3-11.その柔らかな胸の中で
ティオが初めて罪を犯したのは、三か月近く前――丁度俺が王都に来た当日だった。
十歳の少女が犯した初めての犯罪は、生きるために必要な食料の調達――言ってみれば無銭飲食のことだ。
奴隷堕ちする者も多く、盗賊や金品漁りといった集団が立派な職業のように存在しているこの世界では、子供の無銭飲食など普通は見逃される。
子供ならば、親さえ突き止めれば罰金を徴収することができるからだ。
そのため兵士たちはティオ本人を探すより先に、彼女の親類もしくは保護者を捜索していたらしい。
親は無理でも近隣の住民でも見つけることが出来れば、今後こういうことの無いようにという注意喚起が行える。
王都の兵士にとって、未来ある子供とは将来的に大事な戦力となる。
この辺りは魔物が多いため、冒険者はいくらいても足りないのだ。
根性が捻じ曲がったどうしようもない人間で無ければ、投獄したり罰則を与えるような真似はせず、将来的に国家のために働いて貰えればそれでよい、と考える人が多いのだ。
ティオに関しても、当初はそういった扱いをされるはずだった。
だがティオは普通の少女では無かった。
母親が奴隷で、父親は行方不明。近隣の住民どころか、家も無い孤独な少女だった。
徴収する当てが無ければ、本人から回収するしか方法は無い。
身寄りも財力もない少女など、誰も助けてくれないのだ。
冒険者として働ける年齢に達していない孤独な子供が罪を償う場合、どうなるか。
簡単な話、奴隷堕ちさせられる。
奴隷堕ちした人間は前科が完全に取り払われるうえ、一応は生活する場所が与えられる。
そこから新しい人生を歩みなおす、とそういった措置を取られるのだ。
大抵の孤児は生存していることが奇跡のようなものなため、子供の出来ない貴族や富豪に引き取られて大切に扱われることが多い。
故に国としても、身寄りの居ない幼子は一刻も早く奴隷堕ちさせてしまおうと考えるのだ。
穴だらけの理論だが、きっと長い論争の挙句こういった律法が生まれたのだろう。
王族や貴族の考える律法など、学の無い一般市民には到底理解などできるようなものでは無いのだ。
◇ ◇ ◇
「……それは本当か」
プリムヴェールから聞いた内容は、実に簡単な事柄だった。
路地裏で時折存在が確認されていた桃色髪の少女が、最近姿を現さなくなった。
彼女による食い逃げ被害も激減し、今ではすっかり音沙汰なしだ。
もしかしたら、死んでしまったのではないか。
死亡したなら、死体はどこに行った?
王都の外壁は兵士が見回りをしているため、魔物が喰ってしまったということはありえない。
誰かに攫われたか。
もし攫われたなら、誰かがその様子を見ているだろう。
もし見逃してしまっていたなら?
探し出して、今後の処遇を考えよう。
とにかく身柄を確保して、奴隷堕ちをさせるかどうかの決定をしなければならない。
図書館に参っていた兵士たちが、そんなことを話し合っていたらしい。
「桃色髪の食い逃げ少女って、ティオちゃんのことですよね」
「多分間違いない。でもその話だと、まだティオの居場所は見つかっていないようだな」
だが兵士は、王都内のどこにでもいる。
それらの兵士たちがここ数日間一度も目撃していないとなれば、どこかに匿われていることぐらいすぐに解るだろう。
家宅捜索まがいのことを、この世界の兵士はどこまで行うのか。
一般住宅にまで侵入するとは考えにくいが、宿のような他人の出入りに気を使わないような建物だったら、一応は捜索されるかもしれない。
もし今は隠し通せたとしても、いつかはバレるだろう。
そうなった時、ターニャやビリーさんに迷惑をかけるわけにはいかない。
「とりあえず、俺は宿に戻ってみる」
「分かりました。今日はわたしも午前で終わりなので、一緒に行きます」
プリムヴェールの手を取り、二人仲良く食事でもとりにいくような足取りで階段を降りる。
ロビーを通り抜け、図書館から退出し、曲がり角を曲がって裏道に入った刹那――俺は全速力で宿までの道のりを駆け抜けた。
出来るだけ人けのない裏通りを選んで、俺はビリーさんの宿まで全力で駆けた。
兵士さんと顔を合わせたく無かったのだ。
もしティオを連れた兵士さんと出会ってしまったら。
ターニャやビリーさんが捕まっていたら。
悪い考えばかりが頭を過る。
昔からそうだ。
最悪の結果ばかり妄想して、勝手に意気消沈してやる気をなくす。
今まではそれでなあなあにしてきたが、今回はそんなことを言っていられる状況じゃない。
段差を飛び越え、石造りの壁を一瞥し、ただ前だけを見て走り抜ける。
いつもはあっという間に着くはずの宿が、やけに遠くなってしまったような錯覚が生じる。
入り組んだ裏通りを間違えることなく通り抜け、見慣れた景色――ビリーさんの宿まで辿り着く。
無事でいてくれと懇願しながら、壁を突き抜く勢いで飛び込もうとした刹那。
「あ! お兄さん」
「……カザミ様」
ビリーさんに肩を貸しながら、ターニャが宿の中から出てきた。
老体を労わるようなそのゆったりとした速度は、焦燥に駆られている俺からすると非常に苛立ちを覚えさせるものだった。
だが二人が深刻な表情で必死に歩もうとしている姿を見せられて、何と文句が言えようか。
「ティオは、ティオはどこにいますか!」
「そのことなんだよ! 大変なんだよ、お兄さん!」
ビリーさんに杖を手渡し、ターニャが俺のもとへ飛びついてきた。
腰に手を回し、カタカタと体躯を震わせている。
何だ、何があったって言うんだ。
「さっき怖いお兄さんが来て、桃色の髪をした少女を見かけたら、連絡しろ、って」
「ターニャ、さっきのは王都の警備をしているただの兵士だ。怖い人ではない」
俺の腹に顔を押し付け嗚咽を漏らすターニャに、ビリーさんが告げる。
誰にでも懐き、天真爛漫なターニャがここまで怯えているのだ。よほど怖い思いをしたのだろう。
しかし――、桃色の髪をした少女を見かけたら連絡しろ、か。
ということは、ティオはまだ兵士に見つかっていないと言うことだな。
だがここまで捜索の手が回っているということは、ティオの捜索にかなりの人手を割いているに違いない。
言っちゃあれだが、この宿はかなり辺鄙な場所に建設されているからな。
こんなところまで兵士が巡ってくることは、今まで一度も無かったはずだ。
「カザミ様、これを」
ターニャの頭を撫でながら茫然としていると、不意に目の前に一枚の紙が差し出された。
みみずがのたくったような酷い字だが、何と書いてあるかは読める。
ビリーさんの手から紙を引ったくり、書かれた文字を一字一句大切に読み――絶句した。
「……私がいると、迷惑がかかってしまいます。さようなら」
何だよ。
これは何だ。
所謂書置きってやつだろう。
それは分かる。それくらいなら、俺だって分かる。
だけど!
「兵士には知らぬ存ぜぬを突き通しました。ターニャも必死に俺と一緒に話を合わせ、嘘を吐いてくれました。ですがティオ殿は、兵士たちを追い返した一部始終を、カザミ様の部屋で聞いていたらしいのです」
言葉足らずで口下手なビリーさんは、それから幾つかの言葉をポツリポツリと呟き、やがて押し黙った。
どうやら兵士が来たのは、俺が戻ってくるほんの数十分前のことだったらしい。
ターニャが応対すると、大人の人を呼べと一蹴された。
渋々ビリーさんを連れてくると、兵士たちはビリーさんに「桃色の髪をした七歳か八歳くらいの少女を見なかったか」と問うたらしい。
兵士は二人いて、一人は、ビリーさんに見かけたら連絡を頼むなどと言った注意を呼び掛けており、もう一人の兵士は常時ターニャの顔を見据えていたらしい。
ターニャ曰く、少しでも目を逸らしたら家の中に踏み込まれそうなほどの迫力だったという。
ターニャはその重圧的な視線に耐え、ビリーさんは兵士の問いに「知らない」と答えた。
急いで部屋に戻ったら、部屋はもぬけの空だった。
ティオは身軽で、脚力や運動神経はかなり高いはずだ。
俺とバルテルスの会話も聴いていたようだしな。
大方窓際で外の会話を耳にして、俺やこの二人に迷惑をかけないよう、こっそり窓から出て行ったのだろう。
「……ティオ」
俺は彼女を救えなかった。
悲壮と憤怒と焦燥と戸惑いが入り混じり、いっそ叫んでしまいたかった。
何もかも訳が分からなくなって、ターニャやビリーさんに当たり散らしてしまいたかった。
そんなことをしたって、何も変わらないのは俺だって分かっている。
八つ当たりしたって死んだ子供は戻らないんだよ!
何度ドラマやアニメで聞いた台詞だろう。
その度に俺は、そうやって当たり散らす人間を暑苦しくて滑稽だなと鼻で笑っていたものだったが。
――これは想像以上にキツい。
「すみません、アヤメさん。遅れてしまいました」
「プリムヴェール……」
振り返ると、モノクロを基調とした仕事着と白銀の美髪が視界に揺らめいた。
裏路地に入った瞬間、俺はプリムヴェールを置いて一人で突っ走ってしまった。
一緒に行きますと言ってくれたのに、感情が先走って、置いてきてしまったのに。
「大丈夫ですか? お疲れでしょうから、治癒魔法をかけましょうか」
そう言って、プリムヴェールは腕を広げて俺を抱きしめてくれた。
いつからいたのだろうか。
もしかすると、ビリーさんが現状を伝えている間にも、プリムヴェールは既に俺の後ろにいたのかもしれない。
「辛いことを、一人で抱え込んでしまうのは良くありません。わたしも王都に来てすぐの頃は、よくエイムの胸で泣かせて貰ったりしましたから」
そう言って、ギューッと顔に胸を押し付けられた。
そうだな、別にまだ終わってしまったわけじゃ無いんだ。
勝手に焦って、自分を追い込んで、パニくっていただけなんだ。
ただこうして、誰かに「頑張ったね」ってして欲しかっただけなのかもしれない。
俺はプリムヴェールの胸に、顔を押し付けた。
羞恥もプライドも投げ捨て、俺はプリムヴェールに言われたとおりのことをした。
◇ ◇ ◇
詰め込み過ぎてゴチャゴチャした頭もスッキリしたので、次に行うべきことを思考する。
いや、大したことはしていない。
プリムヴェールの胸元に、今まで溜め込んだACTHを放出しただけだ。
おかげで目が真っ赤になってしまったが、プリムヴェールとお揃いだし、逆に嬉しい。
とか何とか軽口を叩いたら、プリムヴェールに側頭部を小突かれた。
ついでに治癒魔法で、元の色に戻してもらった。
まあ、あれだ。
辛いこともあったけど、わたしは元気です。
「あの……。俺も落ち着いたので、そろそろ下ろしてくれません?」
「良いじゃないですか。アヤメさんに置いて行かれた時、すごーく寂しかったんですよ」
そう言われると、返す言葉が無い。
だが今回のことで一つ分かった。
どうやら俺は意外と、一つの事に夢中になりすぎると周りが見えなくなってしまうらしい。
いつでもこうしてプリムヴェールが抱きしめてくれるわけじゃないからな。
これからは気を付けなければ。
正座したプリムヴェールに背後から抱きしめられた格好のまま、俺は一つ反省した。
ちなみに俺は今、プリムヴェールの膝の上に腰かけている。
ああ……、甘い香りが広がって、すっごく落ち着く。
と、おっと。今はそれどころじゃ無かったな。
「ティオは今までも、単身で兵士から逃げてきた。だからすぐに捕まってしまうとは考えにくい」
ふと思い出したが、確か初めてティオと出会ったのは王都に来た初日だったな。
路地裏を歩いていたら、突然火の玉が飛んできたのだ。
あの時は、普通に兵士たちに協力しようとしてたしな。
当時はまさか、こんなことになるとは思わなかったよ。
「俺はティオを奴隷堕ちさせたくない。前科持ちのまま放置しておくことも、はっきり言って嫌だ」
この世界における孤児の無銭飲食は、所謂身元引受人か奴隷堕ちした後の雇用主が支払うことでも、一応解消されるらしい。
理由は前述した通り、将来の国家の安全のためだ。
下手に投獄して、禍根を残して国家への反逆を起こされても困るのだろう。
だがそれもこれも全て、兵士より先にティオを発見しなければどうにもならない。
捕まった後でのこのこ現れて「実は俺がこの子の保護者だ」とか言っても、取り合ってもらえないだろう。
「だから、俺は今からティオを探しに行くつもりだ。だけど――」
「大丈夫ですよ、わたしも一緒に付いて行きます」
「じっちゃんは足怪我してるから無理だけど、僕は平気だよー」
じっちゃんことビリーさんは、真昼間でも闇に包まれたカウンターで休んでいる。
どうやら俺が戻った時のごたごたは、俺が戻る前にティオを連れ戻さなければ! という宿主としての矜持で立ち上がったビリーさんを、必死に手助けするターニャの姿だったらしい。
俺が戻ったのであれば、任せて大丈夫だろう。そもそも足が不自由な自分がいては、逆に足手まといになってしまう。
そう言って、ビリーさんは寂しそうに笑っていた。
「兵士を敵に回すようなことになってしまうけど、二人はそれでいいのか?」
「もし司書免許を剥奪されたら、とりあえず責任を取ってもらって、アヤメさんに一生養ってもらうので大丈夫です」
「僕も、お兄さんに“せきにん”とってもらって、“いっしょうやしなって”もらうから大丈夫」
あえて冗談っぽく言ってくれているが、現実味のある事象だと言うのは二人も分かっているのだろう。
空気が少し変わった気がする。
なるべく、兵士とは敵対したくない。
だがもし強行手段に出るしか方法が無くなったら、そうするつもりだ。
この世界で兵士に楯突く行為がどれだけ重い罪なのかは分からないが――。
「どんな状況に陥ろうと、ティオを救えずに戻ったら……」
「きっと、お兄さんもプリムのお姉さんも後悔すると思うよね」
ああ、そうだろうな。
もしここで、「俺たちは、ティオとは何も無かったということにしよう。無関係だ」などと言えば、それで済む話だ。
だが出会ってしまった以上、冗談でもそんなことにするわけにはいかない。
後々悔やむことは分かりきっている。
ティオを探し出して、助ける。
その言葉を心に刻み込み、俺はプリムヴェールとターニャの二人を連れて宿の外に出た。
絶対に探し出してやる。




