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異世界に来たけど魔力が無いから賢者になった  作者: 山科碧葵
第3章 異世界生活は美幼女とともに
39/101

3-12.前門の虎、後門の狼

 ターニャの話だと、ティオがいなくなったのはほんの数十分前の事だ。

 兵士が来る少し前まで、お部屋で一緒にお昼ご飯を食べていたので間違いないと言っていた。


 ティオの運動神経は抜群だ。

 とくに脚力や瞬発力は凄まじい。

 魔法の練習中、何度か跳躍をする場面があったのだが、運動不足な俺には不可能な高さまで飛び跳ねていた。

 やはりこれも、浮浪生活の賜物なのだろうか。



 ターニャを背負い、プリムヴェールと並んで裏通りを歩く。

 本当は今すぐにでも全力で走りたいのだが、体力を温存しておいた方が良いというプリムヴェールの提案により、全速力で駆けるのは抑えている。


 最初はパニックを起こして逃げたのだとしても、そのことに関して怒られるのが怖くて、自分から歩み寄ることが出来なくなってしまうのだとか。

 プリムヴェールの実体験だそうだ。

 幼少時のプリムヴェールも、とある理由で思わず母親から逃げてしまったのだが、よくよく考えてみると自分が悪かったと気が付いた。

 だが今更戻ったところで、怒られることは目に見えている。 

 子供というのは、怒られるのが分かっていても逃げてしまうものなのだ、としみじみと語っていた。


 何をしたのか気になったが、教えてくれなかった。

 化粧品でもひっくり返したか、母親の衣服でファッションショーとかでもしていたのだろうか。

 子供が怒られるというと、何となくそういったことが思い浮かぶ。

 実体験では無いけどね。


 ティオを発見しても、逃げられるかもしれない。

 俺やプリムヴェールはバリバリのインドア派なので、走ったり飛び跳ねたり追いかけたりといったお仕事は苦手だ。

 ターニャは獣寄りの獣人なため人並み以上に脚力や瞬発力はあるらしいが、八歳の童女が大人と同程度の速度で走れるわけがない。

 同世代の人族と比べると、若干速いとその程度だ。

 ティオの走行速度が凄まじいのは、生命を賭けた経験によるものだからな。

 言ってみれば、十歳の童女が兵士の捜索を振り切って逃げ切れるということ自体が、限りなく異常なことなのだ。


「アヤメさん! ティオちゃんは今日、どんな服装でしたか?」

「――確か、薄手のワンピース一枚だったはずだ」


 部屋から飛び降りたのなら、靴も履いていないはず。

 それ以前に、ティオは靴を持っていなかった。

 裸足でしかも動きにくいワンピース。

 兵士に囲まれたら、さしものティオでも逃げることは困難な格好ではないか。


「お兄さん! 裏道に詳しいとか足が速いとか、そういった便利な友達とかいないの?」


 背中に背負ったターニャから、心を抉られるような科白をぶちかまされた。

 王都に来て数か月。

 俺に友達はいない。頼れるような知り合いも……、いない。

 ここ一ヶ月の間に俺を臨時雇用してくれたパーティの面々とも、大して仲良くなったわけでもない。


 というか、俺が入ったパーティは大体平均年齢十二歳から十五歳程度の初心者パーティばかりだから、兵士と敵対するような場面で颯爽と助けてくれるような人達じゃない。

 経験無いせいか、友人を作るのが苦手だっていうのは今は置いておこう。

 これ以上自分を痛めつける必要はない。


「……俺も王都に来て間もないからな、俺のために危険を顧みず飛び込んでくれるような良い友人なんていやしないさ」

「あれ? でも僕、前にお兄さんとすっごく仲良しさんなお兄さんを見たような気がするんだけど」


 誰だよ、それ。

 そもそもここ一ヶ月は、宿に来客なんて無かったはずだ。

 それ以前に、そんなすっごく仲良しさんな友達なんて、俺は小学校以来出来なかった。

 だから俺には、何年来の――といった友人がいないのだ。

 原因が俺にあるから、今はちゃんと反省しているんだけどね。


「アヤメさんと、すっごく仲良しさんなお友達?」


 プリムヴェールも俺と同じく、きょとんとした顔で首を傾げている。

 本来なら傷つく場面なのかもしれないが、今はそれどころではない。

 俺とすごく仲が良いと、ターニャが勘違いしているお兄さん。

 ……お兄さん。

 はて、その呼び方を少し前にターニャの口から聞いた気がしてきた。


「それって、どんな人?」

「えっとねー、髪の毛が金色でねー、優しくてねー」


 ほっぺたに指を宛がい、ターニャは思い出すように思案気な表情。


 金髪で優しい、俺と仲良しそうに見えるお兄さん。

 あ、あいつだ。

 個性的な格好をした、幼女趣味ロリコンのクォーター親衛隊。

 あんなに特徴的な奴なのに、何故かすっかり忘れていた。


「バルテルス・グレイハウンド!?」

「――あァ? こんなところで、おめェら何してやがんだァ?」


 裸ベストに黄色の蝶ネクタイ、裸足に漆黒のスラックスを通した金髪短髪のクォーターが、訝しげな表情でこちらを眺めていた。


 バルテルス・グレイハウンドその人だった。



        ◇          ◇          ◇



 バルテルスは怪訝そうな顔で俺とプリムヴェールを見やっていたが、俺におんぶされたターニャを視認した途端、恥ずかしいほどに顔をとろけさせた。

 黄金色の瞳にハートを浮かべ、犬歯を覗かせながらこっちを見ている。

 よせやい、何だか俺を見て発情しているみたいに見えるじゃないか。


「賢者師匠に、ターニャたん。それからあの時の司書さんじゃァねェか。どうしたんだァ? 三人揃ってそんなしけた面ァしやがってェ」


 バルテルスは品定めするような目をターニャに向け、手の甲で口端を拭ってみせた。

 そんなバルテルスの奇行にターニャは臆すること無く、「お兄さーん」とか言いながら可愛らしく手を振っている。


 初対面の印象イメージは最悪だったはずだが、二人の間に険悪な空気は感じさせない。

 どうやらバルテルスには、年下の童女から慕われる何かがあるらしい。

 でなければ、さしものターニャでもあんな奇行男児にこんなに無邪気な姿を見せようとしないだろう。

 普通なら警戒する。


 バルテルスは幼女を(性的に)好むが、幼女はバルテルスを(優しいお兄さんとして)好きになるのだ――と、こんなところだろうか。

 だがまさか、こんな所で再会することになるとはな。

 お兄さんびっくりだ。


「た、ターニャ、たん? ア、アヤメさん。バルテルスくんとターニャちゃんって、一体どういう関係……」

「ターニャたんはオレの嫁だァ」

「よ、嫁!?」 

「と、被告人は申しております」

「誰ッが被告人だァ! 善良な親衛隊をとッ捕まえて、被告人たァ失礼じゃァねェか?」


 ターニャから視線を引き剥がし、バルテルスは犬歯を剥きだしにして俺に詰め寄る。

 だが頬は緩んでいる。

 どうやら本格的に本気な恋慕っぽいので、からかうのはこの辺でやめておこう。

 人の恋路を邪魔すると、馬だか鹿に頭を蹴られて馬鹿になるって言うからな。


「でも金色のおにーさん、こんなところで会うなんてすごい偶然だね。もしかして、お兄さんのピンチを嗅ぎつけて、助けに来てくれたとか?」

「いんやァ。オレが嗅ぎつけたのは、ターニャたんから漂う芳醇な色香だけだぜェ」


 くんくんと鼻をひくつかせ、バルテルスはニマリと犬歯を見せる。

 おい冗談だろ、冗談だよな。


「――おィ、そんな吸血ゴブリンの捕食場面を見たような面ァすんなよなァ。冗談だよ冗談」

「だと良いんだけどな」

「信用ないねェ」


 年下の女の子が好きな人種ってのは、大抵その異常性アブノーマルに気が付かないものだからな。

 でもまあ多分、童女の奴隷が存在している時点で、この世界においてはそういった恋慕や愛念は許されているのだと信じたいが。


 バルテルス風ジョーク(?)に俺が若干引いていると、不意に隣でプリムヴェールが何かに気が付いた様子でポンと手を叩いた。


「バルテルス、くん。確かあなた、すっごく足が速かった、ですよね」


 プリムヴェールの敬語が若干崩れている。

 無理もないか。俺はもうバルテルスの異常性には何とか慣れたけど、プリムヴェールにとってはこれがバルテルスとの初めての再会だもんな。 

 倒錯した恋慕や愛念を理解するのは、まだ先の事になるだろう。


「おゥ、脚力とかスタミナに関しちゃァ、親衛隊トップクラスだかんなァ。

 ……そういえばさっきターニャたんが、賢者師匠のピンチだとか言ってたがァ、ありゃァ何のことだ?」


 ああ、そうだった。こいつのキャラが濃すぎてすっかり忘れてたぜ。


「バルテルス。お前に頼みがあるんだが、ちょっと良いか?」

「あァ。賢者師匠と司書さんには、お嬢様ともどもでっけェ借りがあるからなァ。人探しだろうが、依頼の手助けだろうが、何だってできるぜェ」


 頼もしいな。

 そういえば、こいつの雇用主も結構な変人だった気がしてきた。

 多少の妙な性癖や嗜好は、この世界では目を瞑った方が良いのかもしれない。


「……もしかすると、兵団を敵に回すかもしれないんだけど」

「あァ? 兵団が賢者師匠の敵に回るだと? 笑わせんない、あそこの指揮官はアトリアお嬢様と十回以上は一緒のベッドで寝てんだぞ。言わばお嬢様の『いい性的玩具おもちゃ』だなァ。

 エドガール家の名を出せば、全く問題ねェ。貸しはたっぷりあんだァ、兵団の長を一発殴らせろッつゥバカみてェな頼みでも、叶えてやらァ。互いの禍根無しに、敵対関係をもみ消すことぐれェ簡単だァ」


 漆黒のベストから覗く胸板を叩き、バルテルスは清々しいほどのドヤ顔。

 そういや、別れ際にそんなこと言ってたな。

 兵団から追われるような事件に巻き込まれても、エドガール家の名を出せば大抵のことはもみ消せると。

 今回その事件に二人を巻き込んだのは俺なんだけど。


「……大丈夫なんですか?」

「限度はあッけどなァ。兵団を敵にまわす“かもしれない”ッてんなら、まわさねェように立ち回れるような戦場フィールドを造ってやッからよォ。心配すんなァ、それくらいならオレの力だけでなんとかなるからよォ」


 ニッと歯を見せ、バルテルスは俺に手を伸ばした。

 男同士の握手か、と照れながらもその手を掴もうとすると、バルテルスの手がするりと通り抜けて後ろへ向かった。


「だからターニャたん、ここはオレに任せとけよ。アトリアお嬢様の名前なんぞ使わなくても、ターニャたんのためなら、喩え火の中水の中どこだって助けにいってやッからよォ」


 ターニャの手を握り締め、ギュッと包み込んだ。

 心なしか、バルテルスの息が荒くなったような気がするけど、気にしないでおいた。


「……ティオちゃんが心配です」


 さっきとは違う声音で、プリムヴェールが不安げに呟くのが耳に入った。




 バルテルスを含めた四人で、裏通りを捜索する。

 この中で一番スタミナがあるのはバルテルスになるのだが、念には念を入れてターニャを背負う係りは俺が受け持っている。

 目を放した隙にどこかに連れ込まれでもしたら、俺に任せてくれたビリーさんに顔向けできない。

 多分大丈夫なんだろうけど。


「前科持ちの少女で、両親ともに行方不明かァ……。まァ子供の無銭飲食くれェだったら、何とかなるとおもうぜェ」


 バルテルスが言うには、エドガール家にも同じような境遇の使用人がいるのだとか。

 幼少時に両親が奴隷堕ちして、孤児として生きていた少年を親衛隊の一人が発見し、執事として雇ったらしい。

 今ではすっかりエドガール家のアトリアお嬢様好みの御姿に成長し、毎晩のように可愛がられているのだとか。 

 兵士に捕えられるより先に見つけてしまえば、救うことはできるはずだとのことである。


「問題は、その娘に課された罰金が賢者師匠で払える金額かッてことだなァ。莫大な金額を吹っかけて、意地悪してくるかもしれねェからなァ」


 確かに、兵団の長とかは俺が悪魔討伐で多額の報酬を貰っていることを知っているからな。

 それを超える金額を提示されてしまえば、俺には払う術がない。

 ティオは救えたけど、また無一文に戻って俺も奴隷堕ちしました、なんてことになったら笑い話にもならないからな。


 優先順位を間違ってはならない。

 あくまでも、俺が第一だ。

 ヒロインを救って主人公はラスボスと共に塵になった――なんて本は何度か読んだことあるけど、ああいうラストは切ないからな。

 それにほら、俺はまだ魔法使いの証を捨て去っていないし。


 チラとプリムヴェールを見ると、プリムヴェールも俺を見てにへりと笑った。

 彼女を置いていなくなる、なんて考えられないからな。

 最初からこれは無謀な賭けだったんだ。

 バルテルスのおかげで、安全な道が一つ切り開かれた。それで良いじゃないか。

 暗いことを考えるのはよしておこう。

 モチベーションにも影響するしな。


「とにかく、兵士より先にティオを見つけない限り、先へは進まないからな」

「あァ、その通りだ――っとォ、タイムリーじゃァねェかおィ」


 宿街の裏を抜けて春街付近の裏路地まで辿り着いたところで、ようやく幾人かの兵士たちと遭遇した。

 よく見かける、見回り兵士の格好だ。

 一人だけ若干豪奢な鎧に身を包まれている。

 あれがこの隊の長なのかな。


 出来るだけ関わらないよう、静謐な雰囲気を出して通り抜けよう。

 そう思って目を逸らしながら通り抜けようとしたのだが。


「おィ、ちょっとお前、話聞けェよ」


 バルテルスが偉そうな兵士に向かって、攻撃的なちょっかいを出していた。


 刹那的に空気が凍りついた。

 プリムヴェールは表情こそ崩していなかったが、モノクロのロングスカートがゆらゆらと揺れている。

 ターニャはビクンと体躯を揺らし、背中の陰へ隠れてしまった。

 俺も思わず「何やってんだ」と叫びそうになった。


 だって兵士だぞ。

 彼らが捕縛しようとしている獲物を、俺たちは今から横から掻っ攫おうとしているんだ。

 しかもバルテルスの声音は、まるでナイフでも刺すような攻撃的な声音だし。

 もっとこう温厚に、お願いするような感じで話しかけることはできなかったのか。


「何だ、お前は」

「アトリア・ローズ・エドガールの親衛隊だァ。てめェらの長と話があってここに来た。捜索隊だっけかァ? 作戦の指揮官をちょっと呼んで来いやァ」


 兵士は訝しげな眼で俺とバルテルスとプリムヴェールを見た。

 何だってそんなに攻撃的なんだ。

 それともあれか、俺が平和ボケしてるだけで、この世界では交渉とかそういうのは圧力をかけた方が成功するのか?


 バルテルスの背後にオオカミのようなビジョンが見える、気がした。

 今にも噛み殺しそうな雰囲気だ。

 俺は今、ターニャを背負っている。

 前門の虎後門のオオカミ――の丁度逆だな、とかちょっと思った。


 兵士は胡散臭げな眼でバルテルスを見据えていたが、バルテルス自身は今にも噛みつきそうな剣幕で兵士の顔を見つめている。

 突然取っ組み合いの喧嘩になったらどうしよう。

 エドガール家の使用人――って名乗ってたし、大丈夫なのかもしれないけど。


 バルテルスは兵士の顔から眼を逸らすと、ハッと鼻で笑って肩を竦めた。


「やれやれってことだァ。アトリア・ローズ・エドガールの名前を知らないとはなァ。てめェじゃァ話になんねェってんだよ」

「――貴様っ、言わせておけば」

「おい、どうした! 早く持ち場につかんか」


 さっきよりも豪奢な鎧に身を包んだ兵士が、気怠そうな雰囲気を出しながらゆったりと歩いてきた。

 歩き方やら格好から察するに、兵団の中ではかなり上位に位置する人間ということは分かる。


 だが純粋な人族では無いのだろう、鎧の端から犬っぽいしっぽと耳が顔を覗かせていた。

 失礼極まりないとは思うが、ケモミミのお偉いさんってのはどうも締まらないな。


「兵長! この者が、我々の捜索を妨害しようとして――」

「妨害なんぞしてねェだろうがァ。アトリア・ローズ・エドガールの親衛隊だって名乗っただけだァろォがァ」

「……アトリア? エドガール……」


 兵長と呼ばれた豪奢なイヌミミ兵士は、何やら呟きながら途端に顔を青ざめさせた。

 バルテルスはそれを見逃さず、ニマリと犬歯を露出させる。


「確ッかァ、あんちゃんも、お嬢様にいーィ思いさせてもらってたなァ」

「ひぃう! あ、あれは、アトリア様の方から、熱烈なお誘いがあったので!」


 イヌミミ兵長は狼狽し、バルテルスの前に膝を着いた。

 もしかすると、あのお嬢様の男好きはあまり知られていないのだろうか。

 うちのお嬢様をよくも傷物にしてくれたな、とかそうやって言われると思っているのだろうか。

 それかもしくは、兵士は貴族のように高い身分の者とまぐわってはいけないとか?

 そんなバカな。


 それにしても、垂れたイヌミミを見ていると、なんだか兵長さんが可哀想にも見えてくるな。


「い、今更そんな話を蒸し返して、何のつもりだ! 何が狙いなんだ!」

「べッつにーィ。お嬢様は大層な男好きだしーィ、こういうことも初めてじゃァないんでなァ。まーァ、いち親衛隊であるオレに過ちを正させるほどの権力はねェしなァ」


 バルテルスはどちらかというと小柄な体躯をしているが、今は彼が凄く大きな存在のように感じられる。

 腕を組み、肩幅に股を開き、堂々と胸を張っている。

 ここはもう、バルテルスに任せちゃっていいんだろうか。


「てめェらが今探してるッつー幼女……いや、少女の雇用主が見つかったんだよ。だから早々と捜索隊を打ち切って、こいつらに全部任せてやれってェ話だ」


 包帯をグルグル巻にした腕を伸ばし、ドンと俺の背中を叩いた。

 思ったより強い力で、思わずたたらを踏む。


 数人の兵士と兵長の視線が一斉に俺に向き、思わず目を逸らしかける。

 見定めするような視線に嫌悪や不快を感じていると、不意に肩をぐいと引き寄せられ、バルテルスの顔が真横に来た。


「一応根回しはしておいたがァ、捜索隊の根っこの部分まで指令が届くより先に捕まッちまったら、もう打つ手は無いからなァ。ぜってー、見つけろよ。いくらオレでも、これ以上のことはできねェからな」

「ありがとう、バルテルス。ティオが良いって言ったらだけど、お礼に頭撫でてあげるくらいなら、頼んでやるから」

「それも嬉しいがァ。……できれば、あんなァ。右手がベトベトになるまで、心を込めて舐めてもらえれば、それ以上のことは望まねェぜ」


 耳朶に口元を寄せ、恍惚とした声音でそんなことを紡いだ。

 驚いてバルテルスの顔を見ると、頬がちょっぴり赤らんでいた。


「やっぱ変態だ、お前!」

「あァ? こんな紳士的な格好した親衛隊捕まえて変態とは何だァ!」


 右手を舐めてもらうだと?

 ああ、何に使うのか分かってしまっただけで寒気がする。

 バルテルスはティオと面識が無い。

 単に幼女だと言うだけで、顔も知らない娘の唾液をそんなことに……。


 悪寒を感じて体躯を震わせる俺とは裏腹に、プリムヴェールとターニャは「?」という表情で顔を見合わせていた。

 流石に耳年増のターニャでも知らないか。

 むしろ、知ってたら嫌だ。


 バルテルスの言葉にドン引きして、さりげなく身を退けていると、イヌミミ兵長が両手を擦り合わせながらおずおずと近寄ってきた。


「あのぉ、あなたは? 本当に、あの食い逃げ少女の雇用主なのですか?」


 返事に困り、チラとバルテルスを見やると、瞑目して首肯していた。


「ええ、そうですけど」

「そうですか……。一応捜索隊の末端にも至急伝達しますが、その、ですね」


 イヌミミ兵長は何やら言いにくそうに、チラチラとバルテルスに視線を向けていた。

 貴族と肉体経験を結ぶことは、そんなにもイケナイことなのだろうか。

 あのお嬢様は『偉い』かもしくは『美丈夫である』なら、誰相手でも抱かれそうなものだが。


 いや待てよ。

 前にも討伐隊の兵長さんと話した時にも、こうして言葉を詰まらせていた場面があったっけ。

 あの時は、確か討伐報酬を幾ら受け取るかの話だったような気がするけど……。


「いくら子供とは言えど、罪は罪ですからね。食い逃げされた店側にも落ち度があったと見るのが、ここ王都での考えです。ですが、だからと言って無かったことにするなんてのは、言語道断です」

「まァ、当たりめェだろうなァ。捜索隊の指揮官様が幾らお嬢様に良くされてても、一個人の感情だけで洗い流せるような問題じゃァねェよな」


 イヌミミ兵長は「その通りです」と首肯。


「端的に申しますと、被害側である店に無銭飲食代金の一部を支払って戴きたい、とそういったわけですな。使用人――もしくは奴隷かもしれませんが、使用人が犯した問題を解決するのは雇用主、それは変わりありません」

「雇用主だったらァ、自己責任で指揮官とやらかしてェも、問題無いってェわけだなァ」

「……ちょっと黙っててください」


 イヌミミ兵長も流石に苛立って来たのか、バルテルスの茶々を手で制す。

 バルテルスはそれを見て、面白くなさそうにふんと目を逸らした。


 ターニャ見てはぁはぁ、ティオの話聞いてはぁはぁ、そしてこれか。

 色々と溜まってんのかな。

 魔法を使えない親衛隊ってのも、気苦労が多いって言ってたし。


「罰則金って、やつですか」

「そうなります。料理屋で銅貨五枚から銀貨一枚分程度の飯を、一度の食い逃げで二人前から三人前分喰らっていたので、無銭飲食の罰則金にしては多少多くなるのですが……」

「一応聞いておくと、幾らくらいですかね」

「奴隷堕ちさせてもみ消すつもりでしたので、計算はしておりませんが――大銀貨五枚程度は覚悟していただきたい」


 大銀貨五枚か。

 今宿泊している飯付きの宿に、五十日は泊まれる金額だ。

 とはいえ、ジュエリー一つ買えない値段だな。

 財産を無駄遣いすることにはやはり抵抗はあるが、今の俺からすれば、問題無く払える金額だ。

 となると、やはり一番の難関は――。


「ですが、兵団としても名誉や国家からの信頼があります。とくに今回の捜索隊は、結構な資金や兵力を使用していますので」

「末端部分まで伝達が届くまでにティオが捕まったら……」

「捕縛の撤回は不可能だと、そうお考えください」


 だろうな。

 兵力を駆使して必死になって捕まえた相手を、権力(?)で奪い取られるとか、兵団としても面白く無いだろう。

 こっちだって結構小狡いことをしているんだし。

 

 イヌミミ兵長はそれだけ言うと、ピシッとした姿勢で敬礼をして立ち去って行った。

 もしかしてバルテルスと仲良くしてたから、俺も貴族か同程度の人間だと思われてたのかな。

 一応今日はグレーのローブを着てるんだけど……。


 そう思って視線を泳がすと、裸ベストの貴族親衛隊がこっちを見ていた。

 確かにこいつが親衛隊だって知ったら、もう少しまともな格好している俺たちも、それに準ずる身分だと勘違いされてもおかしくないか。

 ……おかしくないか?

 まあいい。


「しかしバルテルス。お前、よくあの兵長が、お前んとこのお嬢様と関係あるって分かったな」


 話を聞くところによると、あのお嬢様は性欲も精力も底なしらしい。

 お偉いさんもお客様も使用人もパカパカ食って、しかも使い捨てせずに何度も何度も寝室にお呼びするらしい。

 それだけの人数がいて、よく一人一人の顔を覚えていたな。

 バルテルスは脳筋っぽいイメージがあったけど、撤回するよ。

 お前すげえな。


 素直に尊敬の意を示すと、バルテルスは犬歯を見せてニマリと笑う。

 そして、兵士たちがいなくなったのをしっかり確認してから。


「いやァ、そんな一人一人の顔まで覚えちゃァいねェよ。かまかけてみただけさ」


 そう言うと、バルテルスは胸を張って高らかに大笑いをした。


 何て言うか、度胸の据わった男だな、とそう思った。



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