目覚めた直後の話
ふと目を覚ましました。
まず見えたのは真っ白な天井、それに見覚えはありません。
目を覚ましたということはそれまで眠っていたということ、何故眠っていたのかその理由が。
今、思い出しました。
あの謎の蛇だか何だかよくわからない何かに向かって火属性魔法を打ち続けて、それで蛇の指輪が壊れて自滅したのでした。
せめて最後に奥の手を叩き込めていればそれで十分役目は果たせていたのでしょうけど、そうなる直前での自滅だったので、なんとまあ情けない。
しかし、何故私は今目を覚ませたのでしょうか。
普通だったら死んでいる、死んでいなければおかしいくらい焼けていたはず。
それなのにもうどこも熱くありません、痛くもありません。
というかあれからどうなったのでしょうか、そもそもここは一体どこ?
わからないことばかりでした。
周囲の様子を伺おうと思ったその時になって初めて、左手に冷たい何かを握っていることに気付きました。
刺すような冷たさではなくどこか心地の良いちょうどいい冷たさのそれの正体を探るべく、左の方を見ました。
黒い髪に真っ白な肌の、青年と少年、どちらと称するのが適切なのか判断しにくい人の姿が見えました。
その目は閉じられていましたが、どうやらただ眠っているだけのようで命に別状はなさそうです。
顔だけを動かして周囲を見渡すと、私はどこかの部屋の寝台の上に寝かせられていて、その寝台の横に座り込んだモノクロさんが私の手を握っている、というような感じになっているようでした。
室内を見渡しても見覚えはありません、ここがどこなのかさっぱり。
モノクロさんは目を覚ましません、その間にいろんなことを考えます。
あの蛇なのか何なのかわからないアレはどうなったのか、いのりさん達は無事なのか。
それと、思い出してしまった『前』の私のことも少しだけ。
陵辱され衰弱死した姉を救えなかった力のない小娘。
姉ではなくお前が死ねばよかったと泣き叫んだ妹を見捨てて故郷を飛び出したろくでなし。
あてもなく国中を彷徨って、日銭稼ぎのために如何にも怪しい仕事を受けた挙句、そのまま悪の組織に囲い込まれていいなりにされるしかなかった薄っぺらい悪党のことを。
全て、全て思い出しました。
この人が、モノクロさんがどこの誰だったのかも、自分とどんな関係であったのかも。
それを踏まえた上でこの後どうすべきかを考えます。
答えはすぐに出ました。
私はかつて悪事を働きました、囲い込まれて逆らえなかったという言い訳は通じません。
であれば、その贖罪をしなければ。
今ならば、今の私なら多分この人から、あの組織の手を逃れることができる。
おそらく様子見程度で済んでいたのは私が全てを忘れていたから、思い出してしまったことがバレればきっと、元の通りに。
それだけは避けましょう、どうにかいい感じに誤魔化して、それで逃げ出さなくては。
どうして彼が全てを忘れた私をあんなにも気にかけていたのか、あんなにも心配していたのかは、全てを思い出した今でもその理由に心当たりがありません。
だって私は。
「…………ん」
思考の途中で小さな声が、そちらを見ると彼がゆっくりと瞼を開きました。
寝ぼけた瞳で彼はぼんやりと私の顔を見て、それからハッとした顔になりました。
「よかった、ようやく目が、目が覚めて……!!」
少しだけ泣きそうな顔でそんなことを叫ばれました。
何であなたがそんな顔をするんですか、意味がわかりません。
けれども、今の私、ジェーン・ドゥである私へのこれまでの彼の態度を鑑みると、その反応は決して意外なものではありません。
なので、けどられないように。
慎重に不自然さを感じさせずに、状況の確認を。
「あの……あの後、何が、どうなったんですか……あの蛇みたいななにかは」
何故か声が出しにくかったのですが、どうにかそう問い掛けることに成功しました。
「アレはワタシが殺しました。アレに関してあなたが心配するようなことはもうありません。それと、あなた含めてあの戦いの場にいた人間に死者はいません。死んだのはあの蛇だけです」
「そうですか……なら、よかったです」
「よくありません。何故あんな無茶な真似を」
握られたままの手がさらに強く握り込まれました。
見上げた顔は険しくて、どう見ても怒っています。
「……あそこまでしないとどうにもならなそうだったので」
何も偽らずにそう答えました。
というか実は、あの時のことあんまり思い出せないんですよね。
ただひたすらにあの蛇を燃やさなければとしか考えられていなかったような。
誰かが何かを言っていたというか叫んでいたのもかろうじて覚えていますが、何を言っていたのかはさっぱり。
周りのことをまったく気にしていなかったというか、極端に視野が狭くなっていたというか。
多分あの時の私は完全に暴走していたのでしょう、魔法もですけど主に精神が。
「あんまり、覚えてないんですけどね……すごく必死だったっていうことくらいしか。それでええと、私、何で生きているんですかね……?」
ほぼ炭になっていたはずの左手に感覚がありますし、どこも痛くありません。
生きているにしても左腕の欠損あたりは避けられないような状態になっていたような気がするのですが、何故でしょうか。
モノクロさんは私の顔を見下ろして、深々と溜息を吐いた後答えてくれました。
「西の人神があなたのことを治してくれたんです。彼女でなければどうにもならなかった、彼女がいなければあなたは命を落としていたでしょう」
「風華様が……そうですか、彼女が」
風華様はこの国で一番の治癒魔法の使い手、であればあの死にかけの身体もどうにかできた、ということなのでしょう。
人神様ってすごいです。
「ほとんど炭になっていた左腕も、全身に負っていた大火傷も全て綺麗に治してくださいました。……それでもあなたは中々目を覚まさなくて……あれからもう、二ヶ月と三日経ちました」
「にか……え、あれからそんなに……!?」
流石にそこまでとは思っていませんでした、せいぜい長くても一週間そこらかと。
とはいえあそこまで酷い状態だったので、むしろ目を覚ませたことの方がすごいことなのかもしれません。
「ええ、そんなにです、全く……あなたのせいであの人神に大きな借りを作ってしまいましたよ」
モノクロさんは物憂げな顔で大きな溜息を吐きました。
風華様に大きな借りがあるのは私本人だけで、この人にはないはずではと思いましたが、一旦黙っておきましょう。
「それは何というかその……すみません。ええーっと、風華様は今、どちらに?」
「西に戻りましたよ。それと『曙光』の連中も本部に戻りました」
「そう、ですか……なら、お礼を言いにいかないと……本当は元々中央に行く気だったんですけど、その前にまず西ですね」
そう言うと彼は怪訝そうな顔をしました、今の発言におかしな点はなかったはずですが。
それとも、私は命の恩人にお礼をしに行かないような不誠実な人間だとでも思われているのでしょうか。
そう思われているのであれば、さすがに遺憾の意を示したいです。
と、思いましたが、さっきの言葉に若干矛盾があったことに気付きます。
「あ、けどどっちにしろ……中央を経由するから中央よりも先に西っていうのは嘘になりますね。……と、とにかく次の目的地は西です、はい」
中央経由しなくても各地方には行けますが、中央経由が一番安全なので。
そういえばここってどこなのでしょうか?
どこであってもまずは中央に向かって、その後西に向かうというのは変わりませんが。
モノクロさんはきょとんとした顔で私の顔を見つめています、そんなにおかしなことを言ったつもりはないのですが。
「あの、何故そのような顔を?」
「ああ、すみません。あなたがまだ自分に自由が残っていると思っているのが意外でして」
「え」
それってどういう。
記憶が戻ったことはバレていないはず、そこまであからさまな言動もしていません。
ボロが出ないように心の中でもこの人のことをまだ『モノクロさん』呼ばわりしている程度には気をつけていたはずなのに。
「思い出したのでしょう?」
そう言ってモノクロさんはうっすらとした笑みを見せました。
「なにを……」
「具体的にいつなのかは……いえ、きっとあなたが火属性魔法を急に使い始めた頃には。あの時思い出したのでしょう? 全てを」
全部見透かされていました。
その通りというしか、けれどもここでそうですと馬鹿正直に答えるわけにはいきません。
「だってまともに使いこなせないって、制御できないって言っていましたもんね? それなのに急に使い始めて……火事場の馬鹿力とか言ってましたが嘘でしょう? そもそも今のあなた、ワタシに対する警戒が見え見えですよ。それに気付かないほどこちらが愚かだと、そう思っているのですか?」
駄目ですこれ誤魔化せないやつです。
どうするのが正解なんでしょうか、できれば『ええその通りです、それでは』と立ち去ることができれば花丸満点なのですが、多分無理ですこれ。
「ええと、あのその……」
「ふふ、相変わらず嘘が下手くそですね、ワタシの灰かぶりは」
燃やしまくった魔物の灰を被りまくって薄汚れていたかつての私につけられた痛々しいあだ名を持ち出されて、心に傷が。
やめてくださいそのあだ名恥ずかしいんですよ。
「逃げられると思っていました? 本当にそうなら本当に可愛らしいお方ですねあなたは。逃すわけないじゃないですか。それに逃げたところでどうするおつもりです? 『禍時』の……その幹部であったワタシの付き人のあなたが」
だから逃げたいのですし、そうだったから当時犯した罪を償うために自首したいんですよ私は。
西の人神様に会いに行くのはお礼を言うためでもありますが、あの組織の構成員として悪事を働いたかつての私を裁いてもらいたいというのも大きな理由です。
だからこそ、私はこの人に記憶を取り戻したことを気取られるわけにはいかなかったのです。
かつて私をあの組織で使いパシリにしていたこの人には。
幹部のパシリと言っても私はあの組織についてよく知っているわけではありません、それでもあちらとしては少しでも自分達の情報を漏らされるわけにはいかないのでしょう。
「きっと酷い目に遭わされますよ。だってあなたはあの極悪非道の『禍時』の幹部、ワタシの付き人だったのですから。情報を吐かせるために拷問にでもかけられて、死んだらゴミのように捨てられる……そんな酷い目に遭いたくはありませんよね?」
「…………それで、罪を償えるのであれば」
ばきりと、とても大きな音が。
何事かと思ったら、部屋中の至る所から氷の棘が。
「うん、少し黙りなさい。あなたのそういうところは本当に吐き気がするほど大嫌いです」
握り締められたままの左手が痛いくらいに、落ち着いた声色ですが凄まじく怒っているのがよくわかってしまって、すごくこわ──
強烈な違和感。
彼は強力な魔力を持っているため感情が昂ると魔法を暴発させます、前からそうでした。
だから今も、部屋中に氷が。
それなのにちっとも寒くないのです、握られっぱなしの手もちょっと冷たいだけで、氷のようなとは言い難い。
それもよく考えるとおかしいです。だって記憶違いでなければ、魔法を使っていない時でも彼の手はいつも、氷のように冷え切っていたはずなのに。
と、こちらがそんなことを考えていることに気付いたのか気付いていないのか、彼は私の手を握っていない方の手で私の頬を強くつねりました。
痛い、すごく痛いですが、やっぱりそこまで冷たくありません。
「聞いています? ……どうしてあなたはそんなにも自分の身を軽んじるんですかねえ。妹君を見捨てたこと、まだ気にしていらっしゃるんですか? だから自分がどんな目に遭っても構わないと?」
妹のことを言及されて、思わず彼の顔を睨んでしまいました。
今、妹のことは関係ありません。
けれども、あんな場所に妹を置き去りにした上で悪事を働くようなどうしようもない人間である私がそれ相応の罰を受けるのは必定だと思っているのは本当のこと。
なので否定はしきれません、今はただこの場面で妹のことを口にした彼の性格の悪さが不満だというだけのこと。
「……言いすぎましたね、申し訳ありません。それはあなたが過去から今までに負った傷の中で最も深いもの。軽率に口に出すべきではありませんでした」
今更謝られてもという心境です。
さて、この後どうすべきか、抵抗か服従か。
後者は『今』の私ではありえない、であれば全力で。
「……おや、逃げるおつもりですか。本当にあなたはわかりやすい。ですが無駄です……そもそも、やっとまともにあなたに触れられるようになったのに、逃すわけがありません」
前半は分かりますが、後半は何を言っているのやらという感じでした。
意味がよくわからないのですが、一体何の話です?
「ああ、そういえばあなたには何も説明していませんでしたね。ならわかるはずもない。けれどすでに不思議だとは思っているのでは? 寒くも冷たくもないでしょう?」
「それは……確かに寒さは感じないんですよねさっきから、こんなに氷まみれなのに」
「悪かったですね氷まみれにして。……何故かはわかりますか?」
「わかると思います?」
わかるわけがない、とそう答えると彼はうっすらと笑いました。
「ですよねえ。……では一度自己紹介を。実はかつては偽名を名乗っていましてね、あなたが思い出したであろう名、ヒサメというのは偽りの名でして」
そうだったんですか、知りませんでした。
私だけじゃなくこの人も偽名を使っていたのですか、けれどもそれがどうかしたのかと呑気に考えていた私に彼はとんでもないことを暴露しました。
「ワタシの本当の名は雪崩といいます」
知っている名前でした。
それは有名どころではない名前でした。
「とはいえ、今更わざわざ呼び名を変える必要はありません。ワタシも長らく本来の名で呼ばれていないですし……なので、お好きな方で呼んでください」
そんなことを言ってにっこりと笑うその人、いいえ、この方は『人』ではありません。
「その、名前……まさか、あなたは、あなたが……」
「ええ、そうですよ。……一応、この地の人神です」
雪崩というのは代々、北地方の人神様、その荒魂につけられる名前です。
軽率に名乗れる名ではありません、その名を騙ることもおいそれと。
けれど本当に?
けどきっと本当なのでしょう、だからこんなに異常とも言える強い魔力をこの方は持っているのです。
というか今この人じゃなくてこの人神様、『この地』って言いました?
ってことはここって北地方なんです? 何で?
けれど、それよりも先に。
「な、何で人神様が……そのような方があのような者達に、手を」
「お爺様、育ての親がいたので。……ワタシはこの地のあり方が生まれた時から気に食わなかった。だから片割れを殺して全てを変えてしまおうと思ったのですが……どうにもならずにこの地を飛び出しました、その時に偶然お爺様と出会って……こちらの目的を叶える手伝いをしてもらう代わりに、彼と彼の同志達に協力することになったんです」
「それでもなんであんな……あんなふうに穢れを撒き散らすような、あんな酷い人達に……」
「……あれにも一応、真っ当な理由があったのですけれどね、そういえばあなたは知らなかったのでしたっけ。そのあたりのお話は後にしましょう。そもそもワタシ、あそことはもう手を切ったので」
「そうだったんですか? えーっと、何で?」
「こちらの目的はすでに達成できましたし……それに、お爺様が亡くなった後、奴らはきな臭い動きをするようになりましたので」
「え」
彼が言うお爺様、彼の育ての親は『禍時』の首魁です。
一度だけ話したことがありますが、悪の組織を率いているにしては紳士的なご老人だった覚えがあります。
「お爺様、お亡くなりになっていたのですか……いつのまに……」
「あなたが行方不明になった後に、老衰で」
そういえば結構なお年でしたっけ、あの人。
皺が深く刻まれたその顔を思い出して、確かにいつ亡くなってもおかしくはなさそうな見てくれをしていた、と。
「まあ、今はお爺様と『禍時』のことは横に置いておきましょう。とにかく、ワタシは人神、その荒魂です。停滞を望んだ者達の変化への恐れ、そして停滞を望む者に虐げられた変化を望む者の渇望を一身に受けた存在」
得体の知れない、底が全く見えない異様な強さを持つかつての上司の正体は人神様でした。
そこまでは理解しました、けれども、それがさっきの話にどう続くのかが見えません。
彼は人神様だった、けれどもそれは私は今何故か寒さを感じていないその原因に関わるとはとても思えないのです。
結局どういうことなんでしょうか、とこちらが考えているのを見透かしたのか彼は淡く微笑んで、こんなことをのたまいました。
「そしてあなたはその人神の寵愛を一身に受ける存在となったのですよ」
「は、はい?」
「だからもう寒くないんです。ワタシの神気を得た、ワタシの伴侶として相応しい力を得たあなたが寒さを感じることは二度とないでしょう。……多少の冷たさくらいは感じるでしょうが」
「あなたはいったい何を言っているんです??」
意味が、全く意味がわかりません。
寵愛? 伴侶? 何ですかそれ、なんでそんなことになっているんですか?
元々の私達の関係は上司と部下、パシる方とパシられる方、ただそれだけだったはず。
特に重用されていた覚えもありません、基本的にはただのパシリです。
一回こちらが死にかけた時に庇ってもらったことがあったので、使い捨ての駒扱いというほどの酷い扱いは受けていなかったですが、けれどもそれだけ。
だからわけがわかりません。
「『チョウアイ』とか『ハンリョ』って聞こえましたが……ひょっとして私、何か聞き間違えましたかね。それか人神様と人間が使う言葉の意味が違うとか」
その可能性に思い当たって、そっちの方がそれっぽかったのでそう聞いてみると、彼は静かに首を横に振りました。
「いえ、聞き間違えも意味違いもありません。愛しているのですよ、ワタシはあなたのことを。この命が終わるその時まで共にいたいと、そう思っています」
その言葉を耳にして意味を噛み砕いて、自分の口から文字化しにくい奇妙な悲鳴が漏れました。
なに、なんですなにが起こってるんです私が一体何を言われているんですかこれ。
「私、あなたというか人神様に……そう思われるようなこと何一つしていなかったはずですが……何がどうしてそうなったんです……?」
「おや、自覚がありませんか」
「自覚も何も私はただの使いっぱしりだったはずでは? 好かれるようなことは何一つ」
「『借りは返しました』……そう言ってワタシを庇って落ちたでしょう? あの時です」
それは覚えのある話、というか私が記憶喪失になる直前の最後の記憶です。
あの時、私は遺跡の調査とやらに駆り出されて、その時に『禍時』を追っていた『曙光』の『英雄』、つまりいのりさんと遭遇して戦いになりました。
それでこの人神様がいのりさんの攻撃をまともにくらいそうになっていたのでそれを庇って、庇った末にいのりさんと一緒に穴の中に落ちたのです。
その遺跡には古い時代の力が満ちていて、私達が落ちた穴も底がないどこに繋がっているのかもわからない時空の穴になっていました。
そんなところに落下したから私は、そしていのりさんは記憶を失ってしまったのでしょう。
どうしてあの穴に落ちた私達が西地方で発見されたのかその理由はわかりません。
ただ事前に聞いていた話によるとあそこはどこにもつながっていない、しかしどこにでもつながっている、という矛盾した性質を持っていたそうなので多分なんかうまいこと繋がったのかもしれません。
ちゃんと調べれば詳しいことがわかるかもしれませんが、私個人としては今更調べたところでと言った感じです。
今問題となっているのは、話の主軸になっているのはそれじゃないですしね。
確かに私はこの人を庇いました、けれどもその理由は返さなければならない借りがあったからからです。
あれよりも前に彼に命を救われたことがあったから、その時の借りを返したかっただけ。
「……あれはあの時言った通り、借りを返すためだけにああしただけなのですが」
「ええ、そうなのでしょうね。けれど、ワタシはあの時あなたに惚れてしまった」
「あれだけで?」
「あれだけで、です」
たったそれだけで惚れられても困るのですが。
例えばこの方が瀕死の重傷状態で大勢の敵に囲まれている時に私が颯爽と現れ敵の軍勢を薙ぎ払い華麗にこの人を救い出したとか、そういうエピソードだったのなら多少納得できます。
けれどちょっと庇って、それでうっかりいのりさんと団子状態になって間抜けに落っこちただけですからね、あの時の私。
どう考えても惚れられるような行動をしていません。
納得できないので思い出せることを出来る限り詳細に思い返してみても、やっぱりそんな要素は一個もないのです。
「そんな難しい顔をなさらないでくださいよ。深く考える必要はありません」
「いえ、でもたったあれだけで……」
難しく考えるなと言われてもそんなわけにはいきません、そう思ったら彼は呆れたように小さく笑いました。
「あなたはご存知ないかもしれませんが、この国の神はとても惚れっぽいのですよ」
「えー……?」
そういう話は以前何度か聞いたことがありますし、人間に恋した人神様の記録というか伝説の内容が大体破茶滅茶なものであることも何となく知っています。
酔っ払って大泣きしているところを偶然通りかかった人神様に見初められて問答無用で攫われた中年男性とか、そうとは知らず人神様にスリ行為を行ない『自分からものを盗み取るなんて』と謎にべた惚れされて国中を逃げ回って各地で大騒動を引き起こした泥棒の話とか。
そういうトンチキエピソードを鑑みると、人神様を庇ったというのは惚れられエピソードとしてはまだそれっぽいものなのかもしれません。
当事者が私でなければ私だって他の変な話に比べればまあまあ真っ当な理由だ、とは思います。
けど、当事者が私なのです。
例えばあの時の場面、私が彼を助けた時に完全な初対面であったのならまだ可能性はあったでしょう。
けれども私は彼のパシリでした。だから私のひととなりはある程度理解されていたはずです。
これで私がいのりさんのようなパーフェクトレディだったり、アビントン姉妹のようにチャーミングだったりしたら納得できたでしょうが、私はただの薄っぺらい悪党です。
元々仲が良かったわけでもありません、会話が普通に成立する程度に互いのことを毛嫌いしてはいなかったというだけ。
「信じられない、という顔ですね。まあ無理もありません、ワタシだってあの時あの瞬間まであなたに惚れるとは思ってもいなかったので。……自分でも驚きましたよ、まさか自分が恋なんてものをすることになるとは、と」
彼は私の顔を見てニコニコ笑っていました、これはこっちの反応を面白がっている顔です。
それにしても惚れるだの恋をするだの、私に向けるにしては不適切すぎる言葉を使わないでほしいのですが。
いっそ幻滅して貰えば済む話ではと思いつきました、この方は私がクズだったことを昔から知っていますし、全部勘違いだったということで話を丸め込んでしまいましょうか。
それで全部解決です。この方が『禍時』と手を切ったというのであれば私が自首したところでこの方に損害はないはず、であればあっさり見逃してくれるに違いありません。
「ああ、そうそう。この国の神は惚れっぽい上に一途なんですよ。恋をするのは一生に一度だけ、愛することができるのも一生に一人だけです」
こちらが何を考えているのかを見透かしているかのような発言でした。
というか多分お見通しなのでしょう。
逃げ道をどんどん潰されている気がします、このままだと非常によろしくありません。
私みたいな薄っぺらい悪党が人神様のお相手とかいう重すぎる役目背負えるわけがないのです。
だから、どうにかいい感じに全部勘違いでしたで済ませなければ。
「ほ、惚れっぽいのに一生に一人きりとか、人神様って大変ですね……ですが、その希少な一回が私のような薄っぺらい悪党で消費されてしまったなんて、本当にあり得る話でしょうか? 一度よく、よーく考え直してみてください。これのどこにあなたが、人神様が好きになるような要素があります?」
そう説得を開始してみたものの、あちらの表情を見たところこちらの言葉が響いている様子はなさそうです。
それでもやめるわけにはいきません、ここで言いくるめられなければ大変なことになってしまう。
多分まだ引き返せます、どうにかできるはずなのです。
「誰かのことを好きだと勘違いするのはきっとよくあることでしょう。目をお覚ましくださいな。一瞬だけ『あれっ? 好きかも?』と思うことがあったとしても、こんなのを好きでい続けられるわけがないのです」
諭すようにゆっくりとそう言います、どうにか『言われてみれば』の一言を引き摺り出さなければ。
しかし彼は呆れたような顔で溜息をついて、片手でこちらの口を塞ぎました。
「あなたは神の愛を随分と軽く見ているらしい」
怒りはそれほど感じられない声でした、ただ呆れているだけというような。
こちらを見る目が本物の愚か者を見るそれになっています、そこまで馬鹿を見る目をされるような発言をしたつもりはなかったのですが。
「それに……本当に自分が恋をしたのか、勘違いではないのか、勘違いであればいい、だなんて散々考え尽くした後ですよ。なんせ、惚れた直後にワタシはあなたを見失った、死んでいてもおかしくなかった。喪ったものに一生恋焦がれるなんて冗談じゃない、そんな絶望を抱えて生きていきたくない、と」
確かに死んでてもおかしくない、というか生きていたのがおかしいくらいなのかもしれません。
私自身どうして生きているのかわかりません、落ちた後に意識を失ったらしく、気がついた時には記憶喪失状態で保護されていたので。
「生きていると……西の人神のところに保護されていると知った時は本当に安堵しました。……本当ならすぐに取り返したかったのですがそれも叶わず」
そういえばこの方どうやって私が生きていることを知ったんでしょうか。
多分『曙光』だけでなく『禍時』もいのりさんの行方を追っていて、それでついでに見つかったとかそんな感じでしょうか?
私が各地方を出るたびにこの人と遭遇していたのはなんらかの方法で監視でもしていたのでしょう。
と、そこまではあたりがつきますが、何故この方はあれだけで済ませていたのでしょうか?
生きていたことどころか行方すら把握していたのであれば、私を確保することなんて簡単だったでしょうに、特に西から出た直後。
あの頃は自分が魔法を使えることすら忘れていましたからね、使えるとわかった後も本来最も得意な火属性魔法は使えずにいましたし。
けれども何故そこまで放置されていたのか、というかあそこまで放置してくれていたのならこの先も放置してもらえるとありがたいのですが。
「ああ、何故今まで放置されていたのか……それに疑問を抱いているようですね。二つほど厄介なことがありましてね、あなたをそばに置いておくと危険だったんです」
危険だと彼は言いますが、一体何が危険だったというのか。
記憶を失うまで数年この人の付き人、パシリをやらされていましたが危険というほどのことは。
悪事を働かされていたので当然そんな私達を許さず追ってきた者達、悪人を倒して生計を立てるような人々に付け狙われることはありましたが、それでもそこまで酷いことになったことはありません。
私は彼の付き人でした、なんかやたらと強くて基本的には誰も敵わない、実は人神様だったこのお方の。
なので、並大抵の脅威は全部この人が薙ぎ払うような勢いで。
だから彼が私を以前同様にパシリか、それか愛する者として扱えば、守ろうと思ってくれるのであれば、危険なことなんてきっと全部。
なのでどういうことなのでしょうかと彼の顔を見上げると、彼は静かに話し始めました。
「一つ目、ただの人間には神の寵愛は耐えきれないのです。神の愛を受けるということは神の力を真正面から受け続けるということ。ワタシとあなたの場合だと、ワタシの力のせいであなたが氷漬け状態になるのは避けられなかったでしょう……今は大丈夫ですよ、先ほども言いましたがあなたはすでにワタシの神気を得て、神の伴侶として相応しい肉体に変じているので」
そう言って、彼は私の口から手を離しました。
やっと喋れるようになった、それならば何か言わなくてはと咄嗟に口を開く前に人差し指で唇をつつかれます。
「だからあなたの身は今もまだ柔らかいまま。元の身体のままだったらとっくにかちんこちんの氷漬けになっているんですよ」
なんか怖いことを言われました。
けど、確かに部屋中氷漬け状態ですし、普通だったらきっと私もこの氷の一部だったのでしょう。
しかし、と思いました。
こちらの表情から私の頭によぎった疑問に気付いたのでしょう、彼は私の唇に触れたまま言葉を続けました。
「何故最初からそうしなかったのか、とでも言いたそうな顔ですね。ワタシだって最初からそうしたかったのですが、それは不可能だったのです」
不可能、私の身体を神の伴侶として作り変えることが出来なかったということでしょうか。
そういえば昔、何かそれに関係する話をいくつか聞いた気がします。
ですが結構昔、というか子供の頃の話なのですぐに詳細を思い出すことは出来ず、また思い出す前に彼が言葉を続けました。
「神が愛する者を自分の伴侶にするためには生まれた土地の力を借りる必要があります……それが二つ目の厄介事に関わっていました」
そうですそれです話を聞いて思い出せました。
人神様と人間が結ばれるためには人神様が生まれた地で確か……なんとかという儀式を行う必要があると。
この儀式についてはおとぎ話などでも明言されることが多いですが、具体的に何をするのかまでは詳しく書かれていなかった覚えがあります。
しかしそれが何故厄介なのかと彼の顔を見上げると、彼は溜息を吐きました。
「この地はワタシの片割れ、和魂の根城でした。だからですよ。こう言ってしまうととても情けないので口にしたくないのですが……アレが生きている限り、ワタシがあなたを連れてこの地に戻ることは不可能だったのです」
実は自分の故郷でもある北の地の人神様について、私は詳しく知っているわけではありません。
ただ、他の地方と比べてその和魂と荒魂の仲が悪いという話だけは。
そして思い出したことが一つ。
人神様は、一つの地方に二神いる彼ら彼女らは、必ず同じ者に恋をする。
荒魂か和魂、そのどちらか一方が誰かに恋をすれば、もう一方も同じ相手に恋をする。
未だに信じがたいというかできれば違えと思っていますが、荒魂が私に恋をしたというのであれば、きっと和魂の方も。
そこまで思いついて、やっと彼がいうところの厄介事がどんなものであるのかなんとなく察しがつきました。
つきましたが、それを私の口から言うのはあまりにも烏滸がましい、そう思っていたら彼が薄く笑いました。
「おや、流石に察しましたか。ええ、そうですよ。人神の荒魂と和魂は同じ相手に恋をする。だからアレも、和魂もあなたに恋をすることになった。どこの誰かまでは実際に目にするまでわかっていなかったようですが、自分に恋焦がれる相手が出来たことだけは理解していたようです。ワタシ達は互いに相容れぬ存在、東の人神のように恋する者を共有するだなんてことは、そんな和解は不可能です。だから殺し合いになった、といっても、殺し合い事態は随分前からやっていたのですけれどね」
薄く笑いながら彼はそう言いました。
そしてその笑みに、何やら途轍もなく嫌な予感が。
彼は私を人神様の伴侶とやらにするための儀式のために、北の地の力を借りる必要があった。
けれども、和魂が、彼と相反する人神様が、彼と同じく私に恋する羽目になったその人神様が北の地にいる限り、それは不可能だった。
だから殺し合いになった、ならその結果どうなったのでしょうか?
その先を考えたくありませんでした、答えはきっと容易に出るのでしょうけど、そもそも出ているようなものなのでしょうけど。
だってそれが本当の話であるのなら、私のせいで人神様が一人死んだということに。
「昔から、随分と昔からワタシとアレは殺し合ってきましたが、なかなか決着がつかなかったのです。アレは攻撃はそれほど得意ではないのですが防御だけはとても上手くて……アレは停滞と不変を望む人間の願いの化身、だから『変わらない、影響を受けない』ことにおいてはこの国の神の中でも随一でした。だからずっとずっと決着がつかずに、何年も何年も」
その先を聞きたくありませんでした、その決着がどういう形でついたのか、その決定的な一言を。
こちらが聞きたくないと思っていることなんて分かり切っているでしょうに、彼はうっすらと、とても性格の悪い笑みを浮かべたままその一言を口にしました。
「ですが、ようやくです。やっとアレを殺すことができた。それでようやく、あなたをワタシのものにすることができたのですよ」
答えなんて分かり切っていました、それでも聞きたくはなかったのです。
「本当、に?」
ようやく口にできたのは答えが分かり切っている疑問でした。
彼はにっこりと、本当に嬉しそうな笑顔で頷きました。
本当に? けれど嘘を吐く理由も意味もありません。
けれども、どうにか否定をしたくて、私がきっかけで人神様が死んだなんて話を信じたくなくて、ほとんど空っぽの頭で言葉を練ります。
「けど、どうして、どうやって、だって……今までずっと決着がつかなかったのでしょう? なのになんで、急に……私が意識を失っている間に一体何が」
それを聞いてなんになるのか、実は彼の話は嘘で、実は殺し合いに決着がついたなんていうのは嘘で、どこかに隠れているもう一人の人神様がひょっこり出てきたりしないかとそんな馬鹿なことを。
「どうしてもどうやっても、大体察しがつくのでは?」
「え?」
察しがつかないから聞いているのです、まだそこにもしかしたらの余白があるから。
あの蛇なのかよくわからない何かとの戦いの後、私が意識を失っている間に何かがあったということは確かでしょう。
けれども、今の私にわかることなんてそのくらいです、何年も続いていた人神様達の殺し合いに何故決着がついたのか、その理由に心当たりなんて。
「おや、まだ気付きませんか。あなた、そこまで察しの悪い方でしたっけ?」
馬鹿にされている、丁寧な言葉で馬鹿にされています。
見上げると、彼は何故わからないのかとでも言いたげな顔をしていました。
その顔を見つめて、それでもそれらしき答えは出てきません。
私が何も言わずにいると、彼は諦めたような顔で口を開きました。
「……あの蛇ですよ、あなたが頑張って燃やそうとした、アレです」
「はい?」
「だから、あの蛇がこの地の人神、その和魂です」
蛇なのかよくわからない何かの姿が頭に浮かびました。
そういえば最初は人間っぽい姿をしていましたっけ、今目の前にいる彼によく似た姿の。
そういえば北地方の神様って元々蛇の怪物だったとかいう、そんな話だったはずでは。
そういえば我が愛とかなんとか言われたような気が……
そんな『人神様』にそうとは知らず何をしでかしたんでしたっけ、私は。
「わ、わあ……」
重すぎる事態に今更気付いて、そんな情けない悲鳴が私の口から漏れました。
どうしましょう、多分私、神殺しに手を貸してしまっています。




