幕間 アヤメと花菖蒲と杜若
ぐったりと身体の力が抜けたアヤメをお姫様抱っこしたプリムヴェールは、無防備に涎を垂らす寝顔を微笑ましげに眺めながら、それを彼自身の寝室へ運び込んだ。
頼もしく格好良いその雰囲気とは裏腹に、女であるプリムヴェールでも問題無く抱えることのできる重量、そして細身。折れてしまいそうな体躯とは華奢な美少女にこそふさわしい比喩表現だと思うが、今はその言い回しが、アヤメのために用意された言葉のように感じてしまう。
アヤメをベッドに寝かせたプリムヴェールは、肩まで布団をかけてから、名残惜しそうに寝室を出る。
どうせならこのまま添い寝をしてあげたいと、そう思っているのだろう。
だがプリムヴェールには、やるべきことがあった。
ここでゆっくりとアヤメの寝顔を堪能しているような暇は無いのだ。
階段を軋ませながら階下へ降りると、テーブルを囲む二人の少女に迎えられた。
桃色髪の少女ティオと、赤紫髪のラスティ。ティオはともかく、ラスティとプリムヴェールはさほど身近な関係にはなっていない。
アヤメが使用した妙な魔法によって呼び出された、本来は魔大陸にいるべき上級魔族だ。
中級魔族と人族のハーフ――とくにインキュバスの末裔であるプリムヴェールにとって、リリムであるラスティに対して、多少なりとも警戒の意を示していた。
類似した系統の魔族は、上位種の魔族に対して少なからず警戒心や畏怖の感情を抱いてしまうもの。
これは本能的なものに関係するため、プリムヴェールがいくら人当たりの良い聖人君子だとしても、この感情を完全に拭い去ることは出来ないのだ。
「にぃ様は、眠っていたかの?」
「ええ、ぐっすりと。本当に、死んだように眠っていました」
ラスティが飲ませたあの液体の正体を、プリムヴェールは認知していない。
ただ入っていた樽の形状と、ほんの少し香ってきた独特な匂いから、多分お酒なのだろうな、と思っていた。
アヤメもプリムヴェールと同じく十五歳を超えているため、お酒を飲んでも問題無いはずだ。
むしろ冒険者――とくにエイム情報によると、アヤメは異国から参った旅人らしい。旅人や冒険者は、お酒を飲む頻度も高いと聞く。そのため、慣れるのも早いと聞いたことがある。そんな人が、ここまでお酒に弱いなんてことがあるのだろうか。
「さっきアヤメさんに飲ませたものは、本当に人体に悪影響を及ぼすものでは無いですよね?」
「平気じゃ。にぃ様に飲ませる直前に妾が呑んだのを見たじゃろ? じゃがちぃと、この身体での酒は早すぎたようじゃ」
何でもないように笑い、クピリと喉を鳴らしてお茶を飲み干す。ただのお茶だというのに、その姿からは何とも言えぬ妖しさを感じさせる。
これがリリムの魅惑なのか、年齢によるものなのかは、プリムヴェールにも分からなかった。
「さてと、にぃ様も寝たことじゃし。女同士セキララな話をしようじゃないか」
手の甲で口端を拭い、ラスティは蠱惑的にプリムヴェールとティオを見やる。
これからどのような話をされるのか、プリムヴェールには想像も出来ない。ただ状況から察するに、アヤメに聞かれたくない話だということは理解できる。
アヤメに言えぬ話。そして、ティオはともかく、わざわざプリムヴェールがいる時を狙ったと思われる。
この三人に共通する話と言えば、一つしかない。
どう考えても、愛しのアヤメに関する話だろう。
この状況で「王都の名物はなんじゃろか?」などと言われたら、どうしようか。――その方が平和で良いな、とプリムヴェールは思った。
「アヤメさんに関するお話ですよね」
「直接的には、そうじゃの。間接的には、二人にも関係のある話じゃ」
「私にも関係あるの?」
きょとんって感じの顔で見つめるティオに、ラスティは首肯。それだけで、プリムヴェールは話題の内容に察しがつき、心の中で溜息を吐いた。
ティオとプリムヴェールとラスティに間接的な関係があり、アヤメ本人には聞かれたくない話題。
どう考えても、それしかない。
プリムヴェールは思案する。
自分だったら、どうやってその話題に持っていくか。
まずは話の枕として関係無い話を挟んで、そこから持っていくだろう。プリムヴェールだったらそうする。
だがプリムヴェールの前にいる童女――ラスティはリリムだ。何の予備動作もなく、その話題を繰り出す可能性は充分にある。
どうせそういった話をするなら、少し酔っていたときの方が良かったなと思いながら、プリムヴェールは湯呑に入った琥珀色の液体を喉に流し込む。
お茶だ。どう味わってもどう香りを楽しんでも、プリムヴェールの喉を駆け抜けた液体は正真正銘お茶だった。
「さて、まずはにぃ様の身体に付いての話じゃな」
「身体、ですか」
プリムヴェールのいない間に、ラスティはアヤメをどこまでオトしたのだろうか。そういった知識のないであろうティオを言いくるめ、二人っきりで眠る夜は何度あったのだろう。
自分こそ一番アヤメに近い場所にいると思い込んでいた自分の想いが、何だか凄く恥ずかしく、惨めに感じる。
「先日森林に出た時に聞いたのじゃが、にぃ様が一人で悪魔の大軍を殲滅したと言うのは、事実なのかの?」
「……へ?」
突然何の話なのか。プリムヴェールは、最初ラスティが吐いた科白の意味を理解することが出来なかった。
若干の遅れとともに、一応の理解が追いついてくる。
身体の話では無かったのかと、プリムヴェールの中でちょっとした違和感が生じる。――が、そこに触れようとは思わない。
危惧していた話題が逸れるのは、プリムヴェールにとっても僥倖だ。
わざわざ話しの軌道を修正する必要もない。
「はい、この目で見ましたから間違いありません。その場にしゃがみこんで、詠唱もなく、突き出した手から凄まじい熱量と業火が放出されて――、ざっと二、三百体いた悪魔が残らず焼き焦がされ、いえ、溶かされました」
懐かしい思い出だ。プリムヴェールが初めてアヤメを、格好良い、頼もしいと思った瞬間だったと思う。
最初にアヤメを気に入ったのは、丁寧に書棚の本を揃えている姿を見た時まで遡るのだが、まあ今は関係無い。
ともかくその時のことは、今でもはっきり覚えている。彼だけは護ろうと無我夢中で飛び込んだプリムヴェールのことを、アヤメは至って冷静に助けてくれた。
今でも、思い出しただけでアヤメのことが愛おしくてたまらなくなる。
「にぃ様は、マナを利用して魔法を使っておる」
「それは、わたしも聴いたことがあります」
「通常不可能な話なのじゃが、大方何か言い難い理由があるのだと、妾は勝手に納得しておる」
事実この世界の人族にも、オドの扱いが不得手な個体も存在する。
エルフの先祖返りによる容姿の違いが露呈せず、オドの扱いに関してのみが隔世遺伝する。もしくは突然変異によるものだ。
ちなみにクォーターなどには、エルフの特徴が全く見られない個体も多い。
バルテルスがその例に類する。容姿にこそエルフの色は皆無だが、彼もオドの扱いは不得手であり、満足に魔法を使用することができない。
体質だけが先祖返りする例は非常に少ないが、実際彼女たちもその例と出会っている。
アヤメもその例に属するという実証はないが、逆にそれは絶対に違うと否定するだけの材料もない。
そこに関しては、ここで議論したところで答えの出るようなものではない。
「とは言っても、にぃ様がマナによる魔法を使えたのは、ユグドラシルの魔導書を所有しておったからじゃろう。あれが無ければ、純粋な人族が『マナを利用した魔法の使い方』など、知るはずがないからの」
確かにその考えは正しいだろう。司書として数多の書物を読んできたプリムヴェールでも、エルフがマナとやらを利用して魔法を使うなど、聞いたことも無かった。
所謂秘術や隠術に分類される。――プリムヴェールが魔法の賢者を目指し、結果的にその夢を諦める要因となった箇所だ。
人族や魔族の里にあるような書物には記されていない、一般的には露呈しない知識である。
「アヤメさんは前に、あの魔導書は行商人から買ったとごまかしていました」
「ふむ、それに関しては妾にも答えられる。昔――千年程前に、魔導書を追って龍族の集落へ赴いたことがあるんじゃがの。
そこで出会った者が言うには、ユグドラシルの魔導書は、どうやら世界中を点々としているようなのじゃ。
所有者が失命すると、光の粒子となって霧散することは知っておるの?
その後魔導書は“とある聖樹”のもとへ還元され、また新たな所有者――所謂波長の合う、選ばれし者の手元へ出現する。
サザンが魔導書と出会ったのも、妾と出会うより前の事らしい。
じゃが生まれと同時に持っていたということでは無いと言っておった。
……普通に考えて、にわかには信じられん話じゃ。
司書殿に変な目で見られることを危惧して、突発的な偽りを申したのじゃろう」
「…………」
確かにあの場面で、アヤメにそんなことを言われて信じただろうか。
まだ出会って間もない時期だ。魔導書をどこで手に入れたか問い、突然空から降ってきたなどと返答されたらどう思うか。少なくとも、真面目な人だという印象は崩壊するだろう。
無論今でも、はいそうですかと信じられるような内容ではないが。
「失命と同時に消えることは知ってたけど、それがどこに行くかまでは、読んだこと無かったもんなぁ……」
ふと顔を向けると、プリムヴェールの瞳につまらなさそうに湯呑を傾けるティオの姿が映り込んだ。
ティオにとって、今の話は退屈極まりない話題だろう。
ついていけないどころか、話している内容の何割を理解しているかも不明だ。
そもそも、聞いていない確率の方が高い。
しかし――、とプリムヴェールは思案気に眉を顰める。
今のが、アヤメが眠っている間に話しておきたかったことなのか。
だとしたら、あまりに拍子抜けする内容ではないか。
緊迫感の欠片も無い。むしろ今の話に、アヤメが聞いてはいけない情報があったようには、プリムヴェールは思えない。
むしろ自分より、アヤメの方が子細に認知していそうな内容だった。
今晩の秘密の会合にて、プリムヴェールはラスティに何を言われると思ったか。
今の今まで、ラスティに戦力外通告を科されるものだとばかり思っていた。
勝ち誇ったような顔で、「妾はもう、にぃ様とあれもこれもそれも、全部やってしまったぞ」とか言われるのではないかと、気が気でなかった。
アヤメはプリムヴェールを裏切るような人ではないと信じているが、それと同時にアヤメは他者に対してとても優しい人だということも重々承知している。
実際プリムヴェールがアヤメを慕う理由に「優しさ」という項目も入っているので、あまり強いことは言えないのだが。
――優しくてよく気が付いて、いざというときに頼りになる。プリムヴェールにとって、まさに理想の男性だ。
「お話というのは、これで終わりですか?」
希望的観測に基づく疑問だったが、プリムヴェールはそれを問わずにはいられなかった。多分心の中で、そうであってほしいという感情が強く渦巻いていたのだろう。
だがプリムヴェールも、聡明な女性だ。今の発言がそのままの意味として通るとは、これっぽっちも思っていなかった。
今の発言は彼女にとって、第二ラウンドに備える心の盾だった。
喩えどん底に突き落とされるような現実を突きつけられようと、全力で反抗してやろうという、アヤメを慕う強い思いだ。
ラスティの視線がプリムヴェールのものと交錯し、ラスティの口元が強く結ばれる。
その表情だけで、否定の意思を窺える。気を引き締めなければと、プリムヴェールは膝の柄でギュッと拳を握り締めた。
「……本題に入ろうかの。ここからは、ティオ殿にも司書殿にも、同じだけ関係のある話じゃ」
「わたしと、ティオちゃんに、ですか」
正直嫌な予感しかしない。そこにラスティ本人の名が入っていないのは、意図的なものか。絶対強者として、自分たちには手の届かないような、高い高い場所――上の方から見ているのだろうか。
それとも、今回の話にラスティは関係無い――。
「にぃ様に関する話じゃ」
「――――」
単刀直入に斬り込まれ、思わず言葉に詰まる。
「司書殿は、にぃ様をどうしたいんじゃ?」
ラスティの視線に貫かれ、プリムヴェールは思わず気持ち退く。
プリムヴェールがアヤメをどうしたいか。ゆくゆくはアヤメのお嫁さんになりたいとか、そういうことだろうか。
メルヘンチックな話だとは思うが、それがプリムヴェールの抱いている偽りなき本心である。
将来アヤメとともに、一つ屋根の下で慎ましやかに暮らし、添い遂げる。普段から落ち着き、大人な雰囲気を醸し出しているプリムヴェールだが、彼女も基本的には乙女である。
想い人とは一緒になりたいし、出来る限り自分だけのものにしたい。
当たり前の思考回路だと思う。
「どうしたい、というと……」
「む、言う順序を間違ってしまったの。
――ここから妾が話す内容は、完全に妾の想像の産物じゃ。故にもし二人を傷つけるようなことを言ってしまった場合は、――不快だと、そう言っとくれ。謝罪の後、訂正する。
あくまでも夢想の域を出ん話じゃからの」
不穏な空気が再発する。
そういった前置きがあるということは、少なくとも今からはなされる内容は、プリムヴェールやティオにとってあまりよくないものだということだ。
「にぃ様は今、酷く悩んでおる。
悩みの種は至って単純じゃ。女子に関することじゃの。
おかしいことではない。むしろ恋慕、愛念、恋心で悩まぬ殿方など、世界中を探しても滅多におらんじゃろう。
もし何も悩まず結末へ向かうことのできる殿――人間がおれば、それはもう一種の才能じゃろうな」
「悩み、ですか?」
「左様、端的に言えば、――そうじゃの。にぃ様は今、ティオ殿と司書殿の二人に心を奪われておる。誰だって一度は通る道じゃし、にぃ様ほどの殿方であれば、何も迷うことなく二人を自分のモノにしてしまえばいいだけ。それですぐに解消される、至って単純な悩みじゃの」
プリムヴェールの視界の端で、桃色の頭が揺らめいた。
若干難解な言い回しをしているためか、十歳の童女であるティオには話の真意が分かっていないようだ。
事実この世界では、一夫多妻やその逆は、日常生活に組み込まれている。とくに貴族や王族なんかはそれが顕著である。全員を均等に区別することなく、分け隔てなく愛することが出来るならば、複数の異性を娶ることは何もおかしいことではない。
余談だが、ラスティの父も彼女本人の母の他にもう一人の女性を娶っていた。
だがそれでも彼女の父は上手くやっていたし、多少の意見齟齬はあっても、喧嘩や嫉妬のぶつかり合い、奪い合いになるようなことにはならなかった。
むしろ苦渋の選択の後、どちらかを切り捨てる考えは良くないと、そういう思想が残っているのだ。
「じゃがにぃ様は、複数の女子を慕うという事実を悪しきことじゃと思っておる。無論そういう信仰の者もおるし、人それぞれ違った考えがあって良いと思っておる。
――しかしこのままじゃと、にぃ様は苦しいじゃろう」
そこでじゃと継ぎ、ラスティはティオとプリムヴェールを見やった。
「二人は――、司書殿は、にぃ様をどうしたいんじゃ? にぃ様が複数の女子に心を奪われるような不誠実な殿方じゃと知ったら、軽蔑するか?」
◇ ◇ ◇
プリムヴェールは悩んだ。
突然そんなことを言われて、どう答えれば良いのだろうか。
確かに自分以外の女の子に心を奪われたアヤメを見るのは少し辛いが、だからと言って、諦めきれるような人物だろうか。
心のどこかには、アヤメが魅力的な男性だということに最初に気が付いたのは自分だ、という邪な考えも浮かばないではない。
エイムの言葉を思い返すに、アヤメは今までその魅力を誰にも認められていなかったことには違いない。事実アヤメは、プリムヴェールと出会うまで十八年という人生を誰とも交際することなく過ごしてきていた。
プリムヴェールは、基本的に王子様を信じない。白馬に乗った王子様なんてものは、幻想だと割り切っていた。そう考えると、子供のころから冷めた人間だったのだなと、少し笑えてくる。
だがそんなプリムヴェールも、アヤメと出会ったその時は『運命』という言葉を信じるしかなかった。
よく気が付いて、本が好きで、ちょっと抜けていて、優しくて、見栄っ張りだけど、いざというときに頼りになって。
そのうえ、格好良くて――――。
そんな相手を、ここで諦めるのか。自分だけを見て欲しいと駄々をこねて、奪い取るのか。
プリムヴェール自身の考えとしては、一般論と同じく、一夫多妻やその逆に関しては肯定派だ。むしろ一人しか愛さないと言って、陰で他の異性を口説くような不誠実な人間は嫌いだ。
最初から――もしくはそうなってしまったときに、自分に相談して、最善策を一緒に考えてくれるなら、許してしまうかもしれない。
勿論その男性が、どうしようもないくらい魅力的な人だった場合に限るが。
「わたしは――」
答えは、最初から決まっている。
その程度で冷めるくらいの恋慕なら、既にアヤメをどうとも思っていないだろう。
「わたしはアヤメさんを信じたいです。他の女の子――ティオちゃんと仲良くしていても、別に構いません。でも、アヤメさんの心が離れてしまうのは、凄く寂しいです」
「その言葉が聞きたかった」
ラスティは表情を緩めると、堅苦しかった姿勢を崩した。
安堵した様子――肩の荷が下りた雰囲気と表現すればいいだろうか。
現在のラスティからは、そのような空気が漂っていた。
「妾が聞きたかったのは、もう一つある。にぃ様の肉体――いや、濁すのはやめておこう。にぃ様には、どの程度なら性的なちょっかいを出していいか、ということじゃの」
プリムヴェールの視線が、ティオを捉える。
そんな視線に気が付かず、ティオはよく分かっていない様子でクピクピと湯呑の中身を飲んでいた。
「ティオちゃんも、アヤメさんのことは好きでしょ?」
「うん、大好き」
「好きな人とは、その、一緒にいたいでしょ? 例えばほら、一緒のお布団で寝たりとか、同じ家で暮らしたりとか、いつもしてるでしょ?」
プリムヴェールは、ティオが理解できるよう努めて言葉を選んで紡ぐ。
事実ティオは、アヤメと朝に接吻したり添い寝をしたり一緒に風呂に入ったりと、そういった接触がある。
単なる憧れだけでなく、完全に一人の少女としてアヤメに恋をしているはずだ。
年下だからといって、嘘やごまかしでスタートラインを後退させるのは、プリムヴェールとしてもあまり良い気分はしない。
「もう少し成長すれば分かると思うがの。接吻だとか添い寝だとか、そんな接触だけではいずれ我慢できぬようになってしまうんじゃ」
「そ、そうなのかな……」
「例えば、……そうじゃの。ただ単に添い寝してもらうより、ギュッと抱きしめてもらった方が嬉しいじゃろ? 唇を交わす時も、単に見つめ合うより、背中に腕を回している時の方が幸せじゃろ?」
視線を逸らし、ティオは照れたように唇を尖らせた。
そのまま、コクンと首肯。ついでに口端が緩む。
プリムヴェールの口元も、同じように裂けていた。ラスティの話はよく分かる。プリムヴェールも今の話でアヤメとの接触を妄想してしまったが、気持ちはよく分かる。
「妾が言えるのは、そこまでじゃの。同じ殿方に恋をして、そして同じだけの想いで応えてくれた相手。――アヤメをどうするかは、二人に任せる。というより、ここから先は妾には口を出す権利は無いからの。関係無いのに出しゃばって、悪かったの」
話が終わったことを把握したプリムヴェールは、ティオを連れて階段を上って行った。
行き先に関しては、聞くまでもない。
二人の姿が見えなくなってから、ラスティは樽の中身を湯呑に注ぎ、クピリと飲み干した。
「さて、妾が出来るのはここまでじゃの。あとはアヤメの対応次第じゃな」
窓から差し込む月明かりに、ラスティは楽しげに微笑んでみせた。
◇ ◇ ◇
……。
…………。
目が覚めた。
最初に入ってきた景色は、見慣れた天井と嗅ぎ覚えのある空気の匂い。俺の部屋だ。
何があったんだっけか。
確かラスティに何か変なものを飲まされて――、それからどうしたんだっけ?
何だか幸せな景色を見ていたような気がするんだけど――。
伸びついでに腕を伸ばすと、何か柔らかいものに触れた。
思わず顔を向けると、腕の先には谷があった。
否、谷があれば霊峰がある。神々しい感触を宿すこの山脈は、誰のものか。
肩から流れる白銀の美髪が、その答えを教えてくれる。
昔から分からないことは、山かお爺さんが教えてくれると決まっているのだ。
「目、覚めましたか?」
「はい、えーと、俺はいったい……?」
というか、近い。
普段寝る距離っていうか、これじゃまるで、今から何か始めるような――。
「悩んでることがあるなら、何でも言ってくれて大丈夫ですよ」
慈母のような視線を向けられた。
ついでに、優しく頭を撫でられる。
何だ、俺はプリムヴェールに何かしてしまったのか。
もしかしてこの距離、この体勢。あれか! ラスティが言っていた、記憶も温もりもない目覚めとは、このことか!
いや、そんなはずはない。
断言できる。
だってその……、それにしては何かまだ元気そうだし、俺。
「悩みって、そんな」
「わたしが前に言ったこと、覚えてますか?」
頭を撫でる手が止まり、柔らかな指先が頬を撫でた。
前に言ったこと。――どれのことだろうか。
プリムヴェールと話した内容はいくつもあるから、どのことなのかまでは分からない。
「アヤメさんの、そこだけは譲れないって話です」
「――――」
「正直言うと、ちょっと寂しいですよ。でも、アヤメさんのことは信頼しています」
「――――」
「だから、これだけは約束してください。
わたしなんかとは比べ物にならないくらい、色気があって魅力的な女性と巡り合っても――、アヤメさんの中での一番は。わたしでいてください。
いえ――、訂正します。一番でなくても、わたしのことも、ちゃんと見ていてください」
「……プリムヴェール」
「さっき、ティオちゃんと話して決めましたから」
「ティオと?」
振り返ると、ティオが眠っていた。
丸まっていて、猫のようだ。あまりに可愛くて、思わず頬が緩む。
「ついさっきまでは起きてたんですけど、疲れて眠っちゃったらしいです」
ティオと話して決めたこと、か。
俺が意識を失っている間に、二人は何を話したんだろうか。
まさかティオは、ここ最近俺が変だということに気が付いて、プリムヴェールかラスティに相談を――。
いや待てよ。俺が意識を失った原因は何だ。
ラスティに飲まされた何かの液体だ。
俺が眠った原因は、ラスティにある。ならばラスティも、その話し合いとやらには一枚噛んでいる可能性が高いな。
眼が冴えてきた。
頭も冴えてきた。
ラスティが俺を寝かせて、プリムヴェールはティオと何かの話し合いをした。
まあ話した内容までは、深く突っ込まなくて良いだろう。
言われたら聞けば良いし、言いたく無ければ無理に問う必要も無い。
悩み、譲れない、信頼してる、一番でなくても良い。
どう考えても、俺がティオに対して少なからず恋慕を抱いているということを、プリムヴェールは知っている。
その出所は――、ラスティだな。
ラスティは俺がティオと接吻してることも知っているし、もしかすると今朝抱きしめてしまった時も見ていたかもしれない。
ラスティはそういったことに対して、察しが良さそうだからな。
ありえない話ではない。
「ラスティさん、ですか?」
「はい、ラスティさんです。……その反応を見ると、事実、みたいですね」
「何を言われたのかは知らないけど――、うん、はい、あのですね」
何と言えば良いのだろう。
心の準備も何も出来ていないこの状況で、俺は何を言えば良い?
さっきの言葉に甘えて、ティオとプリムヴェール二人とも欲しいです! とか、そんなことを大真面目に言って良いものか。
俺がプリムヴェールの立場だったら――、受け入れるのは、無理かもしれない。
視線を逸らして俯いていると、ふわっと柔らかなものに包み込まれた。
鼻先に広がる甘い香りと、銀色の美髪。女性らしい起伏に富んだ魅惑的な肢体に包み込まれ、思わず息が荒ぐ。
「答えは今すぐに出さなくても平気です。ちゃんと最終的に、アヤメさんがどうしたいのか、決めてくれれば大丈夫ですから」
不甲斐なさと情けなさに、押し潰されそうになる。
こんなに優しくて健気な女の子に気を使われて、何も言うことが出来ない。
俺はいったい、どうしたら――――、
――――あ、待って、今はダメ!
目の前にあった色白肌が、ほんのりと染まった。
「あら」
「……えっと、はい。真面目な話の最中なのにすみません」
ここのところ禁欲状態だったし、お酒? のせいか、ちょっとね。しかも目が覚めてすぐ抱きしめられて。
そんなに顔も身体も近づけられて。
もうその、我慢できないって言うか――。
意思を伝えようと目を合わせると、鼻の頭を指先で色っぽく撫でられた。
「でも今日は、そこにティオちゃんがいるからダメですよ。もし起きちゃったら、どうするんですか?」
「そ、そんなこと言わないで」
分かってる、頭では重々理解してるんだけど、理性だけじゃどうしようもないことってあるじゃん。
くっ……、試練か、これは試練なのか。
二人の女の子に心を奪われてもなお、認めてくれる。そんな健気な女の子に根性で応える、試練という名の罰なのか!
――うひゃう!
冗談抜きで身体が悲鳴を上げ始めたので、こっちからもちょっと攻めに入ってみる。
こちらからも抱きしめ返して、耳とかを甘噛みしてみる。
頬を押し付けて、もっと近寄ってみたり――あ、ダメだこれ。逆効果だ。
俺の方が文字通り限界を迎えてしまう。
「おやすみなさい、アヤメさん」
「はぅ――――」
女神のように優しく大らかなプリムヴェール相手でも、これ以上の慈悲は許されないようだ。
確実に嫌われるより先に、大人しく諦めよう。
さっきまで眠っていたからか、眠気は吹き飛んでいる。
先ほどプリムヴェールに言われたことの答えを、考えておかなければな。
こうして、カザミ・アヤメの眠れない夜は更けて行った。




