2-7.書庫での一日[後編]
先ほどの書物と、基本的な内容は変わらない。
ただ現実感があった。身体構造やら、オドの濁りによる発育の滞りなど、執筆者の見解もところどころ含ませながら、詳細な解剖結果が記されている。
まず、エルフ族のオドは濁っており、魔法効率は悪い。
これは先ほどの書物と同じ。裏付けが取れたと思えば良いだろう。
だが、この書物にはさらにおかしなことが書かれている。
『エルフの基本戦闘は魔法であり、肉弾戦は滅多に行わない』という一文がある。
どちらが正しいのだろうか。
研究という名の人体実験を基に書かれた書物らしいので、ここに記されている内容は正しいと思いたい。
研究書に嘘をついては、後世に残す必要がないからな。
そのため、相反す二つの事象を双方とも真実だと仮定して読み進めることにする。
実際に読むのはプリムヴェールだが。
エルフは、魔法を使う。
屋外で戦うことも多く、生活の一部に魔法を組み込んでいる。
だが屋内では魔法を使用せず、見よう見まねで肉弾戦を試みていた。
と、こう記されている。
魔物時代に、よってたかって実験台にされたときの記なのだろう。
想像しただけで悍ましいことだ。
すなわち、エルフは屋外では魔法を使うことができるということだ。
ただそうすると、獣族との戦闘で使わなかったという事実と矛盾する。
どちらかがいいかげんなことを書いているのだろうか。
ううむ。
「ちなみにこの書物は、局地的獣魔戦争よりずっと後に書かれたものになりますね」
となると、こっちの本の方が信頼性はあるか……?
「どちらの書物の方が信頼性がありますか?」
「どうでしょうか……。わたし個人としては、歴史書が正しいとは思いますけど」
まあ所詮研究者の手記だからな。
偶然実験台のエルフが魔法を使えただけかもしれないし、そもそも俺と違って、オドの活性化を全く行うことができないというわけでもない。
この書物は、端からエルフは魔法が使えないという前提で書かれている。
殺される! と怯えたエルフが、最後の力を振り絞って使った小さな魔法なのかもしれない。
火事場の馬鹿力的なやつかもしれない。
もしくは、
「俺が悪魔を倒した時のように、エルフも体外魔力を吸い上げることができたのかもしれませんね」
体外魔力は自然界の物質からしか吸い上げることはできない。
屋内で使用できないというのは、もしかすると……。
「やっぱり俺って、エルフだったのか」
「確かにこの腕の細さだと、それも疑いたくなりますけど」
不意に袖をまくりあげられ、二の腕に冷たいものが触れた。
プリムヴェールが俺の二の腕をキュッと握り、ペタペタと指先で触っている。
冷たくて、くすぐったくて、心地良い……。
「プ、プリムヴェールさんっ?」
「エルフは長耳族と言われるだけあって、耳が特徴的な種族ですからね。賢者様の耳は――少し赤いけど、わたしと同じです」
冷たい指先に耳朶をなぞられ、腰の辺りがゾクっとする。
不意に触られたこともあって、鼓動が速まり、顔が熱い。
耳が赤いだって?
あなたが突然二の腕なんかをふにふにしたからですよ。
夕暮れになるまで、その日は二人で蔵書室で様々な文献を漁ってみた。
だが出てきたのは、どれも同じようなものだけだ。
冒険活劇小説ではユグドラシルの魔導書という名称が登場し、『世界中に存在する魔法を全て記した伝説の書物』と書かれていた。
思想書では、『ユグドラシルの魔導書を手にし、読むことができた者こそが魔導書に選ばれし真の英雄である』と記されている。
魔族の歴史書には、『火大陸三代目の魔帝がその書物を持っており、月夜の晩に女人を一人寝室に連れ込み、生き血とともに魔力を吸い取っていた』という一文が刻まれていた。
誰も使ったことのない魔法を、ある時から突如使い始める者。
秘術や隠術に詳しい者。
確かに、記されている人々と俺との間には共通点が多い。
ただ問題もある。
ここに遺されている知識は、全て成功者や実力者の情報だ。
魔導書に振り回されて廃人になった者や、危険人物として周囲から迫害された者の歴史は載っていない。
都合がいい書物なのではない。
はっきりと存在が認められていないため、細かな情報が記されていないのだ。
魔導書のせいで人生を狂わせられた人は、どれだけの人数いるのやら。
破滅した人々の歴史も調べようと、プリムヴェールと二人で頑張ったのだが。
結局、それ以上の知識を得ることは出来なかった。
◇ ◇ ◇
宵闇に紛れるように帰宅すると、宿の前で虎っぽい子がタライに入って行水をしていた。
真っ白な布きれを腰に巻いただけの簡単な格好で、鼻歌を歌いながら背中を洗っている。
行水に使用した後の水は、道端に設置されたパイプの中に流す。
どこに繋がっているのかは知らないが、そういう決まりなのだ。
実際その辺に撒かれると、虫が寄ってきて臭いの原因にもなるからな。
「あ、おかえなさい、お兄さん」
タライの水を被りながら、虎っぽい子がにへりと笑顔をくれた。
挨拶だけ返してそのまま素通りしようとも考えたのだが、そういえば今日は埃っぽい部屋にずっといたのだ。
砂っぽいような感覚が肌を襲い、気持ち悪い。
すぐにでも汚れを洗い流したいと、そんな思いが生じる。
「一緒にいいか?」
「行水? 別にいーよ。毛とか落ちてるかもしれないけど、お兄さんはへーき?」
黄金色の短い毛が水の中に浮かんでいるが、大した量ではない。
タライに張られた水自体はまだ綺麗そうだったので、俺は遠慮なく服を脱いで水の中に足を入れた。
ついでに衣服も洗ってしまおうかとも考えたのだが――、流石に布地に毛が付着すると面倒なので、洗濯だけは後にすることにした。
「わ! わわ、はわわ、ふわー!?」
一応の礼儀として腰に布きれを巻いていると、虎っぽい子が身体をモジモジさせながら俺の背中を凝視していた。
ん? そんなに珍しいか?
ふと見ると、虎っぽい子の背中は黄金色の毛でしっかりと覆われていた。
なるほど、獣に近い獣人だから背中の素肌を見るのは初めてなのかな。
「ああ、ごめん。驚かせちゃったかな?」
「ふぇ!? ううん、全然! お兄さんも、遠慮なく身体洗ってていいよ!」
お言葉に甘えて、桶の水をザバーッとかけて身体に付いた埃を洗い流す。
日本のシャワーと比べると少々心もとないが、まあ洗えるだけマシだと思う。
水しかなくて、しかも屋外。
冬とかはどうするのだと前に聞いたところ、火魔法を使用して水をお湯にするのだと教えられた。
でも雪が降るような季節になったら、流石に外じゃ寒いよね。
「フーッ! フーッ!」
虎っぽい子も俺と同じく、布キレ一枚で身体を洗っている――のだが、何故かさっきからずっとこっちを見ている。
息も荒く、興味津々って感じだ。
そこまで珍しいものかな?
確かに俺も、スネ毛の生えてない脚ってチクチクしなくていいな、とか羨ましく思ったことはあるけど。
とか考えている間にも、洗体は終了。
用意されていたタオルで身体を隅々まで拭き、さっき脱いだ服を着てから宿の中へ戻る。
すぐ後ろから虎っぽい子が付いてきたが、身に着けているものは腰に巻いた布キレのみだ。
着替えを用意していなかったらしい。
「ふわー……」
虎っぽい子は惚けた顔で、全身濡れ鼠のままカウンターの奥へ入っていった。
お漏らしでもしたかのように、歩いた部分にポタポタと水滴が垂れている。
あんなぐっしょり状態で部屋に入って、ビリーさんに怒られたりしないだろうか。
ベッドに腰掛けて窓から夜空を眺めていると、遠慮がちなノックの音が奏でられた。
ドアを開けると、両手にお盆を抱えた虎っぽい子が上目遣いでこっちを見た。
チラチラと視線がさまよう。
「お食事、持って来たよ」
「ありがと、ほら、入っていいよ」
二人分の夕食を床に並べて、虎っぽい子と向かい合って座る。
今日の夕飯は干し肉に果物と、さらに黒いパンもある。
とても豪勢とは言えない量だが、普段より少し多い気がする。
「い、いただますっ」
手を合わせて、ギザギザな牙で干し肉を噛み砕く。
お世辞にも綺麗な食べ方だとは言えないが、何故かこの子が食べる様子を見ていると、小食である俺も食欲が湧く。
普段は食事中に目が合うことはほとんどないのだが、今日はやけに視線が絡み合う。
その度にハッとした顔で目を逸らされる。
妙に挙動不審だ。やっぱりビリーさんに怒られちゃったのかな。
「お、お兄さん。そのお洋服、やっぱり格好いいね」
「そうだろー。結構気に入ってるんだぜ、これ」
腕を広げて見せると、虎っぽい子はギザギザな牙をいっぱいに使って満面の笑顔。
動物的な雰囲気も相まって、思わず撫でたくなってしまう。
黒パンを主食に干し肉を食し、食後の果物を齧っていると、虎っぽい子はじっと俺の腹の辺りを見つめていた。
いつもより多いから、食べられるか心配してくれてるのかな。
「と、ところでさ、お兄さん……」
「ターニャ、ターニャ! おーい、タライが出しっぱなしだぞ!」
じっちゃんことビリーの声が階下から木霊した。
いつもは使った人が片付けているのだ。
しまったな、今日は二人で使ったから、お互いに相手が片付けると思ってそのまま帰って来ちゃったんだ。
「あ、忘れてた! これ食べ終わったらすぐ行くから!」
ターニャは慌てて干し肉と果物を口の中に詰め込み、胸を叩きながら呻き声を上げた。
喉に詰まらせたらしい。
それにしても、ターニャか。
今まで名前を呼んだとことも無かったし、聞こうともしなかった。
頭の中でもずっと『虎っぽい子』で統一していたからな。
「お前、ターニャっていうのか」
「うん、そーだよ」
「格好いい名前だな」
「えへへ、お兄さんに褒められるのは嬉しいけど。格好いいより、可愛いって言われた方がもっと嬉しい」
ターニャはギザギザな牙を見せ、頬を包み込みながら幸せそうに笑みをこぼした。
へー、格好いいより可愛いの方が嬉しいのか。
ビリーさんと二人暮らしっぽいし、可愛がられるより格好いいって言った方が喜ぶと思ったんだが。
「だって僕、女の子だし……」
衝撃の告白に、リンゴのような果実を口から噴き出した。
もじもじと俯くターニャはお盆を抱えると、とてとてと階段を軋ませながら下りて行った。
階下でビリーと何か話しているが、内容までは聞き取れない。
それより、
「ターニャって、女の子だったのか……」
言っちゃあれだが、つるぺただから気が付かなかった。
行水している姿は何度か目撃したけど、いつも腰にしかタオルを巻いてなかったし、俺が通っても普通に挨拶してくれていた。
半分以上獣的だし、しかもまだ幼い(8歳くらいだろうか)から、普通に見ても男女の区別はつきにくい。
一人称が僕だったからという言い訳はすまい。
日本で読んだラノベにも僕っ娘は出てきた。
可愛げはあったけど、元気いっぱいな少年って感じだったし。
しかし……。
「女の子、ねえ……」
今まで普通に見ていた、つるぺたな肢体にぷくりとした桃の蕾。
全面は虎っぽい体毛で覆われていないので、無防備に晒されている。
野性的と表現すべきか、あまり見せることには嫌悪を感じないらしい。
むしろ、見る方が初めてだったみたいだし。
「…………」
行水の時妙にターニャが興奮していた理由がようやく分かった。
思い返せば思い返すほどに恥ずかしい。
顔が熱くなるのを感じて、俺はそのままベッドに潜った。
埃だらけのローブのまま寝てしまったことに気が付いたのは、翌朝目が覚めた時だった。




