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33歳元勇者、旅に出るので探さないでください ~ちびドラゴンを拾って薬草士はじめました~  作者: くれは
山へ入った人が、帰ってこなくなりました

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31/37

31:山の神さんが、お返しくださった

 夜明け前に目が覚めて、それきり眠れなかった。

 戸を細く開けて、しばらく立っていた。

 何も聞こえない。


 昨日まで、夜のうちに一度は何か鳴っていた。牛か、犬か、山か。

 その全部が無かった。


 明るくなってから、道へ出た。

 寝ていたコゲが、遅れて戸から出てきた。

 畑の縁に、鹿の足跡がない。踏み荒らされた跡が、乾いて固まっているだけだ。

 罠を見に行った男が、首を振って戻ってきた。

「一つも掛かっとらんです」

「昨日は」

「昨日も、一昨日も」


 窯の前に、ヘニングがいた。

 煙が上がっていない。昨日から、木を入れ直していない。

「静かだな」

「はい」

 トトは、山の口のほうを見た。

 風は下りてきている。木の音がするだけで、ほかに何もない。


「上の小屋まで、道を教えてください」

 ヘニングが顔を上げた。

「行くのか」

「獣が下りてこなくなりました。もう下りきったからです。今なら行けます」

「わしが行く」

「道さえ分かれば、一人で足ります」

「あんたには分からん」


 トトは、ヘニングの膝を見た。

「外れているかもしれません。動かずにいるだけなら、まだ上にいます」

「どっちか、分からんと」

「分かりません」


 ヘニングは、しばらく窯を見ていた。

 それから立ち上がって、窯に背を向けた。

「支度する」


 朝のうちに出た。

 男衆が三人ついてこようとしたが、ヘニングが断った。

「多いと遅い」

 筵と、縄と、干した肉と、水を分けて負った。

 コゲは肩に乗せた。下ろすと、遅い。


 太い木を過ぎた。

 三番目の谷までは、四日前に歩いている。岩が三つ重なっているところで、水を汲んだ。

 その先は、知らない道だった。


 尾根までは、半日もかからなかった。

 道はない。だが、ヘニングは踏んではいけないところを知っていた。

「ここは巻く」

「はい」

「そこは、雨のあと崩れる」

「はい」


 尾根を越えると、風が変わった。

 コゲが首を引っ込めて、襟のほうへ押しつけてくる。

 木が詰まっている。倒れたものが何本かあって、根が土ごと起きていた。

 新しい。裂けた面が、まだ白い。


 谷を一つ越えたところで、ヘニングが足を止めた。

 指を上げる。

 木のあいだに、細い煙が立っていた。


 小屋は小さかった。

 屋根の半分が苔で、戸は板を打ちつけただけだ。

 その前に、木が積んである。細く割って、乾かしてあった。


 ヘニングが戸を叩いた。

 返事はない。もう一度叩くと、中で何かが動いた。

 板の向こうで、声がした。短くて、何と言ったのかは分からなかった。


 ヘニングは戸に手をついたまま、しばらく動かなかった。

 それから、下がった。


 開いた戸から出てきた男は、痩せていた。

 頬が落ちて、髭が伸びている。目だけが、やたらに光っていた。

 立っている。歩けるのだろう。それだけが分かった。


「親父」

「おう」


 ヘニングは水の入った革袋を渡した。

 男が飲むのを、見ていた。

 途中で咳き込んだので、背中に手を当てた。

 飲み終わるまで、手はそこにあった。


 小屋の中を見た。

 炉に灰が厚く積もっている。何日も、絶やさずに焚いた形だ。

 隅に、木の実の殻と、干した肉の切れ端が並べてあった。数えて食っていたらしい。

 裏へ回ると、水が湧いていた。


 トトは小さく息を吐いた。

「よく保ちましたね」

「小屋があったで」

 男は炉のほうを見た。

「煙は、見えとったですか」

 トトは頷いた。

「それで、来ました」

「そうか」

 顔が、少しだけ緩んだ。


 下りは、時間がかかった。

 コゲを肩から下ろして、男に肩を貸した。

 それで歩いたが、男は十歩進んで止まった。次はその半分だった。

 筵を出しかけて、やめた。道が無い。担架では下りられない。

 荷をヘニングに渡した。

 男を背負った。軽かった。


 ヘニングが前を行って、足の置き場を指す。

 コゲは自分で歩いた。二度、足を滑らせた。

 三度目に、ヘニングが片手で拾って、脇に抱えた。


 斜面の途中で、男が言った。

「何度も、下りようとしたです」

「はい」

「そのたびに、あれがおって」

「あれ」

「下り口です。いつも、そっちにおった」


 トトは、足元を見た。

 落ち葉が乱れている。荷車が一台通れるほどの幅で、両側へ押し分けられていた。

 脇の木は、腕を伸ばしても届かない高さで枝が折れている。

 縁の土が乾いている。二日か、三日は経っている。

 そして、向きが揃っていた。

 全部、村のほうだ。


「今は、いないようです」

「そうですか」

 男は、それきり黙った。呼吸だけが、耳元で聞こえていた。


 村に着いたのは、日が傾いてからだった。

 道に人が出てきて、そのまま止まった。誰も声を出さなかった。

 ヘニングが、脇からコゲを下ろした。


 男を背中から下ろした。男の膝が崩れて、そのまま座り込んだ。

 ヨハンネが走ってきて、二歩手前で立ち止まった。

 カーヤが後ろから追い越して、父親の首にしがみついた。


 年寄りが、人をかき分けて前に出た。

 両手を合わせて、山のほうを向いた。

「山の神さんが、お返しくださった」


 男は、首を振った。

 差し出された水を一口飲んで、それから息を整えた。


「あれは魔物だ」


 誰も、すぐには言葉を返さなかった。

「わしは見た。近くで見た。神さんじゃない」

 男は、山のほうへ顎をやった。

「そんで、今はもう、あそこにおらん」


「どれくらいだった、大きさは」

 訊いたのは、若い男だった。

 男は、少し考えた。

「窯くらいは、あった」

 誰かが息を吸う音がした。

「鉈じゃ、どうにもならん」

 ヘニングだった。それきり、誰も言わなかった。


 道が、静かになった。

 トトは振り返った。

 山は暮れかけていて、木の影しか見えない。音は、何もしなかった。


 年寄りが、両手を下ろした。

「……どこへ行ったんです」

 ヘニングが、足元を指した。

「こっちだ」


 年寄りは、まだ山を見ていた。

 それから振り向いて、村人たちの顔を見回した。

「今夜のうちに、峠を越えます。荷は、持てるだけで」

 誰も、言い返さなかった。


 イリスは、道の端から動いていなかった。

 手が、ずっと動いていた。


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