4-11.綺麗で優しいお姉さん
事故でプリムヴェールを召喚してから、数日の時が経過した。
魔導書の実験は、あまり進展が無く滞っている。
あれからまた幾つか他の魔法を書いてみようと試みたのだが、結果は全て失敗だったのだ。
バルテルスが書き込んだときのように、ペンに染み込ませたインクが弾かれてしまう。
例えば石ころにマナを注いで金塊を作り出す魔法だとか、とある身体箇所を一定時間に限り肥大化させるというティオ垂涎の魔法だとか、まあそんな感じのやつだ。
実験の最中、ティオはわくわくした様子で俺の周囲をくるくると回っていたが、いざインクとペンを用意して書き込みが失敗した瞬間、げんなりとその場に座り込んでしまった。
もう数年もすれば大きくなるさと宥めてみたのだが、ティオは残念そうに俯いていた。
伸びしろはあると思うんだけどな。
たまに一緒にお風呂に入ったりするとき、背中とか腰とかお尻とかも見せられるけど、ほんのすこーしずつだが成長の跡が見える。
ちゃんとした栄養を摂り始めて三か月近く経ったからか、肉付きが良くなってきたのだ。
多分このまま食に困らない生活を続けていれば、ティオの目指すむっちりボディを手にすることは容易だろう。
ティオの細やかな最近の肉体成長過程はこの際割愛するとして。
後はバルテルスへの魔法教示だ。
基礎的な属性魔法と治癒魔法の使い方は、教えることが出来た。
小石から火を出したり、小石から水を出したり、小石から微風を出したり――と、そんな感じだ。
だがもう少しレベルアップさせようとしたところで、バルテルス本人から待ったがかかった。
今まで魔法を使わずに、エドガール家親衛隊として愚直に責務をこなしてきたバルテルス。
持ち前の脚力と瞬発力、スタミナを最大限に活かし、魔法が使えないなりに精一杯ここまで頑張ってきた。
治癒魔法や解毒を行う魔法、そして咄嗟の時に明かりを灯すための火魔法等。
いつでもどこでも水分補給が可能な、水魔法。
これらは確かに、バルテルスの親衛隊としての生活にも新たな可能性を広げることとなった。
「だがなァ、賢者師匠。風魔法とか土魔法――そういった魔法は、オレにはまだ必要ねェと思うんだァよ」
技の引き出しは多い方が良い。
そう思って、俺はバルテルスに四属性全ての初級魔法と治癒・解毒魔法を教示してやった。
だがバルテルスは、これ以上習得すると、いざというときに勘が鈍ると考えたらしい。
魔法があると思って調子にのったり、舐めプ――手を抜いてしまうとかそういったことらしい。
実際バルテルスも、今までそういった親衛隊を何人も見てきたのだとか。
模擬戦でバルテルスと当たった親衛隊が、魔法の使えないバルテルスを挑発するように、遠距離から水の球を撃っていた。
したり顔で乱射され、バルテルスは大いに腹が立っていたらしいが、ここでバルテルスの逆転の女神が薄気味悪く微笑んだ。
反復横跳びのようなことをしながら、フィールド上を駆け回っていたバルテルスと親衛隊。お互いに見合って横跳びをしている最中、不意に親衛隊が盛大にすっ転んだのだとか。
がむしゃらに水の球を撃ち出し、フィールドに水たまりがいくつも出来ていた。
バルテルスは無論足元を確認しながら、一瞬の隙を探してフィールド上を駆け回っていたのだが、相手は違ったのだ。
魔法の使えない親衛隊に負けるはずがないと高を括っていたためか、足元がお留守になっていたらしい。
その隙を逃さず、バルテルスの神速の突撃が炸裂し、勝負アリとなったのだとか。
「オレもあまり賢い方じゃァねェからな。治癒魔法とか簡単な火魔法みてェに、いざという時あるかないかで大分変るような魔法だったら、出来る限り覚えておきたいとは思う。だが下手に詰め込み過ぎて、今まで持っていた勘とかが鈍るのは困るんでな。
オレと戦った親衛隊の奴だって、別にアホってわけじゃァねェんだぜ。ただ水魔法の使い手だと持て囃されて、図に乗っちまったンだァよ」
ということらしい。
まあ元々魔法が使えなくともエドガール家に雇われるような人物なのだから、極めさせる必要もないか。
短い間だったが、楽しい練習だったと思うよ。
水浴び中のティオを覗こうとするバルテルスを引っ捕まえたり、ふざけて俺に撃ってくる火の玉を水魔法のカーテンでレジストしたり。
水浴び中のティオが脱ぎ散らかした下着を、バルテルスが発見する前に片付けたり。頭の洗い方が分からないとのたまうティオの水浴びを手伝っていたら、急にドカンと音がして、バルテルスが吹っ飛んでいたり。(岩石に向かって火の玉を撃ったら、粉微塵になった石の欠片が跳ね返って来たらしい)。
水浴び中のバルテルスを覗こうとするティオを部屋に連れ戻したり。ふざけて俺に撃って来た火の玉を躱したら横に逸れて、危うく火事を起こしそうになったり。
思い返せば思い返すほど、何事もなく済んだのが奇跡のような毎日だった。
「じゃあ、弟子はもう卒業か」
「卒業、ではねェな。まだ微調整とかもしなきゃなんねェし、親衛隊としての訓練より、こっちの方が楽しいし身に入るからよォ」
というわけで、バルテルスはまだ俺の自宅とエドガール家のお屋敷を毎日のように行き来している。
極稀に女の匂いを振りまきながら参ることがあるが、気にしないでいる。
多分アトリアお嬢様のものだろう。
出がけに誘われたか、もしくは布団を干したのか、そんな感じだろうからな。
ここ数日の行動は、そんなところだ。
◇ ◇ ◇
水面から顔を出すような錯覚とともに目覚めると、右腕の感覚が無かった。
肘を曲げて腕を上げようとするのだが、一向に視界に手や腕が姿を現さない。
「おはよう、アヤメお兄さん」
顔を横に向けると、黒を基調とした丸首シャツ姿のティオが俺のことを眺めていた。
ティオの頭が乗っている部分――ようするに俺の右腕だが。そこに、じんわりと痺れている感覚が浮上した。
徐々に感覚が戻るにつれ、何とも表現し難い妙な痛みが右腕を襲う。
ああ、これはいかん。早く治癒魔法を施して楽になりたい。
「ティ、ティオ……。そこに置いてあるスタッフを取って、くれないか?」
「どしたの? すっごく辛そうな顔してるけど」
「腕が、……痺れた」
ティオはきょとんとした顔で俺を見つめていたが、ふと何かに気が付いた様子で、ピョンとベッドから跳ね起きた。
反動で腕の痺れが一時的に悪化する。
「待ってて、すぐ治癒魔法をかけるから」
ティオは俺の腕を優しく撫でると、とろけるようなソプラノボイスで治癒魔法の詠唱を奏でた。
じんわりと痺れが薄まり、腕に感覚が戻ってくる。
「助かった、ありがとう」
「ううん、腕が痺れたのも、きっと私のせいだと思うから」
言いながら、ティオはまだ俺の腕を撫でていた。
すべすべした指先が優しく動き、くすぐったい。
身体を起こして、左手でティオの頬を撫でてやる。
気持ちよさそうに頬を緩め、小動物のようにすりすりと擦り寄ってくる。
「朝ご飯、何が良いですか?」
「……肉と黒パンと果物以外に、何かあったか?」
「無いです」
この漫才のような会話も、もはや日常茶飯事だ。
食材を貯蔵している冷蔵庫のような魔道具の中身は、いつでも燻製肉と黒パンと果物しか入っていない。
全て王都の商店街で手に入る、安くて美味い庶民的な食材だ。
贅沢を言うと黒くないパンの方が好きなのだが、あれは保存が効かないので買ったその日に食べてしまう。
製造方法は知らないが、黒パンにはカビや虫が付きにくい。
堅いので、顎の弱い現代日本人である俺は食うのに少し手こずるが、主食の中では一番長持ちする。
故にうちの棚には、数日分の黒パンがいつでも貯蓄されている。
燻製肉や果物も同様の理由だ。
果物とはいえど、新鮮なそれではなく、ドライフルーツっぽいものだしな。
最近乾燥したものばかり食っているので、シャキシャキした緑黄色野菜やふわっとした白米が恋しい。
前者は一応食堂に行けば食えるが、後者はどう足掻いても手に入らない。
どこかに無いかな、似たような主食……。
「アヤメお兄さん、今日のご予定はいかがなさいましょうか?」
「無理にメイドさんっぽくしなくて大丈夫だよ」
言いながら、俺は寝巻き代わりに使っているブルーの私服をベッドの上に脱ぎ捨てた。
森の奥に済んでいる魔女とかが着ているような、マントともカーディガンともとれる独特な形状をした衣服だ。
実際は魔術師などがローブの上から羽織るものらしいが、動きやすいので寝間着として使用している。
紐のようなもので縛っておけば、はだけたり脱げたりもしないからな。
結構便利だし、気に入っている。
白でも黒でもない色のローブに腕を通し、ティオを連れて階下まで降りる。
リビングの端に置かれた小さなテーブルに、土魔法で作った食器を並べて朝ご飯だ。
作るのはメイドであるティオの仕事だが、基本的に俺も手伝っている。
とはいえ火の扱いに関しては問題無く合格点であるため、手伝うとは言っても、ほぼ見てるだけ、なのだが。
燻製肉に火を通し、果物やパンを皿にのせたら完了だ。
ティオは暴食の幼女だが、俺は朝ご飯を食べられない人種だ。
故にティオと俺の朝飯の量は三倍くらい違う。
俺は黒パン二つに、燻製肉を半分。ティオは燻製肉一個半と、黒パンが五つと果物を数欠片。
それでも食べ終える速度は同じくらいだ。
ちゃんとモグモグゴクンと、しっかり噛んでいるのだろうか。
この辺の教育も、少しずつしていかなければならないな。
なんてことを考えながらティオを眺めていると、薄紅色の瞳がこちらを向いた。
可愛らしく小首を傾げ、口に入っていたものをコクンと飲み下す。
本当に、ティオは何でも美味しそうに食べるよな。
「おっぱいを大きくする魔法、出来なかったね」
口に入れたばかりの燻製肉を、危うく噴き出すところだった。
もっしゃもっしゃと肉やパンを頬張りながら、ティオは何の気なしにそんなことを言う。
ふざけている風もなく、意気消沈といった様子でもない。
軽い話題の一つとして出しただけなのだろう。
「書き込める魔法と、そうでない魔法の違いがまだ分かってないからな」
あれから書き込みを試した魔法は、前述の通りことごとく失敗している。
あの魔導書がユグドラシルの魔導書ではない、という仮説はもう捨てている。
書き込めたり書き込めなかったり、書き込んだ召喚魔法が即座に使えるようになっていたり――と、常識はずれな事象が幾つも起きているからな。
間違っても、ただの魔法教本であるなんてこと絶対にない。
「早く大きくなりたいな……」
「そんなに気にしてるのか」
俺は男だから分からんが、やはり年頃の女の子はそういったことを気にするのだろうか。
ターニャとかは、さして気にしていない様子だったけど。
「プリムヴェールお姉さんみたいに、なりたいから」
今度は未遂ではなく、燻製肉をテーブルの端まで噴き出してしまった。
「プ、プリムヴェールみたいに?」
「すっごく綺麗で、優しいお姉さん。紫色の下着が、すっごく似合ってた」
「それ、絶対にプリムヴェールの前で言わないでくれよ」
先日宿でたっぷり可愛がってもらった夜。事を致し終わった後で、窓の外から星彩を眺めながらたあいもないピロートークをしている最中、俺は口を滑らせた。
『今日の下着はすごく似合ってるから、次するときもそれを身に着けていて欲しい』と、変態街道まっしぐらな言葉を素で吐いてしまったのだ。
今思い返しても、失言だったと思う。
プリムヴェールはそれを聞いて、嬉しそうな顔で『ではアヤメさんも、したいときはその色の下着を穿いて来てくださいね』と紡いだのだ。
言われてから分かったが、めちゃくちゃ恥ずかしい。
何が「下着が似合ってるから、次もお願いします」だよ。
家に帰るまでの道のりずっと、頭を抱えながら歩いていた。
忘れてくれていると助かるが、人間ふとしたことで思い出すことがあるからな。
ティオがそんなことを言って、あの時のことを思い出されたら俺はもう死ねる。
「大丈夫、言わないよ。お着替え中の姿を見られたこと、思い出させちゃったら失礼だもんね」
細かな理由はちょっと違うが、まあその解釈でも構わないか。
思い出すかもしれない内容が、その後のことだというだけだ。
朝食を終えると、二人で仲良く食器を洗う。
スタッフを利用して俺が水魔法をタライに溜めて、ティオがその中でザブザブ洗うという手順だ。
土魔法で作った食器を洗う専用の薬品を先日購入したので、それを使って洗浄している。
強い薬品であるため手が荒れたりするようだが、洗浄後はちゃんと治癒魔法をかけてやっているので問題はない。
「お皿、もうない?」
「これで全部だよ。――っと、鼻に泡が付いてるぞ。とってやる」
「ありがと、アヤメお兄さん」
鼻先を軽く擦ってやると、くすぐったかったのか可愛らしくクシュンとくしゃみ。
ほんのりと頬を染めて、照れたようににへりと笑顔。
いつもの通り、ティオは今日も可愛い。
「今日は何をしようか?」
バルテルスの魔法教示が毎日ではなくなったため、ティオ関連の事項に時間を捌くことが出来るようになった。
昼下がりの窓辺にてゆったりと本を読むのも楽しいが、あいにく今は本が手元に無い。
トリスコールの王都には貸出可能なデッカイ図書館があるからか、軽く読める創作物は商店街などには売っていないのだ。
故にすることといっても、魔導書を読むかティオの魔法練習を眺めるか、簡単な依頼をこなしに出かけるかのいずれかしかないのだが。
「アヤメお兄さんの使う、魔法が見たいな」
踏み台からぴょこんと飛び降り、ティオは俺の手をギュッと握って引っ張ってみせる。
一緒に依頼を請けたいらしい。
トリスコールには冒険者が多いとはいえ、遠方へ赴く実入りの良い依頼ばかり取り合いになって、一般市民が依頼する問題は放置されがちだ。
地域に貢献できて、ティオも楽しめて、小金も集まる。良いこと尽くしだ。
ティオの手を握り返し、火元や戸締りの確認だけ行ってから、出発準備を整える。
ティオを寝間着から着替えさせ、朱色と黒を基調とした魔女っ娘っぽい冒険者服を纏わせる。
耐火性抜群な、しっかりとした衣装だ。
火魔法を使う少女用の服を――と頼んだら、これを真っ先に手渡された。
ちなみに可愛らしい三角帽子付きだ。茶の混じったマントは着脱可能であり、動きにくいというため普段は外している。
見せかけのロッドを手にしてこの格好をしていると、ハロウィンのコスプレをしている童女にも見える。
小さなお手手を袖から出して、ギュッと手を繋ぐ。
ローブの内ポケットに鍵を入れて、いざ出発! と思ったところで、家のドアを外側から丁寧にトントンと叩かれた。
魔女っ娘姿のティオと顔を見合わせて、互いに小首を傾げ合う。
来客か、誰だろう。
結界の張られたこの家への訪問者というとバルテルスくらいしか考えられないが、彼はこんな丁寧に扉をノックするようなことはしない。
窓の外から大声で、「賢者師匠!」と叫ぶのが彼の主流だ。
故に来客はバルテルスではない。
「誰だろ、アトリアお嬢様んとこの親衛隊か誰かが、来てるのかな」
「私は、プリムヴェールお姉さんだと思う」
どっちにしろ、誰が来たのか確認をしなければならない。
インターフォンとか、そんな便利なものはないからな。
慎重にドアを開けると、鮮やかな銀髪が風になびいているのが見えた。
次いで現れるのは、オリーブ色の縦セタと、それに包まれた魅惑的な肢体。
慎ましやかに両足を揃え、手を重ね合わせながらペコリと腰を折ってみせる。
「こんにちは、アヤメさん、ティオちゃん」
来客は、プリムヴェールと――――、
「えへへェ、来ちゃいましたァ」
普段と変わらぬ裸ベストにスラックス姿の、バルテルス・グレイハウンドだった。




