34:五年ぶりだ
板戸は、すぐに開いた。
立て付けは緩んでいない。放ってある戸ではない。
剣が一振り、そこにあった。
(五年ぶりだ)
柄に手をかけた。埃はない。
鞘ごと持ち上げた。鉈とは重さが違う。
それでも、指は迷わなかった。
背中で、土を掻く音がした。
振り向きざま、鞘を払った。
肩が石積みに当たる。
(下がれない)
魔物の前足が上がった。
横へ跳んだ。
背中が引き攣れて、体が半分しか出なかった。
(間に合わない)
脇を、灰色のものが走り抜けた。
低い。速い。
猫より少し重いだけの体だ。
石を蹴って、道の真ん中へ出た。
「よせ」
届かなかった。
道の真ん中で、コゲが止まった。
魔物のほうを向いて、口を開けた。
背中の翼が半分開いて、そこで固まった。
息を吸う音がした。
火が出た。
道が白くなった。
下生えの影が、後ろへ長く伸びる。石積みの角が、輪郭まで見えた。
村のほうの道にも、光が届いていた。人が二つ、立っている。
小さいほうが先で、大きいほうが後ろからその肩を抱いていた。
魔物が頭を上げた。
振り下ろしかけた前足が、宙で止まる。
半歩、下がった。
この夜、はじめて下がった。
トトは、柄を握り直した。
(届く)
魔物が止まったのは、一瞬だった。
火は、もう消えている。
光を見たぶん、前より暗い。
前足が、コゲのほうへ上がる。
背中が引き攣れた。
今度は、止まらなかった。
正面から入る。
前足が下りてくるより先に、その内側へ。
土が後ろへ飛んだ。踏み込みは、一度だけだった。半歩も要らなかった。
顎の下。喉から胸。
さっき見た場所だ。探す必要はない。
突き上げた。
刃が、根元まで入った。
前足が落ちてくる。
避ければ、刃が抜ける。
だから、避けなかった。
前足の重さが肩を叩く。骨の鳴る音が、体の内側から聞こえた。
柄は離さなかった。握り直して、そのまま押し上げる。
中で、何かが切れた。
その手応えを受けて、剣を引き抜いた。
コゲの方へ一歩跳ぶ。崩れかけた胴を体で押して、倒れる向きをずらす。
木が倒れるのと同じだ。倒れる先は、押せば変わる。
魔物の体が、下生えを壊しながら崩れた。
それきり、動かなかった。
剣は、半ばから曲がっていた。
もう真っすぐには戻らない。
トトは、それを下げたまま立っていた。
肩が上がらない。背中のほうは、熱くもなくなっている。
息を吐いた。
それから、一度だけ吸った。
振り返った。
峠道の灯りが、まだ動いている。さっきより上にある。
止まっている灯りは、一つもなかった。
(通さなかった)
村のほうは暗いままだった。
戸を開けたままの家が並んで、窯の火だけが赤い。
鞘は、石積みの足元に落ちていた。
トトは、その横に剣を置いた。
板戸を閉めた。
背中に手をやった。指が濡れる。さっきより濡れていた。
肩は外れていない。骨の位置もおかしくない。動かないだけだ。
倒れた魔物の体は、薄かった。
あばらの形が、外から数えられる。
肩から腹にかけて、古い傷が一本、白く引き攣れていた。ずいぶん昔のものだ。
コゲが、道の真ん中に座っていた。
翼は半分開いたままだった。畳み方を忘れたような顔をしている。
膝をついて、抱え上げた。
熱かった。いつもの温かさではない。
「……お前」
「きゅ」
コゲは、鼻先を首に押しつけてきた。
それから、動かなくなった。
膝の上に下ろした。
動くほうの手で、背中を押さえる。
鱗の下で、呼吸も脈も速い。数えるまでもなかった。
顎を持ち上げた。
喉の奥は焼けていない。舌も。
それだけは確かめられた。
鼻の脇に、煤が付いている。
拭うと、少し落ちた。下の鱗は、いつもの色だった。
草も布も、家に置いた荷の中だ。
片腕で抱えて、借りた家まで戻ることになる。
足音が、村のほうから近づいてきた。
小さいほうが先で、大きいほうが追いかけている。
顔が見える距離まで来て、二人とも止まった。
カーヤが、母親の腕の中でこちらを見ている。
ヨハンネは、娘の肩から手を離さなかった。
その後ろから、ヘニングが追いついてきた。息を切らせている。
トトは、膝をついたままだった。
誰も、何も言わなかった。
カーヤが、母親の腕から少し前に出た。
ヨハンネが、肩を押さえて戻した。
東の空が、少しだけ明るい。
「母さん」
母親の袖を、引いている。
「火を吐いたよ」




