4-16.英雄の恋人
浴室から追い出されて暫くリビングで待っていると、ほんのりと頬を染めたプリムヴェールとラスティが揃って浴室から現れた。
しっとりと湿った素肌から、甘い香りを携えた湯気がふわりと漂っている。
温かいお湯に浸かったためにとろけた表情は、艶やかで至極愛らしい。
束ねた髪を解くプリムヴェールの姿を横目で見やり、次に俺はラスティへ視線を向けた。
レザー系統のチューブトップと、同じくレザー生地のショートパンツ。
実に際どい布地に包まれたその体躯は、平たい胸に寸胴という完全なる幼女体型だ。
桜色に染まった顔も愛らしく、幼気な雰囲気を醸し出している。
黙っていれば、そこらを歩いている幼い少女と何ら大差ない風貌だ。
「風呂を上がったばかりですみませんが、先ほどの続きをお話していただいてもよろしいでしょうか?」
出来る限り丁寧な口調で、俺はラスティに問いかけた。
先ほどの話が荒唐無稽な出鱈目話で無いのであれば、この幼女は実質数千年から一万年以上の年月を生きているということとなる。
容姿はともかく、内部は一応俺よりも年上ということになるからな。
畏まって対応する俺を見やり、ラスティはぷにっとした頬を優しく緩めてみせた。
「そう堅くなる必要はない。妾は言葉遣いやら何やらに、うるさいほうではないからの」
そういって、ラスティは絨毯の上にペッタリと女の子座りをした。
布地が引っ張られ、ショートパンツが股座に食い込む。
とはいえその辺りは先ほど包み隠さず見せていただいたので、とくに気にすることもない。
さてと。
何から聞けば良いだろうか。
聞きたいことは山ほどある。
ラスティの言うサザンガンフォルトの意思とは、どういったものなのか。
半生を捧げてまで追い求めるほどに、サザンガンフォルトとは魅力的な人物だったのか。
ラスティとサザンガンフォルトの関係は、どういったものなのか。
さっきは恋人だと言っていたが、何か表現の仕方が引っかかる。
魔帝とかいう立場の人間なら、后やら側室を迎えるのではないか。
恋人というのは、些か妙な表現だ。まさか愛人という言葉を、濁しているのだろうか。
いやしかし、前にエイムが言っていたが、この世界では一夫多妻とか一妻多夫は、(とくに魔族の中では)認めている者が多いのだとか。
後半は書物からの知識だが、受付嬢であるエイムがいい加減なことを言うとは思えない。
当時の詳細な歴史背景は知らないので、何とも言うことは出来ないが。
「ラスティさんは、オーガとリリムのハーフだと言っていましたけど。オーガもリリムも、長寿種族ではありますが、数千年を生きるような種族ではないと、わたしの浅い知識では、そう思っています。
もしラスティさんの言葉が事実なのでしたら、若さを保っている理由をお聞かせ願いたいのですが」
俺が悩んでいる間に、プリムヴェールがラスティにそう問うた。
確かに、それも気になることの一つだな。
オーガやリリムに関して、俺はあまり詳細な知識を持ってはいない。
故にもしかすると、種族的に長寿なものなのだと勝手に思っていた。
だが確かに、数千年以上の刻を童女の姿で過ごし続けるというのは、この世界においても異常なことなのだろう。
「ふむ、そこを説明するには、少々突っ込んだ話になってしまうかもしれんの。
要は、体質的なものでもあるんじゃ。リリムという種族柄、妾は常時男児の肉体を欲しておる。
中級魔族であるサキュバスほどでは無いのじゃが、まあ特に若い頃は、毎日のように誰かとまぐわっておらんと身体が火照ってどうしようもなくなるくらいじゃったの」
ラスティは妖艶な笑みを零し、頬を赤く染めた。
「リリムはサキュバスのように、夢の中に入り込んでオドを吸い上げるような秘術は使えん。
とはいえ、一応彼女らの上位魔族じゃからの。類似した秘術は、伝えられておる。
確かユグドラシルの魔導書にも、記されておったはずじゃが――、まあよい。
ともかくリリムには、男児の精力を己の生命エネルギーにすることができる、という秘術があるんじゃよ。
リリムがサキュバスより、戦闘に特化しているのはそれも原因じゃの。
単にオドの純度が高いというのも理由の一つじゃが、それを大きく上回る要因は、その秘術によるものじゃ」
「ということは、リリムという種族は、そういったことを続けていれば、永遠の生命を手にすることができるということか?」
だとしたら、あまりに優遇された種族では無いだろうか。
元から体内魔力の純度は高く、他の種族から生命エネルギーまで奪うことができる。
そんな壊れた秘術が、実在して良いもの……、なのか。
考えを巡らせていると、ラスティは寂しそうに首を左右に振ってみせた。
「流石にそれはない。普通のリリムは――、妾の母もそうじゃったが、生命エネルギーを貰う過程で、生物として避けては通れぬ期間を過ごす。
言ってみれば、子を宿すということじゃの。
リリムという種族は、サキュバスの夢魔法のように、間接的に精力を吸い上げる術はない。
リリムとて、一種の生物には違いない。やることをやれば、子孫も残る。
リリムの子は、生まれる際に母親の身体からかなりの体力を奪って誕生する。
大抵のリリムは一人、もしくは二人の子を産んだ時点で、精神的に一気に老化してしまうのじゃ。
そうなれば、後はもう老いた肉体を使い潰すだけとなる。
中には三人、四人と残すものもおらんわけではないが、極少数じゃ。
ここまでは、理解できたかの?」
要は、あれか。
リリムもダークエルフと同じように、己の肉体と言葉で自分の欲求を満たす。
サキュバスのように、秘術を利用して殿方の夢に入り込み、身勝手に自分だけ楽しむといった行為を行うことは出来ない。
他者から精力を吸い上げると同時に、それをリリム特有の一種の活力として変換し、体内に溜め込む。
大抵のリリムはその最中に子を宿し、生まれる際に、蓄積された活力を使い尽くして誕生する。
と、こんなところで良いのだろうか。
「まあ、何となくは理解できました」
「流石じゃの。次いで妾がどうして幼き肉体を保っているのか、という話になるのじゃが――。
ここからは先は、最初に言った通りちと妾の体内事情に突っ込んだ話しになってしまう。
……妾がサザンの妃として、もしくは側室の一人として、受け入れられることが無かった理由とも、繋がる話じゃな」
饒舌にペラペラと喋っていたラスティだが、不意にキュッと口を閉ざした。
言いたく無さそうだ。
俺は他人が隠していることを、無暗に暴こうとするような人間ではない。
子を宿せば、リリムはそのまま老いていく。
ラスティは未だに幼女の体型を保っている。
数千年の刻を捧げるほどに、サザンガンフォルトを愛していたラスティ。そんな彼女が側室として迎えられなかった理由。
ここまでヒントを出されれば、さしもの俺だって何となく察することができる。
――ラスティは、赤子を身籠ることのできない体質なのだろう。
俺は男だから、それがどれだけ辛いことなのか、その身で理解することは出来ない。
だが、第三者が興味本位で突っ込んで良い内容では無いことくらいは分かる。
ラスティが――、わざわざ風呂場で話を始めようと言ったのは、これが理由なのか。
自分の存在理由を話すには、避けては通れない道だったから。
ふと視線を揺らすと、ティオとバルテルスの姿が目に入った。
ティオはきょとんとした顔で、良く分かっていない様子で首を傾げている。バルテルスはそんなティオを見て、痛ましげな表情を見せていた。
ラスティの隣にいるプリムヴェールも、大方察したらしく静かに俯いていた。
軽々しく踏み込む類の質問では無かったと、後悔しているのであろう。
空気が重い。
何と声をかければ良いのだろうか。
人生経験の圧倒的に少ない俺には、気の利いた言葉は何も思いつかない。
「……なんじゃ、揃って急に黙りおって。にぃ様たちが何を想像したかは知らんが、妾は別に、そこまで気にしていることではないのじゃぞ」
「でも、ラスティさんは、その……。言いたくないことを、無理やり言わせてしまったような気がして」
プリムヴェールの紡いだ言葉を聞き、ラスティは先ほどと変わらぬ幼気な笑みで返した。
「本当に気にしておったら、初対面の者たちにそのようなこと言うわけなかろう。
実際リリムにとっては、子を宿すイコール華々しい人生の終了、を指すようなものじゃからな。
サザンの側室として振舞えなかったことはちと寂しいことじゃったが、まあそれはそれ、これはこれじゃ。
実際長生きしたおかげで、インキュバスやオーク、オーガにダークエルフと、様々な種と楽しむことができたからの」
ニタリと口端を歪め、頬がほんのりと赤く染まる。
さっきまで感じていた重苦しい雰囲気が、最後の一言のせいで霧散したような気がする。
労わるような目を向けていたプリムヴェールも、少し引いているようにも見える。
重い空気に気が付き、わざと明るく振舞っているという可能性もあるにはあるが……。
「まあ、何人とも身体を重ねたが、やはり一番はサザンじゃったがの」
惚けたような顔をしながら、ラスティはショートパンツの中に手を突っ込んでいた。
◇ ◇ ◇
ラスティが甘ったるいような変な声を出し始めたあたりで、背後に控えていたプリムヴェールがラスティの奇行を必死に止めに入った。
とりあえず、ラスティの実年齢が数千歳を超えるということは、荒唐無稽な出鱈目話として片付けるのは良くないような気がする。
鵜呑みにするわけではないが、信じてみても良いような気がするのだ。
事実彼女は召喚魔法で、この家に召喚された。
すなわち、ラスティは俺に会いたい――というより、現在のユグドラシルの魔導書の持ち主に会いたい、と心の底で思っていたということになる。
魔導書を見せる前に、俺のことを知っているかどうか問うたから、間違いないはずだ。
となると問題は、今後ラスティをどうするか、という話になるのだが。
新たな魔法を書き込めると分かってから、数日の時が経っている。
王都の図書館で入手可能な知識は粗方掘り返したと思うので、知識の宝庫である図書館に缶詰になったとしても、これ以上新たな情報が手に入るとは思えない。
ティオとの実験も足踏み状態だし、ここで魔導書に関して詳細な知識を持った人が現れるというのは、はっきり言って有難い。
どうやらラスティも、サザンガンフォルトの意思を継ぐためだかで、魔導書に関する知識は惜しまず提供してくれるようだしな。
だが、懸念事項はある。
ラスティが、本当に信頼できる人材かどうかという話だ。
誰かの紹介を経て出会ったわけでもなく、一方的に呼び出す召喚魔法で偶発的に出現した上級魔族だ。
そう、上級魔族なのだ。
容姿が童女であるため、肉体的なパワーだけを見れば、大した脅威にはならないだろう。
プリムヴェールが腕を掴めば、それで抵抗できなくなる程度だからな。
とはいえ上級魔族ということは、その矮躯にはかなり純度の高いオドが眠っているということになる。
中級魔族と人族のハーフである、プリムヴェールとは比にならない程の純度なはずだ。
そのプリムヴェールでさえ、広場に二百体と並んだ悪魔を一斉に押さえつけるような風魔法を使えるのだ。
考えたくはないが――、寝込みを襲われたりでもしたら、抵抗することは出来ないだろう。
問題が生じるより先に、送り返すべきか。
いや、逸った考えは良くない。
召喚魔法も、全知全能ではないのだ。次またもう一度、ラスティを召喚できるとは限らない。
下手すると、今度こそ男性に飢えたサキュバスか何かが、召喚されてしまう可能性だってあるのだ。
プリムヴェールに奇行を止められたラスティは、バルテルスとティオのもとへ赴き、何やら楽しそうに話していた。
バルテルスの眼にはまだ若干の警戒が灯っているが、敵愾心の色は見られない。
どちらかと言うと、遠慮なくラスティに近寄ってしまうティオを、さりげなく守っているようにも見える。
傍から見れば、普通の童女だ。
危険性など皆無な、一人の幼い少女にしか見えない。
しかし彼女は、魔導書について人知を超越した知識を持っているはずだ。
彼女の話が事実ならば、サザンガンフォルトが火大陸を統べていた時代から――おおよそ一万年以上の長い期間、魔導書についての情報を掻き集めていたということになる。
それこそ書物や人伝のものではない、生の言葉や実体験を聞くことができるだろう。
彼女がいれば――、魔導書に関する謎が解き明かされるかもしれない。
俺がこの世界に転移した理由。ユグドラシルの魔導書が持つ本当の能力――、そして、書き込むことのできる魔法と出来ない魔法の違い。
今まで後回しにしていた事項が、解消される可能性も高い。
「こっちから聞いてばっかりですみません。魔導書について、もう少し答えてもらっても良いでしょうか?」
「構わん。男を漁るだけの無碍な時間でも、妾にとって今までの人生は永く大切なものじゃった。若い者が年老いた者に知識を授かるということは、何よりも素晴らしいことじゃからの」
ラスティがこっちに来たので、俺は腰を下ろして頭の高さを同程度にする。
さっきまで気にしていなかったが、見れば見るほど幼気で愛らしい顔つきをしている。
若干西洋風で目も釣り目気味なので、容姿に関しては同程度の年齢であろうティオとは、似ても似つかない面差しをしているが。
「この書物は、ユグドラシルの魔導書で、間違いないんですよね?」
「左様じゃ。――というか間違いもなにも、古代龍族の文字で表紙にそう書いてあるじゃろ?」
ラスティは何の事でもないような口調で、俺の持っている魔導書を細い指でさし示した。
え? ――書いてあるだと?
慌てて表紙を見てみたが、絵や記号をない交ぜにしたような奇妙な字が並んでいるだけだった。
そういえば、表紙だけはここに来てからも読むことが出来なかった気がする。
召喚された時も、表紙の字は単なるみみず文字にしか見えなかったし。
意味のある言葉は、何となくぼんやりと内容を把握できるので、表紙に刻まれた言葉は、てっきり意味のない文字の羅列だと思っていた。
元の世界でも、デザインとか造語とかが表紙に書かれている書物を見たことがあるし。
「そういえば……。サザンも表紙の文字だけは読めぬ、とかそんなことを言っておったな。
当時は妾も魔族以外の文字は読めんかったから、意味を為さぬ言語の羅列だろうと勝手に解釈しておったが」
「サザンガンフォルト様も、この書物に記された文字を、お読みになられたのですか?」
「そうじゃの。まあ言った通り妾も読める文字には限度があるから、サザンの読み聞かせを半信半疑で聴いておったがの」
ラスティの返答に、プリムヴェールはびっくりした様子で頷いた。
次いで、俺のことを見て嬉しそうに目を細めた。
「誰もが知る魔族の英雄が手にした書物の原本をこの目で見ることが出来るなんて。いち魔族としても司書としても、これほど嬉しいことはありません!」
両手で頬を包み込み、プリムヴェールは惚けた顔で反対側の壁を見つめる。
俺と初めてを迎えた夜よりも、何だか嬉しそうな表情をしている気がしてきた。
や、妬いてなんかいないんだから!
見当違いな嫉妬心を魔導書に向け、一昔前の少女マンガ主人公よろしく「負けないんだから!」と心の中で活を入れる。
心の中で気合を入れながらふと顔を向けると、ラスティがねっとりとした目で俺の横顔を眺めていた。
心なしか、視線の奥に何やら熱いものが籠っているような雰囲気を思い起こさせる。
「えっと、何でしょうか?」
「……ふむ、いや気にせんで良い。今の何かを決意したような眼差しが、サザンのものとちぃと似ておってな。少し見惚れていただけじゃ」
今の決意したような眼差しって……。
魔導書に嫉妬して、ふざけただけなんですけど。
もしかして三代目魔帝サザンガンフォルトとやらも、ラスティに嫉妬して今みたいな感情を浮き彫りにさせていたのだろうか。
そんなバカな。
熱い感情の込められたラスティの瞳を見据えていると、ラスティの頬が桜色に染まった。
ふっと目を逸らし、もじもじとしている。
「にぃ様も良く見ると、中々良い殿方じゃの。魔導書を抱えて遠い目をする姿などに、サザンの面影を感じさせるのう」
「――――!?」
ガタッと音がして、物凄い勢いでティオとプリムヴェールが飛んできた。
魔女っ娘装束なティオが俺の左腕にコアラのようにしがみつき、オリーブ色の縦セタに包まれた魅惑の肢体を、プリムヴェールが俺の右腕へと押し付ける。
火花のようなものが散ったような気がする。
――が、別に剣呑な雰囲気が漂っているような感じはしない。
とはいえ、
「…………ぁ」
「…………ぇ、と」
反射的に飛びついてしまったらしい二人の美少女達は、何とも気まずそうな表情で顔を逸らしていた。
それを見て、ラスティは悪戯っ娘のように口元に弧を描いた。
何だろう、立場的には圧倒的勝ち組状態なはずなのに、何か負けた気分だ。




