今度こそ北への道行き
東地方から北地方に向かうため、ひとまず中央に向かって足を進めていました。
どこに行くにしても各地方を行き来するためには中央経由が一番安全。
今の私は多少魔法が使えますが、それでも安全をとりました。
中央を経由しない方が断然早く着くらしいのですが、急がば回れなんて言葉もありますからね。
そういうわけで普通に歩いていました。
天気は快晴、暑くも寒くもない爽やかないい陽気でした。
一応警戒はしていましたが、ようなよくないものの気配はどこからもしてきません。
このまま何事もなく順調にいけば、多分……
「おや。そこ行くあなた、少しよろしいでしょうか?」
背後から聞き覚えのある声、青年なのか少年なのか判断が難しい若い男性の声でした。
振り返るといつぞやの北地方アンチのモノクロさんの姿が。
「あら……ど、どうも」
「ふふ、またお会いしましたね」
相変わらずフードを目深にかぶっているのでその目元は見えませんでしたが、彼は柔らかな微笑みを浮かべているようでした。
何故、また遭遇してしまったのでしょうか。
ただの偶然なんでしょうけど、こんな偶然起こってほしくなかったです。
別にモノクロさんのことが嫌いだから会いたくなかったというのではありません、ただもう二度と会うことはないだろうと彼との約束を反故にしようとしているその道筋で遭遇してしまったこの状況が嫌というだけで。
罪悪感を感じつつ、ひとまずそれを隠して「奇遇ですね」と会釈しておきました。
「ええ、本当に。偶然またあなたにお会いできるとは思ってもいませんでしたよ。……あの後、どうでしたか?」
「あ、あー……おかげさまで色々と。えとその、魔法、使えるようになりました……特化型というやつなのでまともに使える魔法、ほぼ一種類だけなんですけど。それでもどうにかなったというかなんというか……と、とにかくありがとうございました、あなたのおかげで、身を守る術を身につけられました」
そういって頭を下げました、この人の言葉がなければきっと私は今もあの頃と変わらず無力な存在だったでしょうから。
「頭をあげてください。お礼を言われるようなことはしていませんから。……あなたが魔法を身につけられたのはあなた自身の努力によるもの。自分はただ、道を示しただけですので」
「ですがその道を示してくれたから、今の私があるのです。だから、ありがとうございます」
重ねてお礼を言いました、そのことに関しては本当に感謝しかなかったので。
頭を上げて彼の顔を見ました、相変わらず病的なまでに真っ白な口元くらいしか見えません。
そんな彼の顔を見上げて、罪悪感が胃をキリキリと。
けれども私は北に向かわねばなりません、そこで私のこの北地方への嫌悪感や無情さの正体を掴まなければ、この感情に正当性があるのかないのかすら判断がつかないのです。
そして判断がつかないうちは、私は自分のことを嫌な奴としか定義付けられないのです。
本当に嫌な奴であるのなら仕方がありませんが、何か理由があるのであればそれに縋りたいのです。
だから、私はこの人との約束を反故にするのです、どうしても行くのなら人神様の殺し合いが終わった後に、という約束を。
「そ、それでは失礼しますね」
それだけ言い捨ててくるりと身体を反転させ、先を急ごうとしました。
焦っていたのです、予想外の再会に思わず。
「ええ。──ところで、次はどちらに?」
こちらの思惑を見透かしているかのような声色でした。
しまった、焦りすぎてあまりにあからさまだったかもしれません。
振り返らず、けれども立ち止まってどう答えようかと思案しました。
「ええと」
「北に向かう気ですか」
正直に話すか嘘を吐くか迷いを見せたのは完全に悪手だったのでしょう。
聞こえてきた剣呑な、刺々しい声に思わず振り返ってしまいました。
雰囲気がトゲトゲしていらっしゃる、あとどことなくドス黒いオーラ的なものが見えるようなというか、さっきまで少し暑くくらいだったのに急に寒くなってきたような。
なんで感情一つでここまで他人に受け取らせる雰囲気というかなんというかを変えられるのでしょうかね、この人は。
いっそ逃げ去ってしまおうかとすら思うくらい恐ろしかったのですけど、それはぐっと堪えておきました。
そして正直に話すか誤魔化すかを考えて、後者はさらに怒りに油を注ぐだろうと判断します。
そういうわけで正直に。
「ええ」
短く一言でそう答えると、彼が大きく一歩こちらに近付いてきました。
「何故? アレはまだ死んでいませんが?」
圧が、圧がすごい。
あとアレって多分人神様のことだと思うんですけど神様のことアレ呼ばわりはあんまりいいことじゃないのでは。
なんて余計なことも考えつつ、どうにか納得してもらえそうでかつ穏便にすみそうな言い訳を。
「少し前の殺し合いで互いに力が削がれただろうからしばらくは二神ともおとなしくしているだろう、という話を聞きまして……今のうちなら大丈夫なんじゃないか、というかこの隙を逃せば次の機会はしばらくないのではと思いまして」
最もらしい言い訳を話すことに成功しました。
本来の動機はどうせ二度と会うことはないだろう人との約束なのでバレるわけないから反故にしてもいい、反故にして何かあっても自分の自業自得で終わるから、という身勝手なものですが。
答えた後、沈黙が続きました。
残念ながら納得してもらえたようには見えません。
というかなんでこの人は私が北に行くことにこんなに怒るんでしょうか、旅の途中ですれ違っただけの赤の他人同士なのですけどね私達。
沈黙はまだ続いていました、それに耐えきれずとうとう口を開きます。
「それにですね、魔法使えるようになりましたし、何かあってもそんな大事には……多少は自分の身を守れる力を得られたわけですし。……そ、そもそも人神様達の殺し合いとかそういうのに巻き込まれるほど危機管理能力は甘くないつもりというかなんというか、私ってそんな頼りなさそうに見えますかね、それとも神様同士の殺し合いに野次馬しに行ってうっかり死にそうなどうしようもない感じの人に見えてたりします? そこまで愚かなつもりはないですし、町中で喧嘩とか起こってたら自分の身可愛さに真っ先に逃亡を図るタイプの割とダメな人間なのですが」
つらつらと言葉を並べ立てても彼は何も言いませんでした、無言が怖いです。
それでも、これ以上この恐ろしげな時間を続けたくはありません。
「と、というわけでなんかもう大丈夫ですのでどうかご心配なさらず! あそこにいけば放置したくない個人的というか心情的な問題が解決する見込みが高いので、平和そうな今のうちにさっと行ってきます」
この言葉に返答がなかったとしても「それでは失礼します」と頭を下げて足早に去ってしまおうと思いました。
が、予想に反して彼は沈黙を続けませんでした。
大きく、とても深々と溜息を吐いて、それから漸くダンマリをやめました。
「……いいでしょう」
刺々しい雰囲気は相変わらずですが、どうやらお許しがもらえたようでした。
と、思っていたら恐ろしげな空気、というか魔力の波動を放たれました。
「あなたがワタシを一方的に甚振り嬲り殺せるだけの実力を有しているのであれば、の話になりますが」
あからさまに危険な何かを感知、咄嗟に大きく右によけます。
避けた直後にそこを見ると、私が立っていた場所、ちょうど足元に鋭い棘状の氷の塊が。
直撃していたら多分、足が使い物にならなくなっていたでしょう。
周辺の空気が急速に冷えていきます、気のせいなんかじゃありません。
多分、初めから気のせいなんかじゃなかったのでしょう。
ぱきり、ぱきりと彼の足元、そこに少しだけ生えていた雑草が凍りついていくのが見えました。
「なに、を」
いつのまにかこちらが吐く息が真っ白に、さっきまで暑いくらいだったのに、これでは真冬かそれ以上の。
「ですから、強くなったというのであればその実力をお見せください。あなたがワタシを簡単に殺せるくらいに強いのであれば、なんの心配もなくあなたを見送りましょう」
「いや、殺すとかそんな物騒な」
「そのくらい、本気でかかってきてもらってもいい、ということです。──ほら、早くしないと」
唐突ですが私は魔力の流れや質を感じ取るのが下手くそです。
それでもその瞬間、とにかくまずいと本能的に悟った私は、咄嗟に後ろに飛びすさりました。
直後、ちょうど私が立っていた位置に巨大な氷塊が。
避けていなければ全身氷漬けでした。
モノクロさんの顔を見ました、相変わらず口元だけしか見えませんでしたが、その口元は笑っていました。
「安心なさい、あなた相手にこちらは本気なんかだしません。傷だって一つもつけない。ただ、氷漬けにして少しの間おとなしくしてもらって、その後はこちらの良いようにするだけです」
それ、ぜったいにやばいやつです。
今までこの北地方の過激なアンチというだけのこの人にそれほど警戒心の類は持っていなかったのですが、今の発言で多分絶対にやばい危険人物だと、なんでこんな人とのうのうと話していられたんだろうと思い直しました。
それでもこちらから攻撃して怪我させたりそういうことはしたくありません、人間相手に魔法を極力向けたくないのです。
ならば、とそう思った直後にバキッと背後から変な音が。
首だけ動かして後ろを見ると、触れるだけで手が切れそうな刺々しい氷の壁が背後に。
というか、よく見たら私達二人をちょうど囲い込むように、氷の壁が。
逃げ道を塞がれてしまいました。
「ふふふ、逃しませんよ」
その声と同時に頬に鋭いほどの冷気を感じました。
「っ!!?」
いつの間にか至近距離に立っていたモノクロさんの病的に真っ白な手、その指先が私の頬を掠めるように触れていました。
ただそれだけなのに、痛いくらいに冷たくて、すごくすごく冷たくて、だから私は。
「鳴神ぃ!!」
咄嗟に、人間相手には極力使いたくなかったはずの魔法を放っていました。
咄嗟というかほぼ反射でした。
雷属性の中級魔法、あたればビリリと痛いだけではなく、全身が痺れて麻痺する効果が見込まれる魔法。
小型の魔物だと一瞬で絶命させてしまうこともありますが、いい感じの力加減で打てば人間くらいの大きさの生物だと良い感じにダメージを与えつつしばらく足止めもできる便利魔法を、そこそこ全力で打ってしまいました。
全力で打った場合、人間であれば下手したら死なせてしまう威力です、打った直後に「やってしまった」と血の気が引きました。
けれども幸か不幸か、モノクロさんは俊敏な動きで私の鳴神を避けました。
人を傷つけずに済んだ安堵と、あちらに一撃入れて逃げる隙を作れなかった焦りで心がぐちゃぐちゃになります、どうすればいいんでしょうかねこれ。
「雷属性……?」
完全に私の鳴神を避け切ったモノクロさんが訝しげな声を上げました。
雷属性の魔法の使い手は少ないので、私みたいな大して強くもない奴がそんなふうに珍しい魔法を使ったことに驚いたのかもしれません。
しれませんが、そこまで驚くこともないような気がします。
その顔は困惑一色といった感じで、真っ黒な瞳も──
と、そこでモノクロさんのフードが外れていることに気付きました。
多分避けた時の勢いが余ってペロンと外れてしまったのでしょう。
口元だけしか見えていなかった顔は、全体的に見ても真っ白でした。
瞳と髪の色は黒、フードがあってもなくてもやはり、白と黒の二色以外の色が存在しません。
真っ黒な瞳が私の顔を、全身をギョロリと探りました、まるで何かを探し当てるような視線に、喉から再び呪文が飛び出しかけましたが、押さえ込みます。
「あ、あの、やめましょうよこんなこと……」
「やめませんよ」
穏やかな声が聞こえたと思った瞬間、身体が真後ろに倒れました。
衝撃はありませんでした、ただ柔らかくて冷たい何かが背中側に。
「なに、が」
喉に氷の塊のようなものが押し付けられました。
「はい、あなたの負け」
視界に映ったのはモノクロさんの顔と、腕。
腕は私の喉に、ということはこの氷じみた何かってモノクロさんの手ということですか。
何が起こったのかよくわからないのですが、どうやら私はモノクロさんに押し倒された上で馬乗りにされているようでした。
真っ黒な瞳がこちらを見下ろしています。
口元は笑っていました、決して穏やかなものではなく、恐ろしげな。
これ多分ダメです、死ぬかそれと同等の酷い目にあうやつです。
走馬灯のようにという奴でしょうか、ここ数ヶ月の記憶が一気に蘇ってきます。
これで記憶喪失になる前に記憶もついでに蘇ってくればいいのに、そんな都合のいいことは起こってくれませんでした。
どうすればいいんでしょうか、これ。
もう一度鳴神をぶっ放すか、いえ、この至近距離で魔法を使うのは危険です。
それに多分、無駄でした。
戦力差がありすぎます、多分どう頑張ってもどうしようもありません。
どう頑張ってもどうにかなるイメージが湧いてきません。
火属性の方を使えば向こうに多少のダメージを与えられるかもしれませんが、こちらが火達磨になって死ぬだけです。
そういうわけで、詰みました。
辞世の句でも詠むべきでしょうか、何一つ思い浮かびません。
喉にかかる負荷がじわじわと重くなっていきます、けれどもそれよりも冷たさの方がキツいです。
これもう冷たいとかそういう次元超えてません?
「いた、い……」
思わずそう呟いた直後、喉の冷たさが消えました。
そしてモノクロさんの姿が瞬時に視界から消えました、どうやらどいてもらえたようです。
助かったのでしょうか、命。
「……申し訳ありません、今のあなたにこれは冷たすぎましたね」
近くはない場所から、張りのない落ち込んでいるようなそんな声が。
先ほどまでの重苦しい圧というか刺々しい雰囲気が鳴りを潜めているような。
「あの、大丈夫ですか? ごめんなさい、やりすぎました……」
本気でこちらを心配しているような声でした、どうにか身体を起こして状況を確認してみました。
まず、なんかやけに冷たいというか寒いと思っていましたが、私が倒れ込んだあたりに真っ白な雪が積もっていました。
どうもこれが緩衝材となってくれたおかげで倒れた時に痛みがなかった、ということだったようです。
次にモノクロさんの姿を探すと、少し離れたところからこちらの様子を伺っていました。
ひとまず立ちあがって、やたらふかふかしている雪に足を取られて無様にすっ転びました。
「いたい……つめたいぃ…………」
泣きそうになりました、ここで泣いても惨めなだけなので堪えましたが。
それから少しの間冷たさと痛みを噛み締めて、私は今度こそ立ち上がりました。
今度こそ転ばないように慎重にゆっくりと、雪が積もっている範囲から出ました。
ひとまずこれでまた無様にすっ転ぶことはないでしょう。
全身が冷え切っている上に、掴まれていた喉と転んだ時に思い切り擦ったらしい手のひらが痛いです。
まず手のひらを確認、蛇の指輪の治癒効果と痛み止め効果のおかげで、痛みはもう治っていました。
怪我をした時に自動で魔力を吸い上げて効果を発動させるということですが、発動まで少し時間がかかるようです。
右手を喉に当てると痛みが緩和しました、意識的に指輪に魔力を流すと、かなり楽に。
それでも冷えは治りませんでした、喉という太い血管がある部分にあんな氷のような、というか氷よりも冷たいものを押し付けられていたのですから仕方のないことかもしれません。
簡単な応急処置を終えてから彼の様子を伺うと、彼は顔を青ざめさせて何も言わずにこちらを見ていました。
可哀想なくらい大きく見開かれた目とこちらの目が合うと、彼はぴくりと身じろぎしました。
「あの、大丈夫ですか?」
大丈夫じゃないのはどう考えてもこちらでしたが、思わずそう声をかけてしまうほど彼の顔は強張っていて、真っ青でした。
「ワタシは大丈夫です。……それよりもあなただ、本当に申し訳ありません、お身体は大丈夫ですか、大丈夫じゃないですよね、ああどうすれば」
そういって彼はこちらに一歩歩み寄ろうとしましたが、直前で躊躇って、逆に大きく後退しました。
白すぎるその指先にはまだ冷気が残っているのか、軽く凍りついているように見えました。
「大丈夫です、大丈夫ですから落ち着いてください。くじ引きで当たった治癒効果付きの魔法道具持ってるので、この程度ならへっちゃらです。……それよりもあの、指先凍ってませんか、大丈夫なやつですかそれ」
「この程度なら問題ありません。ああ、わかっていたのにわかっていたのに……ただの人間にとってワタシは冷たすぎるということくらい、よく理解していたはずなのに、それなのに……」
彼は凍りついた両手で顔を覆います、あああ、と嘆きの声を上げながら。
「あ、あの……本当に大丈夫、大丈夫ですってば……!!」
そういっても彼は顔から両手を離しません。
それからしばらく経って、ようやく彼を宥めることに成功しました。
「お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたね。……本当に大丈夫ですか? 喉、凍っていません?」
「だから大丈夫ですってば」
何度大丈夫だと訴えたでしょうか、そして恥ずかしいところを見せたのはこちらです。
記憶喪失になってから初めてですよ、あんなふうに無様にすっ転んだのは。
いくら雪に足を取られたとはいえ、あまりにも格好悪い転び方をしてしまった。
と、思っていたら彼が「大丈夫ならよかったです」と。
「とはいえ、それとこれとは話が別です。今の状態のあなたを北に行かせるわけには行きません。あそこは危険ですし、それに本当にタチが悪いのがいるんです……あなたがあれの手に掛かるのは我慢ならない」
「はあ……何かよくないものがいる、と? そんなものに近寄るつもりはありませんし、そもそもそういう類のものに絡まれるようなことはあんまり」
「あなたにそのつもりがなくともです。……全く、あなたはあなたがどれだけ魅力的な方であるか理解していないようだ」
「魅力的とかそういうの私には一番無縁な言葉だと思いますけど」
「減らず口を叩かないでください」
減らず口って。
あと魅力的とか言われてちょっとさぶいぼが、一番似合わないでしょうに私にその単語は。
そういうのはいのりさんとかアビントン姉妹に似合うのです。
「とにかく、駄目なものは駄目です。……それにさっきあなた、しばらく人神はおとなしくしてるんじゃないかとか言ってましたけど、そろそろ回復してきているようなので近いうちにまた殺し合いになるかと」
「そうなんですか?」
「そうなんです」
「何故あなたがそれを?」
「人神の動きや状態を追っている人間は多いのですよ……ワタシはそういう方から話を伺う機会が多いのです」
「なるほど」
確かに西や東でも人神様達の行動その他は割と公になっていましたっけ。
守り神ですし各地方の象徴となるお方達なので、当然といえば当然でしょう。
西では人神様が美味しいと言った飲食店にはすぐにお客様方が押し寄せていましたっけ。
「そういうわけなので、北に行くのはやめてください。どうしてもというのなら」
「いうのなら?」
「………………多少、本当に少しだけ痛い目を見てもらうことになります」
ものすごく言いたくなさそうな顔で、すごくすごく苦々しい顔で彼はそう言いました。
何故、そこまでして私の北行きを止めたがるのか。
旅の途中で今回含め二回ほどすれ違った程度の関係でしかないのに。
……ひょっとして、この人記憶喪失になる前の私の知人とかだったり、と一瞬思いましたが、そうであるのならこの段階でその話を向こうからしてこないのはおかしいので、多分それはないでしょう。
「……北に行かないとなると、次にどこに行けばいいのやらって感じなんですよね。今のところ記憶喪失になる前の自分の手がかりが掴めそうなのが北だけなので。逆にいうと、それさえわかってしまえば北に行く用事もなくなるのですが」
「……そういえば、何故北だと思ったのですか?」
「あー……」
正直に話すかどうか迷いましたが、真っ黒な目に真摯に見つめられて、結局ざっくりと話してしまいました。
「──と、いうような感じでして。記憶は全くないのですが北地方にだけ謎の嫌悪感を感じ続けている状態なんです。ここまで嫌な感じがあるのは北地方だけなので、だからこそそこに何かある気がしてならないのです」
最初から最後までほとんど口を挟まず真面目に話を聞いてくれた彼は小さく「なるほど」と呟きました。
「今はなんとなく……北が私の生まれ故郷というやつで、そこで何か嫌な思いをしていたんじゃないか、という予想まではしています。けれどもそれだけなんです。……たったそれだけなのに、何も覚えていない私があそこまであの地を厭う意味が、理由がわからないんです」
そして、今のままだと自分があの地に対してここまでの嫌悪感を抱くのに正当な理由があるのかどうかがわかりません。
正当な理由があるのならそれでいいのです、けれどもしもなかったら私はただの嫌な人間です。
前者であればいい、前者であることを確かめるために、私は『前』の自分のことを知らなければならないのです。
そうでなければ身の振り方がわかりません。
何もなかった私によくしてくれた西の人達に誇れるとまではいかなくとも、正面から向き合える真っ当な人間であるのかどうかすらわかりません。
それにこのままだと、いつまで経っても私はあの幼い巫女見習いとの約束を破り続けることになってしまうのです。
──などという私の超個人的かつ心情的すぎる問題は伏せておくことにしました。
「北には暴力で女を遊び道具にする男と、男に好き勝手にされる陰鬱な女しかいない」
どう言葉を重ねるか考え込んでいる最中に急にそんなことを言われたので、伏せていた顔を上げて彼の方を見ました。
「ワタシの……ワタシの最も愛する方がかつてあの地のことをそう言っていました。一度だけではありません、何度も何度も。彼女はそんな最悪な地に見切りをつけ外の世界に飛び出したそうです。そうしたくなる気は痛いほどわかります、ワタシもあの地に生まれ落ちたのですから」
そう言って彼はどこか曖昧な、笑っているのか怒っているのかわからない顔をしました。
「あの地はとても閉鎖的で、生きにくくて、とても不便な不毛の地です。雪と氷に閉ざされたただ寒いだけの場所。それでも最悪よりも少しだけいい状態にしようと思えばできるはずなんです。けれども誰もそうしようとしない、そう願う者は多いのにそれでもです。ワタシはあの地に住まう人々のそういうところが大嫌いなんです、だからあの地を飛び出した」
だから、と彼はそう言って、私の目を真っ直ぐに見つめました。
「だから、あなたのその嫌悪感はおそらく至極真っ当なものです。あの地に住まうものならば、そしてあの地から出るだけの意志があったのなら、きっと、あなたはあの地で途轍もなく嫌な思いをしていたはずです」
「そ、そう……なんですかね」
「ええ、きっとそうなんです。……それでもというのなら、それでも納得できずまだ北に行く気が残っているのであれば、一つ、とても嫌な話をしてあなたの心を折らせてもらいましょう」
「えぇ……?」
「ワタシの最愛の方には姉君と妹君がいたそうです。そして、彼女の姉は両親に騙され、親戚の男共から陵辱を受けた」
物騒、というか現実味のない嫌な言葉の羅列を聞かされて、そんなまさかと思いました。
けれども何故かこうも思いました、あそこならきっとそういうことは当たり前だ、と。
そんな話、あの地について調べた時には一つも出てこなかったのに、です。
私が何も言えずにいると、彼は言葉を続けました。
「彼女は自分の姉が男達に食い物にされ、最終的に殺されたところを見てしまった。だから彼女はあの地を出た。……姉を助けられなかった、自分の身可愛さに妹を見捨ててあの地を飛び出した、と何度も何度も後悔の言葉を口にしていました。そういうことが日常的に起こる場所なのですよ、あの北の地は」
「そ、それは、そんなことが、そんなことがあっていいわけ」
あり得そうだ、とは思いました。
それでも私はその言葉を否定したかった、そんな悍ましいことが平然と日常のように起こる場所なんてあっていいわけないのです。
「ええ、そんなことあってはならない。けれどもあの地はそういう場所なんです。だから行ってほしくないのですよ、あなたには。……何をされるかわかったものではありませんから」
そう言ってから、彼は「それで?」と私に問いかけてきました。
「ここまで聞いて、それでもまだあの地に向かう覚悟がありますか?」
考えました。
ついさっき聞かされた北の地で起こった最悪の話、私のあの地への嫌悪感、雷属性魔法以外まともに使えぬ我が身のことを。
「……流石に、流石に行く気が失せました」
あそこまで話を聞かされて、とにかく最悪という印象しかないその土地に向かう気がとことん失せてしまいました。
というか、彼の話だけで自分の中にある北地方への謎の嫌悪感の正体にほぼあたりがついてしまったような状態です。
だから、今回もまた、北に行くのは無しです。
というか現場に赴かず自分の記憶を取り戻す方法を探した方がいいかもしれません。
私の答えを聞いたモノクロさんの顔が穏やかなものに変わりました。
「思い直してもらえてよかったです。あなたは意外と頑固で聞く耳を持たないところがあるから、正直ここまで話しても気を変えてくれない可能性が高いと思っていたので……ホッとしました」
「えぇ……私って、そこまで頑固にみえますか?」
二回しか話したことのない人に頑固だと思われるような性格をしている気はなかったのですが、自分のことは意外と見えていないものなので、多分その通りなのでしょう。
「ええ、頑固です、とても」
微笑みと共にそんな回答が返ってきました、一度我が身を見直す必要があるかもしれません。
「……ところで、またあなたの行き先を奪ってしまいましたね。北以外に候補などはありますか?」
「いえ、全く。……ひとまず西と東は無し、とだけ」
「そうですか……」
そう言ってモノクロさんは何かを思案するような顔をして、ふとその視線が私の左手に向きました。
「そういえば、ひとつお聞きしても?」
「はい、なんでしょうか?」
「そちらの……左手の魔法道具は火属性のものですよね? 何故先ほど一度も使わなかったのでしょうか?」
「え?」
「ワタシは氷の魔法の使い手。であれば雷よりも火の方がずっと対処しやすいはずです。あなたの性格だとワタシに向ける気がなくとも、自身に向けられたこちらの魔法を火で相殺するくらいなら簡単だったのではと思いまして」
「あー……」
ごもっともなモノクロさんの疑問に対して、私はことのあらましを簡単に説明しました。
「……なるほど、魔法の制御方法すら忘れてしまったからまともに使えない、というか使うとほぼ確実に暴走する、と」
「ええ。使えるようになればよかったのですけれどね、どう頑張っても腕が焦げてしまって」
お手上げです、のポーズをとるとモノクロさんは苦々しい顔で何かを考え込んだ後、口を開きました。
「……でしたら、次は南に向かうとよろしいかと」
「はあ、南地方ですか?」
その理由はと問うと、こんな回答が返ってきました。
「あの地の人神は水の神、そしてあの地には水気が満ちています。その水気の影響で火の魔法の威力は弱まるのだとか。……なので、あの地であればあなたのその威力が高すぎるという火の魔法の力も弱まるかと」
「そして、弱まった魔法なら制御しやすくなるかも、ということですか?」
そう問うと彼は柔らかな笑顔を浮かべて「ええ」と。
「なるほど……確かにそういう話であるのなら。他に行きたいところとかありませんし……」
と、言うことで次の日行き先は南地方ということにしました。
そう答えるとモノクロさんは小さく微笑んだ後、何かにハッとしたような顔になって、こんなことを言ってきました。
「ああ、そうだ。一つだけ注意を。あの地では今、外つ国から持ち込まれた『海水浴』とやらが流行っています」
「かいすいよく?」
聞きなれない言葉に首を傾げると、彼は神妙な顔で「はい」と。
「なんでも、裸同然の格好で海を泳いだり、浜辺に寝そべる遊びなのだとか」
「それはまた破廉恥な……」
破廉恥でかつ訳のわからない遊びでした、なんでそんなものが流行っているんでしょうか、南地方は。
「そういうわけで、南に行くのはいいですが海には近寄らぬように、間違ってもあなたが海水浴をしてみよう、だなんて絶対に、絶対に思わないでください」
「は、はい……」
「絶対ですよ、絶対。人前で肌を晒すような真似は絶対になさらぬように、いいですね?」
目と目を真正面から合わされて、かなり真剣な顔、強い口調でそう言われたので、私は思わず何度も首を縦に振りました。




