7:やめてもらえませんかね
石が乾いていた。
昨夜、誰かが立っていたあたりだ。荷を下ろした跡も、足跡もない。
トトは橋に背を向けて、市のほうへ歩いた。
訊いて回ったのは、一つだけ。
「このあたりで、治った方はおられますか」
繕い物の店の婆さんは首を振った。それから、コゲの首の下を掻いてくれた。
「治っちゃいないよ。……この子は、何を食べるんだい」
「なんでも」
「そうかい」
桶屋の女房も首を振った。渡し場の男は、自分がまだ治っていないと言って咳をした。
三軒目で、断られた。
「悪いけど、忙しいんでね」
昨日までは草を買ってくれた店だった。
肩のコゲを見て、それから目をそらされた。昨日は「珍しいねえ」と言った男だ。
四軒目は、戸を閉められた。
五軒目の女は、話はしてくれたが、目を合わせなかった。
「うちも、治ってませんよ」
「ほかに、どなたか」
「……川向こうなら、みんな治ってるって聞くけどね」
それだけ言って、奥へ引っ込んだ。
昼までに、十四軒。
こちら側で治った家は、一軒もなかった。
川向こうは、聞いた限り、治っていない家が一軒もない。
こうも綺麗に分かれるものだろうか。同じ薬で、同じ町で。
昼を過ぎたあたりで、道の選び方を変えた。
市を抜けて、川べりへ出て、それから宿のほうへ戻る。用のない遠回りだった。
水を汲む女の桶の水面に、後ろが映った。
二人。
橋のたもとで一度立ち止まって、荷紐を結び直した。結び直す必要はなかった。
二人も止まった。
肩の上でコゲが欠伸をした。
「……呑気だな」
「きゅ?」
何事もなかったように、また歩き出す。二人も歩き出した。
速さを落とす。向こうも落ちてくる。
速さを上げる。向こうも上がってくる。
繕い物の店の前で右へ折れた。まっすぐ行けば宿。
二人も折れた。
樽の積んである細い道へ入って、コゲを肩から下ろした。
樽と壁の隙間に押し込む。
「動くな」
「きゅ?」
「動くな」
それから、道の奥まで歩いて、振り返った。
「薬草士さん」
入口に一人、少し離れてもう一人。
「聞いて回るのは、やめてもらえませんかね」
「何をですか」
「余計なことを」
男は懐に手を入れたまま話している。
「明日にでも発ってもらえると、こちらも助かるんですがね」
「三日と言ってあります」
「今日で五日目でしょう」
数えられている。
昨夜、橋のたもとに立っていたのは、この男たちかもしれない。
男の手は懐に入ったまま、動かない。
「あんた、どこの人です」
「旅の者です」
「旅の者が、どうして人の町の病を数えて回るんですかね」
答えようがなかった。
自分でも、うまく説明できない。
トトが言葉を探している間も、話は進んだ。
「聞いて回るのをやめれば、それで済む話です」
「困っている人がいるので」
男が、少し黙った。
「そうですか」
懐に入れっぱなしだった手が、出てきた。
握っているのは、短い棍棒だった。
振り下ろされたので、半歩、前へ出た。
下がれば当たる。前へ出れば、当たるのは肘のあたりだ。振り切っていないものは、当たっても効かない。
男の肘が脇腹に触れた。それだけだった。
男の目が、一度こちらを探した。手応えを探している顔だった。
トトは男の手首を取った。
折るのは早い。だが折れば、この町に腕を折られた男が一人残る。噂は腕より遠くまで行く。
だから、行きたがっている方向へ流してやった。男は自分の勢いのまま壁にぶつかって、そこに座り込んだ。
もう一人が動き出したのは、そのあとだった。仲間が壁にぶつかって、座り込んで、それからようやく足を出した。
二歩で間合いに入った。
棍棒が持ち上がらない。肘の内側にトトの指が掛かっている。
反対の掌を鳩尾に当てて、押した。
殴ってはいない。押しただけで、男は膝から落ちた。
一人目が壁に手をついて、立ち上がろうとしていた。
立たせてやってもよかったが、面倒だった。
肩の付け根を軽く押さえると、それだけで腰が落ちた。人の体には、押せば座る場所がいくつかある。教わったのは十九の年だった。
二人とも、声を出さなかった。出す間がなかった。
棍棒を二本とも拾って、樽の上に並べて置いた。
息は上がっていない。脈も、たぶん変わっていない。
いちばん手間がかかったのは、上着の埃を払うところだった。
「……なんだ、あんた」
座り込んだ男が言った。
「薬草士です」
「そんなわけがあるか」
「薬草士、です」
男は口を開いたり閉じたりしていたが、言葉はもう出てこなかった。
トトは男たちを見下ろした。
「誰に頼まれましたか」
答えはなかった。座り込んだまま、こちらを見上げている。
ここで答えがあれば簡単な話だったが、そうはいかないらしい。
それでも、これだけははっきりした。
止めたがっている。
止めたがるということは、止められると困ることがある、ということだ。
(隠したいものがある)
今日一日で、いちばん確かなことだった。
樽の隙間からコゲを出した。石の間に押し込んだせいか、鱗が冷えている。
しばらく抱えて歩いた。
「悪かったな」
「きゅーっ」
文句を言っている。文句を言えるなら、大事はない。
言い足りなかったらしく、こちらを向いて口を開けた。
ふすん。
煙が耳のあたりに当たった。
「……分かった。悪かった」
宿へ戻ると、マレンが振り向いた。
彼の袖と、膝のあたりを見ている。
「転びました」
「……そうですか」
それ以上は訊かなかった。
その代わり、夕飯の魚が一尾多かった。
「頼んでいませんが」
「余ったんですよ」
(余るものだろうか)
トトは戸惑いと共に、数の多い魚を見ていた。
「……お客さん」
「はい」
「今日は、何軒回ったんです」
「十四軒です」
マレンは何か言いかけて、布巾を絞り直した。
トトは黙って食べた。コゲには頭をやった。
二階へ上がって、灯りをつけた。
橋のたもとは、今夜も見えている。誰もいない。
コゲが寝台の上で、無花果の匂いのするあたりを掘り返している。無花果は、もう食べ切っていた。
薬を疑った。量を疑った。扱いを疑った。
人だけを、疑っていなかった。
(そこか)




