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ウルス

「よぅ、ようやく、きちんと顔を拝めたな」


闘技場に放り込まれて1週間、わけもわからず監守の怒号と共に房を追い出された先は、闘技場の中庭だった。


久しぶりの太陽の温かな光を浴びて、薄く目を閉じていると、声をかけられた。

目の前には、分厚い肉体と顔に大きな十字の傷が刻まれた大男が立っていた。


「お前、ジークだろ?」


そう言って、日に焼けた顔でニカッと笑うこの男は、カブレドのウルスなのだろう。

ここで僕の名前を知っている奴は、あいつだけだ。


「あぁ。あんたがウルスか?」


誰とも馴れ合う気はないが、こいつが寄越した水には、心底助けられた。

癪だが、恩は返さなければならない。


「通気口からじゃあ、よく見えなかったが、ずいぶん若いし、それに小さいな」

「僕が小さいんじゃない。あんたがでかいだけだ。それに俺が若いんじゃない、あんたがおっさんなだけだ」


イライラしていたからだろうか、必要以上に刺激してしまったことを心の中で後悔したが、口から出た言葉は、もう取り消せない。

僕は両足を開いて膝を少し落とし、いつでも後ろに飛び退けるように、ほんのわずかに重心を後ろにかけた。

ウルスからの物理的な攻撃、少なくとも罵倒は覚悟していたが、そのどちらも繰り出されることはなかった。


「そりゃあ、そうだ」


ウルスは、そう言うと大声で笑い出した。

笑い出したウルスを見ながら、僕は腹の底から怒りが湧いてきた。


「命のやり取りの地の底で、何笑っているんだ」

僕がそう怒鳴ると、ウルスは手で僕を宥めるような仕草をした。

「まぁ、そう尖るなよ。その地の底で、生き残るためのイロハを教えてやろうってんだからよ」


僕は尻についた草を手で払い、そのまま歩き出した。


「よお、どこに行くんだよ?」

「あんたのいないところだよ」

そう言って歩き出した僕の後ろを、ウルスは面白そうな顔をして、ついてきた。

「何なんだよ、あんた?何でそう、絡んでくるんだよ!」

怒鳴る僕の声を無視して、ウルスは右手で自分の顎を撫でながら、僕を頭からつま先まで舐め回すように見た。


「ジーク、お前、上級市民か下級貴族の出だな。なんだって、ここまで堕ちたんだ?」

「な、なんだよ。どうして……」

わかるんだと言いかけて、僕は慌てて口をつぐんだ。出自が割れていいことは一つもないが、すでに手遅れだった。

「立ち振る舞いと言葉尻だな。ジーク、おまえには、俺を疎ましく思いながらも、どこか丁寧なニュアンスがある。育ちが良い証拠だ」

腕組みをしながら講釈然と話すウルスは、ただ単に体が大きいだけの粗野な男ではないらしい。


「絶望して初戦で死にたいなら話は別だが、生き延びたいなら、着いてきな」

僕を追い越して先を歩いて行くウルスの後ろ姿を見ながら、ついて行くものか、迷った。


身長も高いが、横幅もかなりある。

骨格自体が僕の比ではない。

歳はいくつだろうか、30歳前後に見えるが。

いつからこの闘技場にいるのだろうか。

顔以外、目につくところに傷はないが、もし、一年もここで無傷でいられるなら、相当な手練れに違いない。

僕がそんなことを考えながらウルスの背中を見ていると、ウルスは、こちらを振り返り

「何してるんだ?行くぞ」

そう言って、尻を掻きながら鷹揚に歩きだした。


ウルスが僕を連れてきたのは、中庭の外れの一角だった。

数人の闘士が木剣や模擬槍を振り回している横に、一人の監守が粗末な机に足を投げ出し、退屈そうに椅子でバランスを取っていた。


「よう、ウルス。何か用か?まさか、お前が訓練ってわけじゃねぇよな」

「まさか。旦那、こいつの登録をお願いします」

半笑いの監守に、ウルスは僕を指して言った。

「うん?ああ、新入りか。基礎でいいか?」

「あと……」

そう言いかけて、ウルスは僕を振り返った。

「ジーク、獲物は何が使える?」

突然の言葉に、僕は少し戸惑いながら

「レ、レイピア」

とだけ答えた。

「旦那、レイピアと、あと、槍も」

「はいはい、基礎とレイピアと槍だな。ええっと、750ガメルだな」


750!?

家族で2ヶ月は暮らせる金額だぞ!?

僕が密かに驚いていると、ウルスはなんでもないように、懐から金を取り出した。

「わかりました。ありがとうございます、旦那」

そう言うとウルスは監守に800ガメル渡し、また僕を振り向いて声をかけた。

「さ、行こうぜ。お前のレイピアの腕を見せてくれよ」

「ちょっと待ってくれ。なぜ、あんたが払うんだ……」

そう言いかけた僕の言葉を遮って、ウルスは丸太のような腕を僕の首に巻きつけると、訓練所の真ん中まで僕を引っ張って行った。


驚いたのはその膂力だ。

何とか振り解こうと無言で抵抗してみたが、万力で締められたように、びくともしない。

それなのに、ウルスはさして力を入れている風もない。


ウルスに引きずられていく間、周りで訓練していた闘士たちが、手を止めて、こちらをもの珍しそうに見て

「ウルス、新入りかい?」

「あんまり苛めんなよ、ウルス」

と、口々に声をかけてくる。


開けた場所まで来ると、ウルスは僕から手を離し、近くに立てかけてあった木剣を2本、手に取った。

「げほげほっ」

「悪い悪い、苦しかったか?」

無言で睨みつける僕の前に、ウルスは木剣を1本放り投げた。

「ほれ、その気合で、俺に打ち込んでみろ」


僕は慎重にウルスから視線を外さないように、顔だけ前を向いたまま、芝生に転がった木剣を手探りで拾った。

そして、呼吸を整えると、木剣を右手に軽く持ち、左手を引いた。


度肝を抜いてやる。

ウルスが只者じゃないことはわかる。

強引だが、ここまで親切にされていることもわかる。

だが、そうする意図がわからない。

なぜ、そうまで僕に構う?

さっき払った金だって、そうだ。

僕の講習代のようだったが、なぜ奴が払う?

意図がわからない以上、これ以上、奴に借りを作るのはまずい。

ここで一本とって、立場を入れ替えてやる。


僕はそう心に決めると、ウルスが体勢を整える前に、鋭く、芝をえぐりながら深く踏み込み、ウルスの首元めがけ、一息に三連続の突きを放った。


決まる。


空気を裂き、ウルスの喉元へ突き刺さると確信した三連撃は、実際には、全てウルスの木剣によって叩き落とされた。

少しだけ青ざめた顔で口笛を吹いたウルスは、僕を見ると

「やるな」

とだけ言って、ニヤリと笑った。

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