第3話 「駿と蓮のある一日」
インフィニティ・ウォークを走る駿。
朝の光を浴びながら、
一定のリズムで走り続けている。
白いシャツは脱ぎ、
黒いランニングウェア姿。
額にはうっすらと汗が浮かんでいた。
走るたびに呼吸が少しずつ深くなる。
蓮はデッキのカフェで
コーヒーを飲みながら、
そんな駿をぼんやり眺めていた。
しばらくして。
駿が速度を落とす。
タオルで汗を拭きながら、
蓮のいるテーブルへ戻ってきた。
髪は汗で少し濡れ、
肩で息をしている。
「……お前も……走ればいいのに」
蓮はカップを持ったまま、
眩しそうに駿を見る。
「考えとく」
駿は蓮の向かい側に座り
「今日のイベントは」
船内新聞を広げた。
そして
飛び込んてくる文字。
「昨夜のスペシャルコンサート、
大盛況」
『二人のヴァイオリンによる感動の演奏』
『満席のホールを揺るがし、いつまでも
鳴り止まぬ拍手』
『本当に昨夜の演奏は素晴らしかった』
とその時
ニヤッとする駿。
蓮
「どうしたんだよ?」
駿はテーブルの上に新聞を広げて
指差す
「これ」
そこには
「バスケットボール交流会参加者募集」
蓮
「は?」
蓮は新聞を見る。
そしてもう一度見る。
「は?」
駿は楽しそうに記事を指差した。
「今日の午後三時からだってよ」
「だから?」
「出るか」
蓮はゆっくり顔を上げる。
「なんでだよ」
「暇だから」
駿はコーヒーを一口飲む。
まるで当然のことのように言った。
蓮は呆れた顔をした。
「お前な……」
その時だった。
デッキの向こうから歓声が聞こえる。
プールサイド。
ウォータースライダーから飛び出した誰かが盛大に水しぶきを上げていた。
駿はそちらを見る。
「楽しそうだな」
蓮は嫌な予感がした。
「やめろ」
「まだ何も言ってねぇ」
「顔に書いてある」
駿は笑う。
蓮は新聞をめくった。
そして。
数秒後。
今度は蓮の手が止まる。
「……」
「どうした?」
駿が聞く。
蓮は新聞を裏返して駿の前に置いた。
そこには大きく書かれていた。
『本日限定
クレープフェア開催』
駿
「行くか」
蓮
「あぁ」
朝食を済ませた二人は、
デッキに設けられた
クレープショップの前に立っていた。
甘い香りが漂っている。
店の前には列。
そして——
見渡す限り女性客が多かった。
駿
「……女子率高いな」
蓮
「クレープだしな」
駿は列を見る。
もう一度見る。
そして蓮を見る。
駿
「……お前が買って来てくれよ」
蓮はじっと駿を見る。
数秒。
「じゃあ、
お前にはダダ甘いの買って来てやる」
駿の表情が変わる。
「悪かった。一緒に行く」
蓮が吹き出す。
「即答かよ」
駿は深く息を吐いた。
「絶対変なの選ぶだろ」
蓮はニヤリと笑う。
「さあな」
二人は並んで店の中へ入って行った。
店員さん
「ご注文は?」
駿
「チョコとナッツ」
蓮
「いちご」
店員さん
「お飲み物は?」
駿
「コーヒー」
蓮
「オレンジジュース」
二人は海の見えるテラスに座る。
そして
相手のクレープを一口見る。
駿
「そっちもうまそうだな」
蓮
「やらねぇ」
隣の席から
女性たちの声が聞こえてくる。
「船内新聞にさ、次の演奏日
書いてなかったよね?」
「そうそう!いつなんだろうね」
駿は少しだけ口を尖らせた。
「じゃあ、俺のもやらねー」
蓮が吹き出す。
「ガキかよ」
隣の席では話が続いている。
「また行くよね?」
「もちろん!」
駿はクレープを一口食べながら言う。
「お前に言われたくねぇ」
蓮は笑みを浮かべたまま答えた。
「……ぶっ潰してやる」
駿も笑う。
「上等だ」
「バスケで勝負だ」
二人はニヤリと笑い合った。
隣の席の女性たちが不思議そうな顔で
こちらを見ていたことを、
二人は知らない。
二人はクレープを食べ終わると
ショッピングエリアに来ていた。
二人の足が止まる。
駿と蓮。
「……」
写真スタジオの前。
昨夜のコンサート写真が
飾られていた。
ライトを浴びる二人。
ヴァイオリンを構える姿。
演奏に集中する横顔。
しばらく沈黙。
駿
「顔怖ぇな」
蓮
「お前もな」
その時。
写真スタジオの店員が近付いてくる。
「その写真、人気なんですよ」
蓮
「へぇ」
店員は二人を見て、
ほんの少しだけ笑う。
「ええ、とても」
駿と蓮は顔を見合わせる。
「そうか」
駿が言った。
二人は再び歩き出す。
ショッピングエリアには
様々な店が並んでいた。
腕時計。
洋酒。
アクセサリー。
香水。
蓮は店先に並ぶサングラスを見る。
「お前、増やすか?」
駿
「いらねぇ」
「だよな」
数歩進む。
今度は高級腕時計のショーケース。
駿
「値段見たか?」
蓮
「見てねぇ」
「見ない方がいいぞ」
蓮は値札を見る。
「……」
無言で立ち去った。
駿が笑う。
そしてしばらく歩いた頃。
蓮
「なぁ」
駿
「ん?」
蓮は立ち止まる。
「腹減った」
駿も納得したように頷く。
「そうだな」
ショッピングエリアを抜けると
大きな窓の向こうに海が見える。
その直後
二人の視界にOcean Grillの店。
ジュージューとパティが焼ける音。
香ばしい匂いが漂ってくる。
カウンター越しには、
鉄板の上で焼かれる分厚いビーフパティ。
焼き上がったパティに、
とろりとチーズが重ねられていく。
焼きたてのバンズに、
レタス、トマト、オニオン。
仕上げにソースがかけられる。
駿
「行くか」
蓮
「あぁ」
カウンター席のみ
目の前には青い海が広がっていた。
乗客たちは
ハンバーガー
ポテト
コーラ
ビール
などを楽しんでる。
駿と蓮も注文をする。
海の見えるカウンター席。
大きな窓。
青い海。
白い波。
駿はカウンターチェアに腰掛ける。
長い脚を伸ばし、
片足だけフットレストに掛けている。
隣には蓮。
同じような姿勢。
そしてバーガーを
ガブッ。
駿は蓮の方を見ながら言った。
「うまいな」
蓮もバーガーを片手に頷く。
「あぁ」
二人は再び海へ視線を向けた。
大きな窓の向こうには青い海。
白い波が船の後ろへ流れていく。
昼を少し過ぎた船内。
慌ただしさもなく、
穏やかな時間だけが流れていた。
二人は海を眺めながら、
遅めのランチを楽しんだ。
———
船内新聞に載っていた時刻が近付く。
二人はスポーツウェアに着替え、
スポーツデッキへ向かった。
青い空。
吹き抜ける海風。
コートには
既に何人かの参加者が集まっている。
楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
その入口には
小さな受付テーブルが置かれている。
駿が立ち止まる。
「ここだな」
蓮もコートを見渡した。
「あぁ」
受付スタッフが笑顔で声を掛ける。
「参加されますか?」
「あぁ」
「あぁ」
二人が頷く。
スタッフは名簿にチェックを入れた。
「交流会ですので気軽にどうぞ」
駿は軽く手を上げる。
「了解」
二人はコートへと足を踏み入れた。
まだ誰も知らない。
この二人が、
これから交流会の空気を
変えることになるとは。
コートにはボールを回しながら
談笑する参加者たち。
笑顔。
歓声。
和やかな雰囲気。
数分後。
その空気が
少しずつ変わり始めることになる。
スタッフ
「じゃあ!始めましょうか!」
蓮がゴールへ走る。
速い。
無茶苦茶だ。
力任せ。
だが身体能力だけで押し切る。
「もらった!」
蓮が跳ぶ。
スポッ!
Bチームに点数が入る。
蓮、無言の挑発
(来いよ)
ニヤッとする駿。
パス回しで蓮が再びネットに飛ぶ
その瞬間。
横から伸びる腕。
パシッ。
ボールが消える。
蓮
「はぁ⁈」
駿
「甘い」
そのまま駿がドリブル。
無駄がない。
静か。
リズムが一定。
まるでメトロノーム。
蓮が追いつく。
駿は振り返りもせず
ボールを背中側へ流す。
蓮
「ちょっ!」
駿がレイアップ。
ネットが揺れる。
蓮
「お前、性格悪ぃー!」
駿
「下手なだけだろ」
蓮、本気になる。
「今のはなしだろ!」
「ありだ」
駿は平然と答えた。
「絶対なしだ!」
「取られた奴が言うな」
蓮は舌打ちする。
周囲の参加者たちは顔を見合わせた。
なんだ、この二人。
さっきまで初対面同士で和やかに
やっていたはずなのに。
なぜか空気だけが変わっている。
ボールが回る。
Bチーム。
蓮が受け取る。
今度は無理に突っ込まない。
ドリブル。
フェイント。
右。
いや左。
相手を抜く。
ゴール下へ走る。
その瞬間。
横から駿が飛び込んでくる。
「またお前か!」
「甘い」
蓮は空中で身体を捻った。
パス。
味方が受け取る。
シュート。
スポッ。
歓声が上がった。
蓮は振り返る。
「見たか」
駿は少しだけ笑った。
「今のは悪くない」
「だろ?」
「でも次は止める」
「やってみろ」
二人はニヤリと笑う。
その様子を見ていた
参加者の一人が呟いた。
「交流会……だよな?」
隣の参加者が答える。
「たぶん」
数分後。
ピーッ!
笛の音が響く。
休憩だった。
二人とも汗だくになっている。
蓮はタオルで首筋を拭く。
駿はペットボトルの水を
一気に飲み干した。
参加者の一人が声を掛ける。
「お二人、
スポーツやられてたんですか?」
自然と周囲の視線が集まった。
蓮
「いや」
駿は少しだけ考える。
「やってねぇーな」
参加者たちが顔を見合わせる。
絶対嘘だろ。
誰もがそう思った。
その時。
別の参加者が思い出したように言う。
「そうそう!昨日の行かれました?」
蓮
「ん?」
駿
「どこへ?」
「ヴァイオリンコンサート」
ほんの一瞬。
二人は顔を見合わせる。
そして。
「行ってないです」
「あぁ」
参加者は残念そうな顔をした。
「良かったですよ」
「そんなにですか?」
駿が聞く。
「あれは凄かったです」
別の参加者も頷く。
「本当に鳥肌立ちました」
「また演奏してくれないかなぁ」
蓮は黙って水を飲む。
駿は小さく笑った。
「へぇー」
その時だった。
ピーッ!
再び笛が鳴る。
スタッフ
「それでは後半戦いきましょう!」
参加者たちがコートへ戻っていく。
駿はペットボトルの蓋を閉めた。
蓮
「行くぞ」
駿
「あぁ」
二人が立ち上がる。
参加者たちはまだ知らない。
後半戦の方が
もっと大変なことになるということを。
蓮がボールを持つ。
笑っている。
獲物を見つけた顔だった。
駿も笑っている。
挑発するような笑み。
(来いよ)
蓮
(ぶっ潰してやる)
ピーッ!
笛が鳴る。
試合再開。
蓮が一気に駆け出した。
速い。
迷いがない。
真正面から突破を狙う。
参加者の一人が呟く。
「なんであの二人、あんな楽しそうなんだ……」
「知らん」
蓮が抜く。
一人。
二人。
ゴールへ向かう。
その瞬間。
「来たな」
駿が立ちはだかった。
蓮
「邪魔だ」
駿
「そっちこそ」
二人とも笑っている。
周囲だけが困惑していた。
「仲良いのか?」
「たぶん」
「仲悪いのか?」
「たぶん」
「どっちなんだよ」
誰にも分からない。
ただ一つ分かることがある。
この二人、
交流会を誰よりも楽しんでいた。
ピーッ!
試合終了の笛が鳴る。
参加者たちから拍手が上がった。
「お疲れさまでした!」
「楽しかったです!」
「またやりましょう!」
駿はタオルで汗を拭く。
「あぁ」
蓮もペットボトルの水を飲み干した。
「腹減った」
駿が笑う。
「さっき食っただろ」
「バスケしたんだぞ」
二人はコートを後にした。
背後からは
まだ参加者たちの声が聞こえる。
「あの二人凄かったな」
「本当にスポーツやってなかったのか?」
「絶対嘘だろ」
二人は聞こえていないのか、
聞こえていても気にしていないのか。
海風の吹くデッキを歩いていく。
そしてそれぞれの船室へと戻った。
シャワーの水が汗を流していく。
バスケットボールの熱気。
歓声。
笑い声。
それらが少しずつ遠ざかっていく。
気付けば窓の外は
夕暮れに染まり始めていた。
蓮は首にタオルをかけたまま
船室のバルコニーから海を眺めていた。
しばらくして
テーブルに置いたままのスマホが鳴る。
駿から
“プールサイドのビーチパーティ見に行かないか?”
蓮
“行く”
駿
“じゃあ現地集合な”
二人はそれぞれ着替えて船室を出た。
駿はプールサイドへ向かう途中、
窓の外に広がる夕暮れの海を見ていた。
そして
デッキへ近付くにつれ、
音楽が聞こえてくる。
賑やかな笑い声。
グラスが触れ合う音。
そしてプールサイド。
駿はレモンスカッシュを片手に
手すりへ寄りかかった。
グラスの中で氷が小さく鳴る。
蓮は少し遅れて駿の隣にくる。
オレンジスパークリングを
飲みながら、ゆっくり海を眺めている。
水平線の向こう。
太陽はゆっくりと海へ沈もうとしていた。
昼間は眩しいほどだった光が、
今は柔らかなオレンジ色に変わっている。
海も空も。
船さえも。
夕陽の色に染まっていた。
誰かが踊っている。
誰かが笑っている。
誰かが写真を撮っている。
二人はただ、
その賑やかな時間を眺めている。
気付けば太陽は
水平線へ沈みかけていた。
プールサイドの照明が一つ、
また一つと灯り始める。
昼の熱気はもうない。
海風が心地よかった。
駿はグラスの氷を揺らす。
蓮は夕陽を見つめたまま。
二人の前には、
ゆっくりと沈んでいく夕陽。
誰かの笑い声。
グラスの触れ合う音。
海風に乗って、
音楽が静かに響いていた。
二人は何も言わず、
しばらくその景色を眺めていた。
船の上の夜が、
ゆっくりと始まろうとしていた。
第3話 「船上のある一日」 完。
お読みいただきありがとうございます。
次回、第4話「ノルウェー・ロフォーテン諸島」です。
お楽しみに。




