3-2.美少女の接吻と灰色の偽善者
今回の話に、若干ダークな場面があります。苦手な方はご注意ください。
いくら死にかけの子供だろうと、すっぽんぽんの幼女を連れて店に入るわけにもいかない。
丁度酒場の裏道だったということもあって、食料品を扱う店は少なくない。
一番空いている酒場に飛び込み、一番安いパンと果物を買って戻って来た。
何で一番安いものにしたのか。さっき金貨三枚なんて大金を使っちゃったから、手持ちがあんま無いんだ。
少女は蓆の上にペッタリ座ると、俺が買ってきたパンと果物を無心に食べ始めた。
凄い勢いだ。なんかシュレッダーかディスポーザーを思い出すような、食べているというよりかは、飲み込んでいるようにも見える。
大丈夫か? 空っぽの胃にそんなに詰め込んだら、身体に悪いんじゃ……。
そろりと視線を下ろすと、ぺったんこだった腹が忙しなく動いているのが見えた。
ちなみに彼女は今、赤茶けた襤褸切れを身体に纏っている。
俺が食品を買いにいっている間に、近場のゴミ箱から発掘したらしい。
「美味いか?」
「うん、美味しい」
「そか」
ポケットの奥底に眠っていた銀貨二枚を投げ渡して、一番安いパンと果物を出せ! と叫んだ甲斐があったな。
とはいえ、銀貨二枚と言えば調理前の塩漬け干し肉二つが買えるだけの値段だ。
質より量を求めた結果がこれなわけなのだが……。
「おかわり欲しい」
「あんなぁ……」
俺一人では食いきれないほどの食料を持って来たはずなのに、気が付けば少女はそれらを全部平らげ、物欲しげな視線を送ってきた。
意地悪言うわけじゃないけどもう無いよ。
銀貨二枚だって、偶然持っていた分なのだ。
普段は金貨一、二枚と大銀貨数枚を持ち歩いているのだが、今日は偶然それしか持ってなかったんだ。
あまり多く持っていてスリに遭っても困るからな。
「本当に、無いの?」
身を乗り出して問いかける少女に、無言で首肯する。
そもそも、何で俺は初対面の幼女に飯を奢ってるんだろう。
日本じゃあ募金活動さえ非協力だったのに。
チラと視線を向ける。
顔や身体は薄汚れているが、全体的に整った面差しをしている。
髪色も鮮やかな桃色だし、顔つきもあどけなくて可愛らしい。ただ何日も喰ってなかったにしては、そこまで衰弱しているようには見えないんだけどな……。
お腹とお胸がぺったんこなのは仕方ないとしても、細い腕も幼い少女のものだと思えばさほどでもないし、アフリカ難民の少年少女のように肋が浮き出ているわけでもない。
本当にこの子、浮浪者なのか?
「ちょっと少なかったけど、うん、美味しかった。ありがとう、お兄ちゃん!」
ずいと顔を近づけられ、そのまましなだれかかってくる。
そのまま両腕をいっぱいに使って俺の体躯を抱きしめると、舌をペロリと出してほっぺたに口づけをした。
ぞわりとする感覚。柔らかい感触と、温かくてねとっとした接触。
そういった趣味は無かったはずだが、刹那的に腰が浮いた。
「助けてくれたお礼だよ」
にぱっと笑顔を見せ、首を傾げてみせる。
ああ、可愛い……。
純粋な笑顔に思わず抱きしめたくなる衝動に駆られるが、ふっと我に返る。
違う、そうじゃない。
「お礼は嬉しいけど、誰彼かまわずそういうことするのはやめときなよ」
幼女が全裸でほっぺたに接吻。字面だとひどい有り様だからな。
もしこんな光景をプリムヴェールに見られてみろ、一瞬で何かを誤解された上に関係が終わってしまう。
「しちゃ、だめなの?」
「ああ、しない方が良い」
「そっか、分かった」
意外と物わかりの良い子供だ。何でー? とか聞かれて、こちらの言うことなんて聞いてくれないと思ったが。
うちの親戚連中は揃って良い子だったはずだが、どこでそんなイメージが……と考えていると、ふとターニャの顔が頭に浮かんだ。
未だに半裸で行水と素振りをしている。
ビリーさん曰く、ターニャはちょっぴり露出癖があるらしい。
もう少し成長する前にどうにかするから、それまでは大目に見てやってくれと言われた。
逆に言えば、成長するまではあのままってことだよな。
「お兄ちゃん、どうかしたの?」
「いや、何でもない」
流石に『君とは別の女の子のことを考えていた』などとは言えない。
わざわざ言うべきことでもないし、第一デリカシーに欠けた話だからな。
――と、ふと余計なことを考えながら少女の顔を見ていると、俺の中で妙な既視感が生じた。
あれ? この髪色、異世界に来てから一度どこかで見たような気がする。
どこでだったっけか。
高原では王都付近に来るまで誰ともすれ違わなかったし、多分王都での出会いなんだろうけど――。
うーん、ダメだ。思い出せない。
第一、何となく見た覚えがあるのはこの桃色をした髪だけだからな。
銀髪とか金髪とか紫髪とか藍色とか、カラフルな髪をした人とは何度もすれ違ったし。
「君、――えーと、名前は」
「名前? ティオだよ」
ティオか。思い返してみたが、とくに知っている名前では無さそうだ。
誰かに似ている――というわけでは無いし……。
ティオの顔を見ながら誰だったかと熟考していると、不意にティオはスィと息を吸った。
「ここからずっと遠くの、リーシャっていう国から来たんだ。お父さんは傭兵団に駆り出されて、それっきり。お母さんも、多分いない」
急に重苦しいお話を淡々と告げられた。
「えっと……?」
「よく聞かれるから。どこから来たのか、お父さんはお母さんは? 捨てられた奴隷なのか? お兄ちゃんみたいに優しい人は、そう言って私に声をかけて、境遇を聞いて『可哀想にね』とか『強く生きるんだよ』とか言って、いなくなっちゃう」
無理矢理口元に弧を描き、ティオは首を傾げて幼気な仕草をみせる。
胸の奥がキュウと痛んだ。
そうか、この世界にはギルドがあるから失業者は少ないけど、孤児とかの面倒を無償で診てくれるような場所は無いんだ。
冒険者という職業は、言ってしまえば誰でもなれる。
喩え依頼を達成できるような力が無くても、冒険者になることだけは出来るのだ。
逆に言えば、生活に困っても冒険者か奴隷堕ちして生計を立てろ、とそんな世界なんだ。
この世界には、多分税金がない。
消費税さえ無いのだろう。さっき見たように、探索者が誰の許可も貰わずに商売出来るような環境だ。
あんなことを許可していたら、簡単に脱税される。
税金が無いということは、国が孤児を助ける必要は無いということだ。
自分の生命は自分でどうにかしろ。
それが、この世界の摂理。
ゾッとする。
いや、ティオの人生に対する恐怖ではない。
例えば俺がこの世界に飛ばされた時、あの魔導書が手元に無かったら。
もしくは読むことができなかったら。
戦う術も、生活する術もない俺がこの世界で生きていくことは絶望的だろう。
高原で力尽きるか、無事王都へ辿り着けたとしても、生活するだけの金銭を稼ぐことも出来ず、ティオのように路地裏で暮らすことになっていたかもしれない。
着物も全部売り払って、ゴミ箱から食い物を調達して、最終的に奴隷堕ちか。
考えただけで寒気がする。
チラとティオの顔を見やる。
俺くらいの年ごろの兄ちゃんに、よく声を掛けられると言っていたか。
声をかけるのは、ギルドに迷子の子供を連れて行くと若干の報酬が貰えるからだ。
わざと汚い格好をして逃げ出した貴族のご子息などを探してくれ、とかいった依頼なんかが時折ギルドに張ってある。
それを期待しての行動なのだろう。
俺の視線に気づいたのか、ティオは上目遣いに俺の顔を見ると、またしても無理矢理に笑顔を作ってみせた。
「ご飯美味しかったよ。ありがとう!」
「――――っ」
ティオはそう言って襤褸切れを纏いなおすと、蓆を抱えて立ち上がった。
もう関わらないで良い、とそういうことなのか。
確かに俺はこの少女に何かをしてあげる理由はない。
でも――!
「ティオ!」
気が付けば、俺はティオの羽織った襤褸切れを掴んでいた。
助ける理由はない。ただ、出会ってしまっただけだ。
自分がこうなっていたかもしれないという思いと、この娘を助けたいという思い。
奴隷堕ちしかけている幼女を一人助けただけで、世界が変わるとは思っていない。
だけど、俺はこの娘を置いて帰るなんてできない。
思わず手に力が入ってしまい、ティオの下半身を隠していた襤褸切れがペロンと捲れた。
直立した後ろ姿を見られたことによる羞恥か、ティオの顔がほんのりと赤く染まった。
違うんだ。
◇ ◇ ◇
ティオの今までの人生は、俺が想像していたよりも壮絶なものだった。
王都から遥か遠くに位置するリーシャという国に生まれたティオは、強くて格好いい父親と優しくて可愛い母親のもとですくすくと育った。
父親が田舎の傭兵団に所属していたこともあってか生活に不自由することは無く、母と共に庭弄りをして作物を育てるのが日課だったらしい。
しかしそんな幸せな生活も、ティオが四歳の時に終わりを告げる。
リーシャのすぐ傍の国で戦争が勃発し、リーシャの傭兵団員たちは総員問答無用で駆り出された。
ティオの父親も例外ではない。
自分たちとは全く関係ない戦に駆り出され、多くの傭兵が生命を落としたらしい。
ティオの父親は、現在も行方不明。
ティオ曰く、生きている可能性はほとんど無いのだとか。
戦争中は傭兵団員の自宅に生活するための金銭が支給されていたらしいが、戦局が悪化するに連れて支給金額が減少していった。
そのうちリーシャの国にまで戦火が降り注ぐようになり、ティオの母はティオを連れて国から出た。
行商人の竜車に飛び乗り、ティオと母親は何とかこの国の王都まで辿り着いた。
この国(トリスコールと言うらしい)は、種族間の諍いも少なく、平和な国である。
故にもう同じような目に遭うことは無いだろう、と考えてのことだったらしいのだが。
一つだけ問題があった。
ティオの母親は魔法を使うことはできても、戦いや探索の経験は皆無だった。
トリスコールは見ての通り、冒険者ギルドと役所が合体しているという魔物討伐に力を入れている国家だ。
戦いの知識も経験もないティオの母親が、子供を連れて生活するだけの賃金を稼ぐことは出来なかった。
結果、ティオの母は奴隷堕ちをした。
ティオが最後に母親の姿を見たのは、三年以上も前――高給待遇良しの『家事手伝い』という張り紙を虚ろな目で眺めている姿だった。
それから母親が家に帰ってくることは無かったが、ティオには立派な一軒家を用意され、毎月のように生活費や食料が贈られてきていたらしい。
後から知った話だが、ティオの母親は天使のような美貌を持っていたため、とある貴族に気に入られて買い取られたのだとか。
貴族自体は気さくな人間で、ティオの母親にはそれ相応の生活を施し、唯一の身内であるティオには、上述の通り生きていくために必要なものを届けていた。
しかし一年ほど前、突如貴族から送られていた物品がパッタリと来なくなった。
風の噂によると、貴族の家で何か騒動が起きたため、ティオの母親は売り払われたか死亡してしまったらしい。
結局家賃滞納で家を追い出され、今のような生活をするはめになったのだ。
「――今までは、お金がある振りをして料理屋で食い逃げしたり、酒場のゴミ箱を漁って食い繋いで来たんだけど、ここ最近上手くいかなくて。お洋服も売っちゃったから、お店にも行けないし」
話を聞くところによると、食べていないのは二日間程度らしい。
栄養失調や脱水症状を患っている様子はない。
倒れていたのは、単に大飯喰らいだからだと言って笑っていた。
「両親が生きている確率は、完全に無いのか?」
「分からないよ。さっき言った噂とかだって、路地裏ですれ違った浮浪者とかから聞いた話だから、あんまり信憑性ないし」
浮浪者の中には、元貴族だとか執事、兵士だったという層も少なく無いらしい。
むしろ金銭感覚が狂っている貴族の方が、没落後にこうなることが多い。
「ティオは、奴隷じゃ無いんだよな」
「うん、お母さんが、絶対に奴隷にだけはなっちゃダメって言ってたから。
奴隷になると、もう二度と元の生活を送ることは、絶対にできなくなるからって……」
それで自分が奴隷になっては、元も子も無いだろうに。
しかし、これで一つ分かったことがある。
まずこの国は、戦えない人間にとってひどく暮らしにくい場所だ。
今まで出会った人々は全員何らかの戦闘手段を持っていたため全く気にしていなかったが、そういえばここでは、商人か兵士か冒険者以外の職業は滅多に見ない。
司書や受付嬢はいるようだが、少数だ。
バルテルスも使用人兼親衛隊って話だったしな。
俺はティオの顔を見た。
「ティオは、今の生活が嫌なんだよな」
ティオを連れて帰る。
とは言っても、俺が今住んでいるのはビリーさんとこの宿であるため、一人分の宿泊費を負担するという形になるのだろうが。
ともかく、このままここにほっぽっておくわけにもいかない。
可能性は低いが、もしかするとティオの父親はまだ生きているかもしれないんだからな。
やっと帰ってきて、自分の妻と娘が奴隷堕ちなんてしていたら……。
俺がもしその立場だったら、多分精神が壊れてしまうだろう。
「今の生活は嫌だけど……。お兄ちゃん、私をどうする気なの?」
「俺の家に連れて行って、召使いにしてやる。――ってのは言い訳だな。
俺がティオを助けたいから、助けるだけだ。
迷惑ならやらないし、偽善だと思ってもらって構わない」
そうだ、こんなのは偽善だ。
俺一人が何かしたって、何にもならないのに。
召使い云々も、単に警戒されないための建前だ。別に、ティオが献身的に働く姿が見たいとか、そういうわけじゃない。
「お兄ちゃん……」
キュッと、小さなお手手がローブの裾を摘まんだ。
薄紅の瞳が上目遣いにじっと俺を捉え、じわじわと潤んだ。
「不束者ですが、よろしくお願いしま、うわぁぁぁぁん……」
感情が決壊したのか、ティオは俺の胸に顔を埋めて泣きじゃくった。
慣れない手つきで桃色の髪を撫で、ティオの体躯をギュッと抱きしめてやった。




