9:どうすればいいんです
その日は、訊いて回らなかった。
六軒回って、七軒目で断られた翌日だ。同じことをもう一度やって、同じ顔をされるだけだろう。
代わりに、川上のほうへ草を摘みに出た。
できることが一つもないときは、できることをやるしかない。
コゲは水際で、石をひっくり返しては何かを探していた。虫が出るたびに驚いて、また同じ石をひっくり返している。
「学べ」
「きゅ」
摘んだのは、旅に持っていくぶんだけだった。売る当てはない。この町の誰も、彼から買わないだろう。
草の根に土をつけたまま布に並べていると、上流から舟が下ってきた。荷を積んでいる。川向こうの舟着き場へ入っていくのが、ここからでも見えた。
あちらには、この病で寝ている者がいない。
昼前に町へ戻ると、薬屋の前の列が、通りの角まで伸びていた。
昨日より長い。
並んでいる女が二人、話している。
「桶屋のとこの人が、昨日から起きられないんだって」
「うちの人も、寝ちまってねえ」
「これ、あと何日飲ませりゃいいんだろうね」
「さあ。効くまでじゃないかい」
病人が増えている。
肩の上でコゲが首を伸ばした。列の先を見ている。人が集まっているところには何かある、と思っているらしい。
「何もないぞ」
彼にできることは、何もなかった。
ただ、通り過ぎた。
夕方、宿へ戻ると、帳場に男が立っていた。
身なりがいい。用心棒ではない。マレンと何か話していて、彼が入ってきたのを見ると、話をやめた。
「では、そういうことで」
それだけ言って、出ていった。すれ違うとき、こちらを見なかった。見ないようにしていた。
戸口から表を見ると、道の向かいに男が一人立っていた。連れらしい。
一昨日、路地で対面した片方だった。
こちらと目が合うと、向こうから先にそらした。
マレンは帳面を閉じて、奥へ入った。
夕飯の卓は、半分も埋まっていなかった。
昨日は七、八人いた。今日は三人だった。行商が二人と、舟の人足が一人。
魚が出た。皿の縁に、煮汁が少しはねている。
コゲに頭をやると、卓の下で骨を割りはじめた。
「マレンさん」
「はい」
「お子さんは」
「……変わりません」
それだけだった。今朝も、昨日も、同じ答えだ。
「昼間の方は」
マレンは布巾を持ったまま、しばらく黙っていた。
「……川向こうの、旦那衆の使いです」
「そうですか」
「宿の看板のことで、話がありましてね」
嘘ではないのだろう。看板の話もしたのかもしれない。
「よそから来た人を長く置いておくと、宿の評判に障る、と」
「なるほど」
「あたしは、そんなつもりはありませんよ」
「ええ」
旦那衆。
薬の荷は、川向こうの舟着き場に着く。そこで分けられて、町のあの店へ回る。
あの店は、それを町で捌いているだけ――川向こうの商人が、そう言っていた。商いの順番を言っただけの一言だった。
押さえているのは、店ではない。荷の着く側――旦那衆のほうだ。
その使いが、看板の話にかこつけて宿へ来て、表には路地の男が立っている。
あの薬屋の主人は、危ない橋を渡る男ではない。棍棒を持たせて人を寄越すような手は、あそこからは出てこない。
どこまで繋がっているのかは、分からない。
分からないが、切れているとは思えなかった。
トトは杯を置いた。
「明日、発ちます」
マレンの手が止まった。
「……そうですか」
「宿代は、朝に」
「はい」
それから、マレンは何か言いかけた。
「あの」
「はい」
彼女は布巾を畳んで、また広げて、畳んだ。
「……いえ。何でもありません」
「そうですか」
訊かれれば、答える。
訊かれなければ、もう何も言わない。
彼女は止めなかったし、彼も止められるとは思っていなかった。
自分がいなくなれば、この宿への話は消える。それで一つ片づく。
片づかないものが一つ残るが、それは彼の手には最初から無かったものだ。
二階で荷をまとめた。
まとめるものは少ない。着替えと、鉈と、布に包んだ薬草。細々した旅のもの。それから、荷の底に一つ。
コゲが荷の口に乗ってきたので、どけた。
二度どけたところで、こちらを向いて口を開けた。
ふすん。
煙が荷にかかった。
「やめろ。焦げる」
三度目にどけた。四度目に乗ってきたので、そのままにしておいた。
「明日は歩くぞ」
「きゅ?」
分かっていない顔だった。
夜中に、咳で目が覚めた。
自分の咳ではない。階下からだ。今日で十日になる子供の咳は、昨日より長く続いた。
途中で一度止まって、また始まった。
水を飲ませる音がした。誰かが起きている。
しばらく天井を見ていた。
上半身を起こすと、足元でコゲが寝ていた。背中が膨らんだり縮んだりしている。
そっと、起こさないように寝台を下りた。
階段の途中で、下に灯りがついているのが見えた。
マレンが炉の前に座っていた。
小鍋が火にかかっている。湯気が上がっている。
こちらに気づいて、顔を上げた。目のまわりが腫れている。泣いたあとかどうかは、分からなかった。
「……起こしましたか」
「いえ」
彼はそれ以上、何も言わなかった。
言えることは、もう全部言った。届かなかった。
マレンは鍋を見ていた。湯が煮立ちはじめている。刻んだ草は、まだ横の皿の上にあった。
小さな音を立てて、蓋が動いた。
彼女はそれを見て、しばらく動かなかった。
そして、火から鍋を下ろした。
下ろしてから、自分でも驚いたような顔をした。
「……お客さん」
「はい」
「じゃあ」
声が掠れていた。
「どうすればいいんです」




