
生きるために必要なことの一つらしいので、軽蔑したりだとかその行為を軽視しようとは思わない。
ただ流石にリリムとしての食事風景はティオの教育上よろしくないので、こうして出来るだけ家から遠ざけているわけだ。
もっとも、理由はそれだけではない。
せっかくティオと二人きりなのだから、たまにはギルドの依頼ではなく、どこかにお出かけしようという話で纏まったのだ。
所謂デートというやつである。
年齢が八歳ほど離れているので、第三者からは間違ってもそういった関係には見えないのだろうが、ともかく。
こういうのは、当人たちの気持ちが何よりも大事なのだ。
喩え仲睦まじい兄妹か不健全な主従関係に見えようと、俺がティオを愛し、ティオが俺を慕っていれば、何の問題も無いのだ。
勿論今日の俺はティオを妹のように扱うこともしないし、子供扱いもしない。
プリムヴェールにしたのと同じようにエスコートして、お互いにほどほどの我儘を言いながらウィンドウショッピングをする。
典型的なデートプランだと思う。
冷やかしはお金かからないから、お財布にも優しいのだ。
とはいえ王都の商店街は出店が多く、大半の店は横並びに揃って連なっている。
全部の店を冷かしがてら素通りするのは流石にまずいので、デートのついでに一応食料品などの生活用品購入も済ませることにしている。
荷物にはなってしまうが、仕方ない。
買い物デートってやつだ。言ってから思ったが、新婚生活みたいだな。
「せっかくだから、お昼ご飯は食堂で食べようか。ティオは、何が食べたい?」
商店街を抜けて普通の宿屋街とは別の通りを歩めば、食堂や料理屋、酒場などの並んだ通りに出られる。
流石に十歳の少女を連れて酒場に行くのはどうかと思うし、どうやら俺は凄まじく酒に弱いということが先日の一件で分かったため、酒場以外の場所にはするつもりだ。
故に行くのは料理屋か食堂。
その辺で果物か何かを齧るのでも構わないが。
わざわざ外に出たというのに、そんな質素な昼食で済ませてしまうなど寂しすぎる。
繋いだ手にキュッと力が籠り、薄紅色の瞳が上目遣いに俺を捉えた。
「私が食べたいの、選んでいいの?」
「ああ、何でも良いよ。何がいい?」
もうすぐ料理屋の立ち並ぶ通りに辿り着くから、それまでに決めておいた方が良いだろう。
悩むのも楽しみの一つだから、急かしたりはしないけど。
「えと、えっとね。……何に、しよっかな」
ティオは真剣な顔つきで、顎に手を当てて悩んでいた。
別に今日だけってわけではないのだから、そこまで真剣に悩まなくてもとは思うが――あ、でもせっかくのデートだから、一回一回を有意義に楽しみたいって考え方もありか。
だったら、普段はあまり食べられないものが良いかもしれないな。
料理屋だからこそって感じの料理――例えば黒くないパンとか高火力で焼いた新鮮な肉だとか。
以前はプリムヴェールのお昼休みなんかに、料理屋か食堂には二人で行っていた。
一応俺にだってお勧めの飯屋は幾つかあるのだ。
ティオが食べたいメニューが一番美味い店を、即座に手配してさしあげますよ。
どうせ食べるなら、美味い料理屋を選んだ方が良いからな。
思案にくれているティオを横目に歩いていると、不意にティオが何かに気を取られて立ち止まった。
視線の先には、悪魔を殲滅した時とは別の広場が広がっていた。
だがティオが見ているのは、広場そのものではない。
広場には人だかりが出来ていた。
雑踏の中からは活気あふれる喧騒が奏でられ、何やら楽しそうな雰囲気を放っている。
普段は反対側の空が見えるほどに閑散としている――というか、ある程度人が集まっても充分余裕があるはずの広場が、人々の陰によって埋め尽くされているのだ。
元の世界でも、似たような光景をテレビの取材で見たことがある。
確かあれは、どっかのお祭りに超人気アイドル歌手がサプライズで現れたてな感じの中継だったか。
元の世界では人を避けて過ごしてきた俺にとって、このように賑やかな場所に近づくのは、中学生の時突発的にリンゴアメが食べたくなって一人で赴いた、駅前で開かれた夏祭り以来だ。
後で知った話だが、その日は教師が見回りをしていたらしく、何人かの同級生が指導を受けたらしい。
俺は一度も遭遇しなかったため、当時は運が良かったななどと一人で思っていたのだが。
人の居ない一角に設置された自販機に寄りかかりながら文庫本片手にリンゴアメをペロペロする鬱系男子を見かけても、不憫すぎて声を掛けられなかったのだろう。
当時の俺は全く気にしていなかったが、後から考えてみれば明らかに陰湿かつ危ない光景だ。
俺が第三者の視点だったら、確実に近寄らない。
「気になるのか?」
「うん」
ティオは食い入るように広場の人だかりを凝視していた。
そんなに興味があるなら、行ってみても良いだろう。
腹が減って仕方ないというわけでもないし、広場を回ってから飯屋に行っても問題はない。
ただあの人混みを通り抜けるのは、少し大変そうだな。
「ティオ、肩車してあ――」
げようか、と続けようとして慌てて口を閉ざす。
今日はティオを子供扱いしない。
プリムヴェールと同じように接すると決めたのだ。
「はぐれないようにね」
代わりに、しっかりと指を絡めて手を握る。
身を寄せ合い、掻き分けるように雑踏の中へ潜り込む。押し戻されたりギュウギュウと跳ね返される覚悟はあったのだが、どうやら何かを見物しているわけでは無さそうだった。
手を出して腰を折りながら進むと、道を開けてくれた。
人の波に飲まれぬようティオの手をしっかり握りしめ、雑踏から顔を出す。
「……これは」
先ほど俺はこの状況を縁日のようだと表現したが、その喩えは間違っていなかったようだ。
広場には幾つもの出店が並び、様々な商品が並べられている。
素人仕事であろう簡素な棚から、行商人が引いている荷台のようなもの。商店街に並んでいるテントのような店まで、様々だ。
魔道具やロッドなどの物品から、異国の書物。食品なども販売しているようで、何かを焼く匂いや甘ったるい香りなんかも漂っている。
少し歩めば、色々な匂いに包まれる。
タコスのようなものに、串焼き、砂糖か塩を固めたようなもの――。燻製肉を挟んだパンや、某の刺さった焼き魚なんてものまである。
ヤキソバとかタコヤキとか、チョコバナナ的なものは流石に無いが、これはどこからどう見ても、夏祭りの縁日を映した光景である。
「何だろう、これ」
思わずティオに視線を送ったが、彼女も不思議そうに首を傾げていた。
何かのお祭りでも開催されるのだろうか。
この世界の風習や恒例行事に関しては疎いので、よく分からないが。
もしかしたら元の世界でいうところの祭りや縁日のようなものを、この世界でも時折開催しているのだろうか。
「何かの、お祭りか何かなのか……?」
「今日は、市が立っているんですよ」
ふわふわしたものに全身を包み込まれたような柔らかい声音に、思わず振り返る。
山吹色のたっぷりとした髪に、見た者を虜にするような麗しい微笑み。さらにその笑顔を際立てるような、大胆に空を指す愛らしいキツネミミ。
片頬に手を宛がいコテンと首を傾げるその御姿には、多くの男性が心を奪われることだろう。
「エイムさん」
「お久しぶりです。アヤメさん、ティオさん」
ペコリと腰を折ってから、エイムは普段の微笑みを見せて慎ましやかに佇む。
お辞儀と同時に豊かな膨らみがたゆんと揺れるが、全体的に見ると女性にしては長身でスレンダーだ。
プリムヴェールよりちょっとだけ背が高く、目の高さは俺と同じくらい。
だが頭の上に立派なキツネミミが生えているので、実際の身長より若干大きく見える。
ピンと立ったキツネミミに暫し見惚れていると、不意にくるりと丸まって、ピコピコと揺れ始めた。
視線を下ろすと、普段通りの春色笑顔で首をコテンと傾けてみせられた。
どうやら遊ばれていたらしい。
「月に一度くらいの頻度で、行商人の方や一般市民の方々が、こうして広場に出店を広げる催し物があるんです。
前もって日時を告知しておくことで、様々な出店や行商人の方――あとはギルドで買い取りを拒否された探索者の方なんかが、その日に集まって来ます。
店を出す人が集まれば集まるほど、買いに来る人達も必然的に増えますから。
そうすれば、一緒に並んだ別のお店で買い物をする人も増えるでしょう?
売る方にも買う方にも嬉しい、特別な日なんです」
言い終えると、エイムは右手を丸めてキツネの形を作ってみせた。
表情や言動の柔らかさは普段通りだが、ちょっとした振る舞いにそこはかとなく可愛らしい部分が垣間見える。
これがエイムの素なのかな。
「月一で開かれていたんですか。でも俺、こんなの初めて見ました」
「普段はそこまで目立つものではありませんからね。今回は丁度トリスコール王都周辺を移動中の行商の方々も多く、普段よりかは大々的に開かれておりますから」
そうなのか。
まあ確かに月一で開かれているのなら、一度も見たこと無いってのもおかしな話だもんな。
今までは目立たなくて素通りしていたか、もしくは開催日に依頼を請けていたか家にいたか、そんな感じだろう。
――しかし、それにしても。
「かなりたくさんの出店が並んでいますね」
「そうですね。食品から魔道具、雑貨に日用品、組み立て式の家具まで色々あります」
見れば、小汚いローブを纏った少年たちがキョロキョロと周囲を見渡していた。
比較的豪奢な衣装に身を包んだご婦人方に声をかけては、銅貨や銀貨を貰って何やらへこへこと頭を下げている。
乞食か何かだろうか。
なんて思いながら横目に見ていると、彼らはご婦人方の買い物袋を抱えてそのまま追従していった。
どうやら荷物運びの短期労働者らしい。
なるほど、そんな仕事もあるのか。
反対側を見ると、貴族っぽい老紳士がメイドとともに魔道具の棚を漁っていた。
メイドさん――何故俺が一目見ただけで彼女がメイドだと分かったか。
単純なことだ。格好が、格好が――! 彼女が身に纏う衣装が、所謂アキバ系のメイド服にそっくりだったのだ。
脚や肩などはしっかりと閉ざされているが、由緒正しいヴィクトリアンメイドと言うにはところどころ華美な装飾が見える。
水色の頭にはティアラのようなホワイトプリムがちょこんと乗っている。
この世界に来て――いや、三次元のメイドさんを見るのは生まれて初めてだ。
グッジョブです、この世界のアパレルデザイナー様!
そんなことを考えながらふと彼らの後ろを見やると、虚ろな目をしながらメイドの尻を見つめる薄汚い小男が目に入った。
小汚いとは言っても、鮮やかなライトグリーンの髪は綺麗に整えられているし、身に纏っている衣服も中々上等なものだ。
だが何故か、彼の背中からは小奇麗さが感じられない。
猫背だからか。
「……奴隷だ」
ポツリと呟かれた科白を、俺は聞き逃さなかった。
言葉が紡がれた方へ視線を送ると、緑髪の小男を見やるティオの姿があった。
俺の手を握る力が強まり、ティオは俺の身体の陰に隠れた。
奴隷、か。なるほど、あれがそうなのか。
老紳士に声をかけられ、メイドとともに買い物袋を抱える緑髪の男性。口元には笑顔を浮かべているが、瞳に光が灯っていない。
貴族ご用達の使用人服で着飾っても、綺麗にしても、心の奥底まで染み込んだ本質は隠すことは出来ないんだな。
「あれが、奴隷か……」
「奴隷ですか? アヤメさん。流石にそれは、出店では売っていませんよ」
気の抜けるような声が背後から聞こえた。
思わず振り返ると、獣的な柔らかそうな山吹色の髪が風になびいていた。
次いで目に入ったのは、串焼きやら焼き魚やらをモグモグしながら、両手いっぱいに食べ物を抱えたエイムの姿だった。
春風を思い起こさせるような愛らしい笑顔のまま、口に詰められた串焼きがモニュモニュと動いている。
やけに幸せそうな姿に、さっきまで感じていた感慨が一瞬で消し飛んだ。
「食めまむ?」
「いつの間にそんなに買ったんですか……」
言いつつも、思わずエイムの胸元に手が伸びる。
抱えられた串焼きの一つを手に取って、咀嚼。うん、美味い。
ちょっと顔を向けただけで、思わず腹が鳴ってしまうような美味しそうな香りが漂い。口いっぱいにそれらの風味が広がっていく。
ティオも同じような感想を抱いているようで、目をキラキラさせながら周囲を見渡し、時折俯いてはお腹の辺りを撫でている。
こんなに分かり易い反応をしてくれれば、察しの悪い俺でもティオの意図していることはすぐに解る。
「今日のお昼はここで食べようか?」
「――ん! そうする、ここで食べたい!」
期待感溢れる表情で見上げるティオの頭を撫でつけ、次いでエイムへ視線を送る。
串焼きをモキュモキュゴクンとするエイムは、そんな俺の視線に気づき、キツネミミをコテンと倒してみせた。
一応、本日はティオと二人っきりのデートを楽しむ予定だった。
とはいえ料理屋や食堂の立ち並ぶ通りと違い、ここに立ち並んだ食べ物屋は全て初めて見る顔ぶれだ。行商人か一般市民の出店らしいので、当たり前のことだが。
適当にそれらを食べ歩くことこそが縁日の楽しみ方だとは重々承知しているが、せっかくならば美味いと勧められる料理を食べたいというのが、世の常だ。
それにせっかく声をかけてもらったのに、「では俺はティオと二人っきり水入らずでデート中なので、これで」などと行って別れるのも失礼だろう。
気分も良くない。
それに――、
「はぅ――――」
パタパタと動くキツネしっぽを見つめたまま、ティオはさっきから動かない。
興味津々って感じだ。
どうやらエイム(のしっぽ)が気に入ったらしい。
まあ気持ちは分からんでもないが。
「んむぅ? ――コキュン。ティオさん、どうかされたんですか?」
俺の手を握りながらエイムの腰を見つめるティオを見ながら、エイムは不思議そうに首をコテンと倒してみせた。




