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33歳元勇者、旅に出るので探さないでください ~ちびドラゴンを拾って薬草士はじめました~  作者: くれは
山へ入った人が、帰ってこなくなりました

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25/37

25:あそこまでしか行けなかった

 道に人が出ていた。

 気になって見に行くと、コゲも当たり前の顔でついてきた。


 畑の縁のあたりで、五、六人が集まっている。そのうちの一人が屈み込んで、何かを見ていた。

 近づくと、足跡だった。

 二つに割れた蹄が、畑の土に並んでいる。真新しい。

「鹿ですか」

「ええ。夜のうちに来たようで」

 女が笑った。困っている顔ではなかった。

「食われるほどのものは、もう畑にありませんから」

 中の一人がコゲに目を留めて「これが」と呟いた。


 道の先にも、同じ跡があった。

 村の中まで入ってきている。人を怖がっていない歩き方だ。

「近ごろ、多いんですか」

「一昨日から、毎晩ですよ」

 若い男が、罠に使う縄を手に巻きながら言った。罠を掛けるのは、この村ではこの男の役目らしい。

「一頭捕れれば、しばらく食えます」

「山の恵みですよ」

 誰かがそう言って、何人かが笑った。


 トトは足跡の脇に屈んだ。

 蹄の間隔が短い。急いではいないが、真っ直ぐに来ている。何かを避けて回った跡ではなかった。

 斧の音は、今日も下のほうでしている。

 だが昨日上って見たかぎり、あの太い木より先には誰も入っていない。

 人が退いたぶん、獣が下りてくる。筋は通る。

 だが、それなら伐り跡で足りるはずだ。株から芽が出ていて、鹿はあれを食う。

 畑には、もう何もない。


 立ち上がると、コゲが足跡を嗅いでいた。

「食えるほど大きいぞ」

「きゅ、きゅ」

 鼻先を上げて、トトを見上げてくる。期待させてしまったらしい。

「今食える話じゃない」


 昼を過ぎて、窯のところを通りかかった。

 ヘニングが縄を編んでいた。座ったまま、顔も上げずに言った。

「食っていけ」

「え」

「うちだ」

 それだけ言って、また手元に目を落とした。

 断る言葉を探しているうちに、向こうが立ち上がった。腰は、二度に分けて伸びた。


 家は、道の山寄りにあった。

 戸を開けると、湯気と、豆の匂いがした。

 女が一人、炉の前にいた。三十くらいだろうか。振り返って、トトを見て、それから足元を見た。

「……大きなトカゲです」

「聞いてます」

 穏やかに笑った。

「ヨハンネといいます。掛けてください」

 卓は低く、腰掛けは四つあった。一つをトトに勧めてくれた。


 その脇に、女の子がいた。

 八つか九つだろう。籠の豆を選り分けていた様子だったが、コゲを見て手が止まっていた。

「カーヤ、手が止まってる」

「止まってない」

 女の子は、慌てた様子で豆の選り分けに戻った。それでも目はまだ、ちらちらとコゲを追っていた。


 飯は、豆と、麦のパンと、干した肉だった。

 肉は昨夜のものと同じ切り方だ。同じ家から来ていたらしい。

 戻っていないのは、この家の人間だった。

「たくさん食べてください」

「いただきます」

 干した肉を裂いて卓の下へ落とす。下でコゲが「きゅ」と声をあげて齧った。

 カーヤが卓の下を覗き込もうとして、ヨハンネに背中を軽く叩かれた。


 二杯目を勧められて、断らなかった。三杯目も勧められた。

「まだ入ります?」

「入ります」

 食えるときに食っておく癖は、かつての旅の名残だった。


 コゲが卓の下から出てきて、床に座り込んだ。

 誰も追い払わなかった。カーヤはまた、コゲの様子を見ていた。


 食べ終わると、ヘニングが外へ出た。

 ついていくと、コゲも足にまとわりつくようについてきた。

 ヘニングは家の前で山のほうを向いていた。

「谷まで行ったな」

「はい」

「あの谷は、下から二番目だ」

 指が上がった。斜面の途中を、左から右へなぞる。

「一番下の谷は水が細い。夏は枯れる。二番目は年中出とる。三番目は途中で切れて、上でまた出る」

「三番目は、どのあたりで」

「大きな岩が三つ重なっとる。それが目印だ」

 トトは、その並びを目で追った。教わったとおりに見ると、たしかに三本に分かれている。


 戸口の脇に、カーヤが出てきていた。

 パンを持っている。しゃがんで、少しちぎってコゲの前に差し出した。

 コゲが匂いを嗅いで、それから咥えた。

「食べた」

 声を弾ませて、またパンをちぎる。


「上のほうは、道がない」

 ヘニングが続けた。

「獣道を拾っていくしかない。落ちるところは決まっとるから、覚えれば同じだ」

「よく上られるんですか」

「炭木のときはな」

 少し間があった。

「昔は、あそこまでだった」

 指が、斜面のなかほどで止まった。

 村からそう遠くない。歩いて半刻もかからないだろう。

「そこから上は、魔物がいたからな」

「……そうですか」

 ヘニングは指を下ろした。

「今年から、あの尾根の向こうまで炭木を取りに行けるようになった」

 言い方に、張りがあった。

 この男が誇るのを、初めて見た。


 トトは尾根を見た。

 遠い。あそこまで木を取りに行って、担いで下りて、窯に入れる。一日仕事どころではない。

「大変でしょう」

「息子がな、あそこはいい木があると」

 それきり、続かなかった。


 カーヤは、コゲの背中を撫でていた。

 指の腹で、鱗の並びに沿って何度も。コゲは目を細めて、動かない。

「あったかい」

「そういう生き物です」

「なんで」

「さあ」

 子供は納得した顔をした。前にも同じ顔を見たことがある。


 日が落ちてから、家に戻った。

 炉に火を入れて、湯を沸かした。板の上の草は、あと二日ほどで仕上がる。


 荷の底から木彫りを出して、掌に載せた。

 角の片方が短い。紐は擦り切れたままだ。


 彼女が麦を挽くとき、胸元で揺れていた。

 水を汲むときも、そこにあった。

 あの頃は、紐もまだ新しかった。


 しばらく手の中で眺めて、それから荷へ戻した。


 コゲが火の前で丸くなっている。

 戸を細く開けると、外は冷えていた。道の突き当たりは、今夜も何も見えない。


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