4-17.三人目の住人
最初こそ俺の腕に抱き付いていた二人だったが、やがて冷静さを取り戻したのか、暫くすると二人とも俺から離れて俯いたまま絨毯に腰を下ろした。
柔らかな体温が放れてしまうというのは寂しいものだが、いつまでもくっついているわけにもいかないので仕方が無い。
それに、これ以上そういう雰囲気を出していると、色々な意味で面倒だ。
「くっくゥ。やはり妾の見かけどおり、にぃ様もモテるのじゃな。若いというのは、それだけで花があって良い」
と、見た目十歳前後(実年齢数千から一万歳)の童女にそんなことを言われた。
◇ ◇ ◇
さて、魔導書の表紙に書かれた文字の事で話が逸れてしまった。
俺にはまだ、ラスティに問うておかなければならないことが幾つも残っている。
とはいえ、それらの疑問を残らずここで全てぶちまけようとは思っていない。
俺が抱いている懸念事項は、ラスティに関することだ。
一応あの召喚魔法は、召喚主に危害を加えたり、問答無用で暴れ出すような危険生物は召喚されないようになっている。
故にラスティは、背後から俺の生命を脅かすなどといった暴挙は起こさない、と考えられるべきだ。
だがそれは、俺に関しての話だ。
プリムヴェールやティオ、バルテルスに対しても効力があるかと問われれば、自信を持って肯定することはできない。
無論俺に関しても、絶対確実に安全だとは限らない。
「どうしたのじゃ、にぃ様よ。真昼間から若い男児がそんな顔をしておると、幸せも女も逃げて行ってしまうぞ」
思案にくれていると、その要因に顔を覗き込まれた。
赤紫色のウェーブがかかった量の多い髪に、羊のようなツノ。アマラントカラーの瞳は幼いながらも妖しい雰囲気を携えており、ぷにっとした頬も桃色の唇も、青白い素肌を艶やかに彩っている。
多少の妖艶さは残るが、無邪気さも垣間見える可愛らしい笑顔。
見た目だけだと、この幼女に危険性など微塵にも感じさせない。
「うん、大丈夫。……ちょっと、ラスティさんのことを考えていた」
「ほほぅ、妾のことをか。――妾のことを、考えていたと。ほぅ、にぃ様が、妾のことを、かの」
少しずつ頬を赤く染め、ポリポリと指先で首筋をかく姿など、どう見ても一人の愛らしい童女だ。
考え過ぎなのか。弱い種族を迫害する人々と同じで、俺は強い種族を恐れているだけではないのか。
強い弱いを除けば、俺がしていることは単なる精神的な魔族排斥と同じことになるのではないか。
「……ラスティさん。ラスティさんは、この魔導書をどうこうしたいとは思わないと、言っていましたよね」
俺やティオを武力で脅し、魔導書を奪取しようなどとは考えていないと言っていた。
実際現在の所有者である俺が死亡すれば、魔導書は世界に飲み込まれて消え去ってしまうと言われている。
歴史書の一節であるため俄かには信じがたいが、そこまで疑っていてはキリがない。
「もし俺が、ラスティさんにはここにいてほしいと言ったら、一緒に、この家で生活してくれますか?」
後は、ラスティ自身の考えだ。
流石の俺だって、住み慣れた魔大陸に帰りたいと懇願する幼女を、無理やり引き留めるようなことはできない。
だがもし、一時でも良いから、ここで俺とともに魔導書について一緒に悩んでくれるのであれば。
ぜひ、手助けを要請したい。
王都の図書館に蔵書された書物だけでは、集められる情報には限りがある。
「妾がここで、暫くの間暮らすということか?
別にそれは構わんぞ。元々妾は、現在魔導書を所持している者と、話がしたいと思っておったからの。
もしにぃ様がここでの滞在を許すのであれば、喜んで従うとしよう」
おお! 意外と好感触だ。
あとは、遠まわしに危険性を告げて、滞在するに当たっての安全確認をすれば――。
「それに妾はこれでも上級魔族リリムじゃからの。
並大抵の魔物や外敵であれば、片手間になぎ倒すことが可能じゃ。
ぜひ頼りにするがよい!」
ラスティは腰に手をやって、嬉しそうに満面の笑みを作った。
夜とかに暴れないでください――とか失礼なお願いをしようとしていた自分をぶん殴りたくなってくる。
確かにそんな殺気立った魔族なら、そもそも風呂場でプリムヴェールと二人っきりにした時点で何かしらのアプローチがあっただろう。
気にし過ぎていた。
任せておけとない胸を張るラスティに、「助かります」と告げて手を差し出す。
日本ではこれからよろしくの挨拶と共に、握手をすることが一般的だ。
確か利き手を差し出すことで、あなたに危害を加えるつもりはありませんとかそんな意味を持っていたはずだ。
この世界における握手やハグなどの仕草は、よく知らない。
エイムのしていたほっぺたへの接吻は、ちょっとした悪戯心だったらしいが。
ともかく、手を触れ合わせることが禁忌になる、なんて言葉は聞いたことがない。
「握っても、良いのかの?」
ラスティは俺を見て、恥ずかしそうにそんなことを紡ぐ。
手つきが何だかいやらしい。
おい待てよ、本当に握るのは手なんだよな?
ラスティの視線が若干下を向いており、変に頬が赤らんでいるのが妙に気になる。
まさかリリムの常識には、出会った男性を即座に快楽の世界へ連れ込む、なんてのがあるのだろうか。
まさかね。
「…………」
少しだけ迷ってから、ラスティは俺の指先を摘まむようにして触れてきた。
ふにふにしてて、温かい感触だ。
指先で優しく揉むような接触にくすぐったさを覚えていると、ふと鼻先に獣臭いような汗の臭いがむわりと広がった。
次いで視界に入るのは、よく鍛え上げられた背中の筋肉と、それを包む漆黒のベスト。
第二次性徴を迎えたばかりの少年らしい独特な顔つきに、短くそして乱雑に切られた黄金色の髪。
さっきまでやけに静かにしていた、バルテルスの姿がそこにあった。
「オレァあんまり頭も良くねェし、考えンのも苦手だから、間違ってッとこがあるかもしれねェけど」
バルテルスの表情から剣呑なものが消え、別の感情が籠った影が差す。
「賢者師匠の持ってる本が、何か歴史的価値があるか、もしくはそれくらい値打ちのあるものなんだろ?
一応この敷地内には、外敵を侵入させねェように強力な結界が張ってある。
だけどよ、ここに飛び込めば確実に助かる――なんて、そこまで便利なものじゃァねェ。
本目当てで寄ってくるような不埒な輩が、賢者師匠に何か害を与えるんじゃァねェかって、オレァ心配だ」
「ありうる話ではあるの。
妾は勿論、その魔導書を欲す者は、いくらでもいる。
中には武力を行使して、無理やり奪い取ろうとする輩もいるくらいじゃからな。
とくにそういった輩は、不勉強な低脳どもの集まりじゃ。
持ち主を殺害しては元も子もないことを知らず、奪取目的のため嬉々として所持者を手にかける輩も多い」
幼気な表情が突如真剣な色へと早変わりし、ラスティは眼光鋭くキラリとバルテルスを見やった。
「お主が妾に言わんとすることは、何となく分かる。
魔導書を所持する危険性を知るのなら、今の所有者――にぃ様を守ってくれと、そういうことじゃろう?」
「そういうこったァ。
本当ならオレが傍にいれりゃァ良いんだがァ、オレはエドガール家の親衛隊ってェ大事な仕事があるからな」
バルテルスはポリポリと、爪で頬の端をかいた。
それを見て、ラスティは嬉しそうに瞑目する。
「安心せい。先ほども言ったが、妾はこれでも上級魔族じゃぞ。にぃ様を手にかけようなどと考えるようなよからぬ輩相手には、容赦せん」
ラスティはそう言って、俺の顔を見上げた。
「まあ、手はかけずとも、妾がにぃ様に手を出すのは、ちぃと良い思い出になるかな、とも思ったりするが」
妖艶な色目を使って俺を見つめた刹那、またしてもティオとプリムヴェールが俺のもとへ飛んできた。
天丼だ。
◇ ◇ ◇
開拓地の結界にラスティを覚え込ませた後で、バルテルスは王都へ戻っていった。
魔族嫌悪派の貴族様がご帰宅なされるまではエドガール邸に戻ることは出来ないらしいので、もう少し居ればいいのにと引き留めたのだが、丁重に断られてしまった。
少し寂しそうな表情だったから、何かを無理していたのだろうとは思う。
などと考えながら当時の状況を思い出してみると、確かあの時はプリムヴェールとティオに両側から抱き付かれており、ラスティが俺の膝の上に頭を乗せて寝転がっていた。
バルテルスが嫉妬心を生じさせるような光景では無いので、俺のことを気遣って出て行ったのだろう。
俺はとくに気にしたりしないのだが。
悪いことをしてしまったな。
「ところで、いつまでくっついているんですか?」
膝の上に寝転がっていたラスティは、飽きたのか今はリビングを芋虫のようにゴロゴロと転がっている。
転がっている最中でビキニっぽいチューブトップが緩み、毛の背丈が高い絨毯に擦り寄りながら涎を垂らしていた。
それを見て、今も現在進行形で俺の右腕にべったりなプリムヴェールは半眼を見せる。
「ラスティさんを信用していないわけでは無いのですけど、一応あの人もリリムですから。サキュバスのように危険ではありませんが、やはり、お慕いする男性がいる場所では、警戒の一つくらいしてしまいます」
別にそういったことにはならないと思うが――、やはり心配ではあるか。
サキュバスは規格外なため除外するとして、リリムやダークエルフとはもしかすると、元の世界では所謂節操なく食い散らかす空想生物という生き物に近い感覚で接せられるのだろうか。
俺もあまり詳しくないが、高三のときに隣のクラスで見たという情報を聞いたことがある。
受験のストレスからなる突発的なものだったらしいが、それで魔法使い予備軍を卒業した人たちも多かったらしい。
当時から本の虫だった俺は巻き込まれたことがないが、そういえばあの頃は合意ではない学内事件が後を絶たなかったな。
一応ラスティには聞こえない声量で、プリムヴェールの耳元へ口腔を近づけた。
吐息をかけると、みるみるうちに耳が真っ赤になる。
分かり易くて、可愛らしい反応だな。
「リリムって、やっぱ“そういうこと”を我慢するのは苦手なのか?」
「苦手というより、……体質的なものなので、実質無理ではないでしょうか。お恥ずかしながら、わたしの母も、父の相手は結構大変だったと言っておりましたから……」
プリムヴェールの母親ということは、インキュバスの妻ということか。
インキュバスはサキュバスと同格に扱われる魔族だ。夢を扱う秘術を使い、他者のオドを吸い上げることができるらしい。
元の世界の知識と同じように、やはりそういった欲求はかなり高い魔族だ。
故にそれらの系統に属する魔族と毎晩のように夜を共にするのは、通常の人族ではかなり難しいことだと言われている。
幸いなことに、ここ周辺はダークエルフやそのエサであるオークなどが生息している。
万が一我慢できなくなったら、森林の方でどうにかしてもらうようにしよう。
カネがあるなら、王都の男娼館でも別に構わないが。
「……アヤメさんが、ティオちゃんとかラスティさんとか――他の女の子に慕われるのは、仕方が無いことだと思います。ですけど、やっぱりその、……そこだけは譲れないかな、って」
プリムヴェールは顔を赤らめ、照れ隠しに俺の鼻先を突っついた。
プリムヴェールが譲れないそこだけ――というのは、まあ濁されてはいるが何のことを示しているのか大体把握できる。
ティオとは一緒にお風呂に入っているし、添い寝もしているし、お目覚めと同時に朝のお勤めもしてもらっている。はっきり申してしまえば、プリムヴェールとだけしたことがあることといえばあれしか思いつかない。
他にもあるかもしれんが、一番に思いつくのはそれだ。
頭に思い描いただけでヤバそうなので、変な時に夢想しないように心がけているが。
「では、今夜にでももう一回くらいしてお――」
「回数の話じゃありません! まったく……もぉ」
軽口を叩こうとしたが、鼻先を指で叩かれて最後まで言わせて貰えなかった。
でもまあ、そうだよね。女気の全くない頃に初めて出会って、それからゆっくり時間をかけてお互いの気持ちに気づいて、それでようやく、二人の関係はここまで来たのだから。
後から来た娘たちに、同じところまで追いつかれるのは嫌なのだろう。
とはいえ、
「他の娘と仲良くしてても、それについては否定しないんだね」
ティオもラスティも見た目十歳前後なため、俺が幼気な童女には手を出さないと信頼されているということだろうか。
もしくはプリムヴェールの中では、身体は許すな=他の娘に目移りするな、という意味になるのかもしれないが。
「……だって、魅力的な男性に、複数の女性が心奪われるのは、生物学上仕方が無いことじゃないですか。逆もまた、然りですけど」
プリムヴェールがどうこう思っている以前に、それがこの世界の常識だと考えて良いらしい。
でもまあ、嬉しいな。
プリムヴェールは、俺が複数の女性を引き付けるような魅力的な男だと思っているってわけか。
元の世界じゃ絶対言われないであろう台詞に、思わず顔がニヤける。
――と同時に、最後の一言が不意に脳裏へ浮上した。
「……ん、逆もまた然り?」
色っぽく頬を染め、すまし顔で斜め上を見やるプリムヴェールの姿があった。
プリムヴェールの美貌は、俺だけじゃなく周囲の男性陣をも魅了する。長寿幼女であるラスティも、プリムヴェールの魅力には感嘆していた。
待って、ちょっと待って。
「もしかして、プリムヴェールには俺以外に彼氏が――痛い!」
「失礼ですね、わたしがアヤメさん以外の男性に心を許すと思いますか?」
そんなことありえません、と断言するようにプリムヴェールは俺を見つめた。
両手を床に着き、ずいと顔が近づく。
鮮やかな銀色が揺らめき、ふわりと甘い香りが漂う。
「わたしは絶対、アヤメさん以外の男性に心奪われたりしません」
「……それは、俺とそっくりな人が現れても?」
「当然です。見た目も性格も内面も全て含めて、わたしはアヤメさんをお慕いしていますから」
「――――!」
直接的過ぎる科白に、耳まで熱くなる。
俺は絶対に、この可愛らしい娘を裏切らないようにしようと、そう心に誓ったのだった。




