2-6.書庫での一日[前編]
翌日、約束の通り図書館へ赴くと、蔵書室の前でプリムヴェールと案内係の青年司書さんが何やら話していた。
しょうがない人だな、案内係りの仕事サボって。
青年司書さんはこちらに背中を向けているので、どういった表情をしているのかは分からない。
若干前かがみになっており、何かをお願いしているようにも見える。
対するプリムヴェールは毛先を弄りながら、困ったような顔で青年司書を見つめていた。
蔵書室に入る許可が下りなかったのか。
いや、だとするとお願いするのがプリムヴェールで、困っているのが青年司書ということになる。
もしくは青年司書に閲覧許可を出してもらえるよう頼んでいて、それが今になって無理だったと露呈したとかか。
何にせよ、司書同士の問題に割って入れるような身分でもない。
邪魔しても悪いと思い、俺は大そうな名前を授かった魔導書を片手に、壁に寄りかかって読むことにした。
「あ、賢者様!」
トタトタという足音とともに、プリムヴェールが手を振りながらこちらへ駆け寄ってきた。
顔を上げると、若干俯いた青年司書さんの姿が目に入った。
チラリとこちらを一瞥し、トボトボと案内係の椅子へ歩いて行った。
一瞬だけ睨まれたような気がした。近眼なのだろうか。
「何かあったんですか?」
「ええ、ちょっと」
俺の問いかけに、プリムヴェールは言いにくそうに言葉を濁す。
まあいい、今のは単なる社交辞令のような世間話だ。
「もしかして、蔵書室に入る許可が得られなかったとか……」
「いえ! それはありません。この通り、わたしと賢者様二人っきり水入らずで、入ることを許されましたから!」
二人っきり、の辺りでまた視線を感じた。
気になったので顔を向けてみたが、青年司書さんは新客相手に何かの説明をしている真っ最中だった。
気のせいかな。
「それでは行きましょうか」
プリムヴェールに追従し、二階へ続く階段を登る。
木製の螺旋階段だ。ニスか何かを塗っているのか、艶があって滑らかな触り心地をしている。
二階も一階と同じような造りだが、一階だと蔵書室があるはずの場所には大理石のような壁が埋め込まれている。
そういえば一階の蔵書室の天井は、三階か四階地点まで伸びていたな。
二階からは入れないのか。
一階の蔵書室は入り口から入って左側にあるが、二階の蔵書室は反対側に存在する。
綺麗に磨かれた木製の扉がはめ込んであり、南京錠のような簡素な鍵が引っ付いていた。
これじゃ針金か何かで簡単に開錠されてしまうのではないか。
「埃っぽいと思われますので、先に入って換気をしておきますね」
特徴的な形状をした金色の鍵を使用して、ガチャリと開錠。
南京錠はポケットに仕舞い、プリムヴェールは一足先に蔵書室へ入っていった。
コンコンと可愛らしく咳き込む声がする。
引きずるような重々しい音が奏でられ、くしゅんと女の子らしいくしゃみ。
トタトタと忙しなく駆け回る足音。
奏でられる音色からプリムヴェールの行動を夢想していると、部屋の中からぶわっと塵や埃が噴き出してきた。
一瞬で真っ白になる視界。
籠ったようなにおいが広がり、思わず袖で鼻を塞いだ。
「賢者様、くしゅん! 窓を開けましたので、しゅん! ど、どうぞ! ――――っ!」
お世辞にも可愛らしいとは言えないくしゃみを盛大に爆発させてから、プリムヴェールは蔵書室に俺を招き入れた。
日本の私立図書館にでもあるような、二メートル程度の本棚がぎっしりと詰められている。
本棚と本棚の間は人一人がギリギリ通れる程度の幅しかなく、その本棚一つ一つに古そうな書物がミッシリと並んでいた。
部屋の奥に一つだけ、申し訳程度に置かれた机と椅子がある。
椅子は三つあるので、一応二人とも座ることはできるか。
「では、わたしは魔導書に関する書物を探して参りますので」
「分かりました。適当に気になる文献にでも目を通しています」
ひょこひょこと奥の本棚へ消えたプリムヴェールを見送ってから、俺は湧き上がった感情を必死に押さえ込んだ。
本だ。
本である。
俺は書物の詰まった本棚に囲まれるのが夢だった。
勿論日本の図書館やここ王都の図書館にも、本棚や本は大量にある。
しかしそうじゃない。他の人が読むかもしれないなどと遠慮することもなく、自分だけが読める本棚というものが俺は欲しかったのだ。
某高校生探偵が暮らしているような家に住むのが、中学生時代からの俺の夢だった。
プリムヴェールが書物を発掘して戻るまでの、短く儚い夢。
だが俺にとって、その時間は何よりも幸福なものとなるだろう。
思わず飛び上りそうになる身体を抑えながら、俺は適当に本棚の間を練り歩いた。
一階の蔵書室に保管されている書物の原本や、複製されていない書物など、閲覧することに規定はないが重要価値のある書物が仕舞われている。
プリムヴェールが春本は無いと言っていたが、本当かな。
一階にも増殖譚のようなエロ小説があったし、あの程度の書物ならあるのではないか。
とは思ってみたものの、別に俺は今そういう書物を読みたいわけではない。
せっかく普段読むことのできない書物が目の前にあるのだ。一階では収集しきれなかった知識や情報を詰め込むことに徹しよう。
魔法教本、一階に保管されているものと大差ない。別の書物も幾つか置いてあったが、内容は他の書物と同じだ。
無論マナを利用した魔法の使い方は載っていない。
歴史書、一階にあるものと比べると、若干深く掘り下げたものが多い。
魔族を迫害していた頃の文献も、幾つか見つかった。
ただ迫害はされていても、奴隷として扱われたりすることは少なかったらしい。
当時から強い人権を持っていた人族や獣族などと比べて体内魔力の純度が高く、下手に刺激すると自分たちでは手に負えないほどの魔法で迎撃されてしまうからだとか。
その代わりか、兵団などでは低賃金で魔族が働かされていたらしい。
奴隷扱いされていたのは、エルフ族の方だ。
当時はエルフも魔族として扱われており、迫害されていた。
エルフは見た目が麗しく、身体もスベスベしていて触り心地が最高らしい。
だが可哀想なことに、エルフは人族や獣族と比べて体内魔力の純度が低く、濁っている。
故に魔法の扱いに劣っており、さらに肉弾戦も不得手な種族だ。
魔族のように、生命を賭けて人族に報いてやる、という覚悟も持つことができない。
実に不遇な種族だった。
さらにその端麗な容姿が要因となり、世界中のエルフ族は奴隷として掻き集められた。
安く手に入るうえに、男女ともに美麗な姿。
魔法で簡単に組み敷くことが可能で、長寿な種族のため、死ぬまで若い身体を楽しむことができるという、まさに最高級の奴隷だったらしい。
ついでに漁っていると、エルフ族に関する書物が見つかった。
一階の蔵書室では見なかった本だな。
分厚い書物なので、椅子に腰かけて机の上に広げてみる。
中身を見て、どうして一階に無かったのか納得。
これはエルフに関する書物なんて生易しいものではない。エルフの生態系など、身体や弱点に関して記されたいわば研究書のようなものだ。
どこを突けばエルフは死ぬか、気絶するか。
どこが一番敏感か、正確な年齢を把握するにはどこを見ればいいか、などなど……。
「これは確かに、一階の蔵書室に置くことはできないな」
挿絵なんかも入っており、精緻なイラストが何ページかおきに描かれている。
耳が長く、体躯は幼女のようにつるぺただ。
逆にハイエルフは背が高く、体格も大人のそれである。
ハイエルフ、エルフ、ハーフエルフの順に、別の血が混ざっているらしい。
「ハイエルフは、絶滅しかけているのか」
奴隷時代に様々な種族と交配させられ、純粋なハイエルフは一気に減少してしまったらしい。
故にハイエルフは滅多に見ることができず、希少な種族として扱われているのだとか。
ちなみに現在は、森からエルフを無断で連れ込んで奴隷にすることは一切禁じられている。
もう少し読み進めると、他にも色々な情報が飛び込んできた。
エルフに効く媚薬だとか、エルフ専用の拷問器具だとか、エルフの精密な体内構造だとか――嫌というほど出てくる。
確かに滅多に一般の目には触れない書物なのだろうが、こんなものを普通に置いていて良いのだろうか。
日本なら発禁本になっているだろう。
「すげえな、おい」
「魔導書に関する書物をようやく見つけました――。賢者様、何を読んでいるのですか?」
何という偶然か、プリムヴェールが戻って来たときに俺が開いていたページは、ちょうどエルフの男女の身体の違いについてのページだった。
勿論挿絵つきだ。
前からと横からと後ろからと下からと顔だけのものとバストアップの構図。
無論イラストは服なんぞ着ていない、素っ裸だ。
ジト眼。
ルビーの瞳を半眼にして、蔑むような目を向けられた。
違う。俺はそんな中学生みたいな理由でこのページを開いたんじゃない。偶然だ、信じてくれ。
「まあ、賢者様がエルフに興味があってもいいですけど、ともかく。ユグドラシルの魔導書に関することが書かれているのは、この書物です」
どさどさどさ。
胸に抱いた数冊の書物を、机の上に一冊ずつ並べてみせた。
結構な冊数だ。
歴史書に、冒険活劇ものに――、これは何だ? 思想書か?
それと、魔族についての書物と、さっき読んでいたものとは別の、エルフについての書物。
「覚えている限りでは、確かこの辺りです」
「プ、プリムヴェールさん。書物の中身を全て覚えているのですか?」
プリムヴェールは「当然です」とでも言うように、理知的な瞳を瞬かせて首を傾げた。
「記憶力には自信があるので」
「そうなんですか――。ところで、四日前の晩御飯は何を食べましたか?」
「……………………えっと、ですね。あ――、って! 今はそんなこと関係ありません。茶化さないでください!」
頬をほんのりと染め、椅子に腰かけてそっぽを向いた。
覚えていなかったらしい。
記憶力いいんだか悪いんだか、どっちなんだかな。
「とりあえず、どれからお読みになられますか?」
さて、どれから読もうか。
創作物から読みたいところだが、却下だ。
最初から創作物の情報を鵜呑みにするのはよくない。
創作物とは事実より先に、作者の空想や想像が混じるからだ。
正確な知識を求める場合、最初にそれを読むのは正直良くないと思う。
思想書も駄目だな。
著者の考えや色眼鏡を通していることが多い。
完全な創作物と比べればまだ真実性はあるが、歴史書や研究書と比べれば事実からは遠ざかる。
と、なると歴史書か魔族やエルフの書物になるな。
先ほど読んだエルフの書物は、事実に基づいたであろう情報が細かく書かれていた。
第三者である異種族の記した、種族に関する書物は信頼できるだろうか。
分からない。
迫害されていた種族のことを記した書物だ。事実に交えてありもしない悪文をでっちあげているかもしれない。
「……歴史書にしましょうか」
「これですね。……よっこらせ」
プリムヴェールが運んできた書物の中で、歴史書が一番分厚かった。
机の上に広げ、二人で覗き込む。
大陸が出来た頃の記述から、生物が生まれた時代――遥か昔年のページは飛ばし、人族や獣族が実権を握っている時代まで遡る。
書かれている内容が膨大だからか、筆者の考えやおぼろげな事実は記されていない。
ここに書かれている内容の全てが、過去に存在した書物からの抜粋らしい。
「それらしい魔導書が出てくるのは、――この辺りです」
分厚い本だったが、魔導書について記されているのは極一部だ。
プリムヴェールが開いたページは、当時魔族として扱われていたエルフと獣族による戦争について記されている項だった。
獣族にもエルフ族にも必要な、自然や森林。
その場所にて静かに隠居していたエルフ族を追い出し、自らが生活する領地を広げるために、獣族はエルフの里を襲った。
肉弾戦は勿論のこと、体内魔力の純度に関してもエルフは獣族より劣っている。
当時の首謀者である獣族の指導者ウォーケンは、エルフ狩りの軍隊を用意して森林に攻め込んだらしい。
当時、森林を責める際『魔法は使うな』というお触れが出ていた。
火魔法で森林を焼き払ったり、水魔法や風魔法で土地を破壊されると、喩え領地の奪取に成功しても、居住のために整地するコストが余計にかかってしまうからだ。
第一目標は数で押し寄せ、エルフを降伏させ、開拓奴隷として捕獲すること。
もし降伏の意思を示さなかった場合は、容赦なく殺戮しろとのことだったらしい。
当時の獣族は野蛮だったらしい。
人族と比べると若干体内魔力の純度は劣るものの、その劣等を凌駕するほどの筋力。
互いに剣を交えれば、両者とも甚大な被害を被ることは必至である。
そのため人族と獣族は双方上辺だけの停戦協定を結び、人族は文化の発展向上に、獣族は魔族の迫害と領地拡大に力を向けていた。
元からあるものをより良くしようと動く人族と、自分たちより弱いものは組み敷くべしという獣族。
当時権力を持っていた種族とは、そのようなものだった。
「獣族って、暴力的な種族だったんですね」
読み進めると、獣族による虐殺行為がつらつらと並んでいた。
水大陸二十三代目魔王を、国民の目の前で斬首。
火大陸三十二代目魔帝を、投石処刑。
風大陸十七代目魔女帝を――――。
土大陸十八代目魔王を――――。
「この水大陸とか火大陸って何ですか?」
「現在は魔大陸として統合されていますが、所謂魔王が統治している魔族の居住区ですね。危険な魔物も多く、腕利きの冒険者や修行中の剣士や戦士などが、己の鍛錬のため赴く大陸です」
ちなみにプリムヴェールの父親は、魔大陸の生まれではないらしい。
魔族しかいないというだけで、全ての魔族がそこで生誕するわけではないのだ。
「魔導書に関しての記述は、これですね」
虐殺行為の一番最後の記述を、プリムヴェールの細い指がなぞった。
森林開拓を目的とした局地的獣魔戦争、ハイエルフの長を、身体中を爪痕だらけにするという残虐行為の後殺害。
「局地的獣魔戦争は幾つもの森林で行われていたのですけど、この一節を見ると、一箇所だけ獣族が敗北している地域があるんです」
局地的獣魔戦争に関する詳細が書かれたページを捲り、隅から隅までじっくり読んでみる。
局地的獣魔戦争。
世界各国の森林地帯にて、獣族による局地的な猛攻が繰り広げられた世界規模の戦争。
魔力でも筋力でも劣るエルフを標的にして、獣族は火大陸北部森林、南部森林、東部多雨林、西部熱帯林、水大陸北部雨林――(中略)――土大陸東部温帯雨林、西部熱帯雨林を征服した。
結果的に全ての森林地帯をほぼ無傷で征服した獣族だが、唯一風大陸南部森林に上陸した軍隊のみが多大な被害を被ったらしい。
各地の戦闘が終了した頃、他の軍隊が一斉に押し寄せて風大陸南部森林も征服したらしいが、他の獣族が向かった時、バラバラになった獣族の死骸が至る所に散らばっていた。
風大陸南部森林ハイエルフの長(爪痕で虐殺された長)は、一冊の書物を抱え、一人で十万の獣族を蹴散らしたらしい。
世界を破壊するような膨大な魔法を使用しても、そのハイエルフは汗一つかかず、間髪入れずに次の魔法を発動する。
森林が破壊されることも厭わず、ただただ目の前に立ち塞がる敵軍を掃討していた。
ハイエルフの長が所持していた書物は彼女の処刑後、まるで空気に溶け込むかのように光の粒子となって消えてしまった。
最後はそう、ファンタジックに締めくくられていた。
「……これが、この魔導書だと?」
「幾らか脚色された箇所もあるでしょうけど、もしこの記述がある程度正しいのであれば」
ハイエルフはエルフ以上に、オドの純度が低く濁っている。
故に人族や獣族が使用できる魔法さえも満足に使えぬため、ハイエルフが魔法戦で獣族に報いることは通常では不可能なのだ。
そのため他の地域では早々に抗いを諦め、降伏したエルフが多かったらしい。
「元々エルフは、森林を破壊してまで戦うことを好まない種族ですからね。実はエルフも強力な魔法を使えたのではないか、という文献もあるにはあるんですけど……」
プリムヴェールはそう言うと、エルフに関する書物を開いてみせた。
蔵書室の奥からプリムヴェール自身が持って来た方の本だ。
「挿絵とかもあるので、読み聞かせしましょうか?」
「大丈夫です。一応、俺はプリムヴェールさんより年上なので」
俺がそう言うと、プリムヴェールはパチクリと瞳を瞬かせた。
やっぱり年下だと思われていたのだろうか。
「そうですか、でしたら大丈夫かもしれませんね」
プリムヴェールは書物を広げ、俺の前に差し出した。
うむ、研究書だから仕方ないのだ。
決して、エルフの滑らかな体躯や美麗な容姿をもっと見たいからというわけではない。
心の中で言い訳してからいざページを捲ると、そこにはエルフのあられもない姿が広がっている、なんてことは無かった。
「…………これ、は?」
「人体解剖書のようなものですので、少し刺激が強すぎるかと思いまして」
「読み聞かせ、お願いしてもいいですか?」
「はい、喜んで」
着色されていないことが、不幸中の幸いだった。
情けないことだが、その書物に関してはプリムヴェールに内容を掻い摘んで説明してもらうことにした。




