3-4.奴隷の烙印
疲れが溜まっていたのか、ティオはあの後大あくびをして、突然パッタリと倒れるように眠ってしまった。
外に転がしておくわけにもいかないため、一応俺の部屋に運んでベッドに入れておく。
幸せそうな寝顔だ。
安心したように寝息をたて、時折嬉しそうに頬を緩める。
ずっと眺めていたいという衝動に駆られたが、そうも言っていられない。
今はターニャの服を借りているのでなんとかなっているが、ティオ自身は一着も自分用の衣服を持っていない。
流石に毎日ターニャの古着を借りるわけにもいかない。
ターニャにも悪いし、ティオだって毎日お下がりでは可哀想だ。
だから服を買うことにした。
確か俺の賢者服やローブは、小物類含めても大銀貨四枚でお釣りが来る程度の値段だ。
女の子の衣服が幾らくらいするのかは分からないが、所詮子供服、目が飛び出るような金額にはならないだろう。
最近依頼を受けていない割には、スタッフを買ったり日用品を買ったりと出費が多いので、出来るだけ無駄遣いは避けたいところだが、まあ何とかなるだろう。
エイムさんに頼んで、割のいい依頼を今度探して貰おうかな。
最近プリムヴェールともあまり会ってないから、今度デートするときには何か買ってあげたいし。
宿泊代金もばかにならないし、ああ、思ったより金ってすぐに無くなるんだな。
「お兄さんどうしたの? 随分と難しい顔してるけど、何かあったの?」
「いや、別に大丈夫だ」
ローブの裾を掴みながら、ターニャは俺の顔を覗き込む。
俺とターニャは、二人並んで商店街を歩いている。
俺がこの間行った店は、冒険者や魔術師用の服屋だ。
今回行くのは、ターニャくらいの少年少女の着るような服が売っている、別の店だ。
俺一人で行っても良かったのだが、子供の趣味はやはり同じくらいの年頃の子がいたほうが分かり易いだろうという理由と、単に子供服売り場に一人で行くのが恥ずかしいからという理由により、ターニャを連れてくることにした。
預けている金を下ろしに行く際に、ターニャを連れ出す許可は一応ビリーさんから貰っている。
ついでにターニャの分も買ってやってくれと、大銀貨一枚を預かっている。
「ビリーさんと一緒に買い物したりとか、よくするのか?」
「うーん。じっちゃんは足怪我してて歩くの苦手だから、一緒にはあまり出かけないかな」
だ、そうだ。
大抵はターニャが買い出しに赴き、生活必需品のみを購入して戻ってくるのだとか。
お釣りで好きなものを買って良いといつも言っているらしいが、ターニャもあの宿が流行っていないことを気にしているため、滅多に自分のためにお金を使うことはないそうだ。
いつも自分の我儘を抑え込んでいるらしい。
客寄せもターニャがやってたしな。
働き者だよ、本当に。
そのためか、今日は心なしか嬉しそうにも見える。
自分の服だけじゃなく、ティオの服を選ぶのも手伝ってくれと頼んでいる。
ターニャは年頃の女の子らしく、お姉さんぶった言動やちょっとした世話焼きが好きなのだとか。
そうこう歩いている内に、ターニャ行きつけの服屋に到着した。
◇ ◇ ◇
「あら、ターニャちゃん。今日はお兄さんと一緒にお買いもの?」
店に入ると、豪奢な金髪を腰の辺りまで伸ばした女性がターニャに声をかけてきた。
女性の問いに、ターニャは嬉しそうに答えている。
幾つか世間話をしてところで、ターニャは俺のローブを引っ張って金髪の女性に紹介してくれた。
「お兄さんはうちのお客様で、立派な賢者様なんだよ。
石鹸とか立派な杖とか持ってる、すっごい賢者様なんだよ!」
「まぁ、賢者様だったのですか。……もしかして、銀髪の彼女さんがいたりしませんか?」
「ええ、おりますけど」
というか何で知っている。
しかも第一声がそれとか、結構突っ込んだことお聞きになられるんですね。
「やっぱり! いえ、この間そこの服屋の店主さんとお会いした時に、ちょっとそんなお話を聞いたものですから」
俺が金髪女性と話している間に、ターニャは陳列されている服を漁っていた。
なるほど、子供が服を選んでいる間、保護者が暇しないように話しかけてくれているのか。
「まあ、あの時はまだ付き合っていたわけではないのですが」
「ええ!? じゃあ、まだ初々しいカップルってことですか? いいなぁ……。羨ましい」
金髪の女性店主は暫く恋愛事情に関して喋っていたが、困った顔をしたターニャが俺を呼びに来たので、途中で打ち止めとなった。
店主は残念そうに奥の棚へ戻っていった。
きっと俺みたいな年齢の男性客は滅多に来ないのだろう。
男性から見た魅力的な女性とは? とか聞かれたし。
そんなもの人それぞれじゃないですか、としか言いようがない。
とくに俺は口下手だからな。
井戸端会議のような会話は苦手なのだ。すぐに話題が尽きてしまう。
「――で、どうしたんだ?」
「僕の価値観で全部決めちゃよくないと思って、一応お兄さんの意見も聞いておこうと思って」
言いつつ、ターニャは二つの衣装を掲げて俺に見せた。
一つは背中がガバっと開いた、パーティドレスのような衣装。
闇のような漆黒に、白い薔薇の花が誂えている。
おい、これ本当に子供服か?
二つ目の方は、白いマントのような服だ。
ちなみにフードには、耳を入れる袋が付いていた。
おい、これはターニャが欲しいやつだろ。
「もう少し、そうだな。人族っぽい衣服の方がいいと思うんだけど」
「……そっか、そうだよねー。あとさ、あの子下着も着けてなかったから、それも用意しなきゃだよね」
下着。……そうか、下着か。
うっかりしていた。
うん? あのくらいの年齢だと、上は着けるのか、着けないのか?
というか、売り場を漁りながら色やサイズを確かめている姿を想像すると、どうやっても俺は変態にしか見えない。
仕方が無いな。
「その、内側のものは、ターニャに任せるよ。
靴下とかシャツとかは、一緒に選んで貰ってもいいかな?」
負担になってしまうだろうか、と若干危惧しての問いかけだったのだが、ターニャはそれを聞くと、パァッと顔を輝かせた。
「僕が、僕一人で選んでいいの!?」
「……ああ、俺じゃどうにもならないからな。その代わり、ティオに似合いそうな可愛いやつにしてくれよ」
ターニャは目を輝かせながら、「もちろんだよ!」と平たい胸を叩いてみせた。
嬉しそうに飛び上ると、ターニャは奥の売り場へ駆け出していった。
よし、下着はターニャに任せて問題無いだろ。
ターニャが奥の棚を物色している間に、俺は上着やシャツの方に何かいいものが無いか探すことにした。
◇ ◇ ◇
夕日が沈むより前に、俺とターニャは服屋から退店した。
ターニャは自分の分の衣服を抱えて、嬉しそうにしっぽを振っている。
ビリーさんから貰った大銀貨一枚を支払って、銀貨が三枚戻って来た。ちなみにティオの服も二、三着買ったが、こちらも同じく銀貨七枚でお釣りが来た。
服の相場がどの程度なのか分からないため、安いのと若干高級そうなのを選んで購入したのだが――、まあ、何とかなるだろう。
ちなみに上の下着は、今回は買っていない。
そっちは全てターニャに任せていたのだが、ティオの方がターニャよりちょっぴり大きいらしく、サイズが分からないとのことだった。
大して変わらないと思うのは、俺が男だからか。
つるぺたと膨らみかけの違いなんぞ分からないよ。
ついでにアクセサリー店の前を冷やかしがてら通って帰った。
今度プリムヴェールと出掛ける機会があったら、買ってあげようかな。
宝石が付いていなければ、銀貨数枚で事足りる。
宿に戻ると、ターニャは自分の服を抱えてカウンター奥へ戻っていった。
俺はティオの分を預かってから、薄暗い階段を慎重に上る。
両手が塞がっているから、転んだら怪我をしてしまう。
いくら治癒魔法が使えるといっても、余計な怪我はしたくないからな。
「ティオ、起きてるか?」
足でドアを開けて中に入ると真っ暗だった。
カーテンが閉めっぱなしだったのだ。
カーテンを開けて、夕焼けの光に照らされたティオの寝顔を見下ろす。
眩しかったのか、窓際を向いていたティオは寝息を立てながらコテンと寝返りを打った。
布団が捲れて、艶やかな肩が露出する。
――――あれ? 肩が露出するだと?
違和感が生じたので、そっと布団を捲ってみた。
ちらりと覗く滑らかな鎖骨、胸板――そして。
「……ふにゃ? あ、お兄ちゃん。おはよう」
「何で服着てないんだ」
あれか、やっぱり露出癖でもあるのか。
「だって、背中がチクチクするんだもん」
ふとベッドの脇を見ると、キチンと畳まれたワンピースとショーツが積まれている。
拾い上げてよく見てみると、黄色い毛がちょこちょこと引っ付いていた。
ああ、ターニャの毛が付いていたのか。
背中とかしっぽとか耳には結構生えているからな。
まあいい。
この服は明日にでも洗濯してターニャに返そう。
石鹸は万能だ。何でも洗えるからな。
「お兄ちゃん、それなに?」
ティオはベッドから出ると。豹のように尻を突き出し、四つん這いになってしなやかに伸びをした。
気持ちよさそうに目を細めると、ティオは動物的な格好のまま俺が持っている布地をじっと見つめた。
興味津々って感じだ。
「ティオのために買って来たんだ」
「私のために?」
買ってきた衣服を床に並べ、ティオを手招きする。
ティオは俺の隣に腰かけると、爛々と目を輝かせて服と俺を交互に見た。
喜んでくれたようだ。
ふわー、とか声を上げては、ローブの袖をぐいぐいと引っ張る。
引っ付くのは構わないが、あまり力を入れるな。
破けても治せるだけの裁縫技術は持っていないんだ。
治癒魔法では衣服を治すことは不可能だからな。
魔法だって全能では無いのだ。
「三種類ずつ買ってあるから、組み合わせも自由に決めて良い。
……とは言っても、色違いのワンピースが二着と、シャツとショートパンツの組み合わせしか無いから、実質三種類以上の組み合わせにはならないんだけどな」
「わぁー! えっと、えっとね! じゃあ、この黒いのと、ピンクのがいい!」
ティオが手に取ったのは、黒を基調としたシャツと桜色のショーツだった。
「あー、シャツを着る時は、こっちのズボンも……」
「ううん! この二つが良い!」
「良くねぇ!」
ささっと着替えて、ティオは黒いシャツにショーツのみという開放的な格好で、姿見の前でくるくると回っていた。
シャツがはためく度に、縦筋の綺麗なおへそがちらりと顔を覗かせる。
あれだけ嬉しそうだと、無理やり「穿け!」なんて言えないな……。
まあ、どうせ外に出るわけじゃ無いんだし、別に良いか。
「あー、分かったよ。ティオが気に入ったなら、その格好でもいいか」
「すごーく気に入ったよ、ありがとうお兄ちゃん!」
にぱっと笑って、胸の中に飛び込んできた。
ううむ、何故だ。
ターニャが「お兄さん」と呼んでもとくに気にならないのに、ティオが「お兄ちゃん」と俺のことを呼ぶと、腰から背中にかけてがゾクゾクする。
これが「さん」と「ちゃん」の違いか。
もしくは、俺は心のどこかで妹が欲しかったのか?
日本では一人っ子だったから、兄弟姉妹がいる人のことは羨ましいと思ってたけど。
でも俺的には、甘えられるより甘える方が好きなんだよな。
ローブ越しのティオはとても温かい。
子供体温って言うんだったか、基礎体温が若干俺より高いんだ。
「ねえ、この格好で寝てもいい?」
「ああ、良いけど風邪ひくなよ」
ぴょんと飛び出して、ティオはベッドにダイブ!
ころころと毛布の上を転がってから、布団にすっぽりと包まれてすぐに寝息を立て始めた。
大飯喰らいだったり、ずっと寝ていたり。
やはり家が無い生活というのは、かなり大変なのだろうな。
安心したような寝顔を見ながら、俺はふと考える。
確かこの世界では、一度奴隷という烙印を押されると一生奴隷なんだっけか。
ティオは明るく、生きようとする意志が強い娘だ。
でなければ、あんな状態で俺に見つかった時、嘘でもあんな綺麗な笑顔を見せられるはずがない。
生前読んだラノベに出てきた奴隷はどうだっただろう。
目が虚ろだったり、表情が死んでいる者が多かった覚えがある。
王都とは言えど、俺やティオが住んでいるこっち側は単なる一般地域だ。兵士は多いが、貴族や王族は滅多に通らない。
もし奴隷堕ちをしても、いい家に買われることはまず無いだろう。
この娘を奴隷に堕としてはいけない。
俺には全然関係ないことだし、スタッフが蓆を引っ掻けなければ出会うことも無かったかもしれない。
でも俺はティオを見つけてしまい、同時に助けたいと思ってしまった。
俺は一度始めたことを途中で投げ出すのが嫌いだ。
ティオと比べるとなると失礼な喩えになってしまうが、俺は一度たりとも、読み始めた本を途中で投げ出したことはない。途中で他の本を読み始めてしまっても、最終的には全部読んだ。
ここまでして、途中で放り出すなんてことは絶対にしない。
さらっと流していたが、確かティオは食い逃げをしたことがあると言っていた。
勿論この世界でも、食い逃げは犯罪だ。
罪を犯したならば、償わなければなるまい。
生きるために必要な罪が許されるなら、そもそも奴隷なんていないはずだ。
しかしティオはまだ子供だ。
ある程度力がある者が守ってやらなければならない。
その力が、こんな矮小な俺にあるのだろうか。
「ティオ……」
ベッドに腰掛け、ティオの頭を撫でやる。
格好いい主人公なら普通床で寝るのだろうが、木板の上で一晩寝ると肩や腰などあちこちが痛くなるうえに腹を下しやすくなる。
格好付けて身体を壊しても洒落にならない。
「――――」
布団の中に潜り、少し身を寄せる。
俺もティオも痩せ形だからか、二人で潜っても全然狭く無い。
俺はティオを抱き枕にして眠ることにした。
布団を掛け直すと、力強く抱きしめ返された。
行かないで行かないでと魘されながら、ティオは俺の胸の中に顔を埋めて泣いていた。
明るく振舞ってはいるが、やはり寂しかったのだろう、とそう思った。




