4-12.遅れてきた適合者
「粗茶ですが、どうぞ」
「ありがとう、ティオちゃん」
部屋の端に置かれたテーブルを真ん中まで運び、来客二人を含めた四人で囲んで腰かける。
訪問者の前では、ティオは忙しなくメイドとしてのお仕事に奔走する。
ゆっくり座っていても良いのに、とは思うのだが。一応ティオにとってプリムヴェールとは理想の体型をしたお姉さんというだけでなく、自分のことを助けてくれた勇敢なお姉さん、として認識しているのだろう。
もしくは単に、メイドには向いていないと言われたのを、心のどこかで気にしているのかもしれないが。
「しかしバルテルスよ。二日くらい前に『オレァ暫く来なくなるかもしれねェぜ!』とか言ってたのに、もう来たのか」
「あァ、大切なお客様が来てるからって、追ん出されたンだ。行くとこもねェし、賢者師匠ならいつでも引きこもってると思って、とりあえず来てみたんだァよ」
大体当たっているのが地味に傷つく。
しかし、バルテルスは仮にも親衛隊兼使用人だよな。
何で大切な客人が来る時に、屋敷から追い出されているんだろ。
思案気な表情でバルテルスを見やっていると、バルテルスは溜息混じりに遠い目をして呟いた。
「賢者師匠の考えていることは、大体分かるぜェ。
どうせ客人が幼女だから、手を出すかもしれねェって追んだされたと思ってンだろ?
違ェかンな。トリスコール外からいらっしった上流貴族だからァ、魔族とかエルフ族のハーフとかクォーターを毛嫌いしてンだよ。
金銭的な交渉を行うらしいから、危険因子は最初ッから排斥しておこう、ってェ考えだ。
オレ以外にも、ハーフとかクォーターはいやがッから、そいつらは総員王都中をぶらついてンだァよ」
そこまでは考えてなかったけど、そうなのか。
やはりトリスコールを出ると、魔族やエルフ族の迫害は治まっていないんだな。
俺はそういった場面を目撃したことは無いから分からんが、きっと辛い現実を突きつけられることになるのだろう。
「そっか……。やっぱり、まだ魔族への風当たりは強いんですね」
プリムヴェールがシュンとした表情で、テーブルに並べられた湯呑の中を眺めていた。
この湯呑も、俺が土魔法で作ったものだ。
ガラスっぽい素材で作られたグラスは売っていたが、落として割ったりすると怪我をする恐れがあるので、やめておいた。
ただ俺には工作や陶芸の才能は無いため、若干グニャッとしているのだが。
まあ美的・芸術的観点を無視すれば、使用に耐えうる形状ではある。
「それより、プリムヴェールとバルテルスが一緒に来るなんて意外だな。何かあったのか?」
暗い雰囲気が漂ってきたため、話題を変える。
俺の問いかけに、プリムヴェールとバルテルスは互いに顔を見合わせた。
アイコンタクトなどをしているようには見えない。
「せっかくの休日なので、来ちゃいました。その、アヤメさんに会いたくなりまして……」
ポッと頬を染め、ルビーの瞳を瞬かせる。
一つ一つの仕草が妙に色っぽい。
「――それで、ここまで来たところで、同じくここに赴いていたバルテルスくんと対面したんです」
「なるほど、エンカウントしたっていうことか」
「……よく分かンねェけど、なんかバカにされてるような感じがするぜェ」
バルテルスは頭の後ろで手を組み、胡坐をかいてくつろいでいた。
それを見やってから、ふと視線を揺らすと、プリムヴェールと視線が交錯した。
「そういえばアヤメさん。前のときの約束、覚えていますか?」
口に含んでいた湯呑の中身を噴き出しそうになった。
前の時の約束?
もちろん覚えていますとも。次したい時は、黒のパンツを穿いて来いってことですよね。
羞恥にまみれた過去を思い出し、思わず赤面する。
それを見たプリムヴェールは、嬉しそうに頬を染めて口元に弧を描く。
真昼間からそんな表情なんて……。
他意は無いんだろうけど。
「訳は後で話すと言われてから、まだ説明されていませんよ」
「…………はい?」
あれ? そっちじゃない?
俺はまたてっきり、先日の宿での行為を蒸し返されているのかと思っていたのですが。
何の事だろうとプリムヴェールを見つめていると、プリムヴェールの頬がほんのりと染まった。
「お着替え中のわたしを、どうやって家に呼んだのか、その辺のことです」
「――――っ」
中身の入っていない湯呑が手から滑り落ちた。
落としたのはティオだ。
俺は必死に耐えた。湯呑はテーブルの上に置いていたし、水分を口に含むような真似もしなかった。
妙な予感はあったからな。
対面に腰かけるバルテルスに、お茶をぶっかけるような趣味はない。
だがティオは違った。十歳の童女に、これから起こるべく事象に備えろというのも酷な話だが。
ともかく、動揺してしまった。
幸い湯呑が割れることは無かったが、結構大きな音が響いた。
バルテルスはビクッと肩を震わせ、驚いたような顔でティオを見つめている。
プリムヴェールはプリムヴェールで、同じように「何で!?」という表情だ。
「す、すみません。落としてしまいました」
「そ、それは大丈夫だけど……。怪我は無かった?」
プリムヴェールが駆け寄り、ティオのことを優しく撫でている。
自分の発言と同時にこんなことになったのだ。困惑してもおかしくないだろう。
「だ、大丈夫です」
「そっか、それなら良いんだけど……」
プリムヴェールはチラりと俺の方を見た。
そうだ、思い出したよ。着替え中のプリムヴェールを召喚しちゃったとき、送り返す直前にそんなこと言ったっけか。
まあ元々プリムヴェールを仲間外れにするつもりもなかったし、それは別に構わない。
単に予定が合わなかったから、実験最中、一緒にいなかっただけだからな。
「そうだった、思い出したよ。丁度バルテルスもいるし――、せっかくだから前回と同じ実験をしてみようか」
「はい。……それより、ティオちゃんですけど」
「わ、私は大丈夫です。え、えへん!」
立ち上がり、発展途上な胸をトンと叩いてにぱっと笑顔。
動揺を隠しきれていないのか、汗びっしょりでふくらはぎがカタカタと震えているが――、プリムヴェールは戸惑いを見せながらも、ティオの言葉に一応の納得をしてくれた。
しかし、震えながらも笑顔を作れるのか。
将来はギルドの受付嬢にでもなるのかな。
魔女っ娘装束なため、このままだと占いの館っぽくなりそうだが。
「とりあえず俺は魔法陣を描くから、二人は場所を作ってくれないか?」
「おゥよ」
「分かったよ、アヤメお兄さん」
バルテルスがテーブルを部屋の隅に片付け、ティオが真っ白な紙を部屋の真ん中に広げる。
俺はペンとインクと魔導書を並べ、ティオが敷いた紙へ丁寧に魔法陣を描き込む。
ローマ字とカタカナを組み合わせ、崩した文字を使用した魔法陣。
真剣な表情で書き込んでいる姿を、プリムヴェールは興味津々といった様子で眺めていた。
最初は佇んでいたプリムヴェールも、中腰になり、正座して、ピッタリと密着して座るようになった。
逢瀬の度に香るプリムヴェールの匂いが鼻孔をくすぐる。
セーターっぽい服のせいか、肉体の起伏はモロに当たってくるし。
おっといかん、集中しなければ。
魔法陣をちょっと間違えただけで、魔法が不発になってしまう可能性だってあるのだ。
発動しなかった、だけならまだいいが、運が悪いと別の魔法が発動してしまうこともあるらしいからな。
膨大なマナを送り込むのだ。火魔法とか水魔法が、魔法陣に反応して暴発でもしたら、甚大な被害を被ることになってしまう。
「その魔法が書かれているページの文字も、実に変わった形状をしていますね」
漢字、ひらがな、カタカナの混じった召喚魔法の項を眺め、プリムヴェールは理知的な双眸を瞬かせた。
この世界の文字は曲線が多いし、単純な形状をしたものが多いからな。
画数の多い漢字とか、角ばったカタカナなどの造形は、この世界の住人には馴染みのないものなのだろう。
「あァ、そのページの文字は賢者師匠が書いたんだァよ」
「こ、この図形みたいな文字は、アヤメさんが書いた文字なんですか!?」
「確ッかそうだったはずだよなァ。前回の実験前に、賢者師匠がそのページに書き込んでるのを、オレもティオちゃんも、ちゃァんとこの目で見たかンなァ」
「か、書き込む? え、待ってください。アヤメさんは、歴史的価値があるかもしれない伝説の魔導書に、意味も分からない落書きをしたっていうことですか!?」
信じられないといった表情で、プリムヴェールが俺の横顔をキッと睨んだ。
確かにバルテルスの言葉だけを信じるなら、そういうことになるな。
書物に携わる仕事をしているからか、プリムヴェールの表情がいやに険しい。
非難するような目ではないが、悪いことをした子供を咎めるような顔をしている。
詳細な説明は実験直前にしようと思っていたのだが――、まあ、今すぐ言えば良いだけか。
予定変更だ。
「煉獄炎を踏破した魔術師が出てくる創作物の話を、前にプリムヴェールにしたよね」
「しましたけど……。それと落書きとどういう関係が……?」
プリムヴェールは不安げな表情で、俺の顔をじっと見つめている。
話を逸らしたかと思われたかな。
「その書物の中に、紫色の魔法書に魔法の使い方を自らの手で書き込む、って場面が出てきたんだ」
「は、はあ……」
「試しに同じことを俺もやってみたら、書き込んだ通りの魔法が実際に使えたんだ。証人はティオとバルテルス。ちなみに先日プリムヴェールを家に呼びだしちゃったのも、その魔法が発動したからなんだ」
「――――? ちょ、ちょっと待ってください」
プリムヴェールは口の中で俺の言葉を反芻し、可愛らしく小首を捻ってみせる。
流石に突っ走りすぎただろうか。
とはいえ、だらだら御託を並べていると言い訳をしているみたいに感じるし、翻弄しているみたいで良くないだろう。
別に誤魔化そうとしているわけじゃない。
質問や疑問があれば、スリーサイズ以外なら何だって答えるさ。
何となく落ち着いたプリムヴェールはまず俺の顔を見て、次にティオを見て、最後にバルテルスの顔を見てからもう一度俺の顔を見つめた。
キツネにつままれたような顔をしている。
まあ、普通に考えて信憑性のある話でも無いからな。
さて、どこから疑問をぶつけられるだろう。
事実プリムヴェール本人が、訳の分からない魔法で俺の家に転移しているからな。
全くの事象を捻じ曲げ、嘘偽りで塗り固められた言い訳だとも思わないだろう。
「では、お聞きします。先日アヤメさんが使った魔法というのは、お着替え中の恋人を問答無用で呼び出すという類の魔法だったのですか?」
「いえ。俺の家に来たい、もしくは俺に会いたいと思っている方を、お望み通りの場所へお送りする魔法です」
嘘は言ってない。
プリムヴェールは暫く虚空を眺めていたが、不意に頬を染めて俯いた。
思い当たる節でもあったのかもしれない。
「確かにあの日は、お仕事中ずっとアヤメさんのことを考えていました」
真紅の瞳が揺らめき、俺の姿をその双眸に映し込む。
うん、知ってた。分かってたよ。
だけどやっぱり、こうして本人の口から聞くと良い意味でクるものがあるな。
お仕事中ずっとアヤメさんのことを考えていました、か。
録音して毎朝の目覚ましに使いたいくらい、幸せな台詞だな。
「ではもう一つ。もし良かったら、わたしにもその、魔法の使い方を書きこむ、ということをさせて欲しいのですけど」
「あァ、司書さんよ。そいつァ無理だぜ」
何て答えようかと逡巡するより先に、躊躇うことなくバルテルスが真実を告げた。
「あ、やっぱり大切な本だから……」
「そうじゃァなくてよ。賢者師匠に頼まれて、オレも書き込む作業を手伝おうとしたンだがァよ。
インクが弾かれるわ、ペン先が滑るわで、書き込むどころの騒ぎじゃァなかったンだよなァ」
「え、だって……。今アヤメさんが、書き込んだって」
「出来過ぎた話に聞こえるかもしれないけど、どうやらこの魔導書に書き込めるのは俺だけみたいなんだ」
バルテルスがいない時の話だが、実はティオにも書き込めるかどうか実験してもらったことがある。
胸を大きくする――という文を書き記すのがどうにも照れ臭かったので、ひとまず実験と称してティオに書き込みをお願いしたのだ。
まあ結果は『俺でも失敗』だったため、ティオが原因か魔法が原因なのかは実質分からずじまいだが。
「試しに書いてみるか? もしかしたら、バルテルスだけが魔導書に嫌われてるだけかもしれないし」
「おィ、流石にそれは失礼じゃァねェか?」
「……確かにそうかもしれません。では、お借りいたします」
つまらなさそうに半眼を見せるバルテルスはとりあえず無視して、魔導書とインクとペンをプリムヴェールに手渡す。
別に本心で思っているわけじゃあないよ。
ただ、バルテルスが書き込めなかった場面に立ち会っていたのは、彼本人を除くと俺とティオだけだからな。
三人で口裏を合わせて、プリムヴェールに魔導書を触らせないようにしているようにも、……見えないこともない。
そんなことで、変に怪しまれてもつまらない。
疑念や不安事項は出来るだけ取り除いておきたいからな。
それに、ここでもしプリムヴェールも書き込めるようなことになれば、俺だけが書き込める、という前提が崩れ落ちることとなる。
最初から「出来ない!」と試行しないのは、物事に行き詰まる良くない傾向だ。
視野は広く持たないとな。
紙に描いた魔法陣の最終確認を行っていると、プリムヴェールが魔導書を持って、書き物机から戻って来た。
表情から察するに、弾かれてしまったらしい。
「バルテルスくんの言った通り、ペン先が引っかかって書き込めませんでした」
「オレとティオちゃんと司書さんはダメでェ、賢者師匠は可能かァ。オレら三人には当てはまらなくて、賢者師匠には当てはまる“何か”があンのかもしれねェなァ」
「魔族の血筋――、あ、でもティオちゃんは純粋な人族さんだったっけ」
プリムヴェールの呟きに、ティオは無言で首肯。
ティオは純粋な人族、プリムヴェールはハーフ魔族で、バルテルスは四種族それぞれのクォーターだ。
俺も一応、この世界では純粋な人族ということになっている。
故にこの世界の理で話すならば、種族という観点で見れば俺とティオに大した違いはない。
バルテルスが挙げた推測。三人には当てはまらず、俺にだけ当てはまる何か。
真っ先に、俺が異世界人だから、という理由が浮かんだ。
召喚や転移という概念の無かったこの世界では、異世界から迷い込んだカザミ・アヤメという存在は明らかな異常分子だ。
世界の理から外れたことが出来ても、不思議ではない。
しかし、何かが引っかかる。
異世界人だから、そんな単純な理由で片付けて良いものなのだろうか。
分からないな。
まあともかく、今は召喚魔法の実践に集中しよう。
今回の召喚では、何も出て来ない可能性の方が高いけどな。
何せこれから発動する魔法とは、俺に会いたいもしくは俺の家に来たいと思っている人を呼び寄せる召喚魔法だからな。
世界中を探したって、常時俺に会いたいと思ってくれているのはプリムヴェールくらいのものだろう。
仲良くしていた人と言っても、ターニャくらいだし。あと俺に何らかの興味を示してくれた人って言うと――――。
気怠げな瞳を妖しく細める黒髪ぱっつん美女、アトリア・ローズ・エドガールの姿がほわわんと浮かんだ。
いやいや、アトリアお嬢様は無いだろう。
確かに迷宮の中で俺に一種の興味を示してくれてはいたけど、それとこれとは違う。
あれは単に俺を性的な玩具にしようとしていただけで、恋慕や愛念の籠った思いではない。
普段から痩身な美丈夫に囲まれているらしいし、わざわざ俺の家に行きたいなどとは思わないだろう。
……まあ、来ちゃったら来ちゃったで、バルテルスと一緒に訳を話せば許してもらえそうな気もするが。
「魔法陣に魔力を流し込むから、何が起こっても、決して慌てないように」
「慌てンなッつっても、流ッ石にサキュバスとかダークエルフが出てきたら、慌てずにはいられねェからな」
「危険性を確認したら、即刻中断させて送り返すよ」
ダークエルフはともかく、サキュバスも要注意人物だからな。
とはいえ俺はサキュバスに知り合いはいないし、召喚される確率は万に一つだろうが。
一応の警戒はしながら、魔法陣に手を宛がい、魔力を流し込む。
スタッフに溜め込まれた魔力がぐいぐい吸い上げられ、俺の身体を通り抜けて魔法陣へ流し込まれる。
最近気が付いたのだが、スタッフから直接魔法を使用するより、こうした方が細かな調整が楽なのだ。
左手にスタッフを持って、右手を突き出して魔法を使用する。
そうすれば、湿らす程度の湿気を使おうとしたのに水の球が出た! ということにはなりにくい。
どうやら暴れ馬が言うことを聞かないのは、魔道具自体に制御機能が付加されていないことが原因らしい。
ぶっ壊れた蛇口、とでも言うべきか。放出する魔力量の調整が出来ないのだ。
だが喩え蛇口が壊れていても、先端にホースを括りつけておけば周囲に水が飛び散ることはない。
マナを溜め込むことは出来ないが、魔力を規則性のある形状に具現化する俺という媒体を通せば、ある程度の調整は可能なのだ。
魔法陣に魔力が流し込み終わり、やがてエメラルドの輝きがぼんやりと魔法陣を包み込む。
膨大なエネルギーの流れを感じさせる光の中から、苔が生したような豪奢な門がゆっくりと姿を現す。
龍を象った、古の雰囲気を感じさせる召喚の扉。
魔法の発動までは、どうやら成功したらしい。
「……すごい。こんなの、見たことないです」
「ここッからァ、またみょーちきりんな生物が姿を現すッつゥ寸法だなァ」
「今回は、誰も出てこない可能性の方が高いんだけどね」
エメラルドカラーな輝きの中に、深緑色の門がどっしりと構える。
石板のように重量感のある扉は固く閉ざされ、開く気配を感じさせない。
前回プリムヴェールを召喚した時は、門の出現とともに扉が開かれたはずだ。
数秒の時が経った。
依然、苔色の門は開かず、溢れ出る薄緑色の輝きの中に悠然と佇んでいる。
誰も出て来ない。やはり、俺を求める者など、プリムヴェールの他にはいないのか。
一応この世界の生物しか召喚できないようにしてあるから、実の両親などが召喚されるという確率は皆無だ。
「……おィ、どうなってンだ? 何も出ねェことに越したことはねェけどよ。こうあまりに静かだと、逆に不安になっちまうんだがァよ」
バルテルスの台詞を聞きながら、心の中で溜息をつく。
残念、やはり失敗だったか。
まあ元々乱発による悪用を防ぐために、召喚対象を極限まで絞った結果がこれなのだ。
召喚されない、という事象は何らおかしいことではない。
だが色々手はずを整え、実施したのに、何の反応もないというのも些か寂しいものだな。
「実験は失敗らしい。多分もう少ししたら、魔法陣の効力が失われるはずだ」
この召喚魔法が発動する術式は、『転移したい人間を探す』ということから始まる。
要は世界中を何らかのエネルギーが巡り、この場所に転移したい生物を感覚的に見つけ出し、召喚対象として定めるのだ。
ネット上における情報の検索に近いかもしれない。
幾つかのキーワードを設定し、その言葉を保持したサイトをデータの海から引っ張り上げる。
視点を変えれば、同じようなものだ。俺の家に来たい者、もしくは俺と出会いたい者。どちらかを満たした生物を、世界という名の海から釣り上げる。
適合者がいなければ、引っ張り上げることは出来ないのだ。
「失敗、してしまったのですか?」
寂しそうな顔で、プリムヴェールが静かに俯く。
でもまあ、仕方がないっちゃあ仕方がない。前回はプリムヴェールこそが、召喚される前提を満たしていたのだ。
今回はその唯一の適合者が、目の前にいるんだからな。
「まあ、また次があるさ――――」
とかなんとか、ありふれた御託で茶を濁そうかと振り返った刹那、突如膨大なエネルギーの波がどうと押し寄せるような感覚が周囲を飲み込んだ。
思わず顔の向きを戻し、魔法陣に視線を向ける。
苔色の扉がゆっくりと開き、門の中から眩い閃光が放出される。
瞳を焼くような凄まじい光量に、思わず片目を瞑る。
――召喚が成功していたのか。
先ほどの時間差は、単なる失敗などでは無かった。
この広大な世界を駆け巡り、召喚対象としてふさわしい人物を探していたというのか!
解き放たれた門の内部から、真っ白な閃光が溢れ出す。
最初こそ太陽のように眩かったが、光は徐々に弱まり、辛うじて視認できる程度の光量へと薄まっていく。
「…………」
薄緑色の輝きの中に、一つのシルエットが浮かび上がった。
光の塊に包み込まれた、一つの影。ぼんやりとし過ぎていて、種族も性別も分からない。
俺は一応魔法陣に手を宛がい、いつでも詠唱を行えるよう呼吸を整える。
先ほど溢れ出した魔力エネルギーは、相当なものだった。プリムヴェールを召喚したときの魔力とは比べ物にならない。
確かにそれだけの魔力は流し込んだ。
もしこの魔法陣が、召喚対象の危険性に比例して、使用する魔力総量が変化するのであれば。
かなり危険な生物が出現する恐れがある。
「お、おィ。大丈夫なのかよ」
「一応、ここにいる人たちに危害を加えたり、問答無用で暴れ出すような生物は召喚できないようにしてあるけど……」
ぼんやりとした影が、徐々に濃くなっていく。
体格は未成熟なそれで、性別不詳。ウェーブのかかった長い髪が腰の辺りで広がり、頭にはツノのようなものが生えている。
髪の長さとツノから判断するに、ロリ――幼少のサキュバスか何かだろうか。
サキュバスというと大人な女性というイメージが強いのだが、どうなのだろう。幼児体系のサキュバスなんてのもいるのだろうか。いるんだろうな。
「気ィつけろよ、賢者師匠」
バルテルスが一歩踏み出し、ティオを庇うポーズをとる。
さりげなく、プリムヴェールも俺の真後ろまで歩み寄っていた。
龍を象った門が閉じ、魔法陣から放たれた光がスーッと消失する。
魔法陣の上に現れたのは魔族だ。しかも幼女。
身に纏う衣装は艶のある漆黒で、それらに包まれた素肌は異様なほど青白い。
対照的だ。何もかもが対照的だ。
身に着けている衣服も、やけに大人っぽく、子供らしさの欠片も感じさせない。
レザー系のブーツに、同じくレザー系のショートパンツ、辛うじて胸元までを隠しているショート丈トップス。
だが肝心な前面はパックリと開かれており、平たい胸を包むチューブトップらしき布が露わになっている。
たっぷりとウェーブのかかった髪は、妖しい赤紫をしている。
頭上から生えるツノも、デフォルメされたバイキンのようなサキュバス系ツノではなく、羊のようなそれだ。
切れ長な双眸も髪色と同じ赤紫。
「…………?」
品定めをするような目で、魔族の幼女は俺のことを睨みつけた。
矢鱈不機嫌そうなジト眼だ。
だが所詮幼児なため、あまり貫禄はないが。
「えと、突然呼び出してすみま――――」
「……て、てめェ。な、何なんだよ、おィ!」
突然の呼び出しに謝罪の言葉を告げようと一歩踏み出したところで、ぐいと首元を強い力で引っ張られた。
魔法陣から手が放れ、バランスを崩して尻もちを着いた。
引っ張ったのは他でもない、バルテルスだ。
「…………?」
「何だか分からねェが、賢者師匠、ティオちゃん、司書さんよォ。こいつには近寄らない方が良ィ! オレァ、オレァこんな気味の悪ィ生物を見たことがァねェ!」
バルテルスの怯えようは異常だ。
何か、クォーターであるバルテルスには、何か感じるものがあるのだろうか。
幼女の視線がバルテルスを捉え、二人の視線が交錯する。
睨み合う二人からは異様な雰囲気が感じ取れる。今すぐにでも、こいつを送り返さなければなるまい。
「アンインストー――――」
「妾の異常性に気付くとは、お主もなかなか切れ者じゃの」
そう言いながら、魔族の幼女は俊敏な動きで魔法陣の上から移動した。
否、移動ではない。俺らが魔法陣の上に彼女の姿を視認できた頃には、既に魔法陣から降りていたのだ。
初めから、この魔法陣の存在に気づいていたということか。
悪戯っぽく口元に弧を描く幼女と、殺気を露わにする金髪クォーター。
俺の家のリビングには、何とも言えぬ異様な空気が漂っていた。




