4-27.最後の一押し
原色のペンキをぶちまけたような、くっきりと鮮やかな青空の下。
あらゆる困難や悩みを忘れることが出来そうな程に清々しい気候。
主婦や兵士や冒険者、奴隷までもが晴れやかな顔で歩くトリスコール王都道中。
そんな中、思案気な顔つきで俯きながら歩を進める、胡散臭い少年が一人。
その名は、カザミ・アヤメ。
そう、人は彼を、極めて普通の賢者様と呼ぶ。
◇ ◇ ◇
昨晩プリムヴェールに言われた科白が、頭の中をグルグルと渦巻いている。
あの後しれっと俺の寝室に戻って来たラスティから、二人に話した内容に関しては大方伝えられた。
地味に大体当たっているのがちょっと癪だったが、間違った内容をさも真実のように話されたわけではなくて、良かったと言うべきか。
俺は、どうしたら良いのだろうか。
元の世界では、複数の異性に心を奪われそれに応えるのは、悪しきことだと認識されていた。
この世界に来て、数か月――一年近いだろうか。
確かに生活することには慣れてきたし、不便も減っている。
魔物を倒すことも、ローブを着て外を歩くことも、カラフルな髪色をした人々とすれ違うことも慣れた。
「ハーレム、か……」
正直、考えなかったといえば嘘になる。
ティオもプリムヴェールも分け隔てなく愛して、二人と一緒に暮らして毎日を過ごす。
想像しただけで、心躍る日常ではないか。
朝はプリムヴェールを送り出して、日中はティオと一緒に依頼を請けて、夜は三人で同じベッドで眠る。
ティオが成長したら、今にも増して充実した毎日を過ごすことが出来るだろう。
だがそれも、夢想の域を出ることは無かった。
どれだけ美少女に囲まれる生活を望んでいても、長年培った元の世界の常識は心の奥底に付いて回る。
頭では二人を同等に愛して幸せに暮らしたいと思っていても、変な理性や常識が邪魔をして、集中して考えることができない。
プリムヴェールはああ言っていたけど、本心ではどうなのだろう。
あの言葉を鵜呑みにして、本当に二人を自分のモノにして良いのだろうか。
ある日突然置手紙とともに失踪して、永遠に会えなくなってしまうなんてことに、ならないだろうか。
「っていうか、思考がもう破綻しているな。二人がそれを認めてくれるって、そんな都合のいい話――」
が、今俺の置かれている状況なのか。
元の世界なら、どれだけ魅力的な人間でも、これは許されないことだろう。
本人の意思はともかく、法律的な話だ。
同棲と婚姻は違う。
前者は元の世界でも不可能ではないが、後者は別だ。
俺が今悩んでいるのは、後者の話。――というか、前者はもう既にやっている。
相手はプリムヴェールじゃなくて、ラスティだけど。
空を見上げると、鮮やかなセルリアンブルーが瞳に映り込んだ。
雲一つない青空とは、きっとあのような景色を言うのだろうな。
ぼんやりと空なんか眺めながら、商店街の雑踏の中をふらふらと歩く。
ぶつからないよう最低限前方だけに気を付けながら商店街の端まで辿り着くと――、見慣れた髪色をした女性が雑貨屋から姿を現した。
「あれ、カザミくんじゃないか」
紫色のショートヘアに、凛とした怜悧な瞳、面差し。形の良い小さな鼻に、くっと結ばれた口元。
銀と藍色を基調とした動きやすそうな鎧に身を包み、生活感溢れる雑貨を詰めた袋を両手に抱えていた。
石鹸とかタオルなどの生活用品を抱えた凛々しい女騎士。
あれか、ギャップ萌ってやつか。
冗談はともかく。
「カミーユさん。……お買いものですか?」
「ああ、お使いはバルテルスの仕事だったんだが、最近忙しいらしくてね。今日は私が」
胸も腹も細身のカミーユに、これだけの大荷物は辛くないだろうか。
騎士だから、そんな軟な身体はしていないのだろうが。
「少し持ちましょうか?」
「……いや、大丈夫だ。気遣いはとても嬉しいのだが、カザミくんに荷物を持たせていると、何て言うか、その」
カミーユの眼が泳ぐ。
ローブから出た腕を見下ろし、納得。
カミーユもスレンダーだが、俺よりはマシかもしれない。
俺ももう少し鍛えた方が良いのかな。
自分の腕をフニフニしながら、そんなことを考える。
そういえば昨日も、気が付いた時俺は自室のベッドの上に転がっていた。
寝惚けて階段を上るような過去は無かったはずだし、今回も多分誰かが連れて行ってくれたのだろう。
ティオは論外。
ラスティは何らかの魔法を使えば可能かもしれないが――、リリムである彼女が眠った俺を前に何もしないとは考えにくい。
となると消去法でプリムヴェールということになる。
プリムヴェールなら熟睡する俺を前にしても、不埒な真似をしようとは思わないだろう。
そうだな、プリムヴェールが俺を運んだのだ。
……凄まじい程の情けなさ。
最愛の恋人をお姫様抱っこするってシチュエーションには憧れていたが、最愛の恋人にお姫様抱っこ(おんぶかもしれないが、それはもっと恥ずかしい)されたいなどとは思っていない。
いや、眠った俺をお姫様してくれたことに関しては、別に構わない。
ただ俺を運んでくれた上に、目が覚めるまで見守っていてくれて、しかも気を使ってくれて――。
不甲斐ない。
「どうした? こんなにも空が青いのに、酷く辛そうだぞ。何かあったのか?
悩み事があるなら、誰かに話すだけでも気が楽になったりするよ」
薄手の籠手に包まれた手が、ポンと肩を叩く。
見ると、カミーユは先ほどの大荷物を片手に抱えていた。
震えたり痙攣しているようには見えない。
どうやら俺が手伝う必要は無いようだ。
しかしそうか、確かに悩み事は口から出すと楽になる。
あまり大っぴらに触れ回るような内容ではないけど、溜め込むのも良くないな。
「聞いてくれるんですか?」
「構わない。あ、でもここだと人の往来も激しいから、そこの広場に行こうか」
カミーユはそう言って、荷物を片手に担いだまま歩いて行った。
◇ ◇ ◇
広場の芝生は、日光を受けてキラキラと輝いていた。
端から端まで駆け抜けるだけで結構な運動量になりそうなその広場の中央付近では、少年少女たちが駆け回り、蹴り球で遊んでいる。
日向ぼっこをしている兵士の姿も、あの時と同じ。
懐かしい景色だ。
確かここは、空から降り立った悪魔の集団を殲滅した広場だな。
火魔法によって焼け焦がしたあたりは土が掘り返され、新たな芝生を植え直したというのはプリムヴェールの談だ。
言われたとおり、一部分だけ別の芝生が敷かれていた。
遠目にも、若干色が違うことが分かる。
「ここにしようか。広いし、暖かい」
公園でいうところのベンチ代わりとなっている丸太に腰かけ、カミーユは買い物袋をドスンと隣に置く。
次いで荷物の置かれていない側を、ポンポンと叩いてみせる。
座れ、と言っているようだ。
俺は立ってても良いのだが、せっかく勧められたので、隣に腰かける。
すっと身を寄せられ、冷たい鎧の感触が肩に触れる。
どうでも良いが、カミーユは俺より座高も高いらしい。
立って歩いていても、座っていてもカミーユの頭が若干高い場所に来る。
プリムヴェールも俺より背が低いし、何かこういうのは新鮮だ。
お姉さんっぽくて、悪くない。
「さて、悩める年頃少年のカザミくんは、カミーユお姉さんに何を話したいのかな?
もしかして恋バナだったりするかい? だとしたら大歓迎だな。
おっと、気にしないでくれ。騎士として、カザミくんの隠していることを無理やり暴こうとはしないし、言われたことをペラペラ喋ったりもしないから。
な、何だったら、誇り高き騎士として盟約を誓っても良い。
ち、誓うか? 覇道流を齧った者として、最低限の盟約ならすぐにでも結べるぞ」
何か必死だ。
普段の凛とした怜悧な雰囲気とは裏腹に、わたわたとしている。
焦ったようにハンドシグナルをころころ変えては、顔を赤らめたり、頭をポリポリ掻いたりしている。
「――もしかして、あの時一緒にいた司書さんのことが好きになっちゃった、とかかな? 女性が喜ぶ贈り物なんかで悩んでいるのだったら、一応アドバイスできるよ。そういったことだと、バルテルスは頼りにならないからな。それとも、ご婦人の心を一発で掴みとるような告白の言葉とかか。私だったら、そうだね――カザミくんに褒められるなら、容姿とか内面より、一緒にいたいとか言われたいけど。あ、違う。カザミくんがオトしたいのは、あの司書さんだったっけ。あの人はすごい美人さんだから、容姿を褒めるのはあまりお勧めしないかな。面食いだと思われないように、見た目以外の魅力を告げて、それでカザミくんの強い意思を――」
「あの、プリム――あの司書さんとは、もう付き合ってます。相思相愛です」
前に合った時も思ったが、カミーユは興奮すると息継ぎもせずに話し続ける癖があるらしい。
多分このまま黙っていたら、カミーユは延々と何かを語り続けるだろう。
何てことを思いながらカミーユの顔を見ると、彼女は虚ろな目をして凍りついていた。
「付き合っていて――。そ、相思相愛?」
ガラスが割れるような音がした。ような気がした。
刹那的に真顔になったカミーユだったが、悟られぬよう即座にそれを凛とした微笑でかき消した。
流石くっころ系騎士様である。
さすころ。
「そ、そうなのか。……まあ、カザミくんほどの男性なら、そうだよね。もうあれから、数か月も経っているんだ。私は何を言っているんだか、ははは」
どうやら踏んではいけない地雷を踏み抜いてしまったらしい。
教訓。恋バナが好きな人はいても、他人の惚気話が好きな人は滅多にいない。
ちなみに俺は嫌いじゃない人種だ。
「そうか、あんなに可愛らしい彼女さんがいても、悩みはあるのだな」
「実は、そこに関する話でして――」
言いかけたところで、口を噤んだ。
これ、本当に言うべきだろうか。恋人同士って言ったあたりから、何か不穏な空気が漂っているし。
表情こそ凛々しい微笑に、声音は凛然としたイケメンボイスだが、流石に俺だってそれがカミーユの本心でないことくらいは分かる。
この雰囲気は見たことがある。
ラノベとかの冒頭で主人公とぐだっと駄弁ってる、親友ポジションの見せる空気だ。
同類だと思って話してたら、突然主人公のもとに美少女が来て――て感じのシチュエーションで漂う空気だ。
これ以上続けるのは良くないような気がする。
いやむしろ、ここで切った方が不自然かもしれない。
話すだけだ。
よし、出来るだけ自慢にならないように、気を付けて話せば良いんだ。
……そう思っておこう。
「実は、ですね――」
なるべく自慢にならないように。
余計なことを喋り過ぎないように。
時折カミーユの表情を窺いながら、言葉を選んで紡いでいく。
あんなに可愛らしい司書さんとお付き合いしているのに、気が付けば他の娘に気を取られてしまっていた。
二人は知り合いだったから、俺の居ない場所で話し合ったと言っていた。
事実かどうか、それは俺には分からない。
それに俺は、それが本当に良いことなのか分からない。
いや、分かってはいる。自分の中で結果が出ないのだ。
この世界の常識と、プリムヴェールやティオが抱いている常識と、元の世界の常識。
プリムヴェールの本心と、俺の理性と本心。
どれもこれもが反発し合って、俺の中に浮かぶ答えが正しいのか間違っているのか、区別がつかないのだ。
女の子二人を同時に愛するのは、間違っているのか。
この世界なら問題がないのか。
もしくは、それはトリスコール内でのことなのか。
こんなことで悩んでいるのは、おかしいことなのだろうか。
そもそも、同時に二人の女の子を愛するなんてこと、出来るのだろうか。
単なる見苦しい独占欲が招いた、逃げ道でしかないのではないか。
一応冷静さは保っている。
感情的にはならなかったと思う。
悩みの種と事実を絡めて、俺はどうしたら良いのか分からない、と紡いだだけだ。
答えを求めたわけでも、間違いを指摘して欲しいとも言っていない。
そもそも、思っていない。
「――という、ことなんです」
「ふむ、なるほどね」
カミーユは羨ましいような憧れているような、ニヤついているような照れているような不思議な表情をしていたが、不意に口元を緩め、俺の背中をポンと叩いた。
「――突然だけど、アトリアお嬢様の話をしようか」
カミーユは脚を組み直し、俺の方を見やった。
半笑いの張り付いていた乙女顔は消失し、女騎士らしい怜悧な雰囲気が纏われている。
思わず俺まで姿勢を正してしまう。
「アトリアお嬢様にも、実は婚姻を結んだ殿方が三人くらいいてね。
ちなみに、三人とも異国の上流貴族様だ。勿論、同棲はしていない。
お嬢様が婚姻を結んだのは――、言い方は悪いけど、貴族間の体裁を保つためという理由が大きい。
簡単に言ってしまえば、異国の有力貴族とエドガール家に結びつきがあるということを世間に知らしめることで、他の貴族ともそれ相応の接触が出来るようになるんだ。
エドガール家も、実は結構な有力貴族の家計だからね。
この辺は外交的な話になってしまうし、エドガール家の深層を話さなければならなくなってしまうから、割愛するね。
ともかく、お嬢様には三人の旦那様がいるんだ。
さっきも言った通り、お嬢様と旦那様の関係は体裁的なものが強いけど、一応アトリアお嬢様は、その形だけの旦那様をキチンとそれぞれ愛しているよ。
分け隔てなく、三人とも同じようにね。
顔を見に参られた時なんか、もう対応から違うからね。
カザミくんに向けていた興味なんかとは、比べ物にならないよ。
手紙とかで来る日を前もって伝えられていると、その日はおめかしして、他の人とは絶対に身体を交えない。
他の男の香りをさせておくのは、酷い侮辱に値するからってね。
勿論その旦那様方は、お嬢様が複数の貴族とカタツだけの婚姻を結んでいることも知っているし、男癖が悪いことも知っている。
でもお嬢様の愛念は本物だよ。性欲=愛情ではないってことが、あの時のお嬢様を見るとはっきりと実感できる。
セキララな話になってしまうから濁すけど、本当に凄いよ。
使用人と戯れ終えた時のお嬢様も確かに幸せそうだけど、旦那様と迎えた朝と比べたらそんなもの……。
瞳に籠った熱っぽさから、全然違う。
喩え相手が複数いても、愛念を向けるべき相手ははっきりと決めているし、演技や何やらでごまかすこともない。
好きな相手には全力で応える。
それを体現したような振る舞いだと、私は思う」
カミーユは溜息を一つ漏らし、凛とした双眸を薄く細めた。
「だからそう深く考えることでも無いんじゃないかな。あの美麗な司書さんも承諾したうえで、気持ちに迷いが生じているんだろう? カザミくんはまだ若いんだから、損だとか悪だとか考えないで、楽しんだ方が良いと思うな」
「カミーユさん……」
凛々しい面差しに、慈母のような微笑みが浮かぶ。
俺のために、まるで自分のことのように考えてくれるなんて。
カミーユに話して良かった。
「私だって……。七年前のあの頃剣術に没頭せず、もっとお淑やかに男の子を誘っていれば、今頃ボーイフレンドの一人や二人……。ふふっ、今更寂しい思いをしなくて良かったかもしれないのに。……くっ」
薄暗い影が頬に差した。
プリムヴェールの例があるから決めつけるわけにはいかないが、カミーユは見た感じ二十代後――前半だろう。
七年前といえば、俺よりちょっと年下くらい。――下手すると俺より上かもしれないが。
もしかして、カミーユもそれで後悔しているのだろうか。
「十代の恋愛なんて、後で思い返せば遊びのようだったとか言うけどさ。そうやって思い返す青春もない私から言わせて貰えば、絶対、出来る内に楽しんだ方が良いって」
説得力のある科白だ。
一夫多妻(この場合一妻多夫だが)の生活を現在も行っている、成功者の談。
そして、諦めたことによる後悔。
その後悔を糧にした、前向きな意見。
分け隔てなく、真剣に複数の異性を愛せるアトリア。
あの存在自体が性犯罪みたいな黒髪ぱっつんお嬢様の従者が、性欲と愛情は違うと理解できるような振る舞いをする。
直接見たわけではないが、カミーユの話には妙な信憑性があった。
それに、彼女自身の後悔。
言われてみれば、俺は何故こんな天国のような状況をみずみず無碍にするような考えをしたのか。
美少女と両想いになったのに、諦めるだと。
二人だからというだけで、そんな簡単に後ろ向きなことを考えてしまうなんて。
人間、満たされると良くないな。
どちらかを諦めるということは、今の生活にポッカリと穴が開くことと同義じゃないか。
それを俺は、俺は――。
「ありがとうございます、カミーユさん。俺、何か元気が出てきました」
「それは良かった。ところで、一つ頼まれてくれないか?」
怜悧な瞳で俺を捉え、カミーユの口端が柔らかく緩められる。
「何でしょうか」
「少しで良いから、私の愚痴も聴いてくれないか?」
「…………はい」
あれだけ真摯に受け止めてくれたとカミーユ。そんな彼女の頼みを、無碍に断ることなど出来るだろうか?
出来ない。
他の人は知らないが、俺は出来ない。
そんな人道に反するような行い。俺には出来ない。
「あれは、私が十九歳の時だった。藍色の髪をした、小動物みたいな男の子がいてね……」
聞くも涙、聴くも涙、訊くも涙のアラサー(一歩手前)女騎士の過去話が始まったが、あまりに長く意味のないものだったため、ここでは割愛する。




