23:怒らせたんですよ
窯の煙が、昨日より太くなっていた。
裏の桶で顔を洗った。
水面が落ち着くと、自分が映った。
髪の根元はまだ目立たない。それでもいつもどおりに指を通して撫でつける。
すっかり馴染んだ焦げ茶色。だいぶ長くなってきて、あちこち飛び跳ねている。
朝のうちに、村を一回りした。
草を買う先を探すつもりだった。山のものが出ないなら、畑の隅のものでもいい。乾かして束ねてある家は、たいてい何かしら持っている。
戸口で声をかけると、どこも出てきてくれた。だが、話は同じところで止まった。
「山のものは、今は」
「今はねえ」
「出ないんですか」
「出ないというか」
女は言葉を探して、それから戸のほうへ半歩下がった。
「……入らないので」
三軒とも、そこで終わった。
どの家の軒にも、何かしら吊るしてあった。
玉葱、豆の莢、細く裂いた根。炭焼きの家は火を絶やさないから、乾くのが早いのだろう。
買えそうな草は、一束も無かった。畑のものばかりだ。
コゲが戸口の匂いを嗅ぎに行っては、追い立てられずに戻ってくる。やけに得意げだった。
子供が二人、遠くから見ていた。近づいてはこない。目が合うと、片方が家の陰に入った。
四軒目で、年寄りが腰掛けを勧めてくれた。
戸口の脇に置いてある、座面のすり減ったやつだ。座ると、湯を持ってきてくれた。
コゲは近くで虫を追っていた。
「旅の人が来るのは、久しぶりですよ」
「薬を売りに来る者は」
「来ませんねえ。要るものは、炭を下ろしに行ったついでに買ってきますから」
湯には何も入っていなかった。ただの白湯だ。それでも、朝の冷たい風の中では手が助かる。
「山に入る人が、いないようですね」
「入れませんよ」
年寄りは自分の分の湯を一口飲んで、それから言った。
「怒らせたんですよ」
「……何をです」
「山を」
言い方が、天気の話をするのと変わらなかった。
「木を伐りすぎたとか、そういう」
「さあ。木は毎年伐ってますからね」
「では」
「分かりませんよ。分かったら、詫びようもあるんですが」
年寄りは膝の上で手を組み直した。
「獣がね、いなくなったんです」
「獣が」
「秋の終わりごろから、めっきり。罠にも掛からんし、糞も落ちてない」
年寄りは小さく息を吐いて、ゆっくりと首を振った。
「山の神さんが、みんな呼び戻したんだと」
「なるほど」
「それで、人まで一人」
虫に飽きたのか、コゲが足元にやってきた。
しばらくうろうろしていたが、そのまま腰掛けの下に潜り込んだ。食べ物を待っている顔だった。
器の中で、湯が冷めはじめていた。
「戻らない方がいると聞きました」
「ええ」
「どちらの」
「ヘニングさんとこの、息子さんです」
昨日、家を貸してくれた男だった。
年寄りは、指折り数えた。
「もう七日、いや八日でしょうか」
「探されたんですか」
「そりゃあ、探しましたよ。男衆が総出で」
年寄りは湯を飲み干して、器を膝に置いた。
「三日ほど。それで、雪が来まして」
「雪」
「積もりはしませんでしたがね。跡が、全部消えました」
それで話が終わったことは、言い方で分かった。
「もう、探さないんですか」
「探すも何も」
年寄りは初めて、少しだけ声を落とした。
「探しに入った者まで帰らんようになったら、村が保ちません」
「……そうですね」
「拝むよりないんです。それしか、こっちにはないんですよ」
冷めた湯を飲み干して、器を返した。
礼を言って立った。
コゲが腰掛けの下から出てきて、不服そうにトトを見上げた。
食べ物を待っていたのだろう。
「家に戻ったらな」
「きゅう」
伝わったのかどうか、先に立って歩き出した。
窯のところに、ヘニングがいた。
昨日と同じ場所で、同じ格好で座っている。煙の出方を見ているらしい。
「昨夜はどうも」
「ああ」
それだけだった。
トトは少し離れたところに立った。
窯は土をよく叩いてある。煙の出る口が三つ、高さを変えて開けてあった。
どれを塞ぐかで、中の火の回りが変わるのだろう。素人が作ったものではない。
「秋から、獣が少なかった」
ヘニングが、窯を見たまま言った。
「聞きました」
「あれは神さんじゃない」
「では」
「知らん」
ヘニングは膝の土を払った。
「知らんが、神さんじゃない」
コゲが窯の縁を回って、風下の匂いを嗅いでいた。
しばらく、煙の音だけがしていた。
「息子さんだと、伺いました」
「そうだ」
ヘニングは短く言って、それきり黙った。
それから、思い出したように付け足した。
「あいつは山を知っとる」
「はい」
「わしが教えた」
煙が一度、風で横に流れた。
ヘニングはそれを目で追って、また元の姿勢に戻った。
「小屋の場所も、水の出るところも、みんな知っとる。雪だろうが、あいつは死なん」
言い切ったあとで、少しだけ間が空いた。
「村は、もう探さん」
「聞きました」
「責めとらん。三日、みんな入ってくれた」
それきり、何も言わなかった。
その足で、道を上のほうまで歩いた。
突き当たりの手前で止まって、斜面を見上げる。
木は下まで詰まっていた。葉を落とした梢の向こうに、日の当たらない側の雪が残っている。
谷筋が二本、途中で合わさって落ちてきていた。水の出るところは、あのあたりだろう。
草を探すなら、あの谷の陰だ。日が当たらないぶん、遅くまで残る。
見えるかぎり、ただの山だった。
コゲは道の端で、枯れ草の匂いを嗅いでいる。
家に戻って、まずはコゲに干し肉をやった。あっという間に平らげた。
それから、板の上の草を裏返した。
湿りは抜けている。売る先はまだ無い。
その夜、鉈を研いだ。
石の音を聞きつけて、コゲが火の前から寄ってきた。
鼻先を近づけてくるので、空いた手で押しやった。
「危ないぞ」
それでも何が気になるのか、砥石の匂いを嗅いでいた。
おかげで、しばらく研ぐ手が止まった。
やがて、満足したのか横に座り込んだ。
研ぐのを再開したら、動く鉈を目で追っていた。
研ぎ終えて、鞘に戻した。




