4-24.絶壁の女騎士[前編]
――夢を見た。
顔に影のかかった少女を連れて、楽しそうに花畑を駆ける夢だ。
新緑の絨毯を薄紅色の花が彩り、柔らかな光差し込む雲の切れ目からは、無数の花びらがヒラヒラと舞い降りていた。
その景色はまるで桜色のカーテンのようだった。
空を舞う花びらたちは、俺と少女を祝福するように、永遠に降り注いでいた。
顔は見えなかったけど、凄く可愛くて魅力的な少女だったような気がする。
とても幸せな夢だった。
眩い陽射しに瞼を焼かれ、じんわりとした目覚めの感覚に迎えられた。
目覚めた今も、まだ鼻先に甘い香りがふんわりと広がっている。
深呼吸すると、至福の感覚が全身に染みわたる。
安心する匂いだ。花のような、甘いミルクのような、そんな香り。
今までの人生で一番――とまではいかないが、それくらい幸せな目覚めかもしれない。
目を開けると、視界に鮮やかな桃色が広がった。
朝陽を浴びて煌めく繊細な美髪は、他でもないティオの髪。目の前にあるのは、ティオの頭だ。
同時に、今まで香っていた甘い香りの正体にも気づいてしまった。
お花畑の夢も、目覚めの香りも、全て、ティオの――――、ティオのもの。
「……ん」
寝返りを打ったティオの顔が、こっちを向いた。
気持ちよさそうに眠る、ティオの無防備な寝顔。
心躍るような戦慄を奏でるのは、穏やかな寝息。
「……あふ」
くっと伸びをして、眦を擦りながら薄紅色の瞳がパチリと開く。
起きたばかりのためか、ほんのりと染まった頬。未だ夢見心地な瞳。寝癖のついた桃色の髪。
眠気眼が俺の姿を捉え、幸せそうに微笑んだ。
それを見た刹那、身体の芯に電流が走った。
「ティオ――!」
「わわ! アヤメお兄さん、どうしたの?」
気が付けば、俺はティオのことを抱きしめていた。
体躯の全面にティオを感じて、昂ぶった欲求が次第に治まっていく。
速まった鼓動も少しずつ一定のリズムを取戻し、やがて徐々に落ち着いてくる。
呼吸をすると、ティオを感じる。
呼吸などしなくとも、ティオの体温を全面に感じる。
可愛い。ティオは可愛い。ティオは世界一可愛い。ティオは誰よりも可愛い。ティオは何よりも可愛い。ティオは宇宙一可愛い。ティオは可愛い。ティオは可愛い。ティオは可愛い。ティオは可愛い。ティオは可愛い。可愛い。可愛い。可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い――――。
息が荒ぐ。――――、――――、――。――、――。
沸騰しそうな頭に、柔らかなものが被せられる。
ティオの手だ。ティオの手が、慈しむように俺の頭を優しく撫でる。
前頭葉を優しく触れられる感覚とともに、脳内で暴れていた何かがスーッと消失する。
「怖い夢でも見ちゃったの? 大丈夫だよ、私がいるから。安心して」
さっき頭を過った夢想は、何だったか。
ティオを抱きしめた後、俺はティオをどうしようとした。
プリムヴェールと同じようなことをしたい、とは思わなかった。
今はともかく、将来的には悪くないかなとも思うが、ともかく。
俺は今、何を考えた。
顔を向けると、心配そうな表情を浮かべて無垢に俺の頭を撫でるティオの姿が目に入った。
脳裏に浮かんだ最低な夢想に、罪悪感が雪のように降り積もっていく。
俺はティオを、ティオのことを――――。
考えただけで頭が沸騰しそうな内容に、一旦落ち着かせる。
俺はティオのことを。
完全に、好きになってしまったらしい。
◇ ◇ ◇
雑念だ。
きっと最近色々と溜め込んでたからこうなったのだ。
ラスティもずっと一緒にいるし、処理も発散も出来ていない。
確かにティオは可愛いし好きだけど、だからといって、あんな幼気な少女にそんな夢想をしてしまうなんて。
気の迷いなんて表現したら失礼かもしれないが、まあ、朝だったし。
仕方が無かった。
とはいえ、ティオのことを完全に異性として意識してしまっていることに違いは無い。
ちょっと手が触れたり、目が合ったり。そんな些細な触れ合いだけで、鼓動が速まってしまう。
煩悩と雑念に苛まれた時、どうすれば良いか。
古来より、走ったり筋トレしたりと、身体を動かせば少しは解消できると決まっている。
ランニングも苦手だし鍛えるような筋肉も碌に付いてないので、俺はギルドの依頼を請けにいくことにした。
どうせなら生産的なことで発散した方が良い。
「行ってらっしゃい、アヤメお兄さん」
ティオに見送られ、一人で依頼を請けに行く。
ラスティとティオは本日留守番だ。ラスティは何か言いたげな目をしていたが、最終的には快く送り出してくれた。
適度な運動をして、その間に自分の考えを纏めておこう。
俺はプリムヴェールを裏切らない。
そう決めたばかりじゃないか。
煩悩を捨て去り、しゃんとしなければ。
……ん、まあ、贅沢を言うなら二人とも自分のモノにしてしまいたい、なんて思ってしまうが。
ふと、エイムの言っていた「複数の女の子に愛を囁くのが悪いこととは思いませんけど」という言葉が蘇った。
この世界では、良いはずだ。
一人の人間が複数の異性を好きになっても、平等に愛を囁いても、別に……。悪いことではない。
しかし、ダメだ。あれだけ世の創作物を読み、その度に不遇ヒロインやサブヒロインを可哀想だと思い、主人公はなんて優柔不断で頼りないんだろうと散々感じてきた俺でも、実際にそういった立場に立たされると、同じような状態に陥ってしまう。
確かに俺は、ティオのことが好きだ。プリムヴェールと同じくらい、彼女のことを愛している。
出来るならば、その身勝手な我儘が叶って欲しいと、心の奥底では思っている。
……格好悪いけど、エイムに相談してみようかな。
いや、ダメだな。エイムはプリムヴェールの親友だし、何かのはずみで俺が相談したことをポロッと零してしまうかもしれない。
こんなことで悩んでいるなんて、プリムヴェールやティオには知られたくない。
まあ、あのキツネミミお姉さんがそんな粗相をするとは思えないが。
「とにかく、ギルドに行こう。依頼を請けにいくことに関しては、確定事項なんだから」
◇ ◇ ◇
ギルドに赴くと、受付にエイムの姿はなかった。
応対してくれたいつものイヌミミさんに聞いてみたところ、エイムは今日はお休みらしい。体調不良とか私事ではなく、完全な休日。
冒険者ギルドというとゲームの感覚が強いためすっかり頭から抜け落ちていたが、ギルド職員だってお仕事なのだから普通に休日はあるはずだ。
「今日は、お一人ですか?」
「ええ、一人です。何か丁度良い依頼とか、無いでしょうか?」
「探してみますので、少々お待ちください」
イヌミミお姉さんはカウンターの裏から羊皮紙を十数枚取り出し、一枚一枚丁寧に捲りながらそれらを眺めていた。
ギルドの中は、普段と比べて閑散としていた。
どうやら先日の吸血ゴブリン掃討の依頼が好評だったらしく、本日は休息をとったり、酒場で飲み明かす冒険者が多いらしい。
見れば、その依頼が書かれた紙は綺麗に剥がされていた。
全滅とまではいかずとも、大多数の吸血ゴブリンは打倒されたのだろう。
「アーメおにーさん、きょおは、暇ですかー?」
カウンターにもたれながら壁に張られた依頼表を眺めていると、不意にへその辺りから声をかけられた。
黒い塊が揺れ、クリクリした瞳の幼気な少女がこっちを見上げていた。
ティオやラスティより小さいその少女は、前に一緒に依頼を請けたことのある――小人族の少女だ。
舌足らずな喋り方が特徴で背丈も小さいが、これでも十四歳くらいなのだとか。
ちなみに、年齢に関しては聞く前に応えられた。
毎度のように「お嬢ちゃんにはまだ早いよ」と窘められてしまうため、初対面の人と話す前には、種族と年齢を言うことにしているらしいのだ。
確かに俺も初対面では六歳くらいの幼女だと思ったので、その行動は間違っていない。
「もし暇だったらー、あたいたちの依頼、一緒に受けてほしぃのー」
彼女の指さす方を見ると、青白い肌をした魔族の少年と少女が、楽しそうに何か話しているのが見えた。
彼らの傍にはもう一人小人族の少年が突っ立っており、妖精っぽい帽子の陰からじっとこっちを見ていた。
依頼の手伝いか。構わないが――、いや、今日はやめておこう。
何か胸の奥がモヤモヤするし、上の空で真面目な依頼を手伝っても失礼だろう。
今日はソロプレイを貫こう、そうしよう。
「ごめん、今日は忙しいから」
「そっかー、じゃあ、こんろ暇なときあったら、お願いするねー」
トタトタと駆けて、小人族の幼――少女は、仲間たちとともにギルドを出て行った。
俺はそれを見送って、ふいと溜息。
もうそろそろイヌミミさんも依頼を見つけてくれただろうと思い振り返ろうとすると、今度はローブの裾をくいくいと引っ張られた。
見上げるのは、金髪のネコミミ少年だった。
「アヤメお兄さんに、依頼のお手伝いをお願いしたいのですが――」
…………。
……。
そんな感じのが入れ替わりに五回ほど続き、俺はようやくカウンターへ顔を向けることができた。
イヌミミさんは邪気のない微笑みを零し、丸まったイヌミミを指先で弄っていた。
「アヤメさんは本当に子供たちに好かれますね。見ていると、凄く心が和みます」
癒しの塊のような人にそんなことを言われて、俺も思わず口端が緩む。
むしろあなたを見ているだけで和みます、とか言いたいくらいだ。
「何か良い依頼、ありましたか?」
「そうですね……。先日の吸血ゴブリン退治のような、ノルマのない依頼は残念ながらありませんでした。アヤメさんの適正だと広い場所での魔物討伐が合っていると思いましたので、これなんかいかがでしょう」
そう言って見せられた紙には、一つのイラストと依頼内容が書かれていた。
要約すると、王都北部の山脈にでっかい虫系統の魔物が現れたから、排除して欲しいとのことだ。
依頼主は、魔族の探索者父娘。
不幸なことに自分たちのキャンプ地を荒らされたため、今は探索の仕事が捗らないのだとか。
迷宮探索が出来ないというのは、探索者にとってはかなり辛いことだろう。
出来るだけ早く頼むと追記で書かれていた。
高い箇所を闊歩しているため、遠距離まで届く魔法の使える魔術師が必要。推奨人数は二人以上。何でも、討伐目標が何匹かいるらしい。
「……推奨人数、二人以上ですか」
ここ以外は完璧な選択だ。王都北部の山脈と言えば、前にプリムヴェールとともに迷宮探索をした辺りだ。
場所は広いし、岩石や乾いた土壌が多いため、火魔法だろうが雷魔法だろうが問題無く使用できる。
魔物は大きいらしいが、一撃でドカンとやる俺にとっては、的が大きい分その方が良い。
しかし、推奨人数が二人以上。
魔法のレベルで言えば、俺一人でも二人分のお仕事をする自信はあるが、そうやって舐めてかかり、思わぬところで身を滅ぼした人を、俺は何度も(創作物の中で)見てきている。
探索者の人たちもいるらしいし危険は少ないだろうが――、万が一ということもあるだろうしな。
「どうしよっかな……」
「一人でどうなさったのですか。賢者師匠、殿?」
依頼受注に迷いの意を示していると、不意に肩をポンと叩かれた。
思わず振り返る。
まず目に入ったのは、藍色と銀色を併せた騎士装束だった。
紫色のショートヘアに、くっころが似合いそうな気の強そうな表情。凛々しさを含み、鋭くそして優しげな切れ長な瞳。
キュッと結ばれた口元からも、その方が並みの戦士ではないという風格が窺える。
「確かアトリアお嬢様の……」
「騎士カミーユだ。こんなところで会うとは、奇遇ですね」
ガチャリと音をたてて、カミーユは姿勢よく佇む。言葉の節々に凛々しさを感じさせる、聞き心地の良い声音だ。
面差しも、可愛いという表現よりかは綺麗といった言葉の方が似合うだろう。
身体付きもだらしないというよりかは、引き締まってるし。ぽちゃってるというよりは、スレンダーだし。巨乳かと聞かれれば、貧乳と答えるしかないし。
要するにあれだ。
絶壁騎士様という単語がふさわしい、凛然とした女騎士さんだ。
「お久しぶりです、カミーユさん。ところで、こんなところに何をしに来たんですか?」
彼女はエドガール家――というか、アトリアお嬢様直々の騎士様だったはずだ。
冒険者では無いので、ここに依頼を請けに来たとは考えにくい。
「うむ、ギルドに依頼を張り出しに参った。離国に手紙を届けて欲しいと、そういったものだ。……バルテルスが言っていなかったかな? 魔族排斥派の貴族様が来て、お嬢様と何かの取引をしていたとか」
「そういえば、そんなことを言っていましたね」
あれは確かラスティを召喚した日のことだったか。
そういえば彼が、そんなことを言っていたような覚えがある。
「その返事だ。あまり良い返事では無いから、うちの親衛隊を送り出すのは遠慮させてもらった。過激派の貴族ではないと思うが、一応の用心としてね。
中身はどうせ「お断りします」って感じの内容だから、万が一手紙が紛失しても、そこまでの被害は被らずに済むしね」
そう言って、カミーユはイヌミミさんに書類を渡し、ついでに銀貨を二枚手渡した。
どうやら依頼の仲介料らしい。
銀貨二枚というと、かなり高くないか。
宿に二日泊まれる値段が毎度かかるとなると、よくゲームとかの創作物で出てくる「病気の母親の世話をする一人娘」とかが、依頼を出せなくなってしまうではないか。
むしろ、それなら薬(あるのか知らないが)でも買った方が良いように思えてしまう。
「……銀貨二枚ですか」
「ああ、出来るだけ目立つように、あと出来る限り信頼できる冒険者に受注して貰えるようにね。受注して戴けて、問題無く依頼を達成してもらえた場合は、ギルドが立て替えた報酬を追加で支払う。――そっか、賢者師匠殿は依頼を請ける方専門だから、こういうことは知らなかったのか」
カミーユが女騎士らしく笑ってみせると、陰からイヌミミさんがコロコロとした笑みを見せた。
「一般市民の方々の依頼は、もう少し安いんですよ。その代わり張り出すのに多少の時間がかかったり、依頼の更新時に早く埋もれてしまう、といったデメリットを持ち合わせていますが」
「……それって、俺に言っていいことですか?」
「はい、もし何か依頼を張り出すことになった場合、今の話を知っていた方が良いかと思われまして」
まあ、その方がギルドも儲かるもんな。
多分実際に張り出す場合、そうした説明も入るのだろうが。
「それとその、賢者師匠殿ってのは――」
「ああ、バルテルスの奴が『賢者師匠が! 賢者師匠が!』と呼んでいたからな。その呼び方は、嫌か?」
「ちょっとだけ、くすぐったいです」
バルテルスが言ってるならまだしも、誇り高きくっころ系女騎士様にそんな風に呼ばれると、何か背中の辺りがムズ痒い。
それに俺、カミーユのお師匠様じゃないし。
「そうか、私の中では、賢者師匠殿のことはずっと『賢者様』とお呼びしていた。それで良いだろうか?」
賢者様、か。まだ何かくすぐったいけど、これ以上注文付けても失礼だな。
「じゃあ――」
じゃあそれで、と言おうとしたのだが、その間にイヌミミさんがひょっこりと顔を出してきた。
「そんな堅苦しい呼び方にしなくても、カザミくんとかアヤメくんって呼んであげれば良いんじゃないですか?」
「――ぁ、ああ、そうだな。ではそう呼ぶことにしよう。――カザミくん」
お姉さん二人の話し合いの結果、その呼び方で落ち着いたようだ。




