2-13.全て司書の計画通り
粉々になった闇光蠍の欠片を拾い集め、バルテルスとカミーユは戸惑いの中にも満足げな表情を浮かべていた。
紫の髪をショートヘアに纏めたカミーユの素顔は、凛々しくも可愛らしい顔立ちをしていた。
凛然とした表情の中に喜びを滲ませながら、プリムヴェールと俺に向かって腰を折る。
平たい胸に片手を宛がい、十五度から三十度程度のお辞儀。
これがこの世界における、貴族に仕える騎士の礼儀らしい。
深く下げ過ぎると主が軽んじられてしまい、逆に浅過ぎると礼儀知らずだと認識される。
貴族間の中で主がどれだけの地位や立場を持っているかで、十五度から三十度の中でも違いが出るらしい。
礼儀に関する書物はまだ読んでいなかったので、後で読んでおくことにしよう。
「先ほどは貴方を軽んじるような言葉遣いをしたことを、深くお詫びいたします。
そして力の無い私どものために、何よりお嬢様を救っていただきありがとうございます。
本日受けた恩は決して忘れず、御礼の方はまた日を改めて――――」
思ったより長かったので、ニコニコと笑顔で終わるのを待つ。
お礼はまた後ほど、それからご家族親類にご好運のあることを、そしていつか俺たちが困ったときには、頼ってくれと、そのようなことを丁寧かつ難しい言葉で告げてくれた。
何か困ったときか……、何だろうな。
「あァ、旦那の体格だったら、きっとお嬢様もお気に召すだろうからァ? 一晩か二晩くれェならベッドで熱ーいお相手してくれたりすっかもなァ」
「あら、それはいいかもしれないわ。
戦っている御姿は中々様になっていましたし、
今ならフルフェイスの兜無しでも全然オーケーですわよ。
暗い所にずっといますと……ほら、欲も溜まってしまうものですし。
いかがです? 私が心を込めて、貴方様のお筆を下ろしてさしあげますわ」
いかがわしい手の動きを見せ、桜色の舌をチロリと見せる。
それを見て、俺とプリムヴェールは半眼のまま絶句する。
見境が無いにもほどがある。
そんな俺たちの表情を見て、お嬢様は扇子の陰でクスリと妖しい笑み。
「ほんのお戯れですわよ。
一応私の父君は王宮直属の家臣でありますゆえ、
兵団の長とも交流が深く、私自身とも身近でございます」
「あんたらが何か事件に巻き込まれた時とか、裏から助けてやるよ。
王都内東西南北を纏める兵団の長たちを取り仕切る指揮官の兄ちゃんとも、確かお嬢様は肉体関係をお持ちだからなァ。てめェの力だけでどうにもなんねェことに巻き込まれたら、遠慮なくお嬢様を頼ってくれや」
「……お嬢様、バルテルス。
あまり家内の痴情を余所様に漏らさないでいただきたいのだが」
キャッキャと騒ぐ二人を尻目に、カミーユは頭痛でも覚えたかのように額に手をやる。
どうやらこの中で唯一の常識人はこの人らしい。
「お嬢様とバルテルスが妙なことを……。
ともかく、感謝してもしきれないという私どもの思いは事実です。
何かありましたら、いつでも――アトリア・ローズ・エドガールの名をお使い下さい。大抵のことは、それでもみ消すことができますので」
結局最後に常識人っぽくない言葉を発し、カミーユは騎士らしく凛々しい笑顔で締めくくった。
◇ ◇ ◇
「よーし、これで全部のようだな」
解体や解剖に知識が浅い俺やプリムヴェールの代わりに、カミーユとバルテルスは闇光蠍の素材を綺麗に当分して袋詰めにしてくれた。
血糊や脳漿の跡も綺麗に拭き取られ、迷宮最深部は元の状態へ戻された。
無いのは闇光蠍本体だけだ。
「いいんですか? こんなに貰ってしまって……」
布袋に詰められた素材を見て、プリムヴェールが申し訳なさそうな声で呟いた。
確かに俺らの袋の方が、バルテルスやカミーユが持っている袋と比べて大きい。
中身もしっかり詰まっているようだ。
「オレたちァ、お嬢様のドレスを造るための素材が欲しかっただけだかんなァ。捨ててくのも何だし、とっといてくれや」
魔物の素材はギルドに持っていくと、それ相応の金額で買い取ってくれる。
確かエイムがそう言っていたはずだ。
なのでこれらの素材は、決して無駄にはならないが。
不安げにアトリアお嬢様の顔を見やると、扇子で口元を隠しながら嫣然とした笑みを浮かべてみせた。
「んっふふ、良いのよ。遠慮しないで、全部持っていきなさい。
それと本当に、アレが溜まってたらいつでもいらっしゃればすぐにでも……」
「お嬢様! もう、本当にいい加減にしてください!」
「あァ、カザミアヤメの旦那ァ。今のお誘い本気にするなよなァ。
どうせお屋敷に戻ったら、溢れんばかりの美丈夫に囲まれて、口約束なんかすーぐ忘れッちまうんだからよォ。
誘いにのってひょこひょこ来ても、親衛隊に追ん出されるだけだかんなァ」
未だに鼻息荒く俺のことを見つめてくるアトリアお嬢様を押し戻すように、バルテルスとカミーユは最深部の部屋から出て行った。
喘ぎ声のようなアンアン声が響いている。
暗い迷宮にずっと閉じこもっていたからか、貞操観念のタガが外れているのだろう。
もっとも、元からリミッターなど無いのかもしれないが。
さて、とりあえず終わったの、か?
またいつの間にか人助けのようなことをしていた。
どうも調子が狂うな。
前も確か、プリムヴェールと二人っきりで広場を散歩していたら、悪魔が襲来したんだっけか。
今回も二人きりで迷宮にいたら、こんなことに。
何故だ。優しいプリムヴェールと、お人好しな俺が揃うと、毎度毎度こうなってしまうのだろうか。
実際リターンも大きいので、何も言うことができない。
今回も魔物の素材はたっぷり貰えた。
幾らになるかは分からないが、確か闇光蠍の素材は供給が少ないために比較的高く売れるはずだ。
こんなところまで来ても金の問題を考えてしまうとは、とも思うが仕方がない。
根が貧乏性なのだ。
とくに俺は異世界に来て一週間以上、無一文もしくは借金のみで暮らしていたからな。
財産を失うことが何よりも怖いのだ。
「しかし……」
あれが、魔物を打倒するということなのか。
悪魔のときは何故かどうとも思わなかったのに、今回はやけに心が疲れてしまった。
あれかな。業火で一瞬にして溶解させた前回の戦闘と違って、今回は足を折ってから身動きをとれなくして、その上で全力全開の砲弾をぶっ放したからか。
「それじゃ、プリムヴェールさん。俺たちも、そろそろ地上へ戻りましょうか」
迷宮の中は時間経過の感覚が鈍くなる。
いくら体内時計があるとは言っても、延々薄暗い場所をずっと歩いていれば、今が何時か分からなくなっても仕方あるまい。
携帯が使えれば、もう少し生活が便利になったかもしれないが。
この世界には電気系統の属性魔法が無いのだから、仕方がないことだ。
もっとも使えたところで、電子機器の充電が出来るとは限らないが。
そんなことを考えつつ最深部の部屋から出ようと足を踏み出したところで、ぐいと後ろに引き寄せられた。
比喩や念力ではない。
ねずみ色のローブを後ろから引っ張られたために、俺自身の体躯も後方へ引き寄せられたのだ。
強い力だったが、俺を転ばせようとしたものでは無かった。
かかとが滑り、後ろに倒れ込んだところで、背中を柔らかな温もりが祝福した。
規則的な心音がトクトクと背中を叩く。
黒い袖が背後から出現し、俺の胸をギュッと抱きしめた。
細くて長い綺麗な指がローブ越しの肋を優しくタッピングする。ちょっとくすぐったい。
「……アヤメさん」
耳朶に吐息が触れ、甘美な香りが鼻先に漂ってくる。
何度も嗅いだ匂い。間違えようにも間違えられない、プリムヴェールの香りだ。
――え、あれ?
夢のような状況に引きずり込まれ、俺の脳内はぐちゃぐちゃになっていた。
様々な思いが駆け巡り、正常な思考ができない。
待て、まずは落ち着こう。
状況整理だ。
俺は今、迷宮の最深部にいる。
背後から、プリムヴェールが俺のことを抱きしめている。
何故? そりゃ、こんな雰囲気で背後から抱きしめておいて、どこぞの推理小説みたいに包丁を刺されたりはしないだろう。
と、いうか。
「プ、プリムヴェールさん。せ、背中に、当たってるんですけど」
「仕方ありません。母からの遺伝で、わたしは胸が他の人より少し大きいんですから」
心の中では幾つもの言葉が浮かぶのに、結果的に口から出た科白は、ありふれたへたれ主人公のような台詞だった。
ラノベやら小説を読む度にこういう場面に辿り着くと、「もう少し気の利いた言葉は無いのかよ」とか思っていたが、自分がそういう状況に陥ると、やっぱりありふれた言葉しか出ないんだなーと納得。
ともかく背後から抱きしめられたままというのも色々危ないので、力が緩んだ隙を見て脱出。
そしてそのままくるりと回れ右をして、プリムヴェールと向き合う。
兎にも角にも、顔を見なければ心からの話しなどできない。
「――――アヤメさぁん」
真っ赤だった。
銀髪にルビーの瞳を併せ持つハーフ魔族司書さんは、頬を真っ赤に染めて熱っぽい視線を俺に向けていた。
口端から漏れる吐息が、湯気のように白く見える。
冗談じゃないことは完全に解った。
一か月以上の期間一緒にいたけど、プリムヴェールは人をからかうためだけにこういった顔をしたり、勘違いさせるために純粋な青少年を誘惑するようなことはしない人だ。
「プリムヴェールさん」
手を伸ばし、プリムヴェールの頬に宛がった。
受け身をとる方が楽だが、そんなこと言ってられるか。
初めて会った時から、ずっと綺麗な人だなと思っていたんだ。
可愛い人だと思っていたんだ。
いや、その言い方だと語弊があるな。
誰にでも優しくて、笑顔が可愛くて、一緒にいると楽しい相手。
五年以上現実の男女関係から隔絶していた俺でも、ああ、これが恋ってやつなんだなって分かった。
頬を撫でると、プリムヴェールの瞳がじっと俺の口元を捉えた。
唇を舐めてみたり、ちょっぴり尖らせてみたり、瞳を瞬かせてみたり。
キス、したいのかな。
「――良いんですか?」
「はい」
短い返事の後、プリムヴェールは目を瞑った。
ぐっとプリムヴェールの体躯を引き寄せ、桜色の聖域に吐息をかけ、遠慮なく舌を闖入させる。
我慢なんて出来るか。
最初からがっついている俺に驚いたのか、プリムヴェールは一瞬だけ瞳を瞬かせたが、すぐに俺を受け入れてくれた。
ねっとりした舌が絡み合い、コクコクと喉が鳴る。
初めてのキスは歯が当たるとどこかに書いてあったが、気になるほどでもない。
腰に手を回し合い、体躯の全面を押し付け合う。
ある程度体温を感じ合ったところで、指一本一本を絡め合いながら手を繋ぐ。
艶めかしい水滴音を口端から漏れ、どちらともなく「ぷはぁ」と顔を放す。
暫く深呼吸をしてから、瞳に映る愛しい相手の熱っぽい視線に耐え切れず、第二ラウンド。
温かくて、甘くて、柔らかくて、すごく気持ちいい。
結局十二ラウンドを迎えた辺りで、お互いに腰が砕けて座り込み、終了。
接吻以上のことはしていないのに、双方息も絶え絶えだった。
◇ ◇ ◇
「……ごめ、もう、無理です。……はぁう」
通算数十ラウンド目を迎えたところで、流石に俺も動けなくなった。
明日には舌が筋肉痛になっているかもしれない。
プリムヴェールは惚けた顔をして、ぽやーっと迷宮の天井を見つめている。
まあ、プリムヴェールは満足してくれたようなので、良しとしよう……。
プリムヴェール曰く、今日は最初からこれを計画していたらしい。
初めての恋だから、どうしていいか分からない。
大好きな男の子に想いを伝えるには、どうしたらいいか。
休日を利用してずっと思考していたが、いい考えは思いつかない。
それを経験が無いからだろう、と思ったプリムヴェールは、受付嬢という職業柄人生経験が豊富であろうエイムに相談をした。
とくにエイムとは王都に来てすぐからの付き合いらしく、心を許して話せる相手なのだとか。
相手が俺だということは隠していたらしいが、エイムにはすぐにバレたらしい。
ついでにエイムは、俺のことを「女性経験皆無のへたれお兄さん」とか表現したらしい。
全く、失礼なことだ。
喩え事実でも、言っていいことと悪いことがあるだろうに。
まあ実際、それに対してプリムヴェールが「賢者様は女性経験皆無のへたれなんかじゃありません!」と言い返したことで、エイムもプリムヴェールの思い人が俺だと言うことを確信したらしいが。
そこからはトントン拍子に事が進んだ。
プリムヴェールは誰にでも優しいから、偶には冷たく接してみたらどうかと提案されたようだ。
そのせいで生み出されたのが、今朝のエセツンデレプリムヴェール。
さしものプリムヴェールでももう少しうまく演技出来ると思っていたらしく、想像を超えるほどのあざとさにエイムは笑いを堪えられなかったらしい。
ちなみに「アヤメさん」という呼び方もエイムの提案だ。
賢者様だと距離感が生じるから、「アヤちゃん」とでも呼んであげればどうかと言われたらしい。
危なかった。
三組のアヤちゃん騒動は、未だにトラウマなのだ。
勘違いした上級生からの恋文が、下駄箱に入ってたこともあるしな。
ちなみに男だった。
ともかく「アヤちゃん」は恥ずかしすぎるということなので、エイムと同じ「アヤメさん」で妥協したらしい。
ギルドに戻ってこの話を聞かされているときに「そうだったのですか、プリムちゃん」と言ったら、背中を思いっきり引っ叩かれた。
多分手跡が付いてると思う。
冗談抜きで気絶するかと思った。
「それに、暗いところの方が、アヤメさんも勇気を出せると思ったんだけど」
そんな俺を見て、エイムは笑顔を絶やさずにそうのたもうた。
青春いっぱいの逢瀬なら、迷宮のように暗い場所の方がいいと画策したのもエイム。
中堅程度の迷宮なら二人で力を合わせて抜けられるだろうから、顔も火照っていい感じの状態で最深部に着くだろうと、そこまで考えて俺とプリムヴェールを送り出したらしい。
普通だったら「趣味が悪い」と文句の一つも出ようものだが、さっきから隣で恥ずかしそうに俺の腕をギュッと抱きしめる司書さんがいるので、何も言わない。
こんなにデレデレなプリムヴェールは初めて見た。
あの図書館にいる幾人かの司書さんがこれを見たら、図書館裏で八つ裂きにでもされるのではないか。
プリムヴェールとの関係は黙っていた方が身のためだろうな。
横目にプリムヴェールの御姿を盗み見ていると、エイムの視線を感じた。
「でもその様子だと、私が想像したほどの進展は無かったみたいね」
「――あー、迷宮の最深部付近は、意外と虫とか黴とかが多いですからね。寝転がるには、ちょっと」
主語の抜けた会話だったが、エイムは「それもそうか」と納得していたようだった。
プリムヴェールはきょとんとした顔で、俺とエイムの顔を交互に見ている。
そんなプリムヴェールの顔を見て、エイムはニコニコ。
分からなくて良いさ、そんな下世話な話。
分かってしまった俺だって、何か負けたような気分なんだからな。
「……次は、それも考慮してあげないといけないかな?」
「これ以上はもう二人の問題なので大丈夫ですよ!?」
エイムは残念とでも言うようにキツネ耳をだらりと垂らした。
背中を押してくれたことには感謝しているが、プライベートを覗いてもいいなどとは一度も言ってない。
進展状況に関しては、くれぐれも他の人に漏らさないよう釘を刺しておかなければ。
意外とそういうところが、この女性は抜けているからな。
「……アヤメさん」
プリムヴェールが、熱っぽい視線を俺に向けてきた。
思わず抱きしめたくなってしまうが、ここは冒険者ギルドのカウンター前だ。ぐっと我慢する。
俺はTPOをわきまえることのできる日本人だからな。
だが、プリムヴェールはそうでは無かったらしい。
「これからもよろしくお願いします。――大好きです!」
ガバッと腕を広げ、熱ーい抱擁を繰り出された。
エイムはそれを見てくるりと背中を向けた。
体躯が小刻みに震えている。
背中にはザクザクと数多の視線を感じる。
ああ、これはもう噂が広まるのも時間の問題だな。
そんなことを思いながら、胸の中に飛び込んできたプリムヴェールの感触と体温を大いに楽しんだ。
余計なことは考えずに、今を大切に生きようと、そう思えるようになったのだ。




