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ジェーン・ドゥの旅路  作者: 朝霧


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1/10

手記:旅立つまでの経緯

 ジェーン・ドゥは失望した。

 記憶喪失状態で自分が保護された四日後、同じく記憶喪失状態で保護された少女。

 そんな彼女がつい最近仲間に探し出され、そして『英雄』としての使命を果たすためにこの地を旅立ったからである。

 ほんの一瞬、一瞬だけジェーン・ドゥは期待した。

 自分は『英雄』の仲間なのでは、と。

 しかし『英雄』を迎えにきた彼女の仲間は『こんな女は知らん』と首を横に振った。

 だから、ジェーン・ドゥは相変わらず身元不明の名前すら思い出せないどこの馬の骨かもわからない不審人物であった。

 ジェーン・ドゥが失望したのは、自分の身元がわからなかったからではない。

 自分自身に失望したのだ。

 自分と同じような境遇だった『英雄』の少女は、強く優しく美しく、『英雄』と言われてみれば納得しかできない素晴らしい少女だった。

 ではジェーン・ドゥはどうだろうか。

 残念ながら全然違うのである、見た目は普通かそれ以下、腕力もなく魔法もまともに使えない、そして何より性格が悪く、利己的だった。

 彼女はあんなにも素晴らしい人物であるというのにジェーン・ドゥはどうだろうか、その辺でのたれ死ぬのが当然みたいな性格の悪さをしている。

 記憶を失う前からそうだったのか、それとも違うのか。

 それでも、きっと全ての記憶を失なってこうなのなら、経験も思い出もない自分がこうであるのなら、今の自分は限りなく本性や本質というものに最も近しい状態なのだろう。

 だから失望した、同じ状態でも善性を体現するような少女がそばにいたから、余計に。

 どうして自分はああではなかったのだろうか、どうして自分はこんなにもどうしようもないのだろうか。

 それが、すごくきつくて、それでもどうしようもなくて、どうにもできなくて。

 だから、記録を残しておくことにしました、きっと長続きなんてしないのでしょうけど。

 いつかまた、同じように記憶を失なった時にしるべとなるように、この手記の持ち主である私がどうしようもない人間であることを、記録しておきましょう。

 そうすれば、今の私が味わっているような失望をもう一度、もう何度も味わうことはないでしょう。

 改めまして自己紹介を、私は名前すら忘れ果てたどこの誰ともしれぬ人間。

 この手記ではとりあえず、外つ国で名無し女を意味する『ジェーン・ドゥ』と。

 名無しの女、もしもまた忘れるのなら、どうか一番初めに心の奥に刻み込んで、忘れないで。

 私は、どうしようもない人間です。

 特別なところなんて一切ない不出来な人間なんです。

 きっと、今の私よりも前、最初の私は薄っぺらい悪党だった。

 ほとんど全ての記憶を失なってしまいましたが、それだけはうっすらとそうだと思うのです。

 だから、自分に期待なんてしないでください。

 あなたはどうしようもないクズです、簡単に幸せになんてなってはいけない類のどうしようもない人間。

 いっそ悪の道を突っ走ることができれば、そこまで振り切れれば気楽に生きられるだろうに、それすらできない、そんな覚悟すら持てない半端者が、私でありあなたという人間の本質なのでしょう。

 それだけを心に刻んでおけば、きっと私は今この時のような深い失望をもう一度味わうことなんてないはずです。

 そうであって欲しいと、願っています。

 ジェーン・ドゥというどうしようもない人間については一旦ここまで、ここから先は私がこうなったあらましと、これからのことを軽く説明しておきましょうか。


 ジェーン・ドゥはこの手記を私が手にした三ヶ月前に、彩国の西地方、その中心である桜都で発見されました。

 路地裏で倒れていたそうです、何一つ身につけていない状態で。

 発見者は見回りを行なっていた西の人神様の巫女様。彼女はジェーン・ドゥを発見し、即座に保護してくれました。

 物取りに何もかも盗られたのか、それとも悪漢にでも襲われて穢されたのか。

 そのあたりは最後までよくわかっていません。

 ただ、大巫女様の診断によるとジェーン・ドゥの身体はまだ清いままであるとのことでした。

 保護された翌朝、ジェーン・ドゥは目を覚ましました。

 きっと心配しているであろう家族のもとにジェーン・ドゥを返さなければと、巫女様達はジェーン・ドゥにどこの誰であるのかを問いました。

 けれどもジェーン・ドゥはそれに答えられませんでした、何もかも忘れてしまっていたからです。

 食べ物の食べ方、お金の使い方、そんな一般常識は覚えていましたが、自身の名前と自分自身の『思い出』というものを、綺麗さっぱり忘れてしまっていたのです。

 巫女様達はそんな状態のジェーン・ドゥを家族、もしくはジェーン・ドゥを大切に思っているであろう人達のもとに返そうと必死になって捜索にあたってくれました。

 何処の馬の骨だかわかったものじゃないのに、ひょっとしたらとんでもない悪党かもしれないのに、彼女達はとても優しいから。

 結局、記憶を失う前、ジェーン・ドゥになる前の私をことを知っている人物は見つかりませんでした。

 ただ、全く手掛かりがなかったわけではありません。

 私の目の色や髪の色は西地方ではあまり見かけない色であるそうです、なのでおそらく、西以外のどこかからやってきた者なのではないかと、そのような推察が。

 けれどわかったのはそのくらいでした。

 それ以上のことは今現在もはっきりしたことはわかっていません。


 巫女様達がいくら探しても私がどこの誰であるのかは結局分からずじまいでした。

 どこの誰だか分からないのに、どうしようもない悪党かもしれないのに、彼女達は私にとてもよくしてくれました。

 行くあてがないのならと、今はもう使われていないからと巫女屋敷の小さな一室をジェーン・ドゥに与えて、面倒を見てくれたのです。

 もちろん、住まわせてもらうために労働するという対価は払いましたが、その労働があの部屋を使わせてもらうに足りるものではないということは、わかっていました。

 私は、無力でした。

 腕力はありません、魔法だってまともに使えません、巫女様達にどれだけ丁寧に襲えてもらっても、そよ風一つ起こせなかったのが私という無能です。

 私にできた労働なんて炊事洗濯掃除ついでにお使い程度の子供でもできるようなことばかり。

 それでも、彼女達はジェーン・ドゥにとても良くしてくれました。

 彼女達は優しくて、勤勉で真面目で思いやりがあって、気遣いができて、強くて綺麗でかっこよくて。

 だからこそ、そうでない私の惨めさが浮き彫りになって、出来損ないの私だけがどんどんどんどん、惨めに。

 流石にそれを誰かに察せられるほどわかりやすい言動や表情はしないようにしていました、これを簡単に察せられるほどジェーン・ドゥは不出来ではなかった、そこだけは唯一の救いでした。

 私には何もない。

 彼女達に誇れるものも、彼女達に報いられるものも、何も。

 どうして私はこうなのでしょうか。

 彼女達の誰かの身代わりになって死にでもしたら私は私のことを誇りに思えるでしょうか、笑うことができるでしょうか。

 いえ、きっとそんなことをしたら彼女達は深く深く悲しんでしまう、悲しんでくれるのです。

 だから、こんなことを考えてはいけないのです、それでも考えてしまうのです。

 だって、そのくらいのことしか、私にできそうなことなんてないのです。


 自己嫌悪が続いてしまったので話を変えましょう、先に進めるといった方が正しいかもしれません。

 次に語るのは彼女のこと、ついでに彼女達のことも。

 私が巫女様達に保護された四日後、私と同じように巫女様達に保護された少女がいました。

 彼女の名はいのり、名前以外の思い出を失なった、ジェーン・ドゥの記憶喪失仲間です。

 記憶喪失仲間だなんて気軽に言っていられたのは、たった一日だけでしたが。

 記憶喪失の少女が二人も同じ都で発見されたという異常事態。

 何らかの悪意あるものの関与が疑われました、盗みついでに記憶も奪う極悪な悪党がいるのではないか、と。

 巫女様達は見回りを強化しました、不審な人物に気をつけろという御触れが都中に出されました。

 結局、最後まで犯人らしき者は見つかりませんでしたがね。

 それでもその時はうら若い乙女を狙う悪漢が、みたいな感じで巫女様達はピリピリしていましたっけ、その状態でも私なんかに優しくしてくださって。

 閑話休題、とにかく記憶喪失仲間が増えました、増えてしまったと言った方が正しいのでしょうけど。

 ジェーン・ドゥな私と違って彼女には名前が残っていて、そしてジェーン・ドゥと違って彼女はとても素晴らしい人物でした。

 何も覚えていないのは不安だったでしょうにそれをおくびにも出さず、明るく優しく、素直で美しく、何もないのに人のことを気遣える、笑顔が可愛い女の子。

 あまりにも私と違いすぎるものだから、記憶喪失仲間だなんてすぐに言っていられなくなりました。

 こんなこと、書くどころか考えることすらやってはいけないことなのでしょう、それでも書いてしまいましょう。

 もしもと思ってしまうんです、彼女がこの私なんかよりもどうしようもない人間か、それとも同じくらいどうしようもない子だったら、と。

 そうだったのならきっと、ジェーン・ドゥはここまで惨めにはならなかったのでしょう。

 そうだった未来をつい考えてしまうのです、本心から記憶喪失仲間だとふざけあって、くだらなくてしょうもない言い争いをしつつ、それでも馬鹿みたいに。

 馬鹿でもくだらなくてもそれがいいことでなかったのだとしても、そうだったのならジェーン・ドゥは素直に笑うことができたのでしょうか。

 そうだったらよかったのに、なんて。

 ああ、なんて惨めでしょうか。

 惨めな話はここで終わらせて、とにかくいのりという少女はとても良い子でした。

 とても可愛くて明るくてパワフルで、そう、とてもパワフルなんです。

 私は腕力もなく魔法も使えませんが、彼女は腕力もあって魔法も使えるパーフェクトレディでした。

 狼の群れをちぎってはちぎっては投げ、鴉天狗が引き起こした嵐じみた風を魔法で完全に相殺させ、人神塔の天辺から落っこちても何故か無傷。

 あの子、本当に人間なんでしょうか。『英雄』ってああいうのが普通なのでしょうか?

 記憶がないジェーン・ドゥには判断がつきません、お手上げというやつです。

 なんだかパワフルなパーフェクトレディである彼女は彼女が保護された三ヶ月後、『英雄』として旅立って行ったのですが、そのあたりの話は一旦後回しに。

 次に彼女達についての話をしましょう、外つ国からやってきたふたりの冒険者のことを。


 リリアン・アビントンとマリアン・アビントン。

 外つ国から双子姉妹の冒険者さんが巫女屋敷にやってきたのは、いのりさんが保護された一週間くらい後のことでした。

 ジェーン・ドゥという言葉を私に教えてくれたのも彼女達、この手記に外つ国の言葉がいくつか使われているのも彼女達の影響です。

 お姉さんがリリアンさん、その妹さんがマリアンさん。

 二人とも金色の髪に海のような真っ青な目を持つ美しい女性です。

 そんな二人は故郷から遠く離れたこの地に冒険とロマンのためにやってきました。

 この国の『かみさま』のあり方は外つ国からすると独特なものであるそうで、そのあたりを調べにきた、とも。

 あと、この国特有のグルメやファッションも調査の対象だとも。

 彼女達は多く話を、言葉をジェーン・ドゥ、そしていのりさんや巫女様達に語って聞かせてくれました。

 とても楽しく愉快な方達だったので、二人はすぐに皆様と打ち解けて、私みたいな出来損ないにも声をかけてくれて。

 キラキラした目で、とても楽しそうに声を弾ませて、色々な冒険のお話を彼女達はたくさん聞かせてくれました。

 空を貫くような高さの山、地下に眠る巨大遺跡、空に浮かぶ島々。

 そんな幻想のような景色を、心の底から楽しそうに楽しそうに。

 ああ、彼女達のことが羨ましい。

 たとえ私という人間の本質がどうしようもないものだったとしても、彼女達のように何かのことを好きになれたら夢中になれたら、こんな惨めな自分のことだってきっと、どうだっていいと思えたでしょうに。

 それすらない私に、一体何の価値があるというのでしょうか。

 そんなジェーン・ドゥにそれでもみんなは、とてもとても優しくてよくしてくれて、いろんなことを教えてくれました。

 返せるものなど、何一つないというのに。


 巫女屋敷にジェーン・ドゥという厄介者、清く正しく美しい記憶喪失美少女、それからチャーミングでファンタスティックな冒険家姉妹がお世話になって、大体三ヶ月くらい後の話。

 つまりはつい最近の話をしましょうか。

 無才なジェーン・ドゥの仕事内容は変わらず、意味不明に強いいのりさんは巫女様達と見回りやら都付近で魔物退治に、アビントン姉妹は周囲を冒険しつつ魔物を倒したり素材を収集したり。

 そんな日常が続いて三ヶ月より少ない日数が経った頃、その男は唐突に巫女屋敷に現れました。

 男の名はノブヒロ、恰幅のいい豪快な剣士でした。

 その剣士は巫女屋敷に乗り込むなり、アビントン姉妹と談笑中だったいのりさんの肩をガッと掴んで……

 結果大騒動に。

 乙女の身体に無断で触れやがってと巫女様達が大激怒して大暴れ、それに抵抗した剣士も大暴れ。

 アビントン姉妹も「ワーオ」とか言って楽しそうに参戦しないでほしかったです。あの人たちのことは好きだし尊敬してますけど、ああいうところは嫌いです。

 止める側だったのが私だけだったのおかしくないですか? 改めて思い返してみるとはらがたちます。

 その日のお掃除は大変面倒臭かったです、ほんと、やめてほしいですよねああいうの。

 フルボッコにされて縄で雁字搦めにした剣士に大巫女様が何奴かと問うと『そこの女を迎えにきた』と。

 そこの女というのはいのりさんのことです。

 つまり、剣士はいのりさんの知り合いの方でした。

 いのりさんは剣士の顔を見ても何一つ思い出しませんでしたけどね。

 よくわかってなさそうないのりさんに剣士はふざけんなと喧嘩腰でしたが、事情を、いのりさんが記憶を失っているという話を聞かされて、渋々納得顔になりました。

 そこからは剣士の説明タイム。

 いのりさんと剣士は『曙光』という名の組織の一員であるそうです。

『曙光』は簡単にいうとこの国の平和を守るための組織であるのだとか。

 ちなみに国公認の組織だそうです。あんな乱暴者の剣士が国公認だとは、この国大丈夫なんでしょうかね。

 巫女様達がこんな乱暴者があの『曙光』の一員だとは思えないとあの剣士のことを疑いの眼差しで睨んでいたので、多分あれが普通ということはなさそうですが。

 剣士の話によると今この国には災害の気配があり、なおかつその災害を意図的に起こしているのであろう謎多き悪の組織『禍時』という人々が暗躍しているのだとか。

 それでいのりさんはこの国でその災害に対抗できる唯一の力を持つ『英雄』である、と。

 いのりさんは半信半疑で話を聞いていましたが、ジェーン・ドゥはその話に妙に納得してしまいました。

 あんなにも綺麗でパワフルで優しくてパーフェクトな彼女に『英雄』は似合いの言葉だと思ったのです。

 巫女様達も疑いの顔で剣士の顔を見ていましたが、大巫女様と風華様 (※そういえばここまで書いていませんでしたが西の人神様です)がいのりさんには確かに特別な力があるとおっしゃっりました。

 お二人がいうのなら、と巫女様達も納得の……若干まだ疑いが残っていましたが、それでも納得した顔をしていました。

 風華様はその話のすぐ後に、剣士に私のことを聞いてくれました。

 彼女の顔に覚えはないかと、あなたの知り合いなのではないか、と。

 いのりさんの四日前、いのりさんと同様に記憶喪失で倒れていたジェーン・ドゥに心当たりはありませんか、と。

 剣士がその言葉に答えるまでの間、その一瞬だけジェーン・ドゥは期待してしまいました。

 つまりはジェーン・ドゥが彼女達の仲間である可能性、正義の味方の一員であるという都合のいい空想をしてしまったのです。

 そんなこと、あるわけがないでしょうに。

 それでもそんな妄想を思わず抱いてしまいました、そうだったらどれだけいいだろうと。

『前』の私が正義の人間であるのなら、そしてその本性が今とさほど変わっていないのであれば、このどうしようもない人間はそれを隠し通して正義を、善を貫くことができていたのだと思えたから。

『前』にそれができていたのなら今だって同じことができるようになるでしょう、そうすればこんな惨めな思いをせずに済むようになるのです。

 しかし、当たり前のことですが剣士は首を横に振りました、こんな女は知らん、と。

 結局、ジェーン・ドゥがどこの誰であったのかは今も分からずじまいのまま。

 その直後くらいに剣士を慌てて追ってきたという『曙光』のお偉いさん、厳かな雰囲気の老人と知的な男性が現れて、人神様や大巫女様達に頭を下げつつ事情を説明して。

 そうして事情を知ったいのりさんは、話を聞いても何も思い出せなかった彼女はそれでも、国を、人々を、みんなを守るためにと『英雄』としてこのお屋敷を去る決意をしました。

 ついでにアビントン姉妹もこの国の災いを気にかけ、なおかつその災いがかつて故郷で起こったそれに似通っているからという理由で彼女達に協力を申し入れ、この場を去ることになりました。

 お別れ会は盛大に行われました、巫女様達は彼女達がいなくなる寂しさから涙を堪えながら、それでも笑顔で彼女達を見送りました。

 惨めなだけなジェーン・ドゥはそれでもそれを悟られぬように道化を演じ、頑張ってくださいねと安くてありきたりな言葉を彼女達に送ることしかできませんでした。

 彼女達が去った日の夜のこと。

 ジェーン・ドゥは自分のことがどうしようもなく惨めだと思いました。

 似たような境遇の女の子は自分と違ってパーフェクトレディで、強くて優しくて『英雄』でした。

 外つ国からやってきた冒険者達は、自分達の故郷でもなんでもないこの国の人々が、故郷と同じ災いで苦しむところを見たくないという理由で戦える人たちでした。

 では、私はどうでしょうか、何もありません、何もないどころか人としてあまりにも不出来でした。

 なんでジェーン・ドゥは、私はこんなにも、こんなにも惨めで何もできなくて、優しくもないのでしょうか。

 人に優しくできないのです、自分を優先してしまうんです、困っている人を見ても真っ先に助けなきゃではなく『面倒』が出てくるんです。

 ここにいる人達はジェーン・ドゥとは違う、こんな私なんかと違う。

 それが惨めで悔しくて、腹が立って。

 いつか、こんな自分にとてもよくしてくれる人達に、不出来で惨めなジェーン・ドゥは当たり散らしてしまうでしょう。

 自分ができないからとできる素晴らしい人々を逆恨みして、仇なすかもそれません。

 それこそ惨め極まりない、そこまでの悪には堕ちたくない、そんなどうしようもない人間になんてなりたくない。

 けれど、ここにいればきっと私はそうなる、そうなってしまう。

 だから、だからそうならないために、堕ちてはいけないところに堕ちないために、ジェーン・ドゥはここから出ていくことにしました。

 最もらしい言い訳を、理由をその日の晩のうちにでっち上げて、翌朝すぐに大巫女様にお話をしに行きました。

 自分のルーツを、元の自分を探しに行きたい、と。

 そのために、ここではない場所を巡りたい、と。

 何もないジェーン・ドゥがこれ以上惨めな思いをしないで済むここから立ち去る言い訳として使える言葉はそれだけしかありませんでした。

 大巫女様はしばらく考え込んだ後、そういうことならと送り出してくれました。

 お別れ会は断りました、少し前に盛大にやったから、とゴリ押して。

 大巫女様に相談した二日後に私は巫女屋敷、そして西地方から離れることになりました。

 お見送りは流石に断れませんでした、みんなが私との別れを惜しんでくれました。

 いのりさんによく懐いていた巫女見習いの小さな女の子が涙声で「またきてくれる?」と聞いてくれました。

 ジェーン・ドゥはその言葉に「前の私がどうしようもない悪党でない限り」としか答えられませんでした。

 それでもその子は「約束だよ」とそう言って、笑って私を見送ってくれました。

 どうか、どうかあの約束を、破らずに済みますように。

 きっと前の私もどうしようもない人間で、薄っぺらい悪党であった可能性が高いですが、それでも。

 どうか普通とは程遠くとも、それでも悪とは言わなくて済むような人間でありますようにと、そう願いました。


 ジェーン・ドゥがいかなる理由で巫女屋敷を飛び出したのかはおおよそ語り終えたので、次は目的地のお話を。

 自分のルーツを探るというのは建前ですが、それでもその建前を使うのであればそれらしき行き先を考えなければなりません。

 私のルーツ、元いた場所、あるいは故郷。

 この国には大まかに分けて五つの地域に分けられます、東西南北とそれから国の中心部である中央。

 外つ国から流れ着いたのでは、とも思いましたが自分の中に残っていた一般常識からそちらは一旦除外しました。

 アビントン姉妹がかなり苦戦していたお箸を難なく使いこなせていたので、ジェーン・ドゥはこの国の出身か、そうでなくともこの国で長く生きてきた人間であるに違いありません。

 というか、外つ国出身だとしたらどこをどう探せばいいのやらという状態なので、除外するしかありません。

 というわけで、国内限定でジェーン・ドゥは元々どこにいた人間なのかを考えてみましょう。

 まず、巫女屋敷が存在する西地方、ここは真っ先に候補から外れました。

 理由は簡単、巫女様達がどれだけ探してもジェーン・ドゥの『前』を探し出せなかったから、それとジェーン・ドゥの髪と目の色もこの地方では滅多にいないというのも。

 次に考えたのは南地方、海に面し交易が盛んな地方──ここもなんだか違う気がします。

 お次は東地方、豊かな土壌に恵まれた豊穣の地であり移民が多く文化文明が栄えた地方──ここも違うでしょう。

 次に中央、国の中心部である大都会──何かが違います。

 最後に北、雪で閉ざされた寒々しくていいところがほぼない地方──なんだかそれっぽい気がしました。

 他の地方は大体いいところが真っ先に思い浮かんだのに、北地方だけ悪いところが真っ先に思い浮かんで、その後もいいところが出てきませんでした。

 雪景色が綺麗とかそういうことを思いそうなのに、ちっともそう思えないのです。

 とにかく、嫌なイメージしか思い浮かびませんでした。

 それすなわち、『前』のジェーン・ドゥはそこのことをよく知っているのでは?

 他の地方は真っ先にいいイメージ、憧れのようなものが思い浮かびました。

 しかし、北にだけはいっさいそんなことは。

 つまりジェーン・ドゥは元々北の人間で、そこが嫌だったから北から飛び出した人間だったのでは?

 そう考えるとなんだかとても納得してしまったので、ジェーン・ドゥの旅の最初の行き先は北地方で決定ということになりました。

 巫女様達には嫌なイメージ云々は黙っておいて、とりあえず色々考えてみた結果一番それっぽいから、とだけ。

 そういうわけで巫女屋敷を出る建前だったとはいえこれから始まる自分のルーツ探しの旅。

 建前ですが一応真面目にやろうとは思っています。

 そういうわけで目指せ北。

 というところで筆を置きましょう。

 次は、北地方についた後にでも。

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