中央への道行き
中央に向かう道の道行、その半分以上が過ぎてもあの謎の北地方アンチのモノクロさんの姿は見つかりません。
流石に偶然が続くことはなかったかと思いつつ私が彼に最後に投げかけた質問、『前』の自分を知っているのではというその質問に答えたくがないゆえに避けられているのでは、とも。
定期的に、各地方を出る直前に書いている手記には流石にそこまで偶然が続くとは、と書きましたが、内心その偶然が続くものだと思っていたのです。
だからなんとなくもやっとしつつ道を歩いていると、右側から何かの気配が。
目視で確認すると、こちらに牙を向く狼型の魔物の姿が。
鳴神をぶっ放して一撃で戦闘不能にしました。
別の地方から中央へ、中央から別の地方に向かう道行で魔物と遭遇したのは今のがはじめてでした。
そういえば今まで一度も遭遇したことがなかったのでそんなものかと思っていましたが、この前聞いた話によると普通はそんなことはないとのこと。
いくら整備されているとはいえ人里でなければ野生の魔物はどこにでもいます、だから二、三は魔物に出くわすのが普通だ、と。
それなのに私はたった今、狼の魔物に遭遇するまで一回も。
よほど運が良かったんだろうなってその話をしてくれた人が言っていました。
そんなところだけ運が良くてもなあと自分では思っています。
けどその幸運がなければ西から中央に向かう道中、まだ雷魔法が使えなかったその時に死んでいたかもしれないので。
周囲を確認しつつそんなことを考えます。
今のところ、モノクロさんの気配も先程の狼以外の魔物の気配もありません。
遠くの方に中央の政府塔が見えてきました、今回は結局モノクロさんに遭遇しなかったなと思った直後でした。
先の方から凄まじく嫌な気配、南で遭遇した穢れ鳥に類似した、というかそれを更に酷くしたような。
思わず足を止めました、この先に進んではいけないと。
引き返すべきか様子見だけするべきか、しばし迷って後者を選びます。
もしも誰かが被害に遭っていたら、助けなければなりません。
念の為周囲をもう一度見渡し、何もいないことを確認。
そろりそろりとこちらの気配を気取られないようにゆっくりそちら側に近寄って、何かの姿が遠目に見えたのですかさずその辺の木陰に隠れます。
まず真っ先に見えた、というか目視しなければという焦燥感と共に見たそれは、人間くらいの大きさで人間に似たみてくれの何かでした。
人間かどうか判別できなかったのはその何かにとんでもない量の穢れが付着しているのと、感じ取った魔力が人間のそれを遥かに超えたものだったからです。
どうやらその何かは氷系統の魔法を使うのか、まだ十分距離があるにも関わらずここまで冷気が漂ってきています。
次に見えたのは穢れたそれに対峙するもの達、各々穢れたそれに攻撃していますが、それに通じているようには見えません。
そしてどういうわけなのか、それに対峙している者達の大多数が顔見知りでした。
いのりさん、アビントン姉妹、風華様、いつぞやの乱暴な剣士と厳かな雰囲気の老人、それと謎の北地方アンチのモノクロさん。
他にも知らない人が何人か。
どういう組み合わせなんでしょうか、あれ。
多分いのりさん含む『曙光』の人達と風華様ってことなんでしょうか、モノクロさんが『曙光』の人なのかどうなのかは知りませんが。
ひとまず様子を伺います。
パーフェクトレディのいのりさんにファンタスティックな冒険家であるアビントン姉妹、彼女達ほどの実力者に加えて人神様である風華様、おそらくとてつもなく強いであろうモノクロさん、それと『曙光』の人達。
彼女らに袋叩きにされているにもかかわらず、その穢れた何かはピンピンしていました。
穢れは魔法を打ち消すということですが、その穢れに対して圧倒的に有利を取れる力を持つという『英雄』であるいのりさんの攻撃魔法すらまともに効いているように見えません。
さて、こんな場面に遭遇してしまった私はどうするべきでしょうか。
あのメンツが揃ってもどうにもできていないもの相手に私がどうにかできるはずがありません。
加勢したところで足手纏いでしょう、むしろ今のところはどうにかとれていそうな連携が私のせいで崩れる可能性が大いにありました。
では、見なかったふりをしてこの場から逃げ去るのが正解でしょうか。
それはきっと違うでしょう。
ならばどうすべきか。
下手に近寄ればきっと一番弱い私が真っ先に倒れることになる、それに誰かが動揺したり、私を助けようとした誰かが戦いが抜けるという状況は極力避けるべき。
であれば、遠距離からの支援を。
卑怯極まりないですが、安全圏からあの穢れた何かに地味でいやらしい嫌がらせを。
一度だけ右の腕輪を撫でたのちに深呼吸、魔力を練り、向こうに気付かれていない今だからこそ使える私のとっておきを一発、お見舞いしてやりましょう。
「雷光結界」
まずは穢れたそれだけを囲うように雷光結界を範囲狭めに発動、弱い魔物なら結界内に捉えられた時点で容易に動けなくなる程度にビリビリするはずですが、効いているようには見えません。
効くとは思っていなかったのでそれに落ち込んだりはしません、この魔法のもう一つの効能のために張ったようなものなので。
「電霆檻」
次に穢れたそれを雷の檻へ。本来なら激しい雷によって大ダメージ必須な他、仕留めきれずとも雷による痺れ、閃光による目潰し効果、轟音によって聴覚を潰すなどという効果が見込まれますが、効いているのやらどうやら。
そして、最後のダメ押し、普通だったらトドメとなる魔法を。
「天雷!」
打ったのは鳴神の完全上位互換である魔法。
結界に封じ、さらに檻で囲い込み、その上で私の一対一で一番強い魔法をぶち込んだ形になります。
一番強いというのはやや語弊がありますが、この遠距離なら一番、ということで。
そして最初に張った結界のもう一つの効果は雷属性魔法の威力を強める、というもの。
効いているのかどうだかわからなかったので追加でもう二発天雷を打ち込みます。
普通だったら、私程度が相対するような者相手だったら確実にやり過ぎですが、果たしてどうなったのやら。
結界と檻を解除、あれは雷属性以外の魔法の威力を弱めてしまう効果があるため、一旦引っ込めておきます。
目視で穢れたそれを確認。
「うわぁ……」
ほぼ無傷でした、普通なら消し炭通り越して形が崩れててもおかしくないのに。
割と派手な魔法を使ったため、当然ながら穢れたそれとそれに対峙していた方達が私の存在に気付きました。
「ジェーン・ドゥ!? 何故ここに!!?」
リリアンさんがあげた驚愕の叫び声に、こちらも声を張り上げて返答を。
「『曙光』の方々!! 微力ながら加勢します!! ……とは言っても私にできるのは足止め程度なので」
そう叫んでいる途中で、突風が。
何事かと思ったら、目の前に。
目の前に、さっき天雷をぶち込んだ穢れたそれが。
安全圏じゃなかったんですか、ここ。
いや勝手にそう定義したのは私なので、完全に私の判断誤りですが。
これは多分、死にますね。
いきなり不意打ちしてくるような卑怯者を真っ先に仕留めるというのは妥当ですから。
私が本来なるべきポジションは無視はできないけれど真っ先に対応しようとすれば他の方々の攻撃にどう頑張っても対応できなくなるお邪魔虫でした。
この遠距離にいる私を、いのりさん達の攻撃の手を掻い潜りながら仕留めるのはほぼ不可能だと楽観視した私が完全に間違っていました。
事前に劈雷の舞を使っていればどうにかなったかもですが、これはもう逃げられそうにありません。
穢れにまみれたそれは、見覚えのある人に似た見てくれをしていました。
真っ白な髪、真っ黒な肌、白眼と黒目の色を反転させたような異質な目。
絵に描こうとしたら白と黒以外の色が使えなさそうな、そんな見た目。
その姿は、その顔は、モノクロさんと瓜二つでした。
モノクロさんの色を、ちょうど綺麗に反対にしたような、そんな見た目。
その何かが、私の目の前で口元を大きく歪めて笑います。
そして、非常に聞き取りにくい濁りきった声でこう言いました。
「ああ、ようやくみつけた。わがあい」
その言葉の羅列の意味を理解する前に、身体に衝撃、視界に大きなブレが。
何が起こったというのか。
「なんで出てきたんですか!!」
すぐ近くから怒鳴り声、聞き覚えのあるそれに顔をあげるとモノクロさんの顔が。
状況を確認、私は何故かモノクロさんに抱えられていて、すぐ近くにいのりさん達の姿が。
おそらくですが、穢れた何かに襲い掛かれそうになっていた私をモノクロさんが掻っ攫って助けてくれたようです。
モノクロさん、滅茶苦茶怒ってます。
当然でしょう、身の程知らずの役立たずが割り込んできた挙句、即座に死にかけていたのですから。
「ご、ごめんなさい……」
すぐに謝りました、加勢するにしてももう少し様子を見るべきだった、どれだけあの穢れた何かがやばい奴であるかを理解した上でそうするべきでした。
「遠くからなら、私みたいな役立たずでも遠くからなら足止め程度のことはできると思ったんです……」
そんな言い訳でしかない泣き言をこぼすと、モノクロさんは舌打ちしました。
「もういいです、出てきてしまったのなら仕方がない。……仕方がありませんが、状況は最悪です、ええ、本当に」
彼がそう言った直後に凄まじい冷気が。
視線をそちらに向けると、穢れた何かの背後に巨大な柱にも見える氷の塊が五本ほど。
嫌な予感の直後、その氷の柱が一斉に勢いよく、こちらに。
しかし、それと同時に氷の柱と同じくらいの氷の塊がこちら側からすっ飛んで、凄まじい轟音を立てながらぶつかり合いました。
そして氷はどちらに届くことなく地に落ちました。
「かえせ」
穢れた何かが恐ろしい形相でこちらにひたりひたりと歩み寄って。
あんまりにも怖かったので全力で鳴神を打ちそうになりましたが、今打つとモノクロさんも巻き込みかねないとどうにか耐えます。
「返せだって? 何を言っているんですオマエは。彼女はオマエのものではない」
「なに、なんです、わたし……?」
不意打ちを仕掛けた私をあちらが真っ先に始末したい、とかなら理解できるのですが。
返せって私を? なんでです??
あんなの一回も見たことないですし、関わったことすら。
「いいや、それはわれのもの。わがあい、わがはんりょ、キサマになどわたしてなるものか」
穢れた何かがわけのわからないことを言い出しました。
なんですか伴侶って。
「え? そのどちらさまです? どっかであったことありましたっけ?」
「いや、ない」
思わずこぼしてしまった呟きを随分とはっきりした口調で否定されました。
じゃあなんなんですか、意味不明すぎません?
そこで身体が地面に降りる感覚、後ろの方に軽く押されて顔を見上げると、私を庇うように穢れたそれの前に立ち塞がったモノクロさんが心底嫌そうな顔でこちらをチラリと見ました。
「アレの言葉に耳を傾けてはいけません。それと、ワタシから決して離れないように。あなたがアレに捕まったらおしまいです」
そう言い切った直後、モノクロさんが再び氷の塊を穢れた何かに向けて射出。
今度は直撃、したかと思いきや穢れた何かは無傷。
よく見ると穢れた何かの目前に分厚い氷の壁が。
モノクロさんは舌打ちした後、少しだけ横、いのりさん達の方を向いてこう叫びました。
「『曙光』の方々!! もうアレをどうにかしようと手加減するのはおやめください。そうでなければ、アレをここで仕留められなければここにいる彼女が、あなた方の大切な友人が服を剥ぎ取られた後氷漬けの氷像にされますよ!!」
「どうして」
意味がわからなすぎます、何故私が氷像に。
しかも服を剥ぎ取られて?
「何故そうなるんだい!!?」
マリアンさんが悲鳴じみたツッコミの声を張り上げました、そんな彼女にモノクロさんは小さく溜息を吐いてから答えました。
「アレがそういうどうしようもない存在だからです」
それってどういう存在なんですか?
なんです、ひょっとして自分に一撃入れた奴を殺すついでに氷像にする変わった趣味の持ち主ってことなんでしょうか。
趣味が悪すぎます。
「ああ、わずらわしい」
穢れたそれがそんなふうに呟いた直後、その身体がぐにゃあと歪んで形を変えていきます。
そうして最終的にそれは、巨大な蛇の姿に。
見上げるほどの大きさ、その高さは軽々とそこら辺にの木々を超えていました。
「なんですかアレ!!? 人間じゃ……」
「アレは人間ではありませんよ」
モノクロさんはそう言うと同時に再び氷の塊を巨大な蛇に向かって射出しました。
そこから先、モノクロさんも『曙光』の方々も巨大な蛇に攻撃を続けましたが、あんまり効果がありません。
なんというか、異様に頑丈なのです。
穢れ云々で攻撃魔法が通じにくいというのもありますが、おそらくアレは元からかなり高い防御力を有しているのではないかと。
穢れを打ち消す浄化の力を持ついのりさんと、それからモノクロさんの攻撃は多少効いているように見えますが、ほとんど焼石に水というような状態。
私も鳴神、時々天雷を打ち込み続けていますがちっとも効きません、ほんの一瞬の足止めにすらなっていないってどういうことなんでしょうかね。
今は足止めにならずとも目潰しになればと思って目を集中的に狙っていますが、効果はありません。
いっそこの前覚えたばかりの最上級魔法をとも思いましたが、あの魔法は味方がいる場面で使うと確実に味方を巻き添えにするので使えません。
というか、私の魔法って基本的に一対一か一対他多向きの魔法が多いので、使える魔法が限られているのです。
広範囲のものを打てば味方を巻き添えにしかねませんし、雷光結界を使って雷魔法の底上げをすれば他の方の魔法の威力が弱まってしまいます。
なのでただひたすらに鳴神か天雷を打ち続けるくらいのことしか。
何度も何度も打ち込んでも、効いている様子はありません。
私だけでなくいのりさん達もモノクロさんも攻撃の手は一切緩めていないのに、どういうことなんでしょうかねこれは。
そうしているうちに、次第に皆さん疲弊の色が見え始めました。
私も結構疲れてきましたが、蛇は何故か私にだけは絶対に攻撃してこないため目に見えた傷が一つも。
けれどもそれは私だけ。
蛇は度々氷の礫や刃を私以外の全員に向かって放ってきました。
最初はみなさんどうにかしのいでいましたが、少しずつ負傷が増えていっています。
誰かが負傷するたびに風華様が治癒魔法をかけていますが、それも間に合っていない状態です。
理由はまったくもって不明ですが、あの蛇は何故か私を狙っているようです。
初対面なのに伴侶とかいう意味不明な言動は穢れによる錯乱のせいなのか、それとも何か理由があるのか。
理由があったところでその意味は全くわからないのでしょうけど、何故初対面で伴侶とか。
けれども、その狙いが私だというのなら、あの蛇が私を傷付けないように注意を払っているのであれば。
ならば、私がこの戦局を変えるしかありません。
一か八か劈雷の舞を使って蛇を翻弄しつつ至近距離から雷閃をぶち込むか、いっそ私自身が囮になって他の方々からあの蛇を引き離して彼らが態勢を整える隙を作るか。
それか、死ぬ前提で全力の火魔法をぶちかますか。
どれだけ練習を続けてもまだまだ制御ができていない火属性魔法、けれども何も考えずに全力を出せば、かなりの高威力が出るのだろうとはずっと思っていました。
……けれどもそれは、本当に最終手段で。
できることをできるだけやった後の奥の手にしましょう。
そういうわけで一旦舞って、突撃。
劈雷の舞は使用者の身体能力を強制的に引き上げる魔法、肉体への反動が大きく扱いにくいのですが、熟練者が使えば稲妻のような速さで駆けることができるのだとか。
私程度だと一瞬でそれほど遠くない距離を詰めることくらいしかできませんが。
蛇に近寄って跳躍、当然狙いはその目。
「閃雷!!」
ほぼゼロ距離でぶちかますことに成功、閃雷は射程範囲が極端に短い分、その威力は絶大。
敵に近寄るとこちらが負傷する危険性が高いので滅多に使わないのですがね。
ゼロ距離で目のみを一点集中で叩き込んでみましたが、蛇の目には傷一つ。
それを目視した直後に大きく跳躍して蛇との距離をとります。
「駄目ですか」
しかし仕方ありません、閃雷は同じくらいの魔力消費で天雷よりも若干威力が高い程度の魔法なので。
さて、次の一手は。
「この馬鹿!! 離れるな!! というか近寄らないでくださいあんなのに!!」
ぐいっと肩を掴まれ後ろの方に押しやられました、モノクロさんに。
「ですが」
「ですがじゃあありません!! アレの狙いはあなたなんですよ!!」
だからこそだったのですが、と言ったら怒られそうな気がしたのでそれは黙っておくことにしました。
「すみません。ですがこのままだと埒があきません。どうにか打開をと思ったのですが、ゼロ距離攻撃でも傷を与えられないとは」
「あなたの雷程度でアレに傷をつけられるはずがありません。……可能性があるのはワタシか、それとあの『英雄』だけでしょう」
「そうなんですよねえ、あなた達二人以外の攻撃、悲しいほど効いていないので」
私に二人を支援するような魔法が使えれば良かったのですが、そんな魔法は一つも使えません。
このままだと、ほとんど何もできずに全滅すら有り得ます。
それはどうにか避けたい、けれどもどうにも。
やはり、私が囮に──
視界の端、足から血を流して跪いた風華様に氷の刃が。
「──っ!!」
まだ残っていた劈雷の舞の効果で彼女の前に移動、間に合ったのはそこまででした。
本当は鳴神で刃を撃ち落とすつもりでしたが、間に合いません。
けれど足手纏いの私ならいい、風華様がやられるのはいろんな意味でまずい。
治癒魔法を使える彼女がここで潰れるのは大変まずい、それに彼女は人神様で、それ以前に私を助けてくれた御方です。
だからいい、それでいい、それに一瞬で死にさえしなければどうにかなるはずです。
ぎらりと輝く氷の刃、一直線にこちらに向かって飛んでくるそれは、防ぎようのないそれは私の腹の辺りを貫くのでしょう。
だから思わず目を閉じていました。
けれども一向に痛みも衝撃も訪れません。
おそるおそる目を開くと、誰かが私の前に立っていました。
その人は右腕からだくだくと、だくだくと血を流して。
「なん、で……」
「……本当に、本当にあなたは愚かだ。何故そんな無茶をする」
振り返ったその人の怒りと安堵が入り混じった顔。
赤い血が、たくさんの血が、私のせいで。
「お怪我はなさそうですね。それだけはよかった」
そう言って、彼は前を向きました。
既視感がありました。
全身から力が抜けました、ついでに痺れるような痛みも。
舞の効果が今完全に切れました、けれどそれだけではありません。
「西の人神、彼女を」
モノクロさんは短くそう言って血が流れる腕をどうにかしようとせずに、蛇に向かって攻撃を。
傷つけるつもりがなかったらしい私を殺しかけたことで硬直していた蛇が、一瞬の遅れを見せた後迎撃します。
「ドゥちゃん、ドゥちゃんしっかりして!!」
後ろから風華様の声、優しい光が私を包んで、全身の痺れが消えました。
それでも私は立ち上がれず、地に落ちた鮮血を見つめることしかできません。
私は昔、今と同じものを見たことがある。
同じ言葉をかけられたことも。
思い出した。
思い出しました、すべてを。
薄っぺらい悪党でしかなかった私を、中身のないクズだった私を、誰に誇ることもできない惨めな自分を。
本当の名前を捨てたことも、その後名乗っていた名前も。
北地方に何故あれだけ嫌悪感を抱いていたのか、その理由も。
けれどもそれはどうでもいいのです。
今この時点でその記憶は余計でしかなくて、必要ありません。
大事なのは一つだけ。
魔力を右ではなく左の腕輪へ。
使うのはかつての、『前』の私が最も使用した中級魔法。
今の私であればきっと半身が焼け焦げ火達磨になるであろうそれを、あの蛇へ。
「烈火」
激しく燃え盛る炎が蛇に直撃、氷に火はよく効くはずですが、やはりあまり通じていません。
けれども有利がとれる分、多分雷よりも効き目があるでしょう。
左手に痛み、見ると若干焦げていました。
「おや、焦げるだけですみましたか」
今の威力だと、本来なら火達磨でした。
けれども今なら、火属性魔法の使い方を思い出した今であるのならその程度で済むようです。
『前』の私なら無傷で済みました、やはりまだ完全に感覚を取り戻せたわけではないようです。
それでも、このどうしようもない状態で火属性魔法の使い方を思い出せたのは渡りに船。
どこまでいけるかわかりませんが、いけるところまで。
「烈火、烈火、烈火、烈火烈火烈火烈火……火力足りてませんね、では業火」
そもそも私は元々火属性魔法の使い手、一年足らずの雷属性魔法よりも本来、こちらの方が練度が高いのです。
それを存分に、全力で、全てを燃やし尽くす勢いで。
不完全ですがそれでも雷よりも多少威力が高く、そして氷相手であれば余計に。
溶けろ、全部溶けろ、それで全部燃えろ。燃えろ燃えろ、灰になるまで燃えてしまえ。
誰かが何かを叫んでいました、よく聞き取れません、多分そうする必要もないのでしょう。
ただ、あの蛇を焼き尽くすことにだけ集中を、仕留め切れずとも誰かが仕留めるだけの隙を作らなければ。
そこまでやってもかつての私が犯した罪が償えるわけではありません、それでも。
万が一ここであの蛇を私が仕留めてそれでここにいる人達を全員助けられたところで、誰かに誇れる自分になれるわけもありません。
けど、ここで何もしなければ私はもっと惨めになる。
なので、攻撃の手は一切緩めず、ただ全力で。
左腕だけでなく全身が焦げていくのがわかりました、けれどもそれだけです。
まだ動ける、まだ死なない、まだ燃やせる。
「火事場の馬鹿力というやつですよ。ようやく、感覚が掴めてきました」
烈火に業火、爆炎、煉獄、大花火。
使えるだけ使ってみましたが、効果はそこまで。
けれども無傷ではありません、多少は効いています。
燃やして燃やして燃やして燃やして、それでもまだまだ足りません。
「いいでしょう、奥の手です。流石にこちらも焼け焦げて死ぬでしょうが、氷像にされて恥を晒すよりもずっとマシ。そういうわけでとっておきの奥の手を見せて差し上げましょう、どうかお覚悟を」
そう宣言しつついつぞやの、南で出会った占い師さんの言葉をふと思い出しました。
蛇に気をつけて、きっとあの占い師さんが言っていた蛇というのは今まさに私が燃やそうとしているこの蛇なのでしょう。
確かに気をつけなければいけなかった、きっと遭遇してはいけないものだったのでしょう。
けれども今はもうどうでもいい。
ただ目の前の蛇を、災いを焼き尽くすだけ。
蛇は、私の炎に焼かれ無事では済んでいないその蛇は、動きを止めてこちらの炎を防ぐための魔法も何故かやめてしまいました。
理由はわかりません、もしも力尽きて動けなくなったのなら、これ以上ない好機です。
「八ね──」
呪文を唱えかけたその時に異変が起こりました。
蛇が突如その形を変えました、最初のモノクロさんによく似た人間のような見てくれに。
そして、凄まじい勢いでこちらに急接近して。
はやい、こわい、まにあわ「鳴神ぃぃい!!!!」
咄嗟に鳴神が出ました。
ここ最近の癖というものは恐ろしい。というか身に染みついていたのでしょう、今のは完全に反射的な行動でした。
だから目前に迫る脅威に向かって火ではなく鳴神を出してしまいました。
あんまりにも怖すぎたせいか、普通に魔法を使いすぎて疲弊していたせいか、いつの間にか息が荒くなっています。
怖かった、ここ最近で一番怖かったです。
一方私の唐突すぎる鳴神を受けた蛇なのかよくわからないそれは、その場で崩れ落ちていました。
何故か普通に鳴神が効いたようです、今まで一切通じなかったのに何故。
「だま……だました、な……」
呻き声のような声が蛇、謎のそれの方から聞こえてきました。
「騙したつもりはありません。とっさに鳴神っただけです。……ですが好都合、これならば避けられる心配も」
ない、そう言い切る直前で右手の方からぱきり、と小さな音が。
右手を見ると中指に嵌った蛇の指輪、その頭部に付いていた小さな青緑の魔法石が砕けて地に落ちていました。
「あ……」
全身を見下ろしました、あちこち焦げて、それでも大した痛みを感じなかった我が身を。
左手はほとんど炭化していました。
他も、酷い有様で。
火属性魔法の使い方を思い出したとはいえそれは不完全なものでした、だいぶマシにはなったのですが、完璧には程遠い。
だから、こんなにも。
『前』の私だったらこうはならなかったでしょう、けれどもそれを思い出してすぐの私では無事ではすまされなかった。
それでも蛇の指輪が、治癒と痛み止めの効果のあるあの指輪がそれをほんの少しだけマシにしてくれていたのです。
本来なら致命傷となる傷を致命傷ではないものへ、そして本当だったら凄まじいはずの痛みを緩和して。
けれども、そんな頼みの綱は完全に切れてしまいました。
負荷をかけすぎてしまったのでしょう、だから壊れてしまった。
それを認識した直後、激痛が。
どこからともなく耳障りな絶叫が、全身が焼け焦げるような痛みが、体の奥から業火で焼き尽くされるような痛みが。
いたい、いたいいたいいたいいたいいたい!!
胃から喉を通って灼熱の何かが、吐き出したそれが血だったのか嘔吐物だったのかわかりません、けれどもそれも熱くて、ただ熱くてまるで真っ白になるまで焼き溶かされたどろどろの鉄のようで。
熱くて痛くて、また吐いて、痛くて痛くて痛くて。
何もわからないくらい痛くて熱くて、ただひたすらにあつ──




