3-6.七つも離れた好敵手
午後の書物巡りで、幾つか法の抜け道を見つけることができた。
プリムヴェールが手伝ってくれたからか、午前中と比べものにならないくらいの情報が集まった。
流石司書さんだね。
テキパキと書物を出しては仕舞い、出しては仕舞い。速読するようにペラペラと捲ると、また新しい書物を探し出してくれる。
本当にありがたいし、すっごく頼りになる。
あんまりにも嬉しかったため、本棚の陰でこっそり抱きしめたら、冷たく突き放された。
お仕事中は真面目に振舞いたいらしい。
それと本を読むために用意された空間を、ふしだらな逢瀬のために使うという行為が許せないのだと言っていた。
サキュバスのことも嫌ってるしな。
まあ分からないでもない。
俺も学校の図書室で、本も読まずにイチャイチャしているリア充どもを見ると嫌悪感が生じていたからな。
俺が抱いたあれは、九割以上嫉妬というものだったが。
さて、
この世界においての奴隷の烙印とは、一度でも《奴隷》という仕事をしたかどうか。
それは最初に読んだ歴史書の記述で間違いないらしい。
同じような文面が他の書物にも書かれていたからな。
奴隷と使用人の違いも同じだ。
過酷な労働基準な家事手伝いでも、雇用主が『こいつはメイドとして雇っていた』と言えば、使用人になるし、奴隷として購入した旨を記した申請書を国に提出すれば、奴隷になる。
そうそう、さっき読んだ書物に申請書なるものが出てきたな。
雇用主が奴隷商から奴隷を買うと、購入の申請を出さなければならないのだとか。
申請とは言っても形だけであり、大抵の申請は通る。
逆に言えば、使用人や家族として扱いたい場合は、国に申請書を出さなければ良いのだ。
何故これほどまでに面倒なのか。
それもやはり、奴隷を物扱いすることが起因としている。
貴族の屋敷から何者かの焼死体が発見されたとき、万が一殺傷事件だったとしても「これはうちの奴隷ですよ」と、罪から逃げられてしまう可能性があるためだ。
ただ奴隷が死んでも死亡通知を提出する必要は無いため、奴隷の数だけ雇用主は身元不明の死骸を無かったことにできてしまうではないか。
そう思ったのだが、どうやらその辺は王宮の兵団が取り締まっているため、問題は無いらしい。
一般図書として置かれている書物に、その辺りの詳細な説明は書かれていなかった。
では何故雇用主は、わざわざ面倒な手続きを踏んでまで奴隷を購入するのか。
手続きさえしなければ、その奴隷は使用人として仕事を承り、身分を回復する手立てを探すことだってできるのに。
別に貴族や王族が血も涙も無いクズなのでは無く、ちゃんとした理由がある。
ちゃんとした、というと一般市民である俺からは首を傾げるような理由なのだが、ともかく。
奴隷として扱うことによる利点、その一。
物扱いできるため、汚職などに手を染めている貴族としては、機密事項を抱えた奴隷は出来るだけ使い捨てしたいから。
身分回復が絶望的な奴隷とは言っても、物理的な意味で逃げることは不可能では無い。
下手に重要事項を任せてそれを履行した後で、他の貴族に誘拐されると、奪われた方の貴族は情報が漏えいし、痛手を負う。
故に奴隷を購入しては始末し、この世から証拠を消し去るのだ。
胸糞悪い理由だが、それも事実奴隷を買う貴族が減少しない大きな理由となっているのだ。
その二。
必要が無くなったら、売ることができるから。
貴族は隠すべく様々な機密事項を抱え込んでいるから殺すことが多い。
だが単なる富豪や一攫千金を成功させた元探索者などが雇った奴隷は、いらなくなると奴隷商に売られてしまうことが多い。
これらは中古奴隷と呼ばれ、次に買った雇用主が奴隷の身分を剥奪しようとしても、その申請は却下される。
中古奴隷は問答無用で申請書の提出が義務付けられており、行わないと罰則がある。
その分安いらしいが、病気持ちも多くあまり出回ることはない。
その三。
喩え重罪人だったとしても、奴隷堕ちすると罪が消えるのだ。
これは奴隷堕ちという事実自体が、罪を償うことになることが原因だ。
だがそういった奴隷の情報は貴族ネットワークを介して広まるため、前科持ちの奴隷は滅多にいいところには売れない。
需要が無く安くなるため、大抵探索者の荷物持ちや墓掘りなどの裏稼業人に買われて結局殺されることが多いのだとか。
そういった理由で、雇用主は多少面倒でも申請書を提出し、奴隷商から購入した奴隷はキチンと《奴隷》として扱うことが普通なのだ。
逆に言えば、そういう特典を望まないのであれば、わざわざ申請書を出す必要も無く、奴隷扱いする意味も無い。
「ああ、流石に疲れた」
窓の外に宵闇が広がり始めた頃、俺は書物をどけて机に突っ伏した。
奴隷関係は難解な情報が多すぎる。
プリムヴェール曰く、勉学に勤しむ時間のない平民には易々奴隷を買われないよう、貴族や富豪たちが奴隷関連の律法に日々改正を求めているのだとか。
そこに国家との妥協が重なり、面倒な申請書だとか中古奴隷の扱いなど、入り組んだ律法が出来上がったらしい。
遥か昔年の奴隷は、それはそれは単純だったのだとか。
捕縛されると同時に身体のどこかに焼き鏝を当てられ、一生奴隷の身分を授けられる。
実際捕えられていたのはエルフ含む魔族が多く、当時は愛玩用の性奴隷はほとんど存在しなかったらしい。
安い働き口として扱われ、食事も碌に与えられず衰弱する一方。
奴隷同士を無理やり交配させ、生まれた直後から奴隷身分。
局地的獣魔戦争よりもっと昔は、そういったことが日常茶飯事だったらしい。
「愛玩用や性的な魅力を求める奴隷が増えてきたこともあって、焼き鏝による刻印が撤廃されたんですよ。よく分かりませんけど、背中や肩の露出に興奮を覚える方々もいるようでして、傷を付けられた奴隷の価値が下がってしまったらしいですね」
どうやらこの世界にも“フェチ”という言葉はありそうだ。
バルテルスんとこのお嬢様も、胸板や腋の露出に興奮する人らしいからな。
男女問わず、そういった人は数多く存在するんだろう。
俺はどこが好きなんだろうなどと考えながら、ほわーんとプリムヴェールの肢体をじっくり眺めていると、不意に手を差し出された。
「もう残っている司書さんも少ないですから、手を繋いで帰りましょう」
「そうですね」
顔を見合わせて、照れ笑いをしながら恋人繋ぎ。
ロビーを抜けると、守衛代わりの兵士さんたちが温かな視線で見送ってくれた。
なるべく道幅の広い通りを選び、住宅街から商店街に抜けていく。
夕方から夜にかけてという時間は、仕事帰りの人たちとよくすれ違う。
何となくすれ違う顔を見ながら歩いていると、こちらに気付いた青色の髪をしたイケメンなお兄さんに、軽く会釈をされた。
一応挨拶を返してから、首を傾げる。
はて、今のは誰だろう。
「プリムヴェールさん、今のって」
「……わたしも覚えていませんけど、多分兵士さんだと思います」
とのことだ。
多分悪魔退治の時に、共に戦った兵士の一人なのだろう。
主に戦った、の間違いかもしれないが。
「アヤメさんのご自宅って、住宅街から外れた場所にあるんですか?」
商店街を抜ける頃に、プリムヴェールが「あれ?」といった様子で首を傾げた。
ああ、そういえば言ってなかったっけか。
「まだ住居を探し中で、小さな宿で暮らしてるんだ。――あ、だから夕食が無いや。どうしよう」
もう商店街は抜けてしまった。
どうしよう。多く支払えば、プリムヴェールとティオの分も夕食を出してくれたりするだろうか。
要相談だな。
ああ、失敗した。
「ごめん、プリムヴェール。もし無かったら、俺の分を食べていいから」
「大丈夫ですよ。一晩くらい抜いても、死んだりしませんから」
ううむ、やっぱ土地だけでも買わないとまずいな。
だが家はどうする?
魔法を使えば俺一人でも建てられるが、昨日まで更地だったところに一夜で一軒家が建ったら異常だ。
目立ちたくないわけじゃないけど、わざわざ変なことをして奇異の視線に晒されることもない。
「お風呂が無いって辺りで、何となく気が付いてましたから」
プリムヴェールに微笑みかけられ、俺はまた不甲斐なさでいっぱいになった。
◇ ◇ ◇
「一応、ここです」
入り組んだ裏道を的確に歩み進め、ビリーさんの経営する宿に辿り着いた。
壁に桶が立てかけられ、水が滴っている。
さっきまでターニャが行水をしていたのかもしれない。
危なかった。
普段から獣系幼女がタオル一枚で行水しているなんて知られたら、どんな目で見られるか分からない。
プリムヴェールはそういうとこ堅実だからな。
「静かでいいところですね。もしかして、休日の読書に丁度いいからここを選んだんですか?」
「ええ、のどかで喧騒も無いので、とても過ごしやすいんですよ」
実際はターニャに誘われたからここを選んだのだが、まあ嘘は言っていない。
プリムヴェールは「やっぱり」と言った様子で、嬉しそうに微笑んでいる。
気に入ってくれたら、時々来てくれるかな。
闇に包まれたカウンターに挨拶をして、階段を軋ませながら二階へ上る。
危なっかしい足取りだったため、プリムヴェールの手を取って進む。
ほんのりと頬が染まっていた。
あれ、これ行けるんじゃね? とか思ってくるが、そうならないことは俺にだって分かっている。
こんなちょっとした触れ合いでどうこうなるのであれば、プリムヴェールの自宅に泊まるたびに何か起きていておかしくない。
一緒のお布団で眠るくらいが関の山だろう。
扉を開けると、ふわりと肉の匂いがした。
次いで視界に入るのは、黄色い頭とこげ茶の縞々模様。
ドアが開いたことに気が付いたのか、頭の持ち主はくるりと振り返り、ギザギザの牙をいっぱいに見せてにっこりと笑った。
「あ、お兄さん。おかえなさい」
「お兄ちゃん、おかえりなさい」
肉を口に頬張ったティオも、上目遣いに俺を見ながら小さく頭を下げる。
どうやら夕食の時間だったらしい。
というより、ティオの分の夕食も用意してくれてたのか。
「良いのか? ティオの分まで用意してもらっちゃって」
「大丈夫だよー。うちはお部屋一つで宿泊代を決めてるから、子供でも大人でも同じ値段な代わりに、四人家族までは御食事代の追加料金はかからないんだ。その分、ちょこっとグレード下がっちゃうこともあるけどね」
そうなのか。
いや、実際はどうか知らない。
ターニャやビリーさんのことだ。何かと言い訳を付けて、連れてきたお客様の分はタダにしておきますとか言いそうだ。
ここ二ヶ月付き合っていて分かったが、ターニャとビリーさんは超が付くほど他人に優しい。
赤字覚悟で、俺を引き留めようとしてくれているのかもしれない。
「ありがとな、ターニャ」
「ううん、全然。それより、お客様を連れてきたんじゃないの?」
扉を全開にして、プリムヴェールを招き入れる。
プリムヴェールは姿勢よくお腹の前で手を重ねながら部屋に入り、丁寧に腰を折った。
「初めまして、プリムヴェールと申します」
「えー、なに? お兄さんの彼女?」
ギザギザの牙を手で隠し、くっくと喉の奥で笑ってみせる。
ニマニマと目を細めながら、俺とプリムヴェールとの顔を交互に見やる。
冗談でからかってみました! って感じだ。
だが反応で何となく察したのか、ターニャは不意に瞠目して驚いたような顔をした。
「え、本当に。お兄さんの彼女さん?」
ほんのりと頬を染め、プリムヴェールは遠慮がちに首肯。
指先で毛先をくりくりと弄っている。
照れているのだろう、可愛いな。
ターニャはターニャで、キャーなどと歓声を上げながらティオの腕を振り回していた。
年頃の女の子らしく、そういったことには敏感らしい。
ティオも少なからず興味を持っているらしく、上目遣いで俺とプリムヴェールを交互に見やっていた。
何か言いたげだったが言葉が見つからないのか、時折口を開きかけてはキュッと結んでいる。
「……あ、じゃあ僕はもう出るね。ティオもほら、一緒にじっちゃんのとこ行こ?」
夕餉を口に入れている途中のティオを無理やりに引っ張り、ターニャは急いで部屋から出ようとしている。
気を使ってくれているのは分かるんだけど、大丈夫なんだよな。
というか、恋人同士を部屋に二人っきりにして、どうするつもりなんだろう。
宿経営してるだけあって、案外耳年増なんだろうか。
「えっと、ターニャちゃん、かな。
大丈夫だよ、わたしは今日その……ティオちゃんに会いに来たんだ」
「あれ、そうなの? てっきりお兄さんが勇気を出して、彼女さんを宿に連れ込んだのかと――」
ターニャは何かを言いかけたが、すぐに口を塞いでにっこりと笑顔を見せた。
ちゃんと言って良いことと言ってはいけないことの区別はついているらしい。
ターニャはティオの頭をなでなで。
すると思い立ったようにパッと立ち上がり、トタトタと部屋を出て行った。
「お夕食二人分、追加で持ってくるね!」
「あ、わたしの分は――」
「良いって良いって! 気にしないで!」
扉の端から顔を出し、にこっと笑ってから階段を駆け下りて行った。
ターニャが出て行った途端に部屋の中が静かになってしまったが、さて。
「えと……ティオ、って言います。リーシャから来ました。奴隷ではありません。
お父さんは傭兵団に連れていかれて、行方不明です。お母さんは――」
「ティオ、このお姉さんにはその紹介はしなくて大丈夫だから」
路地裏で出会う冒険者に、出会う度にそう告げていたらしいが、ティオとしても辛い過去だろう。
初対面の人を連れてくるたびに、わざわざ思い出させる必要も無い。
それに大体のことはもうプリムヴェールには話してあるからな。
「初めまして、プリムヴェールです」
手を差し伸べて握手でもするのかと思ったら、プリムヴェールはそのままティオの体躯を包み込んでギューッとした。
幸せそうに頬を緩め、ティオに頬擦りなんてしている。
野良猫か何かを抱きしめて、可愛がっているという情景が浮かんだ。
一人の女の子というよりかは、愛玩動物のような感覚で接しているのかもしれない。
「プリムヴェール、お姉さん」
「はい、プリムヴェールです。
それと、ティオちゃん。アヤメさんのことは『お兄ちゃん』じゃなくて、『アヤメお兄ちゃん』って呼んであげた方が喜ぶと思うよ」
「お兄ちゃんは、アヤメって名前なの?」
その言葉に、プリムヴェールは信じられないという顔で俺の方を見た。
ソーリー、わたわたしてたから名乗って無かったかもしれないよ。
どうりでティオは俺を『お兄ちゃん』と呼ぶわけだ。
名前を知らないんだからな。
「……アヤメ、お兄さん」
あれ? お兄さんになっちゃった。
別にいいんだけどさ、なんかその、お兄ちゃんって呼ばれ方に憧れてたから、ちょっと残念。
「アヤメお兄さんと、プリムヴェールお姉さん」
「はい、よくできました。ところで、ティオちゃんは幾つなのかな」
「十歳、です」
「あれ、ごめん。だったらもう少しお姉さんっぽく接した方が良かったかな」
「大丈夫、です。歳の割には“げんどう”とか“ふるまい”が幼いって、よく言われるので」
幼少時に父親がいなくなって、三年近く母のいない生活をしていたんだもんな。
そりゃ確かに、言動や振る舞いが成長しきってなくても仕方が無いことだろう。
この世界の成人は一応十五歳らしいけど、十五歳で働き始めるのなんて貴族とか、若くして冒険者を目指す少年少女くらいだ。
実際は十七や十八を越えた辺りで、将来のことを決め始めるらしい。
そう考えると、プリムヴェールは早熟なのだ。
十七で、もう司書としてしっかり働いているんだもんな。
「ティオちゃんは、アヤメさんのことをどう思ってるの?」
「……うーん。優しくて、ちょっと格好良い」
優しいのは分かるけど、格好良いは意外だな。
この年頃の女の子は年上に憧れると聞いたことがあるし、その程度に考えてれば良いことかもしれんが。
「一緒に寝てくれるし、お洋服も買ってくれるから、……好き」
あれ? そこだけ聞くと現実の見えていない蜜具君っぽく聞こえるのはどうしてかな。
――っとぉ、プリムヴェールさん。視線が痛い、痛いです!
「そっかぁ、好きかぁ。でもアヤメさんはわたしのだから、あげないよー」
そりゃ服買ったこととか一緒に寝たことを黙ってた俺も悪いけど!
プリムヴェールさん、七つも年下の子をそんなライバル視しなくても。
ティオを抱きかかえるプリムヴェールの表情が、ほんの少しだけ強くなった。
バチバチとか言って、一方通行な火花が散っていそうだ。
何だろう、この居辛い雰囲気は。
「――お兄さん、お姉さん、お夕食持って来たよ。
燻製肉は足りなかったから、一切れを二つに分けたんだけど、いいかな」
すっごい居心地の悪い空気を払拭してくれたのは、お盆を抱えたターニャの一言だった。
タイムリーだ。グッジョブだぜ、ターニャ。
嬉しさのあまり思わず抱きしめてやりたくなったが、余計に面倒なことになりそうだから自重しておく。
「プリムヴェール、さん。せっかくですから、一緒に食べましょうか」
「はい、そうですね」
「では、ごゆっくりー」
それだけ言うと、ターニャは階段を軋ませながら階下へ降りて行った。
そういえばさっきは階段を上ってくる音がしなかったな。
空気の読める子だ、本当に。
◇ ◇ ◇
燻製肉と果物、そして黒パンといういつも通りの夕餉を食し終える頃には、ティオは疲れたのかぐっすりと眠っていた。
毛布を口元まで被り、すやすやと眠っている。
年頃だからか、今までしっかり睡眠をとっていなかったからなのか分からないが、ティオは大抵ベッドに潜っている時は幸せそうな顔をしている。
やはり全身を温かい毛布やシーツで囲まれているというのは、安心できるのかもしれないな。
「ティオちゃんって、可愛いね」
ベッドの端に腰かけ、プリムヴェールはティオの頭を優しく撫でる。
伸ばし放題だった前髪は、昼の内にターニャかビリーさんが切ってくれたようだ。
貞子状態だった前髪が若干短くなっている。
「ああ、確かに可愛い」
「顔だけじゃなくて、性格とかも。出会って間もないのに、何だかそう思える」
プリムヴェールは慈母のように優しげな表情で、ティオの顔を眺めていた。
さっき不穏な空気が流れたから、二人の関係については少し心配していたのだが、どうやら大丈夫だったらしい。
「何だか、気が付いたら普通に話せちゃったし」
「それはプリムヴェールが誰とでも仲良くできるからじゃないか?
俺はかなり内気だけど、プリムヴェールとは結構早く仲良くなれたと思うし」
言っちゃあれだが、読書ばかりをして青春時代を食いつぶした俺にとって、人付き合いとはデビル難しい事項の一つだ。
今更蒸し返すことでもないけどな。
「えー、わたしだってインドア派で内気ですよ。
アヤメさんと話せたのは、ほら……。い、勢いみたいなものです。
趣味とかも合いそうでしたから、話題にだって困らなかったし……。もぅ」
二人っきりという空間のためか、プリムヴェールの声音が若干甘えた感じになっている。
時と場合を考えて敬語を使い分けていると言っていたが、違うみたいだ。
安心できる場所だと、こうして敬語も崩れるのだろう。
時々丁寧な風味が覗くのは、癖だろう。
俺も時々混ざってしまうからな。
プリムヴェールはティオの頭から手を放し、ネコのように目を細めてみせた。
「なんだか、わたしたちの子供みたい」
「はは、ちょっと大き過ぎますけどね」
言ってから、ふとプリムヴェールの言葉が脳内で反芻される。
二人の子供。
俺とプリムヴェールの子供。
俺とプリムヴェールの――――。
「どうしたんですか、アヤメさん。顔が真っ赤ですよ」
きょとんとした顔で、首を傾けられた。
気が付いていないのか、プリムヴェールさんよ。今のは流石の俺でも、大打撃だったぞ。
暫く「?」という顔をしていたが、ようやく気が付いたのかプリムヴェールの顔もみるみるうちに赤くなった。
違っ! とか、そのですね、とか言いながらわたわたしている。
慌てているプリムヴェールも可愛い。
ティオはぐっすり寝ているようなので、指を絡めて抱きしめてみる。
「ちょっと、こら! どこに顔を埋めているんですか」
「よいではないか、よいではないかー」
「ひゃん、くすぐったい。アヤメさんって、そんなキャラでしたっけ?」
言いつつも嫌がっている様子はなく、ギュッと背中を掻き抱いてくる。
ああもう、変なこと言うからプリムヴェールをそういう風に意識しちゃうじゃないか。
先っぽだけとかいう輩の気持ちが少しわかった気がするよ。
俺が言うと恐怖でしかないから言わないけど。
身体を放すと、上気したプリムヴェールの顔が見えた。
口端から舌先が顔を覗かせ、唇をやさしくなぞっている。
頬もほんのりと染まっていた。
「アヤメさん……」
「プリムヴェール」
指を絡めて手を繋ぎ、熱っぽい視線が交錯する。
あ、今日はいけるかも。
プリムヴェールの吐息も荒い。
何かを求めるような表情で、俺の全身をくまなく眺めている。
「アヤメさん!」
「……ママ」
目の前にいる思い人に夢中になっている間に、ティオが起きてしまっていたらしい。
いつから見ていたんだろう、なんて思うより先に、ついさっきティオの口から放たれた言葉が脳内に蘇る。
ママ、と言ったか。
「ママ、行っちゃ嫌だ。行っちゃ嫌だ。行かないで!」
寝ぼけているのだろうか。
ティオはプリムヴェールの膝の上に乗ると、背中に手を回して首をふるふると左右に振り始めた。
「ティオちゃ……。ティオ、大丈夫だから。わたしはどこにも行かないから」
「行かないで、行かないで! 行かない………………すぅ」
やはり寝ぼけていたのか、暫くするとティオはプリムヴェールの膝の上で眠ってしまった。
起こさないよう丁寧に布団を被せ、少し様子を見守ってやった。
安心したような寝顔。大丈夫そうだ。
「ティオちゃんも心配ですから、今日は泊まっていきますね」
そう言って、プリムヴェールは仕事着のまま布団に潜った。
布団と毛布を捲りあげ、俺にも入るよう手招きする。
「あの、さっきの続き……」
「いつまたティオちゃんが起きるか分かりませんから、今日はまだやめときましょう」
川の字になって横になると、プリムヴェールはすやすやと寝入ってしまった。
はぅ……。今日は無しかぁ……。
色々と準備万端だったのだが、冷静さを取り戻したプリムヴェールには何を言っても無理だ。
自分で発散する気にもなれず、仕方なく俺は悶々としたままの状態で眠り込んだ。




