19:勇者様、今どこにいるんだろう
水を汲んで戻るころには、村の道に火が三つ焚かれていた。
一つは肉を焼くため、一つは湯を沸かすため、もう一つは明かりのためらしい。石を並べて、その上に鉄の棒を渡している。
男たちが猪を吊るして、皮を剥いでいた。手つきに迷いがない。獲るのは無理でも、捌くのはやるのだろう。
女たちが桶を運んで、子供が枝を集めていた。
誰も彼を見ていなかった。皆、自分の手元を見ていた。
上着を干して、荷を置いた。
コゲは当たり前のように、トトの脛に前足をかけた。しゃがんでやると、膝を踏み台にして肩まで登ってきた。
「火には近づくなよ」
「きゅ」
「肉が食えるぞ」
「きゅ、きゅ」
コゲは機嫌よく、肩の上に収まった。
「客人!」
最初の串が、彼のところへ来た。
女が両手で持って、押し付けるように渡してきた。焼けた脂が落ちて、地面で音を立てた。
コゲが首を伸ばす。
「いえ、私は後で」
「先でええんじゃ」
「でも」
女は笑った。
「客人が先じゃ。うちらは、そうしとるんじゃ」
横から、老人が口を出してきた。
「勇者様に感謝しとるからね」
断り切れずに、トトは串を受け取った。
老人は、笑っていた。
「わしらも助けるんじゃ。あのとき、助けてもらったからな」
女は次の串を焼きに戻っていった。
トトは、火の外側の石に腰を下ろした。
コゲが肩の上で、落ち着きがなくなった。肉の匂いがよほど気になるのだろう。
串は熱かった。
「まだ熱いぞ」
「きゅう」
「少し待て」
「きゅう」
串を持ち替えて、肉を見た。
今日、自分が倒した猪だった。
串から肉の塊を一つ外して、手の甲に近づけた。
少し待って、それから足元に置いてやった。
コゲはあっという間に肩から膝、地面へと下りて、肉を咥えた。まだ少し熱かったのか、肉が小さく跳ねる。
「慌てるな」
返事はない。肉を齧るのに夢中だった。
その様子を見て、トトは自分も肉を口にした。
脂が多い。痩せた獣だと思ったが、皮の下には冬に備えた分が少しだけ残っていた。
肉汁が出る。うまみもあった。
塩気が、うまみを引き立てていた。塩はこの村では買うものだ。
噛んで、飲み込んだ。
「うまいな」
「きゅ、きゅ」
いつの間に食べ終えたのか、コゲが返事をした。
まだ食べるつもりの顔で、トトを見上げていた。
「今年は当たり年じゃ」
肉を切っていた男が、そう言って笑った。
「五頭も来た。山に食うもんがないんじゃろ」
「そうですね」
「山が痩せると、こっちが肥える。おかしなもんじゃな」
男は切った肉を火のほうへ回した。
道の上のほうでは、まだ肉を吊るしていた。
「まだあるぞ!」
「もう入らんて」
「明日も焼くか」
「明日も食い切れん」
誰かがそう言って、笑い声が起きた。
三つの火のうち、いつの間にか二つで肉を焼いていた。それでも減っていない。
「トト」
ヤーコプが、皿を持って隣の石に座った。
「今日は、よう食え」
「はい」
「何本でも食え」
ヤーコプは自分の串を噛んで、それから道の上のほうを見た。
「五頭も食い切れんでな」
困った口ぶりで、でも笑っていた。
トトは頷いて、それからまた肉の塊を地面に置いた。
コゲが肉に噛み付く。
ヤーコプはその様子を見て、声を上げて笑った。
「トカゲも、たっぷり食うと良い」
子供が二人、火の周りを走っていた。
母親が追いかけて、片方の襟をつかんで座らせた。座らされた子が、コゲを見つけてそっと手を伸ばした。
コゲは少しだけ顔を動かしたが、肉を食べるのに忙しい様子だった。
一度首筋に触れた子供の手が大胆になる。背中の鱗を撫でた。それでもコゲは、ただ肉を噛んでいただけだった。
アニカが、串を持ってやってきた。
トトの隣に座る。肉を食べ終えたコゲが、顔を上げてアニカの串を見た。
アニカは笑って、肉の塊をコゲの前に置いた。
「きゅ、きゅ」
コゲは上機嫌だ。
その様子をしばらく見てから、アニカはまっすぐにトトを見た。
「助けてくれて、ありがとう」
「いえ」
「あたし、動けなかった」
串の先を見ていた。
「見えてたのに、動けなかった」
「そういうものです」
アニカは唇を尖らせた。
「あんたは動けた」
トトは、答えられなかった。
アニカは何か言いかけて、やめた。
また女がやってきて、トトに串を押し付けた。
トトが肉を噛む横で、アニカは肉を焼く火を見ていた。
「これ、九年ぶりだって」
トトは肉を飲み込んだ。
「何がです」
「肉。こんなにいっぱい食べるの。あたし、八つのときのは覚えてない。だから、初めてみたいなもん」
「そうですか」
「うちの父さんは覚えてるって。麦があったころの話ばっかりする」
アニカは串を振りながら、声色を変えた。
「あの頃は村がもっと大きかった。あの頃は麦がいっぱい穫れた。あの頃は」
火の近くの若い男が、振り向いた。
「勇者様の話もするじゃろ」
アニカは頷いた。
「する。毎年する。秋になると必ず」
誰かが火に枝を足した。
「勇者様って、金髪なんだって」
「金髪で、背が高いんじゃ」
「光っとったそうじゃ」
「それは嘘でしょ」
アニカが言って、何人かが笑った。
「光る人はいないよ。でも、背は高いと思う」
「なんで」
「山ほどの大軍を一人で止めたんでしょ。小さい人には無理だよ」
「剣がな、これくらいあったそうじゃ」
年寄りの一人が両手を広げた。
「そんなに長かったら、抜けないよ」
「抜けるんじゃ。勇者様じゃからな」
また笑い声が起きた。
トトは、肉を噛んでいた。
筋張ったところだったので、固かった。だから、ずっと噛んでいた。
アニカが、骨を足元へ置いた。
「勇者様、今どこにいるんだろう」
「王都じゃろ」
「そうかな」
アニカは、また火を見ていた。
「あたしが強くなったら、会えるかな」
「会えるじゃろ。強くなったらな」
若い男がそう言って、また笑い声が起きた。
アニカは笑わなかった。串を持った自分の手を見た。
それから、彼のほうを見た。
串を持ったまま、しばらく見ていた。
トトは肉を飲み込んで、口を拭いた。
「なんですか」
「……ううん」
アニカは首を振った。
「あんた、勇者様の話のとき、ぜんぜん喋らないね」
「聞いていました」
「ふうん」
それだけで、立ち上がると火の方に戻って、肉を焼く人たちに混ざった。
トトは立ち上がった。
コゲは子供に撫でられ、周りに肉をもらって、ご機嫌だ。少し離れても大丈夫だろう。
それで、道の上のほうへ歩いた。
吊るされた肉が、火の届かないところで黒く見えた。数えると、まだ三頭ぶんある。
明日には味が変わる。明後日には、食えなくなる。
それから、火のほうへ戻った。
風が下から吹き上がって、火が三つとも同じ方向へ倒れた。
誰かが炎の粉を払った。子供が声を上げた。
道の上では、まだ肉が吊るされている。
トトはまた、串を押し付けられた。
断り切れずに、また食べた。
うまかった。それは、さっきと同じだった。




