3-8.愛弟子は十歳
裸足の指先を地面に押し当て、超人的な跳躍を果たす。
やがて元居た位置に降り立つと、得意げな笑み。
スーツ生地のスラックスをはためかせ、バルテルスは弾丸のように駆け出した。
迷わず、真っ直ぐに疾走する。
あまりの素早さに、彼を止めるのが少し遅れてしまった。
風を切って、バルテルスの体躯が中空を翔ける。
包帯グルグル巻の腕を伸ばし、びっくりした顔のターニャに向かって飛び掛かる。
ヤバい、闘争本能か何かだろうか。
バルテルスは銀狼のクォーター。ターニャは虎だ。
虎とオオカミって、もしかして敵対してるんだっけ。
マングースとハブは確か相性が悪かったはずだ。
ウナギは確か、梅干しだったっけか。
「バルテルス、待て!」
「――この、不届き者めが!」
「ぐぼぁ」
バルテルスが飛び掛かった先にいたのは、ターニャでは無かった。
いつの間にか宿の中から飛び出していたビリーさんが、弾丸のように突進したバルテルスを片腕で受け止めたのだ。
左手には銀色の杖を抱えており、左足が若干浮いている。
ああ、足首から下が無いんだ。
よく見ると、宿の入り口付近に黒っぽい靴が片方落っこちていた。
普段は――俺と会った時は、片足が無いことを隠そうと靴を履いていたのか。
足を怪我しているというのはターニャから聞いていたが、まさか欠損していたとは。
しかし、それよりも。
「大丈夫か、バルテルス!」
「――む、カザミ様のお客様でしたか?」
「おぉゥ、ターニャたァん。……ターニャたんは、オレの嫁ェ」
額にパックリと裂傷を刻んだバルテルスは、そのまま仰向けに倒れて気を失った。
血は噴き出していないが、見ているだけで痛々しい。
白目を剥いてはいたが、バルテルスは幸せそうな顔で気絶していた。
そして今の断末魔――じゃなかった、譫言から察するに、もしかしてバルテルスって……。
「ターニャ、ちょっと俺の部屋からスタッフを持ってきてくれないか?」
「分かったよ、お兄さん」
宿の中に消えたターニャを見送ってから、俺はビリーさんに視線を向ける。
気まずそうな顔で、額に手をやっていた。
愛孫を守ろうとしたのだろうということは、俺にだって分かる。
一応バルテルスは、俺の連れてきた客人なんだが……。一部始終を真横で見ていた俺としては、ビリーさんを責めることはできない。
俺個人としてはバルテルスも大切な知人なので、誤解があったのなら、ちゃんと和解してもらいたい。
お互いに歩み寄れば、悪いようにはならないだろうしさ。
「ビリーさん」
「すまなかった、カザミ様。カウンターから外を見ていたら、嫌なものが見えたのでな」
「……嫌なもの、というと?」
ビリーさんは肩をすくめて、気絶したバルテルスを見やった。
「はぁはぁと息を荒げながら、愛する孫娘に飛び掛かろうとしていた不届き者だ」
俺もバルテルスを見下ろした。
黒のスラックスから伸びる足は裸足、上半身を覆う衣服は同じく黒のベストのみ。
腕には包帯をグルグル巻きにしているし、喉元にはイエローの蝶ネクタイを身に着けている。
何も知らない人が見たら、明らかに変質者だと思うだろう。
そんな男が幼気な童女に飛び掛かろうとしていたのだ。
身体が先に動いてしまったと言われても、強くは責められない。
「彼は狼のクォーターなのですが、虎とオオカミは、相性が悪かったりするのでしょうか?」
そういえば、まだ獣族内や魔族内での相性などは調べていなかった。
地球でも民族間や思想の違いなどで迫害されたり紛争が行われたりしていたし、同じ種族間でも考えの不一致などはあるだろう。
とくに獣族や魔族は、様々な種類の人たちをひっくるめてそう呼んでいるらしいからな。
虎の獣族から見ると、狼族は外敵だと思っているかもしれない。
そう思っての疑問だったのだが、ビリーさんは首を左右に振った。
「遥か昔年の時代は、獣族間でも迫害や差別はあった。だがそれも昔の話だ」
「では……」
「孫娘はちと耳年増だが、身体や心はまだ純粋無垢な子供だ。恋慕や痴情関連は、もう少し大きくなってからにしてほしい。ターニャの唯一の保護者として、それだけは譲れんのだ」
純粋無垢というところで、俺がはめるのを迷っていた最後のピースがカチリとはまった。
バルテルスの言う純粋無垢と、俺の思う純粋無垢は少し意図するものが違うらしい。
俺にとっての純粋と無垢は、プリムヴェールのような人だ。
甘えさせてくれそうなお姉さんが、時折見せる幼気な振る舞いが好きなのだ。
清楚可憐と言った方が近いかもしれない。
だがバルテルスのいう純粋無垢は、言葉通りそのものだった。
俺のように、清楚で大人しい娘が好みなのではなく、処女――というか、恋愛をするには早すぎる年齢。
すなわちバルテルスは、幼女趣味ってことか。
確かにロリっ娘は純粋無垢だ。
性知識が豊富で、集団で一人の男を襲うようなロリは、現実には存在しない。
俺もあまりロリに造詣が深いわけでは無いので分からんが、まあ未経験な娘が多いだろう。
間違ってはいないのだが。
「純粋無垢、ねぇ……」
「お兄さん、持って来たよ!」
自分と同じぐらいの背丈をしたスタッフを抱えながら、ターニャは宿から飛び出してきた。
若干足元がふらついている。
俺が自分で取りに行けば良かったかな。
ターニャからスタッフを受け取り、気絶したバルテルスに向かって治癒魔法をかける。
額に刻まれた裂傷はみるみるうちに回復し、傷痕が残ることなく完全に治癒された。
そういえば傷痕を消し去る治癒魔法も、この世界にはあるのだろうか。
後で魔導書を読み直しておこう。
「――――んぅゥ?」
暫くして、バルテルスは呻き声を上げながらゆっくりと瞼を開いた。
ぼんやりと半眼を作りながら、キョロキョロと周囲の状況を窺っている。
やがて黄金色の双眸を瞬かせると、ニマりと口元を緩めた。
自分が地面に転がっており、スタッフを持った俺がそれを見下ろしている。
その状況から、バルテルスは大体のことを把握できたらしい。
「助かったぜェ、旦那ァ」
「大丈夫か、立てるか?」
「おゥ! それくらいかるいぜ」
仰向けの状態から背中で跳躍し、足を着いて一気に立ち上がる。
寝転がった体勢から立ち上がる技術が存在することは知っていたが、実際にこの目で見るのは初めてだ。
驚異的な身体能力に感服していると、バルテルスは犬歯を剥きだしにしてニッと笑った。
同じように笑顔で返すと、突如バルテルスは俺の胸に飛び掛かってきた。
「賢者様! いや、師匠と呼ばせてくださぁぁぁぁい!」
「うわぁぁ!? 浮遊する土壁!」
薄っぺらい土の板で咄嗟にガード――したはずが、目の前に出現したのは、叩けばコツコツと音のする堅牢な土壁だった。
制御できるようになったと思っていたのだが、どうやら咄嗟に発動しようとすると、まだ上手くスタッフの力を制御できないらしい。
ゴン! と鈍い音が木霊し、バルテルスは頭蓋に大きなたんこぶを作ってひれ伏した。
今度は単なる打ち身では済まなかったらしく、前頭部からタラタラと血が流れ出ていた。
再度治癒魔法を施し、バルテルスを仰向けに寝かせ直した。
流石のバルテルスでも、連続して二度も頭を打ったら身体に不調が出てもおかしくないだろう。
下手すると、少し変になっているかもしれない。
悪いことをしたな。
「……よ、よくもてめェ」
側頭部を押さえながら、バルテルスはゆっくりと身体を起こした。
犬歯を剥きだしにして、ギロリとした視線を向けている。
「このッ……! 一発殴らせ――」
「だいじょーぶ? 金色のお兄さん」
バルテルスが腕を振り上げたと同時に、優しげな声が耳朶を打った。
心配そうな表情をしたターニャが、バルテルスの傍らにしゃがみ込み、怪我をした部分をなでなでしている。
バルテルスは暫く茫然とした様子でターニャを見やっていたが、やがて初孫を抱っこしたお爺ちゃんのように顔をとろけさせた。
ふへ、ふへへ……などと声を漏らしながら、真っ赤な顔で鼻血を垂らしている。
それを見てターニャはさらにびっくりした顔をして、バルテルスの顎から鼻先にかけてを優しく撫でつけ、垂れた血液をすくい取る。
「タ、ターニャたァん……」
バルテルスはくったりと身体の力を抜き、ターニャの胸に体躯を預けた。
実に幸せそうな表情だ。
これはもう真正だな。
ただ性的な意味を全く分かっていない幼気な童女の胸に、そんな風に頬擦りするのは良くないと思うんだよな。
ビリーさんはどう言うだろうと表情を窺うと、彼は「やれやれ」と言った様子で肩を竦めていた。
仕方ねえか、って感じだ。
流石に今のは可哀想だし、手出しするわけじゃ無いなら許してやろうとでも思っているのだろう。
心の広いお方だ。
だがバルテルスがここを知ったとなると、ターニャに会うために、バルテルスが時折ここに来るかもしれないな。
ターニャは時々上半身裸で水浴びをしていたり、木刀を素振りしているからな。
鼻からの出血多量で死なれても困るし、発情してターニャに襲い掛かりでもしたら目も当てられない。
後でビリーさんに、気を付けるよう言っておこう。
ターニャに言っても、どうせ聞いてくれないだろうからな。
◇ ◇ ◇
バルテルスは暫くターニャにちょっかいを出していたが、お使いの途中だったことに気が付いたらしく、慌てて屋敷へ戻っていった。
背中が見えなくなるまで、ターニャは嬉しそうに手を振っていた。
どうやらバルテルスには、幼子に好かれる何かがあるらしい。
バルテルスは幼女が好きで、幼女はバルテルスを好きになる。
好きの意味は若干違うが、一線さえ越えなければお互いに不幸になることは無いだろう。
もっともターニャは俺含めて“年上のお兄さん”に興味が湧くお年頃らしいので、バルテルスとターニャの仲が特別良いと言うわけではないが。
「そうだ、ターニャ。ティオは今どこにいる?」
「お兄さんのお部屋にいるはずだよ。出て行くところは見てないから」
「そっか、ありがとな」
ターニャが掃除を再開するのを見届けてから、俺は階段を軋ませて部屋へ戻った。
ドアを開けて室内を覗き込むと、ベッドの上でつまらなさそうに転がっているティオと目が合った。
暫く見つめ合っていると、不意にティオがベッドから起き上がり、トテトテと走って俺の腰に飛びついた。
がっしりとホールドして、へその辺りに頬擦りしている。
「おかえりなさい、アヤメお兄さん」
「ただいま、ティオ」
顔を上げて、幸せそうににへりと笑みを見せる。
頭を撫でてやると、気持ちよさそうに目を細めた。
小動物みたいで可愛いな。
愛くるしい笑顔に目を細めてから、俺は左手でティオを撫でながら、右手でローブのポケットを漁る。
確かこのへんに……、ああ、あったあった。
「ティオ、プレゼントだ」
「プレ、ゼント?」
紺色のリボンと赤いリボン。
どちらも細いもので、髪を束ねて纏める程度のことしかできない。
手先が器用かもしくは俺が女だったら、可愛らしい結び方を教示できたかもしれないのだが、如何せん男一人っ子だったから、リボンで髪をどうこうした経験はないのだ。
「結び方、分かるか?」
「うん。昔お母さんがやってくれたの、覚えてるから」
そう言ってティオはベッドの上に腰かけると、赤い方のリボンを手に取って丁寧に髪を束ねていく。
どんな髪型にするのかなとわくわくしながら見ていると、流れるように清らかな動作で、可愛らしいサイドテールを造り上げた。
桃色の髪がぴょこんと揺れる。
髪の量が多いためかちょっと不格好だが、幼気で可愛らしい。
毛先に手をやってツンツンしたくなるが、グッと我慢。
「ゴム紐みたいなのは、無いの?」
「……ゴム紐?」
「私の髪はサラサラした直毛だから、リボンだけだとすぐほどけちゃうの」
ティオの髪に目をやると、既にリボンの結び目が緩み、外れかかっていた。
なるほど、髪自体はゴムで束ねて、その上からリボンを結んで飾るのか。
確かに運動部の女子とかが飛んだり跳ねたり走ったりしてるのを見て、よく髪のアクセサリーが取れないなと思っていたが、ああ。
買う前にプリムヴェールに相談しておけば良かったな。
いや待てよ、まだ遅くないか。
今日プリムヴェールは夕方までお仕事だし、迎えに行って一緒に買い物にでも行こうかな。
元々プリムヴェールにも髪飾りを一つ買ってあげる予定だったし、それが少し早くなったと思えば別に良いか。
ティオの髪を結ばないという選択肢は無い。
だってやっぱ想像通り、サイドテールにしたティオは可愛かったからな。
「夜までには買ってくるよ。それより、いつも閉じこもってて退屈しないか?」
「大丈夫。それに、あまり私は外に出ない方がいいから」
ティオは不安げに視線を落とした。
外に出ない方がいい?
一人で外に出るのが怖いというのは分からないでもないが、出ない方がいいというのはどういうことだ。
日光に当たると肌が焼けてしまうという病気を聞いたことはあるが、ティオは一年以上外で生活していたはずだ。
そういった理由では無さそうだが。
どういう意味だろう、とティオの目を見つめていると、ティオは立ち上がって俺の耳元に顔を近づけた。
「何度か食い逃げしちゃったから、兵士さんたちが私のことを探しているかもしれないの」
そういうことか。
ティオは今まで、襲われても一人で逃げてきたと言っていた。
だがそれは少女趣味の変態や猟奇殺人者のような人たちだけでなく、王都の治安を守るために罪人をひっ捕らえる兵士も含めてのことだったのか。
確かにそうなると、外出は控えた方が良いだろう。
小奇麗にしておけば、妹だとかなんとか言って誤魔化すこともできそうだが、余計なことをして後でバレると面倒だ。
この世界の兵士とは武装警官のようなものに近いからな。
間違っても敵対してはならない。
ティオを外に連れ出すのは、暫くやめておこう。
この世界における食い逃げがどの程度の扱いなのかは分からないが、プリムヴェール曰く数回繰り返したくらいで投獄されるようなものではない、と言っていた。
奴隷堕ちする人間の多い国だ、食い逃げ犯や盗賊を一々取り締まっていたら、キリが無いのだろう。
盗賊に関しては、兵士より冒険者が取り締まるイメージの方が強いけどな。
「……罪、か」
ふと、頭の中に『奴隷は前科を全て無かったことにされる』という一文が蘇った。
ティオを前科持ちにはしたくない。
だが、この世界では奴隷という身分回復は絶望的だ。
購入者が奴隷の身分回復を行うことは可能でも、前科持ちの人間を奴隷堕ちさせて綺麗な身体にさせてから、購入者権限で奴隷身分回復をする、なんてことはできない。
詳しくは書かれていなかったが、罪が戻るか身分回復が許可されないか、どちらかだろう。
でなければ、貴族か奴隷商に仲間がいる者は、いくらでも犯罪を犯すことが可能になってしまう。
ティオを奴隷にしたくない。
ティオを前科持ちにはしたくない。
この二つのエゴが通る選択肢は無いのだろうか。
喩え罪が消えなくとも、ティオがその罪を償わなくて良い状態になれば良いのだ。
外の世界にビクビクして暮らすのは流石に可哀想だ。
ティオが笑顔で外出できる、そんな未来は俺のちっぽけな力で掴み取ることなど不可能なのだろうか。
「……ねえ、アヤメお兄さん」
暗い考えに苛まれていると、不意にティオが顔を覗き込んできた。
今日もシャツ姿だが、ちゃんとズボンも穿いている。
「私に、魔法を教えて欲しいの」
「魔法?」
魔法を教える、だと。
ティオは確か、火魔法を使えるんじゃなかったか。
この目で見たことは無いが、生き繋ぐための火は全て自分で補っていたはずだ。
火魔法で外敵から身を守っていた、とか言っていたくらいだしな。
「さっき窓の外から、賢者様とか弟子って言葉が聞こえてきたの」
上目遣いに俺を見ながら、小さな手で窓の方を指さした。
バルテルスの声はよく通る――響くからな。
暇を持て余して外界の音を聴いていたら、耳に入ったのだろう。
「でもティオは、火魔法が使えるんじゃなかったか?」
「使えるよ。でも、加減ができないから、お家の中だと使えないの」
ティオが言うには、どうやら昔火魔法を家の中で使って部屋を火事にしかけたことがあるらしい。
母親が料理をする際に、火魔法で肉を焼いている姿を見て、おままごと中に真似してファイヤーしちゃったらしい。
ティオが火魔法が得意なのは、幼い頃から母と一緒にいたためか、一番接する機会も多く、いつの間にか詠唱を覚えてしまったのだとか。
「ティオの母さんは、詠唱をして火魔法を使ってたのか?」
「昔はそうだったの。でも私がカーテンを燃やしちゃってからは、黙ったまま火を点けることが多くなったの」
前者は通常の詠唱で、後者は俺と同じ想像による魔法発動だろう。
図書館にあった魔法教本にはいずれの方法も記されていたが、なるほど、器用な人は詠唱有りでも詠唱無しでも不具合なく魔法が使えるのか。
確か書籍の中では、戦闘中に魔法を空想するより、幾つか得意分野の詠唱を暗記しておいた方が咄嗟の時に使えるから、という理由で生み出されたものだと記されていたが。
まあ、お料理に必要な程度の火力なら、どちらでも可能なのか。
しかし、そうなるとどうやって教えようか。
想像から行う火魔法の方法なら、俺が所持している魔導書にも書かれている。
だが詠唱に関しては記されていない。
いくら全世界の魔法が記された書物でも、後世の人々が生み出したものまでは書かれていないのだろう。
手書きだしな。
もしかするとこの魔導書だって、四種族の言語を知る大賢者様か誰かが書き記したものかもしれない。
誰かが筆を取らなければ、上書きはされないのだ。
今度気が向いたら、基本的な詠唱を書き足しておこうか。
……やっぱいいや、下手に落書きしたら呪われそうだし。
日本語で書いたって、どうせ誰も読めないだろうからな。
「魔法を教えるのは構わないけど、詠唱とかは分かるか?」
「普段は、想像を具現化する方でやってたから……」
ティオは残念そうに、ギュッと拳を握りしめた。
なるほど、俺と同じだ。
違うのは、ティオはこの世界の住人と同じく『オドの活性化』を行って魔法を使っているというところだろう。
想像の具現化でも、加減が出来ないとなると難しいな。
やはり詠唱が必要か。
感情が爆発して思わず火炎を――っていうのも怖いからな。
小さい子が詠唱を使わずに魔法を使用するのは、危ないのだろう。
「ん、小さい子?」
ギザギザの牙と針金のようなヒゲが特徴的な、虎っぽい幼女が頭に浮かんだ。
ビリーさんは片足を欠損しているから、多分毎晩の夕食はターニャが用意しているのだろうと思う。
ということは、ターニャは火魔法の詠唱を知っているのではないか。
火だけじゃない。水魔法も使えるんじゃないか。
風魔法は――人族や獣族が扱うには少し難しいらしいが、水や火はエルフ以外の人なら誰だって使えるはずだ。
もしターニャが無理でも、プリムヴェールに聞けばいい。
自分一人で悩むことなど無いのだ。
「分かった。明日からティオに魔法を教えてあげよう」
「はい! では明日から、アヤメお兄さんのことを師匠と呼ばせてください!」
「それはやめてくれ」
もし俺を師匠なんて呼ぶ幼女をバルテルスが見たら、何をされるか分からない。
土壁をぶつけてまで弟子入り志願を拒否したのに、可愛らしい童女が迫ってきたら簡単に許すのか! とか、そうなりそうだ。
バルテルスにロリコンと罵倒されても別に構わないが、やつはプリムヴェールとも顔見知りだからな。
又聞きした情報を鵜呑みにするような娘では無いと思うけど、ティオを匿っていることを知っていて、そんなことを言われたら……。
信じてしまうかもしれない。
プリムヴェールに嫌われるのだけは絶対に嫌だ。
「だから、俺のことはアヤメお兄さんかアヤメお兄ちゃんと呼ぶこと」
「はい、師匠」
「だからやめろって」
心配だ。




