北への道行き
桜都を出た私は、北地方に向かうためにただひたすら歩いていました。
西から直接北に向かう道もあるそうですが、そちらの道は賊や魔物が出没しやすいからお勧めしないとのことだったので、中央を経由することになりました。
この国で他地方に行く場合、中央を経由するのがスタンダードな道行であるらしいです。
魔物はともかく賊の方は出ないようにお国がしっかり取り締まってくれるといいのですけどね。
などと考えていると大きな川とそこにかかる大きな橋に辿り着きました。
地図を見ると、正しい道のりを歩けているようでした。
念の為橋の名前を確認、そちらにも誤りがないことを確認し、一安心。
基本的に一本道であるので迷いようがないらしいのですが、私はどうも方向音痴であるらしく、普通なら迷わないはずの道でも迷う可能性がありました。
けれどあとは大丈夫でしょう、ここから先はただまっすぐ歩くだけであるようなので。
橋を渡ってちょうど真ん中あたり、視界の端で何かが煌めきました。
煌めいた方、川を見ると水面がただ太陽光を反射してキラキラしているだけでした。
それだけでも十分美しいですが、もっと刹那的な輝きが見えたような。
魚でも跳ねたのでしょうか。
もう少しだけ観察して、何事も起こらなければ先へ、と思ってぼーっとしていたその時でした。
「そちらのお方」
後ろの方からそんな声、若い男性のものでした。
左右と前を確認、誰もいないことを確認した後、振り返りました。
振り返るとそこに真っ黒い人が立っていました。
念の為もう一度左右を目視、私とその黒い人以外に誰もいないことを確認し、それから口を開きました。
「なんでしょうか?」
そう問いつつ、黒い人の姿を見ます。
真っ黒なのは黒装束とでもいえばいいのでしょうか、とにかく黒一色の服装をしていたからです。
リリアンさんが以前見せてくれたファッション誌とやらに描かれていたものに似た形状の服でした、確かローブとかいうやつです。
そのローブのような服のフードを目深にかぶっているため、その人の目元は見えませんでした。
ただ、フードでは隠れきれていない口元がゾッとするほど白いのだけは確認できました。
長い袖から僅かに見える指先も同じように真っ白。
そこまで確認して改めて黒い人の全体像を見ました。
黒と僅かな白のみで構成された異質な見た目の人物、もしも彼を絵に描くとするのなら、どう頑張っても黒と白以外の絵の具を使えなそうなそんな方でした。
ああいう感じの色を外つ国ではモノクロというのでしたっけ。
見覚えはありませんでした、こんな特徴的な人物に遭遇した記憶はありません。
巫女様達に助けられたあとは、ですけど。
それ以前にどこかで出会っていた可能性がないとはいえません。
私の現状を鑑みました、中央に向かう道中、その橋の上で立ち止まってぼーっと川を眺めていただけ。
通りすがりの誰かにわざわざ話しかけられるような状態ではありません。
怪我などをして身動きが取れず途方に暮れていたわけではありません、それと、不審者と勘違いされるような格好や行動もしていません。
何故、声をかけられたのでしょうか?
理由を考えてみましょう。
その一、何かの不幸が重なって彼には私が不審人物に見えた。その二、向こうが不審者。その三、実は私が記憶喪失になる前の知り合い。
なんて思っていたら、向こうが口を開きました。
「ああ、そんな蛇に睨まれた子うさぎのような顔をしないでください。怯えさせてしまったのなら謝ります」
そう言って黒い人は頭を軽く下げました、その声色は若く、青年なのか少年と言っていい年頃なのか。
弱々しいとまでではありませんがけして強くはない口調でそんなふうに謝られて、謎の罪悪感が湧き上がってきました。
「い、いえ怯えたりは……急に声をかけられたので驚いただけです。ええと……どちら様でしょうか? 私に何かご用……というか私、無意識に何かやらかしてましたか?」
ひとまず、こちらに何か非があれば即座に謝罪に移れるようにそう問いかけてみると、真っ黒な人は静かに首を横に振りました。
「いえ、あなたにはなんの非もありません。……ただ、少しだけお話しをしたかっただけなのです」
「はあ……おはなし?」
「ええ。随分長い間、話していなかったので……つい」
「……人恋しくなってしまった、と?」
そう聞いてみると黒い人の真っ白な口元が小さく微笑みました。
それは人懐こさを感じる笑みでした。
「そういうわけで、少しだけお話しさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「え、ええ……先を急いでいるわけではないので……世間話程度なら」
少しお話する程度なら別にいいかと思ったのでそう答えると、真っ黒さんの笑みがさらに深くなりました。
「ふふ、ありがとうございます。……ええと、この道を通っているといるということは、あなたは西地方の方なのでしょうか?」
「い、いえ……西地方では少しお世話になっていただけで」
元々どこの生まれかはわからない、記憶喪失だ、なんていう個人的な事情を話題をわざわざ出すべきか悩みました。
「ああ、旅のお方なのですね。西地方はどうでしたか? とても善い場所だとよく耳にします」
口篭っていたら向こうが勝手にこちらの言葉をいい感じに解釈して納得してくれたので、その話にそのまま乗ってしまうことにしました。
「ええ、旅人、というやつです一応…………そうですね、西地方はとてもいいところでしたよ。皆さん私なんかにとてもよくしてくれて、優しくて……あと、桜餅、『もちよ』さんっていう和菓子屋さんの桜餅がとっても美味しかったです、桜餅が一番なんですけどほかにも」
もしも真っ黒さんが西地方に向かっているのであれば、あの素晴らしい和菓子屋さんを布教しなければと謎の使命感に駆られた私が口下手ながらも力説しようとすると彼は「ふふ」と笑いました。
勢いで喋りすぎたのでしょう、笑われてしまいました。
よほど滑稽に見えたんでしょうねと思わず黙り込むと、彼がこちらの思惑に気付いたのか小声で「おっと、失礼」と。
「あなたが本当に楽しそうに話すので、つい。頬も桜のように染まって、随分と可愛らしいお方だな、と」
「かっ……」
とんでもないセリフを言われてしまいました。
歯が浮くよう、とはこういうのをいうのではないでしょうか。
「ご、ごじょうだんはやめてください……! わたしなんかがか、かわ」
「冗談などではありませんよ。本当に可愛らしい方だ、あなたは」
追い討ちでもかけられてるんでしょうかね私は。
私に可愛いとかそういう言葉は似合わないのです、そういうのはいのりさんや巫女様方、アビントン姉妹にこそ似合うのです。
それなのにこんな私のことを可愛いだなんて、目が節穴なのでしょうかこの方は。
「…………わ、私のこととかどうでもいいんで、とにかくこれから西地方に行くのであればぜひ『もちよ』さんをご贔屓に」
これ以上自分の話をされたくないあまり『もちよ』さんの回し者みたいなセリフを吐いてしまいました。
真っ黒さんはくすくす笑いながら「ええ、覚えておきましょう」と。
今更ですけどこれってナンパってやつなんですかね。
ナンパだとしたら私みたいな可愛げのない女相手に何故話しかけたのかという大いなる疑問が残りますけど。
こちらのそんな思惑を見透かしたのかそんなことはないのか、真っ黒さんは「これからどちらに?」と聞いてきました。
「中央を経由して北地方に行く予定です」
そう答えた瞬間、真っ暗さんの気配が豹変しました。
和やかで優しげな雰囲気から一転、冷え冷えと恐ろしげかつ針の筵のように刺々しいそれに一瞬で。
「いま、なんと?」
まるで超絶失礼な最悪な一言を、侮辱的な雰囲気を醸しながらこちらが口にしたようなそんな剣幕ですが、私はただ行き先を言っただけです。
北地方は神域とか立入禁止区画とか禁足地とかそういう場所ではなく、ど田舎であれど一応普通に人が住んでいる場所であるはずです。
服飾というか毛皮の加工品が特産品で、一部のものはかなり高値で取引されるらしく商人の方はもちろん普通に観光客も訪れている地域であったはず。
それなのに何故、そんな刺々しい感じになったんでしょうか、彼は。
ひょっとして、何か別のよくない言葉に聞き間違えられてしまったのでしょうか。
それが一番それらしいので、もう一度。
「北地方に行こうかと。あのやたら寒くて毛皮が有名な、この国の北側に位置する……」
「何故、あのような場所に?」
それは今までの彼の言動からは信じ難いほどの威圧的な口調でした。
彼の言葉から察するに北地方を別の言葉と聞き間違えられたという可能性は薄そうでした。
しかし何故、そんな恐ろしげな感じになってしまったのでしょうか。
真っ黒さんの目元は相変わらず見えませんでした、それでも強く睨まれているようなそんな気がして、早くそれから解放されたくて私は口を開きました。
「自分探しの旅です」
「は? 自分探し? それだけですか?」
「そ、それだけです……ええとあのその……私、記憶喪失というやつでして、名前すら覚えてなくて、当然故郷のこととかも全く覚えてなくて、思い出せなくて、それで……そうなる前の自分のルーツ、痕跡を辿ろうとしてまして……色々考えてみたら、北に何か手がかりがありそうな気がして、それで」
恐ろしげな雰囲気にのまれて話す気がなかったことまでべらべらと喋ってしまいました。
私の話を聞いた真っ黒さんは数秒考え込んだあと、先ほどよりは静かな、それでも恐ろしげな雰囲気は変えぬままこう言いました。
「そうですか、それで。……ですが北に行くのはおやめなさい。あんな忌々しい地に、あなたのような脆く美しい方が一人で足を踏み入れてはいけません」
「え、ええと……?」
困惑しているうちに彼は北地方がどれだけダメダメな地であるのか、懇切丁寧に恨み言のように情念たっぷりに語り始めました。
寒いだけで何もない、住んでいる人間も最悪、大量に蔓延る魔物、雪と魔物まみれで生きにくくて仕方がないのにそれを改善する気が一切ない人間と人神様への文句、恨み言、悪口。
「そういうわけでこの世界であそこほど最悪な土地はないでしょう」
時間をかけてたっぷりと北地方への悪口を語り終わった彼は強い口調でそう断言しました。
何故ここまで彼が北地方を嫌っているのかはよくわかりませんが、とにかく彼が北地方アンチだということだけは理解できました。
「よくわかっていただけましたよね? なので絶対に行ってはいけませんよ」
『はい』以外の回答を絶対に受け付けてくれなそうな雰囲気でしたが、そう簡単に『はい』と答えるわけにはいきません。
私はあの美しく優しい西の地を出るために自分探しという理由を使いました。
建前ですがそれを理由にあの地を去ったのであれば、真面目に取り組まなくては。
そしてそのために私は北に向かわねばなりません、そこが現状、何かが見つかる可能性が一番高いのです。
今この場で『はい』と嘘を吐くことも考えましたが、それは不誠実なのでやめておきましょう。
なので、いいえと答えようとしました。
そう答えようと覚悟して口を開こうとしたその瞬間、顔面を氷のように冷え切った鉄の針で貫かれるような強烈な視線を感じました。
相変わらず彼の目元は見えていません、見えていなかったことを幸いだと思いました。
そうでなければ、多分私は惨めにわっと泣き叫びながらこの場から逃げ出していたでしょうから。
「で、ですが」
見えないのに強烈な目線を向けられて、はいでもいいえでもない音が口から漏れました。
『いいえ』と答えなかったおかげか、彼からの視線が若干弱まった気がしました。
「ですが、ではありません。とにかく、あんな場所に行くのはおやめなさい。……それに、あそこでは近々大災害が起こるでしょうから」
「大災害って、何の話です?」
何やら不穏な響きの言葉が聞こえたのでそう問うと、彼は冷ややかでそれでも落ち着き払った口調でこう答えました。
「人神達の殺し合い。元々対立していましたが次こそ小競り合いでは済まされない。神同士の本気の殺し合いとなればそれが大災害となるのは必定といえます」
「それって、とっても大変なことなのでは?」
「ええ、大変で、とても危険です……だから、どうか行かないでください。どうしてもというのであれば、殺し合いが終わったその時に」
そういう彼の口調は懇願、もしくは哀願と形容するに相応しいものでした。
心の底から、多分きっと私の身を案じての言葉でした。
その言葉に意志が揺らぎました、だって『建前』なのです自分探しは。
通りすがりに出会っただけの、互いに名前すら知らない、二度と会うことなんてないかもしれない人ですが、それでも彼はきっと私の身を案じてくれている。
だから、その言葉を素直に受け入れて今は北に向かわない、後回しにするという選択をとっても許されるのではないか、と。
「……わかりました、北は、一旦後回しにします」
そう答えた直後、彼の醸し出す雰囲気が氷解しました。
「ああ、よかった」
絶対零度から遭遇した直後と変わらぬ優しげなそれに一気に戻ったその豹変っぷりに驚きつつ安堵しました。
気のせいでしょうが何だか手足が冷え切ってしまったような気がします、雰囲気だけでそこまで錯覚させる真っ黒さんって、結構やばいお方なのでは。
「行かないとそう答えてくださって本当によかった。ああ、嘘はいけませんよ、絶対に行ってはいけませんからね」
「は、はい……」
念を押すようにそう言われたので首をガックンガックン縦に振りつつそう答えました。
「ああ、そうだ……あなたの行き先を奪ってしまったその責任は負わなければなりませんね」
「ええと、責任……?」
「あなたの行き先として相応しい場所を、と思いまして。お節介であれば聞き流してください」
「は、はあ……北地方の次とか考えてなかったので、おすすめがあればお願いします」
「ふふ、そう言ってくださると喜ばしいです」
そう言って彼ははにかみました、フードのせいでよく見えませんけど、多分。
「……そうですね、ところであなた、自分の身を守る力を何か持っていますか? 見たところ武器や魔法道具の類は持っていなさそうですが」
そんな質問をされたので、素直に「そういうのは特に」と答えると、盛大に溜息をつかれました。
「……あなたのような方が自分の身を守る術を一つも持たずにたった一人で旅をしていた、と?」
「そうなりますね。とはいえ、中央経由の道ならそこまで危険では」
「確かにそれはそうですけど……全く、無防備にも程がある。何かあったらどうする気だ……」
その後、彼は小声で何かを呟きましたがその先は聞き取れませんでした。
聞き返すかそうしないべきか迷いましたが、迷っているうちに彼がその先の言葉を私に向かって続けました。
「であれば、向かうべき地は一つでしょう」
「はあ、それでその地とは?」
「東地方。あそこの魔法技術はこの国でも随一です。あなた、腕力はなさそうですが魔法であれば……なので東で身を守る術を身につけると良いでしょう」
そう言う真っ黒さんの口元は笑みの形になっていました。
少し考えました、思い出したのは巫女屋敷での出来事。
いくら巫女様達に教えてもらってもそよ風一つ起こせなかった、そんな残念な記憶を。
「つまり、魔法を使えるようになれ……ということです? 残念ながら私、魔法の才能がないみたいで」
「才能がない? そんなわけが……」
「え?」
何故、私は今『そんなわけ』とかいう過剰な評価をされてしまったのでしょうか。
魔法が全く使えない人間はこの世界に極小数ですが存在するそうです、記憶喪失なのでそこら辺は曖昧だったのですが、巫女屋敷でそう聞きました。
そして私はその極小数のうちの一人、ということになるのでしょう。
私がその極小数に含まれることがそんなに意外なことなのでしょうかと彼の顔を見上げると、彼は若干慌てたような、何かを誤魔化すような雰囲気を醸し出しました。
「い、いえ、失礼しました。確かに魔法が使えない方はいらっしゃいますね、あなたも『そう』だと…………しかし、それでもやはり東が良いでしょう」
「そうなんですか?」
「あそこではどのような魔法をどれだけ使いこなせるか見極めるための魔法診断がタダ同然で受けられるので、まずはそちらを試してみてください。ひょっとしたら今のあなたが思いもよらない魔法の才能があるかもしれませんので」
「はあ、そういうのがあるんですね……とはいえ、何もなさそうな気がしますが」
どれだけ頑張っても葉っぱ一つ動かせなかったくらい才能がないのはわかっているので、無駄に終わる気しかしません。
と、思っていたら、ずいと顔を寄せられました、それでも彼の顔のその全容は見えませんでした。
「それでも一度受けてみてください」
「は、はい」
頷くと彼はうんうんと満足そうな雰囲気になりました。
「あそこの診断はかなり正確ですから。魔法が使えないと思っていたら実はとても希少な魔法の才能があって、ただその力を引き出す方法を知らなかっただけという人は意外と多いらしいですよ。……それに、本当に何の才能がなくても少量の魔力を消費するだけで特定の魔法を使える魔法道具もあります。東であればそのような道具も他地方に比べると比較的安価で購入することが可能です」
「なるほど、そうですか。……良い話を聞かせてもらいました、ありがとうございます」
魔法が使えずとも魔法道具なら使えるかも、という話は巫女屋敷でもされた覚えがありました。
ただ、だいたいそういうものは高価だと言われたので、それなら無理に用意しなくていいかと当時思った覚えがあります。
それでも安価で購入できるところがあるのなら探してみるのもいいかもしれません。
「いえ、礼を言われるほどのことは」
そう言って彼ははにかみました。




