6:煎じて飲んでますよ
橋を渡ると、道の幅が変わった。
石を敷いてある。荷車がすれ違えるだけの広さがあって、両側の家には塀があった。塀のある家というのは、それだけで用心する余裕があるということだ。
コゲは肩の上で、行儀よく四本の足を畳んでいた。こちら側では、通りに子供がいない。
「静かだな」
「きゅ」
舟問屋の看板を出している家の前で、コゲを抱え上げた。塀のある家では、足元を歩かせるわけにいかない。
取り次ぎに出た奉公人が、腕の中を見て一歩下がった。
「大きなトカゲです」
「……はあ」
五度目だった。だんだん言い慣れてきた。
名乗るものがないので、荷を見せた。
「旅の薬草士です。この町で出ている病のことで、いくつか伺えればと」
しばらく待たされてから、通された。
床に敷物のある部屋だった。腰掛けが並んでいる。コゲを降ろすわけにいかないので、膝に乗せたまま座った。
出てきたのは、五十を過ぎたくらいの男だった。血色がいい。
「薬草士さん。ご苦労なことで」
それから、彼の膝のあたりを見た。
「珍しいものを連れておいでだ」
「トカゲです」
「ほう。南のほうには、いろいろおるそうですな」
それで済んでしまった。
知らないものが世の中にあると知っている、そんな言い方だった。
「お加減は」
「もう治りましたよ。四日ほど寝込みましたがね」
四日。
宿の子は、今日で七日になる。
「よく効く薬でしてね」
商人は上機嫌だった。
「うちは家じゅうやられましたが、みんな起きてます」
「同じ薬を」
「ええ。あそこの店のを」
商人は川上のほうへ顎をしゃくった。
「もっとも、荷はこちら側へ着くんですがね。舟で上がってきたのを、舟着き場で分ける。あの店は、それを町で捌いてるだけでしてね」
自慢しているのではなく、商いの順番を言っているだけらしかった。
「差し支えなければ、拝見できますか」
商人は妙な顔をしたが、断りはしなかった。
奉公人が奥から持ってきたのは、小指の先ほどの紙包みだった。
開く。刻んだ草が出てくる。
匂いを嗅いだ。指の腹で潰して、また嗅いだ。
同じだ。
葉の縁の欠け方まで似ている。同じだけの技術で処理されている。
(同じか)
仮説が一つ、ここで消えた。
金持ちが別の薬を買っているわけではない。町の女たちが言っていたことも、彼自身が昨日考えたことも、外れていた。
「いい薬ですね」
「でしょう。高いんですよ」
同じ値だ、と言いかけて、やめた。
包みの下に、小さく畳んだ紙があった。
「それは」
「ああ、用法書きです。買ったときに付けてくれましてね」
商人は当たり前のように言った。
「あそこの主人は律儀な人でしてね。うちとは先代からの付き合いです」
「そうですか」
「なにしろ、書き付けまで付けてくれる。そこまでする店は、そうありませんよ」
紙は高い。読めない相手に渡す商人はいない。この家には読める者がいるから、付いてくる。それだけのことだろう。
「拝見しても」
「どうぞ。私は読めますが、面倒で一度きりしか読んでませんよ」
丁寧な字だった。書き慣れた手だった。
湯を沸かし、火から下ろしてから草を入れること。蓋をして、しばらく置くこと。煮立てるべからず。
当たり前のことが書いてある。
この草は煮立てると効かなくなる。薬草士なら誰でも知っているし、知らない者には書いて渡す――書いて渡せる相手であれば。
(ちゃんとした店だ)
紙を畳んで返した。
同じ薬で、片方は四日で治り、片方は七日たっても治らない。薬が同じなら、違うのは人の手のほうしかない。
「一つ伺いますが」
「どうぞ」
「どうやって飲んでおられますか」
「煎じて飲んでますよ」
「……ええ」
それはそうだ。
ほかに飲みようがない。
礼を言って辞去した。
門を出たところで、奉公人が追ってきて、干した無花果を包んでくれた。受け取らないわけにもいかない。
橋の途中で立ち止まって、川を見た。
肩の上でコゲが身じろぎした。無花果の匂いに気づいているらしい。
同じ薬。同じ飲み方。違う結果。
三つ並べると、どれかが嘘。
だが、どれも嘘には見えなかった。
宿へ戻ったのは、日が傾いてからだった。
マレンは奥で洗い物をしていた。声をかけると、手を止めずに顔だけ向けた。
「川向こうへ行ってきました」
「……わざわざ」
「同じ薬でした。値も同じです」
手が止まった。
「あちらは四日で治ったそうです」
「……そうですか」
それきり、何も言わなかった。
コゲが床に降りて、奥の戸のほうへ行こうとした。
マレンは何も言わずに、戸を開けてやった。中から、子供の声がした。
「一つ伺いますが」
マレンは少し間を置いてから返事をした。
「……はい」
「どうやって飲ませておられますか」
彼女は怪訝そうな顔をした。
「煎じて飲ませてますよ」
「……ええ」
ほかに、飲ませようがない。
奥からコゲを回収するのに、二度呼んだ。子供の枕元で丸くなっていて、動く気がないらしい。
仕方なく抱え上げると、子供が見上げてきた。
「一緒に寝ちゃ駄目?」
「駄目です」
「なんで」
「……宿代を、余分に取られます」
「取らないよ。かあちゃんに言うもん」
それは困る。
「この子は、夜中に飯を食べます」
「ぼくも食べる」
「三回食べます」
「……三回?」
子供が考え込んだ。三回は多いと思ったらしい。
嘘は一つも言っていない。
言い返そうとして、そのまま咳き込みはじめた。
コゲを抱えたまま、収まるのを待つ。背中をさすってやろうかと思ったが、他人の家の子だ。
枕元の水を取って、飲ませた。
「……また、来ますから」
「うん、約束」
(約束、か)
逡巡した一瞬の間に、コゲが返事をしてしまった。
「きゅるる」
二階へ上がって、寝台に腰を下ろした。
コゲが膝に乗ってきたので、干した無花果を一つやった。硬いらしく、格闘しているうちに体ごところんと転がった。落ちそうなのを片手で押さえる。
薬は同じだった。どちらも、煎じて飲んでいる。病も、そう変わらない。
同じものを、同じように使って、違う結果が出た。
そんなことは起こらない。
起こっているなら、同じでないものが、どこかに一つある。
まだ見ていないものが、一つ。
(どこだ)
無花果を齧っているコゲを寝台に置いて、立ち上がる。
頭を冷やしたくて、窓を開けた。川の音と風が入ってくる。
橋のたもとに、人が立っていた。
昼には、誰もいなかった場所だった。




