4-2.プリムローズの咲く頃に
褐色魔族さんの地下室で、虫退治をした次の日。
ティオに読み聞かせをしていた恋愛小説を返却しに、俺は図書館を訪れた。
ティオはこの書籍をえらく気に入っており、一週間という短い期間の間に、俺はこの本を四回くらい読まされた。
返却日が到来したことを、俺は心から歓迎する。
ティオは「また借りてきて!」とせがんでいたが、無理だと断っておいた。
いじわるや嫌がらせではなく、この書物自体人気が高いので、貸出期間を延ばすことは出来ないのだ。
内容は至って簡単だ。
メイドとして雇われた薄幸のヒロインが、城主に気に入られてゆくゆくは王女になるという、王道の成り上がりラブロマンスだ。
全年齢対象の書物であり、所謂夜のシーンなどは無い。
最後は結婚式で、二人で幸せなキスをして幕を閉じる。
ラストシーンは特に好評だった。
多分ラスト三ページくらいは、十回以上読み聞かせてあげたと思う。
おかげで俺まで内容を覚えちまったよ。
守衛さんに挨拶をしてロビーへ入ると、珍しくプリムヴェールが案内係の席に座っていた。
真剣な表情で、食い入るような目で書物に視線を落としている。
藍色の髪をしたあの青年司書さんが休みなのか、もしくは交代なのだろうか。
ともかく、無視をするのも忍びない。
「おはよう、プリムヴェール」
「…………」
プリムヴェールは返事をしなかった。
怒ってるのかな。
最近あまり来てなかったし、ティオが心配で閉館時間までいることは少なくなっている。
お昼を一緒にとることは時偶あったけど、送って帰る回数はこのところ激減している。
エイムに愚痴るくらいだし、もしかして愛想を尽かされてしまったのだろうか!
いや、まさかね。
「……プリムヴェールーぅ」
「…………ひゃは、はい! ……あっ」
すごい勢いでパタンと本を閉じ、驚いた表情のプリムヴェールが俺の顔を見上げた。
顔が真っ赤だ。
熱でもあるんだろうか。
「えと、大丈夫?」
「――は、はい。大丈夫、です。本日は、どのような、ご用件でしょうか」
コホンと可愛らしく咳払いをして、プリムヴェールは読んでいた本を膝の上に乗せた。
ほんのりと染まった頬に、上目遣い。
何だろう、心なしか瞳が少し潤んでいるようにも見える。
「いや、借りた本を返却しに来たんだけど」
「あ、ありがとうございます。――じゃ、なかった。分かりました、では手続きの方を」
身分証明書を手渡し、返却した書物と貸し出した書物が同じものかどうかの確認。
やがて確認が済むと、プリムヴェールはその書物を後ろの棚に乗せた。
俺が借りた本とは別の書物も、数冊そこに積まれている。
きっと昼休み前頃にでも、蔵書室の貸出可能書庫に戻すのだろう。
コンピュータで管理していた現代日本とは大違いだな。
「はい、確認終了です。……今日は、どうされますか?」
ルビーの瞳が瞬き、上目遣いに俺の顔を捉えた。
今日は、どうするって――。ああ、蔵書室に用があるか無いか、って話か。
また別の本を借りて帰っても良いんだが、たまには読み聞かせのない夜ってのも過ごしたいし。
情報収集も行き詰まってるし、ティオの魔法練習にも付き合ってやりたいしな。
「今日はこのまま帰るつもりだけど、お昼になったらまた来ようか?」
「いえ、お昼ご飯のことじゃなくて……」
プリムヴェールは目だけで周囲を見やると、ちょいちょいと手招きした。
既視感だ。そういえば昨日も、エイムがこうして可愛らしい手招きをしていたっけ。
顔を寄せると、耳朶に温かな吐息が触れた。
「お話したいことがあるので、お仕事が終わった頃に、家に来てくれませんか?」
話したいこと? 何だろうか。
ティオ関係のことかな。だとしたら、彼女も連れて行かなければなるまい。
「ティオも連れて行きましょうか?」
「いえ、アヤメさんだけで来てください。絶対です」
念を押すような声音で、そんなことを言われた。
一人で夜に、プリムヴェールの家に行くのか。
別に初めてというわけじゃない。
手を繋ぎ合って一緒に寝たり、週一でお風呂を借りていた時期だってある。
プリムヴェールの自宅には、久しく行っていない。
ここ一ヶ月もビリーさんの宿に泊まることはあったが、プリムヴェールの家には泊まっていない。
せっかくのお誘いだ、無碍に断る必要は無いな。
ティオの安全は、ターニャとビリーさんに任せよう。
寝る前にちゃんと言って聞かせれば、一晩くらいならティオだって分かってくれるだろう。
「分かりました。それでは、また夜に」
「はい、お待ちしております」
プリムヴェールの熱い視線に見送られながら、俺は図書館から退出した。
◇ ◇ ◇
宿に戻ると、薄手のワンピースに身を包んだティオが、手のひらの上に火の玉を浮かべさせていた。
よく見ると、少しずつ火炎の密度が高くなっている。
雨や水魔法で鎮火する火の玉でも、魔法には違いない。
通常の火炎とは違って、撃ち出す前に火の玉を圧縮することも可能なのだ。
土魔法で作った岩石弾も、魔力を込めれば込めるほど堅牢かつ鋭利な形状へと変貌していく。
同じような原理で、火魔法も魔力を込めれば込めるほど威力の高い火の玉を撃ち出すことが出来るのだ。
教えた覚えは無いのだが、ティオはいつの間にか使えるようになっていた。
多分俺の居ない隙に、ターニャかビリーが教示してくれたのだろう。
有難いことだ。
「あ、アヤメお兄さん。今日もお願いします!」
手に乗せた火魔法を見せびらかすように、ティオがとたとたと駆け寄ってきた。
へその辺りに顔を摺り寄せるティオの頭を撫で、成果を褒めてやる。
ティオは褒められると、すごく嬉しそうにするからな。
幼少時に肉親を失うというのは、やはり辛いことなのだろう。
ティオの魔法練習を傍観し、よくないところを見つけたらそこを正してやる。
まあ、そういったことは滅多にない。
大抵は、昨日より上手くなった魔法の腕を評価するだけで終わってしまう。
実際ティオに教えられるほど、俺は魔法に詳しくない。
オドだって使えないからな。
だがティオは俺がいる時の方が頑張れるらしいので、出来る限り練習には付き合ってあげている。
ひらりひらりとはためくワンピースの裾を見て、ふと思った。
そういえば、衣服の替えがあまり無かったな。
ターニャのお下がり(お上がりか?)を何着か貰っているので、先日購入した三着を着まわしているというわけではない。
チクチクする毛は、ちゃんと洗って風魔法で乾かしたら大分軽減されたらしいからな。
ティオは立場上、俺のメイドということになっている。
罰則金を俺が肩替りして、その分プラス朝ご飯や昼ご飯、魔法練習の教示料金を支払い終えるまでは、その立場を貫くと言っていた。
とは言えど、ティオが家事など身の回りの世話をしているところを見たことはない。
掃除は大抵俺かターニャがしてしまうし、洗濯も俺がする。
乾かす時にティオの火魔法と俺の風魔法を使っているので、乾燥は手伝ってもらっているが。
多分、俺と離れたくない故に、そうして仕事をしないのだろう。
そう思っておくことにしている。
まあ元々、ティオにメイドとしての職務を押し付けようなど思っていなかったから別に良いのだが。
今度メイド服でも買ってあげようかな、なんて思いつつ、練習中のティオの揺れる髪を眺めていた。
今日はポニテだった。
◇ ◇ ◇
宵闇が空を包み込んだ頃、俺はプリムヴェールの自宅へと赴いた。
アパートの階段を上り、プリムヴェールの部屋の扉をコンコンと叩く。
手ぶらで来るのも気が引けたので、手土産に燻製肉の塊を買ってきた。
小物類だと邪魔になるだろうし、果物だとお見舞いみたいだから、当たり障りのない肉にしたのだが。
こうして紐をぶら下げて持ってきてみると、やはり何か変だった。
恋人同士の逢瀬って、何を持っていけば良いんだろ。
日本で見たドラマとかだと、指輪とかアクセサリーとかを購入する場面が多く見られたが、プリムヴェールは別に特別キラキラした宝石類が好きだというわけでもない。
花とかもあまり売ってないしな。
ケーキとかの甘味物なんて無いだろうし。
燻製肉を片手に扉の前で待っていると、ガチャリと音がして部屋の中からプリムヴェールが顔を出した。
珍しく私服だ。
クリーム色のセーターっぽい衣服に、薄緑色のスカートを穿いている。
春らしい色彩だ。
大人っぽい外見とも相まって、優しいお姉さんって感じがする。
俺の方が年上だけど。
「どうぞ、アヤメさん」
「おじゃまします。あ、これお土産です」
燻製肉を手渡し、玄関に上がる。
日本と同じく、部屋に上がるときは靴を脱ぐのが一般的だ。
部屋に入ると、プリムヴェールはうきうきとした様子で駆け寄り、ギュッと抱きしめてきた。
背中に腕を回して、胸を押し付けてくる。
温かくて、柔らかい。安心するような感覚だ。
仕事着の時よりも体温や形状、感触がしっかりと伝わってくる。
「お食事はまだですか? まだでしたら、用意しておきます。お風呂も沸いてますから、ぜひどうぞ」
何か普段以上にチヤホヤしてくれる。
風呂に入っている間にローブの洗濯をしてくれたり、ついでに乾かしてくれていたり。
俺が買ってきた燻製肉を使って、夕食を作ってくれたり。
俺が前に魚料理が食べたいと言っていたのを覚えてくれていたのか、小さめの干物を一個用意してくれたり。
一口サイズに切り分けた肉をあーんしてくれて、お返しに俺の魚も食べさせてあげたりと。
まるで俺は今日誕生日なのではないかと思ってしまうほどに、至れり尽くせりな時間を過ごした。
幸せだ。
いつまでもこの時間が続いて欲しいと、心から思う。
プリムヴェールの手料理を食べ終わり、満足感溢れる至福の時間を楽しんでいると、不意に右肩に柔らかな感触が覆い被さった。
ふんわりとした甘い香りに、白銀の美髪がさらりと流れる。
左手で俺の腰をしっかりと抱き、右手で俺の腹の辺りを艶やかな手つきでなでなでする。
「……アヤメさん」
鼓膜をじんわりと痺れさせるような甘いボイスが、耳朶を刺激する。
腰の辺りがゾクゾクする感覚を覚え、思わず背筋をピンと伸ばしてしまう。
「な、何でしょうか――――」
顔を向けると、口端に甘美な風味が弾けた。
ゼロ距離に目を瞑ったプリムヴェールの顔がある。
しっとりと湿った唇の裂け目から、ねとっとした舌が口腔内に闖入してくる。
鼻先には、甘くとろけるような香り。
首筋に腕を押し付け、がっしりと抱きしめられている。
まるで、絶対に逃がさないとでも言っているように。
「――――ぷは」
唇が放れ、甘い吐息が口端から漏れる。
息が荒く、鼓動が速い。俺だけのものじゃない。
身体をぴったり密着させ合っている、プリムヴェールの鼓動だ。
二人きりの部屋。
風呂にも入った。夕食も食べた。
まだ、食後のデザートが残っている。
目の前には、上気したプリムヴェールの顔。
ほんのりと染まった頬がやけにキュートだ。
手で触れてやると、気持ちよさそうに目を細める。
「アヤメさん、今日こそは、その」
「や、でも俺初めてだし……」
「わたしだって、そうです」
じっと見つめてみたり、サッと目を逸らしてみたり、熱っぽい視線が交錯したり。
指同士を絡め合わせ、手のひらをにぎにぎしてくる。
ああ、柔らかいな、可愛いな、良い匂いだな――――。
逡巡は、一秒にも満たなかった。
躊躇うことなくプリムヴェールをお姫様抱っこして、俺はプリムヴェールを彼女の寝室へ連れ込んだ。




