中編
そうしてこの状態のまま、三日が経ちました。
共通テストにどんどん迫っていきまして、周りも追い込みモードのようで、自習の授業では皆が机に張り付いて必死に問題を解いていました。
私の顔はこの数日でだいぶやつれて、目の隈が増えてきました。このままこの隈が大きくなってしまったら、私も他の皆と同様に、顔が黒く塗りつぶされたように見えてしまうのでは?
精神的なことは時間が解決してくれるもの、そう言った方もいましたけれど、このままでは私の共通テストは悲惨な結果に相成りましょう。
なるべくなら今週中にでもこの奇妙奇天烈極まりない現象を解決しておきたいものです。
「ねえ、自習ばっかで疲れない?」
マナカが授業が終わった瞬間、話しかけてきました。
「本当にね。疲れすぎて目がおかしくなっちゃったんでしょうか」
「え、なんか目が悪いの?今」
「幻覚の様なものに悩まされてます」
目と言うか、強いて言うなら頭が悪いのでしょう。障害、という意味で。
「そう言えばサクラ、隈が増えたね。ちゃんと寝ないとだめだよ?」
そう言うマナカの顔はやはり黒く塗りつぶされています。隈どころではない状態です。てーへんです。
あ、それも私の頭のせいでした。
「あの、マナカ……」
それは唐突に私の口から零れ落ちました。
「マナカって人生楽しいですか?」
想定外の言葉に驚いたのは私も彼女も同じでしたが、彼女は軽く、
「えー、難しい質問だなあ」
と笑いました。
自分でもどうしてこの質問が口から飛び出したのかは分かりませんが、しかし一度聞いてしまったら気になってしまいました。
いったいこの清純派女子高生からどんな回答が得られるのか。ワクワクして待っていました。
彼女は口を開きます。
「そんな楽しいって感じじゃないかなー」
「え?」
それは意外な答えだったのです。
「楽しく……ないんですか?」
「楽しくないよ、人生。勉強ばっかだし、家に帰ったら親はウザいし、冬は寒くて寝てたいしさ」
彼女は言いながら、左の中指に出来ていたささくれを爪でつまんで取り除きました。
「じゃあなんで、マナカは生きているんです?」
「え、これまた唐突。まー……普通に?」
普通……普通とはこれいったい?
私が生きている今この状態は普通なのでしょうか?
皆が生きている状態は普通?
普通の定義なんてものは人それぞれ。マナカにはマナカの尺度がありますから、マナカの中での普通なのでしょう。
それでは、私の中での普通は……?
考え出すともう本当にキリが無いことばかりです。この世の中は大変息苦しいものです。だから彼女は死んでしまったのでしょうか?
……そんなことは無いでしょうね。
彼女はあくまでこの世界を楽しんでいましたから、死ぬ理由もきっと楽しそうだから……みたいな?
いつの間にか、私はどうして彼女が死んでしまったのかを考えていました。
「またいったいどうしてそんなことを聞いたのかな……鬱なの?今、病んでる?」
病んでます。精神病か何かを。もう疲れたのですよ、私は。しかしその疲れからオサラバする方法を知りながら、その方法は絶対にとりたくないのです。
惨めに死ぬくらいなら潔く死ぬくらいなら、ええもちろん、惰性でゆったり……はて、私はいったい何をしたいのですかね?
死にたい?生きたい?死にたくない?生きたくない?生きたい?死にたい?死ににくい?生きにくい?ええと、もう自分が自分で分からなくなりました。
脳内カロリーの消費はほどほどに。
「病は病かもしれません。共通テストは休みませう」
「先生に怒られてもしらないよ?」
「その時は私が先生を怒ります」
「なんで?」
「私に恥をかかせたからです」
あの担任の人は、いったいどうして私にばかり頼みごとをするのでしょうかね。丁度いい場所にいるのが悪いのでしょうか?
昨日はトイレから出たらすぐ「〇〇先生にこれを渡してくれ」なんて言われて、その少し後には「□□さんにこれを渡してくれ」なんて言われて、私はあれですか、人間ポスト?郵便配達員と言えばいいですかね。
とにかく、他人の顔の分からない私を狙っているかのように頼みごとを持ってくるあの人とはとっととお別れしたいものです。
何を勘違いしたのか、マナカは頬を紅くして
「え、サクラちゃんってもしかして先生に……」
なんて言いやがりました。誰がアレに告白するもんですか。
女子高生とはそういう生き物でしたね。ええ私もそうらしいですけれど。
そうこうしている内に十分間の休み時間は終了となりました。マナカは前を向き、また自習です。私はというと、脳内カロリーを使い過ぎたせいですね。夢の世界へゴーイング。
気付けば放課後でした。
というか、気付くべきでした。あれは本日最後の授業でした。
休み時間へ突入しても誰にも起こしてもらえなかった私の人望の無さを嘆く前に立ち上がりました。
夕日の差す教室というのはどこかワクワクするものがあります。
なにか特別な物語が始まりそうな……もちろんそんなことが現実に起こるはずもないですけれど。
なんてぼんやり窓の外を見ていた私、それがいる教室に不躾にも侵入してくる輩がいました。
彼はその手にどこか見覚えのあるピンク色のノートを携えていました。
「サクラさん、これを明日、泥谷先生に渡しておいてもらえるかい?」
こんな無礼千万で厚顔無恥な申し出をするのは、恐れながら一人しか思いつきませんでした。
「先生?私は別に先生を待つためにこうして放課後も教室に残っていたわけではないんですけれども」
「私もサクラさんに何か頼むためにこうしてこの教室に来ているわけではないんだが」
いったい意味が分かりません。じゃあその私に差し出したノートと先程言っていた言葉は何ですか?
「ノートは先生が渡せばいいじゃないですか。というかこのノートなんなんですか?それほどの頻度で泥谷先生から借りておられるのなら、中身の写真でも撮ればいいじゃないですか」
先生はなにかしら、考えておられる様でした。
そして、決心したように口を開きます。
「これを言おうか迷っていたんだが……」
そう、その告白は正しく衝撃でした。
「泥谷先生なんて、この学校にはいないんだ」
「……はい?」
それでは私はこれまで先生に何を頼まれていたのでしょう?
彼は世迷言のように続けます。
「本当は私が知っているという事を知られたくなかったんだが、思ったよりサクラさんの他人のプライバシーを保守するという意識が高かったがために、こうして誰もいない状態で接触しなければならなくなったんだ」
まるで私のせいとでも言いたげです。
そして先生はいったい私の何を知っているのでしょう?
「ほら、サクラさんはこの間、朝のホームルームで声を出しただろう?主治医からは”彼女”が奇妙な行動を取った際のマニュアルの様なものを頂いていてね。今回行ったのはそのマニュアル通りの行動というわけだ」
「もし、そのような回りくどい行動を取ったのだとして、先生は私の何を知っているのでしょう……いや、これに関しては野暮な質問ですね」
職員室のほぼ全員、周知されていたのでしょう。私が中学二年生で経験したあの事件と、背負った病について。でなければ家庭科の松田先生という方が存在しない泥谷先生のノートを預かることなんてしません。
私は差し出されていたノートをとりました。そして、中を覗きました。
その一ページ目にはこう書かれていました。
近藤サクラさん
このノートは、もしあなたに症状の再発がみられたと考えられる際にお渡しすることになっております。
精神科医の泥谷です。
このノートには一般的な精神的な障害への対処法を記してあります。
これを参考に、現状自身の身に何が起こっているのかを把握し、自己解決していただきたいのです。
医者としてやれることは少なく、申し訳が立ちません。
また先生方にあなたの症状について話したことについても謝罪いたします。
このノートが今のあなたを少しでも楽にすることに役立てばと願っています。
以上です。あの先生もまあまあそれなりには手を尽くしていたらしいです。
ならばこのような症状が再発する前に渡しておいて欲しかったものですが、それにはまあ色々と事情があるのでしょう。目を瞑ってあげます。
ほんとうに、感謝しかありませんね。
私はそのノートを鞄の中に大切にしまいました。
「じゃあ、早期にサクラさんが回復することを祈っているよ」
「あの、すみませんが先生、どうしてあんなに回りくどい渡し方……をしようと思ったのですか?」
「それは……先ほども言ったが、教師がサクラさんの事情を知っていたら、嫌かと思ってね」
言っていませんでしたよ。
「それならば、差出人不明のノートを机の中にでも忍ばせて置けばよいではないですか」
「それじゃ怖いだろう。誰かも分からない人が、自分の事を把握していたら」
「怖いですね」
恐ろしいです。
まあなるほど一理はありますがもっと良い方法は間違いなくあったでしょう。
いえ、これ以上責任を他人へ押し付けるべきではありません。
そんな無駄なことに頭を使ってはいけません。
私は鞄の中に入ったノートの事を意識しながら、とっとと帰路につきました。
そうして帰宅。
早々に自室にこもり、ノートの中身を見ます。
そこには様々書かれています。
・特定の場所へ行けなくなってしまった場合の対処法
・声が出せなくなった場合の対処法
・歩くのが難しく感じるようになった場合の対処法
・楽しくない場合の対処法
・逆に楽しすぎる場合の対処法
目移りしそうになるのを抑えながら、求める対処法を検索していました。すると、一つだけそれらしきものがありました。
「他人の顔が見れない場合の対処法……」
見れないというより見えない、しかし似ている。思わず飛びつきました。
さて、小難しいことが大量に書かれていましたが、なんとびっくり!まるで全部使えないではないですか。
対人恐怖症の可能性が示唆されていましたが、私はそんな感じはしません。対処法として書かれていた「相手のネクタイの結び目を見る」というのも、面接で相手の目を見て話すためのテクニックに過ぎません。
お医者様は期待させてこれです。私は突き放された感じがしました。
そしてもう役立たない薄っぺらなノートをめくっていました。
その時です。
―――これは役に立たないと思いますが―――
そんな一文が見えました。
私は気になり、その文章を目で追います。
―――これは役に立たないとは思いますが、近藤サクラさんと私が初めて会話した際の記録をここに添付します。
医「本日はどのようなご用件で来られましたか?」
A「他人の顔が……黒くなってて、分からないんです」
医「はあ、黒くなっているのですね。それはどんな黒ですか?」
A「ぼやけて……まるでクレヨンで雑にぬったみたいに……」
医「落書きされている、みたいな?」
A「そうです。誰かが落書きしているみたいに……」
医「そうなったきっかけとしてAさんの思い当たることはありますか?ああ、これは無理に答えなくても結構ですよ」
A「ユキホが……私の机の上で自殺していました。それから黒くなりました」
医「ユキホさんと言うのは、あなたの友人ですか?」
A「………」
医「……この質問は一度おいておきましょう。そのユキホさんがこの世を去ってしまって、Aさんはどう思いました?」
A「……裏切られたと思いました。」ここで初めてAと目が合う。
医「裏切られたと。それはいったいどうしてでしょう?」
A「……あのバス停で……私は……」Aに錯乱がみられ始めた。
A「私は……あの、死のうとしていたんです」
医「なるほど」
A「あのバス停は見通しが悪くて……あの日は豪雨で視界が悪くて、靴の中はぐちゃぐちゃでしたから、寒くて、えっと……制服が……ええっと……光っていて…………」
医「話を変えましょう。その時Aさんはどうして死のうとしていたんですか?」
少し間があいて
A「人生が、途方もなくって。これから死ぬまで七十年、ですか?得体の知れないなんか……怖さみたいなのがあって……楽しいことも無くって……死のうって……そんな私をユキホが……」
医「救ってくれたと、なるほど。しかし彼女はAさんを生きる方向に導いたのに、彼女は自ら死の道を選んだ。そのために裏切られたと思ったのですね?」
A「間違いありません」
医「では改めて質問をします。Aさんにとってユキホさんがどんな顔だったか、覚えていますか?」
A「はい。顔が見えなくなっただけで、覚えていないことはないです」
医「では、どんな特徴だったか言ってみていただけますか?」
A「はい。ええと、顔の色は紫でした。首はすごく長くて、手足も。アレルギーか痒かったのか、首は赤くなっています。ちょっと太っていましたね。あと、濡れていました」
ユキホという人物の死亡時の特徴と一致している。
医「はい。ありがとうございます。背は大きかったでしょうか?」
A「ええ、天井に届くくらい」
医「ありがとうございます。それはバス停で会った時もそうでしたか?」
A「いいえ。バス停で会った時は……」言葉に詰まる様子を見せるA
医「顔は思い出せますか?目は二重か一重か、鼻は長いか短いか、福耳でしたか?」
A「…………あッ」
錯乱状態に入ったため、本日の質問を中止した。
………
………
………
これを読んで、いったい何を思えばいいのでしょうか。
私はどうしてこの会話を覚えていなかったのでしょうか?
それは人体における無意識の防御機構の働きによるものだったのかもしれません。
あーあ。
自室で過呼吸になっている私がいます。
心臓のある位置を押さえて、ヘェッ!ヘェー……ヘェッ!ヘェー……という不気味な呼吸を繰り返して、床に海老の様に転がっています。
殺虫スプレーを吹きかけられたムカデのようにのたうちまわっています。
瞳孔は異様に小さくなって、白目の部分が大きく見えます。
私はいつから私をこれ程まで他人として、三人称で見ることができるようになったのでしょうか?
それも人体無意識の防御反応の賜物でして?
気付けば私の顔も、黒くクレヨンで塗られているように、彼女の昔の顔の様に、思い出せない物になってしまったのでした。




