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異世界に来たけど魔力が無いから賢者になった  作者: 山科碧葵
第2章 異世界観光は司書さんとともに
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幕間 石鹸から始まる風呂騒動[前編]

「……これは、もしかして」


 手のひらサイズの白い塊を片手に、俺は商店街端にある雑貨屋の前で目を見開いていた。


 商店街の一番奥、住宅街へ続く通りに一番近い店。

 奇抜な色彩をしたカーテンに包まれた、テントのような屋根をした木造建築の小さな小屋だ。

 外から見ただけでは何を売っているのかは分からず、少し不気味な店だなと思っていた。

 だが勇気を出して一歩足を踏み入れてみれば、何のことはない、単なる雑貨屋だった。


 安っぽい杖や、布地の薄いローブ。

 羊皮紙にインクからペン、そして細身の剣や保存用の干し肉や燻製肉、ビンに入った塩まで取り扱っている。

 要するに何でも屋だ。

 専門店と比べると品質は悪いが、必要なものを纏めて購入したい客などがよく来るらしい。

 そう、店主のおばあさんが言っていた。


 おばあさんとは、どこの世界でも話好きが多い。

 雑貨屋のおばあさんも、その一人だった。

 おばあさんは魔族ドワーフと獣族との亜人族で、ドワーフの血が濃いためか背丈が低い。

 最初腰が曲がっているのかと思っていたのだが、元々背が低かったのだと言われた。


 そういえば、人族と魔族のハーフはハーフ魔族、人族とエルフ族はハーフエルフ、人族と獣族は獣人と呼ぶのだが、人族の血が混じっていない種族はどういった組み合わせでも亜人族と呼ぶらしい。

 紛らわしくないかとも思ったのだが、そういうものらしい。


「これはもしかして、石鹸では無いですか!?」


 白い塊を手にしたまま、俺は店主のおばあさんに詰め寄った。

 石鹸。あったのかよ。

 俺が泊まっている宿には石鹸なんて無かった。

 だから洗濯も洗体も面倒なんだ。

 汗とかの臭いも汚れも、全部手洗いで落とさなければならないからな。


「あぁ、石鹸だよ。欲しいのかい? 一個銅貨三枚だ」

「そしてお手頃な価格!」


 特別希少な品というわけではないようだ。

 しかし、やった! 石鹸だ。

 最近水洗いだけだとどうも気持ち悪くて、新しい服を買おうかと思ってたのだ。

 いや、結構深刻な問題なのだ。

 一応これでも、とびっきり愛くるしい彼女がいる身分なもんで、体臭や汗汚れには人一倍気を使うんだよね。


「これって、衣服に使っても大丈夫な品ですか?」

「布地でも身体でも、問題無く使えるよ。

 ただ防具とか武器の洗浄には向いてないね。

 もしそういうのが欲しかったら、ほれ、そこのボトルに入った薬品を使えばいい」


 おばあさんが指さす先には、ライトグリーンのボトルに入った透明な薬品が置かれていた。

 容器には「万能洗剤」と書かれている。

 あれで身体を洗ったら、ギトギトのカサカサになってしまうな。


「では、この石鹸を三つください。それと、このタオルも」

「あいよ、タオルは銅貨五枚だから、合せて銅貨十四枚ね」


 銀貨二枚を出して、銅貨六枚のお釣りを受け取る。

 石鹸とタオルをローブの中に仕舞い込むと、挨拶もおざなりに俺は急いで宿へ戻った。



        ◇          ◇          ◇



「あ、おかえなさい。お兄さん」


 宿に戻ると、表ではターニャが上半身裸で素振りをしていた。


 つるぺたな体躯には汗が滲んでおり、ふぅと口端から吐息を漏らす。

 肩にかけたタオルの端からぷくっとした桃の蕾が目に入り、俺は思わず視線を逸らした。

 ターニャはこういうところがガサツだから困る。

 一応宿では女の子扱いしているのだが、一向にこの格好を改善してくれない。


 前に面と向かって言ったところ、お兄さんと大して変わらないんだから大丈夫、と返された。

 まあ俺だってターニャに欲情することは多分無いだろうから、最近は気にしないようには心がけている。

 でも、露骨な露出過度は目の毒だよね。


「いつも素振りしてるけど、将来は剣士でも目指してるのか?」

「うん! 色んな人に頼りにされる剣士になるんだ。じっちゃんみたいな!」


 何の気なしに問うたのだが、ターニャはニパッと笑って嬉しそうに答えた。

 そうか、ビリーさんの影響か。

 確かあの人も元傭兵で元冒険者と言っていたから、剣や魔法の腕も相当のものなのだろう。

 隻眼だったし、足も悪いらしいから、かなり壮絶な人生を送って来たんだろうと思われる。


「あ、そうだ。ターニャ、ちょっとタライ借りていいか?」

「ふぇ!? あ、あ、もしかして行水する? 一応僕あっち向いてるから、気にしなくて大丈夫だよ!」


 顔を真っ赤にして、ぷいと顔を逸らした。

 自分が見られるのは気にしないくせに、他人ひとの裸を見るのは恥ずかしいのか。

 可愛い奴め。ともかく。


「ああ、大丈夫。ちょっとローブの洗濯をするだけだから」


 洗濯中は水が飛んでも平気なように、いつもジャージ姿で行っている。

 どこで買ったのかと前に聞かれたので、行商人から購入したことにしておいた。

 そうすると大抵信じてもらえる。

 ポケットに入れっぱなしだった携帯スマホも、魔力切れの魔道具だとごまかしている。

 時々手鏡として使っていたりする。

 もし何かのはずみで電源が入るか、充電する機会があったら迷わずプリムヴェールを撮影するつもりだ。

 電気系統の魔法がないことが非常に悔やまれる。



 タライは宿の中に立てかけてある。

 そういえばこの宿、俺以外の客が誰一人として泊まりに来ない。

 やってけてるのだろうか。

 

 宿の中からタライを持って外に出ると、息を弾ませたターニャが大の字になって寝転がっていた。

 つるぺたな蕾とへそが――はさっきやったので、とくに気にせずタライに水を汲む。


 汲むといっても井戸や水道のようなものから汲むのではなく、左手で地面を触って右手からバシャーッとやる。

 量や勢いを自分の意思で調整できるので、慣れれば楽だ。

 この世界に、バケツリレーなどという概念は存在しない。


 水を汲んでさあ洗濯しよう、と石鹸を取り出すと、ターニャが興味深げな顔をして近寄ってきた。

 どうやら石鹸を見たことが無いらしい。


 せっかくだから何か洗ってやるよと言ったら、おもむろに今穿いている道着のような下衣を脱ごうとしたので、慌てて止めた。

 今一瞬チラリと見えたが、お前今下着付けてないだろ。

 誰も通らないとはいえ、年端もいかない幼女を道端ですっぽんぽんにするわけにはいかない。

 ロッコリーンはどこから見ているか分からないんだ。

 やつらは神出鬼没だからな。

 冗談はさておき。


 買ったばかりの石鹸をローブに擦りつけて泡をたてる。

 生憎洗濯用のタグが付随していないので、色落ちしたらしたでどうしようも無いのだが、何とか石鹸とローブの相性は悪く無かったようだ。

 色落ちや生地が薄くなるようなこともなく、みるみるうちに汚れが落ちていく。

 むしろこんなに汚れを染み込ませたまま、俺はこれを毎日着ていたのか。


 三着あるローブのうち二着目を洗い終えたところで、ターニャは飽きたのか宿へ戻っていった。

 戻ってくる気配も無かったので、タライの水を入れ直してから身体も洗ってみた。

 石鹸を使うと、やはりさっぱりする。

 脂とか汗とかで、毎日気持ち悪かったからな。

 ああ、気持ち良かった。 


 魔導書に、マナを利用して温風を生み出す魔法が載っていたので、それを使用して身体と衣服を同時に乾かす。

 風魔法の一種らしい。

 見たところオドの活性化でも同じことが可能らしいので、今度プリムヴェールに教えてみようと思う。


 でもやっぱり、せっかく石鹸を使うなら肩までお湯に浸かりたいな……。



        ◇          ◇          ◇



 石鹸を購入してから数日後、俺は図書館で風呂や行水の歴史について調べていた。


 行水自体は、遥か昔から存在が確認されている。

 だが肩までお湯に浸かるという行為は、歴史上かなり新しい部類のようだ。

 ちなみに所謂初めての風呂というのは、春街や娼婦館の行為用部屋に設置されたものだったらしい。


 当初は娼婦たちが身を清める際、冷水で行うと体温が下がってしまうため、特別に発案されたものだったらしい。

 その後、客もおなじように使うようになり、さらにはその場所で致す者も増え始め、徐々に定着されていった。

 今では大抵の宿には風呂があるらしい。


 では何故あの宿にはないのか。

 単純な理由だ。獣族とは、風呂に入る習慣がないのだとか。

 如何せん毛皮に泡が絡まるため石鹸は使えないうえ、お湯が冷める時に体温をごっそり奪われるために、濡れた身体が乾きにくい獣族は風呂を好まない。

 故に純粋な獣族が営んでいる宿には、風呂がないことが多いらしい。

 何というか、ううむ。  


 銭湯などといった最先端の店はない。

 故に風呂がない宿や家に住む者は、娼婦館に赴き行為ついでに風呂を楽しむことが多いらしい。

 普通逆だと思うのだが。

 ちなみに風呂桶は店頭での購入が可能らしいが、お湯を温める魔道具が無いと碌に使えないらしい。


「娼婦館に行くしか無いのかなぁ……」


 前回の迷宮探索のおかげで資金の問題はないが、あまり気が進まない。

 日本でも勿論一度たりとも言ったことはないし、それ以前に俺には可愛らしい彼女さんがいる。

 もし春街をうろついているところを誰かに見られたらまずい。

 プリムヴェールに了承をとるってのも、おかしな話だしなぁ……。


 ぽやっと考えながら書物を捲っていると、不意に頭の上に柔らかなものが乗っかった。

 愛と勇気――じゃなかった。

 夢と希望と脂肪の塊、いうならば胸だ。それも大きいの。


「どうしたんですか、ボーっとして。何かお困りですか?」


 頭の上から胸がいなくなり、代わりに隣の席にプリムヴェールが腰かけた。

 ふわりと良い香りがする。


「図書館や書物のことで何かお困りでしたら、何でも相談してください。――ところで、何を読んでるんですか?」


 プリムヴェールは興味津々といった様子で、俺が読んでいる書物に視線を走らせる。

 図書館や本の相談ではないが、まあ一人で悩んでいるよりは相談した方がいいかもな。


「実は、今住んでいるところにお風呂が無くて……」

「あー、それで行水と入浴の歴史を……。春街に行けば、お風呂だけの建物も多分あったとは思うんですけど」


 パラパラと捲りながら、プリムヴェールは眉間に皺を寄せる。

 いや、そこまで真剣にならなくても大丈夫ですよ。


「今まではどうしてたんですか? その、お風呂が無くて」

「どうしようも無いので、行水してました」

「ぎょ、行水ですか!? ……そ、その割には、あまり汗臭く無いですけど」


 脇に顔を近づけ、くんくんと鼻をひくつかせる。

 そりゃあね! 無頓着な俺だって、体臭の対策くらいしていますよ。

 でもその、そんなに嗅がれるとちょっと恥ずかしいです。


「でも、お風呂って気持ちいいですよね。一日の疲れがすっと抜けていくようなって言うか」


 言いながら、プリムヴェールはほんのりと頬を染めた。

 うん、風呂はいいものだ。

 普段から家に普通にあると、そのありがたみが分からなかったりもするが、風呂の無い生活を二か月近く続けている俺は、風呂の素晴らしさはよく分かる。


 そういえばプリムヴェールの家には風呂があるのかな。

 アパートみたいだったし、共用のが一つくらいあるのかもしれない。

 夜中にでもこっそり使わせて貰えたら、それはとっても嬉しいなって、アヤメはアヤメは思ってみたり。


「……もしよかったら、わたしの家、来ますか?」


 プリムヴェールは口元に手をやり、耳元に顔を近づけてから小声で呟いた。

 顔が真っ赤だ。


「いいんですか?」

「一応わたしの住んでるとこ、小さいけど、個々のお部屋にお風呂ありますから」


 ほぅ、部屋一つ一つに風呂があるのか。

 それはぜひ、お伺いしたいところですけど。


「お部屋に上がられるのは嫌だって、前に言ってませんでした?」

「――っ! か、彼氏を家に呼ばない人がどこにいますか!」


 耳まで真っ赤にしたプリムヴェールは理知的な瞳をキッと細め、蔵書室から飛び出して行った。


 普段はお淑やかな司書さんが逃げるように出て行ったからか、蔵書室には刹那的な沈黙が降り立った。

 しかし、そうか、ふふっ……彼氏か。恋人だもんな。

 彼氏を家に呼ばない人がどこにいますか――――って、ここにいるよ。

 彼女を一度も家に呼んでいない不届き者がここにおりますとも。

 宿暮らしのアヤメッティは、恋人一人家に呼べないのだ。




 プリムヴェールが早々に図書館から出て行ってしまったため、本日の昼食は近場の料理屋で一人でとった。


 御残しを許さないおばちゃんに似た感じのおばさんウェイトレスが、「強く生きるんだよ」とか言って燻製肉を二枚サービスしてくれた。

 店主のおじちゃんまで現れ、「若いうちは幾らだって出会いがある」と慰めてくれた。


 いつも二人で仲睦まじく食事をしていたため、どうやら振られたと思われたらしい。

 見当違いな心配をさせても悪いと思い、サービス分の肉を平らげてから、単に予定が合わなかっただけですと告げたところ、会計がいつもより燻製肉二枚分高かった。


 勘違いして勝手に付け足したのはそっちなのに……。


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