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ダンジョン化した世界で、作業療法士の俺だけが“環境”を治療する  作者: 秋嵩タクロウ


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第3話:『自己臨床』<Ⅲ>

 外の喧騒は完全に引き算され、支配するのは人工的でありながら、どこか生物のような微細な脈動を感じる異質な静寂 。


 何が光源なのかすら分からない、不気味な燐光が薄暗く空間を照らし、影の輪郭を歪ませている 。


 かおるの全身の毛穴が、静かに逆立った 。


 カルノとの死線を超えたことで、かおるの固有感覚は、すでに一般人の一線を遥かに超えた鋭い感知能力を発揮していた 。


 差支えのない慎重な歩みを崩さなかったため、不意の一撃を浴びることはなかったが── 。


(……いる。1体、いや、2体。すでに囲まれているな)


 気づけば、ここは完全に相手のテリトリーの中だった 。


 薄闇の死角から、ブチブチと炭素繊維の極性を組み替える不快なノイズが鳴り響く 。


 じわり、と。緊迫感の急激な跳ね上がりを証明するように、一筋の冷たい汗が(かおる)の首筋をゆっくりと伝って落ちていく。


 相手の完全なテリトリー。


 (かおる)の胸の奥で、心臓はすでに猛烈な早鐘を打ち始めていた。


 だが、作業療法士としての冷徹な自己モニタリングは、その暴走をただの「エンジンのアイドリング」──最大出力を引き出すための肉体の臨戦プロセスとして処理しきっている。


 そこに、アライメントの『乱れ』は1ミリもなかった。


 (かおる)は腰を深く落とし、両腕を円の軌道で配した。太極拳・伝統楊式の極致、四方八方からの強襲に対処する絶対の防衛アライメント──『揽雀尾(らんじゃくび)』の構え。


 試すのは、因子の『局所駆動(部分的ハッキング)』 。


 出力を15%に絞り、脳神経の『視覚野』と『固有感覚』だけに生体電気を限定集中させる。脳圧暴走のリスクを引き算し、敵の初動(筋肉の収縮)を捉えるためだけのテスト 。


(──肉体速度は、常人の範疇。一歩間違えれば、本当に器が壊れる)


 ──キィン、と暗闇を切り裂き、2体の人工生体AI兵器の爪が、(かおる)の死角から同時に肉薄した 。


 15%に絞られた因子の視覚野ハッキング。


 (かおる)の網膜は、強襲を躱した刹那の凪のなかで、漆黒に蠢くその怪物の全容を冷徹に捉えきっていた 。


 姿は4足歩行の獰猛な獣型──豹やチーターを思わせるしなやかな四肢 。


 メカニカルな炭素繊維の骨格を覆う外殻は、まるでオイルで濡れているかのように滑らかに黒光りし、艶やかな金属の質感を放っている 。


 だが、(かおる)の眼が捉えた最も異質なバグは、その頭部だった。


 黒く滑らかな(バイザー)で覆われたその顔面には、眼も、鼻も、そして何より『口』と呼べる器官が完全に欠落していた。


 栄養摂取という生物の絶対原則を必要としない、文字通りの純粋な兵器。


 この謎のドームと兵器たちが、いつ、どこで、誰の手によって用意されたのか、崩壊した人類の英知では未だにその全容を誰一人として把握できていない。


 にもかかわらず、大衆がこれに牙を剥かないのは、脳内のシステムUIがこの不気味な異形を『ドーム:下層区域』『対象:エネミー』と勝手に可視化し、都合のいいクエスト(換金インフラ)として表示するからだ。


 画面に可視化され、提示された数値を疑うことすら忘れた人類は、ヒーローごっこ感覚でこの生態系の檻へと群がっていく。


 美しい生物の躍動線と、冷徹な機械兵器が融合したかのような、口のない異形の造形 。その黒い獣の『人工筋繊維の微細な収縮(予備動作)』を、(かおる)は完璧なシークエンスとして動作分析していた 。


 (かおる)の肉体速度は、あくまで鍛え上げた常人の範疇。だが、そのしなやかな跳躍の軌道《射線》が最初から見えているなら、躱すのは容易い 。


 (かおる)は『揽雀尾(らんじゃくび)』の構えのまま、体幹をわずかに回旋させた 。


 濡れた金属の爪がスクラブのネイビーを数ミリ掠めて空を切る 。間髪入れず、(かおる)は自ら前方へと崩落してくる1体目の脆弱な肘関節へ、重ねた手のひらをそっと触れた 。


 太極拳の理合──『()』による、ベクトルの誘導 。


 相手の突進質量をそのまま横へスライドさせ、2体目のモンスターの頭蓋へと正確に激突させる 。


 無生物の炭素繊維同士が正面衝突し、ブチブチとナノマシンの極性がバグを起こして、黒光りする硬質なアーマーが激しく火花を散らした 。


 もつれ合い、衝突の衝撃で完全に駆動がフリーズした2体の怪物の死角へ、(かおる)は一歩を踏み込む。


 その瞬間、ひしゃげた外殻の隙間から、内部を循環する生体電気の火花が漏れ出た。(かおる)の動作分析の眼が、それを解剖学的な『可動支点(関節のコア)』だと瞬時に弾き出す。


(──そこが、結合部(コア)か)


 (かおる)は丸めた背(含胸抜背(がんきょうばっぱい))から地球の質量を掌へ落とし込み、一切の無駄を排した最短軌道で触れた。


 車のドアのラッチを、指先ひとつで正確にカチリと噛み合わせるような、淀みのない極小のノック。


 ピタッと触れた手のひらから、表面を壊さずに衝撃の波を内部へと突き抜く──浸透勁(しんとうけい)の波動が、深部へと突き刺さる。


 ──その瞬間、(かおる)の固有感覚が、自らの肉体の『明らかな変革』を秒単位で逆算していた。


 ガクガクと笑う膝を調律した、過酷な多関節運動。


 夜のリハビリ室で狂ったように追い込み、精密に書き換えた己のボディ・イメージ。


 あの泥臭い自己調律(トレーニング)のすべてが、今、足裏から掌へと地球の質量を伝える骨格アーチの精度を、異次元の領域へと跳ね上げていた。予測は確信へと変躯する。


  ──バギィィィィィン!!


 2体同時に、炭素繊維の骨格が内側からベキベキとひしゃげ、極性吸着を失ったただの無機質のゴミへと解体されていく 。


 脳圧の暴走(吐血)こそ引き算できた。だが、脳細胞の強制発火がもたらす中枢性の熱が、じわりと(かおる)の脳幹を焼きにくる。視界の端がわずかにセピア色に揺らぎ、中枢から指先へ向けて、低血糖の微細な震え(エラー)がじわじわと這い上がってくる。


 無傷ではない。15%の局所駆動ですら、非戦闘員の肉体にとっては薄氷を踏む負荷。


 それでも──辛うじて、五体の運動制御を維持できる実用レベルのバッファの範囲内。


「……ふぅ。15%の局所駆動、それに肉体の性能評価(アセスメント)も──合格ラインだな。だが、まだこの熱と震えの処理(タスク)が残っている……」


 (かおる)は激しい呼吸を整えながら、解体された怪物の駆動関節部から、半透明の流体を静かにシリンジで吸い上げた 。


 人工生体AI兵器のエネルギー伝達物質──化学合成された高濃度アミノ酸液の簒奪 。


 大衆がただの換金ゴミとして放置する残骸から、解剖学のプロだけが「筋肉の糧(プロテイン)」を略奪する、泥臭い自給自足の完了 。


 廃病院のラボに戻った(かおる)は、回収してきた黒い獣の駆動関節部から抽出した半透明の流体を前にして、遠心分離機のスイッチを入れた 。


 ブゥゥゥゥン、とラボに無機質なローターの回転音が響く 。


 不純物や有害なシリコン系脂質を100%ろ過・精製し、純粋なアミノ酸の結晶を取り出す 。(かおる)はすり鉢を前に、取り出した精製アミノ酸をすり潰しながら眉をひそめていた 。


「やはり、ただのブドウ糖(グルコース)にこれを混ぜるだけでは、全開放時のバックファイアを完全に相殺しきれないか 。急激な血糖値の上昇は、逆に毛細血管の負荷を強める……」


 開発しようとしているのは、あの破壊的な中枢性低血糖を強引に中和するための「特性ゼリー」 。


 もちろん、魔法のポーションのように一瞬で全快するようなご都合主義の劇薬など、この世界の仕様書には存在しない 。(かおる)が作っているのは、飲むことで辛うじて意識の卒倒を防ぎ、五体満足で生還するための、最低限の「保険(試作1号)」に過ぎなかった 。


 高濃度グルコースと、簒奪した特定のアミノ酸の配合比率をミリ単位で調整し、飲んでは自身の脈拍と手の震えを計測し、また配合を書き換える。果てのない、地道で泥臭い試行錯誤 。


「ふぅ……。生還率を高めるバッファとしては、現時点ではこれが限界か 。残りの改良は、より高密度な臨床データ(実戦)を重ねていくしかないな」


 (かおる)が試作1号のパウチを冷蔵庫へ収めた、その刹那だった 。


 ──ドサリ、と。


 廃病院の正面玄関の自動ドアを、内側から強引にこじ開けるような不気味な質量音が、夜の静寂を鋭く引き裂いた 。


 (かおる)の全身の固有感覚が、一瞬で戦闘時のアライメントへと跳ね上がる 。


 ネイビーのスクラブを翻し、(かおる)が受付ロビーへと滑り込んだ瞬間、彼の動作分析の眼は、月光が差し込むタイルの上で静かに苦悶する一つの「影」を捉えていた 。


 床に崩れ落ちていたのは、一人の青年だった 。


 青白い肌に、静かに流れる漆黒のストレートヘア 。

 切れ長の目元がどこか冷徹な気品を放つ、端正で爽やかな顔立ちの青年 。


 だが、その身体は、完全に異常な状態へと変躯していた 。


 青年の衣服を引き裂くように、全身の筋組織だけが異常な超回復を繰り返し、ブチブチと音を立てて悍ましく肥大化(バルクアップ)している 。

 にもかかわらず、青年はその圧倒的な肉体の質量を、一切コントロールできていない 。


「だれ、か……だれか、いないのか……。おねがいだ、俺の……この、身体を……」


 切れ長の目を虚ろに見開き、青年は自らの意思を拒絶して変形していく右腕を抱え込むように床にうずくまり、消え入りそうな声で、必死に助けを求めていた 。


 その声には、自身の肉体が壊れていくことへの底知れない恐怖と、縋るような絶望が滲んでいる 。


 (かおる)の動作分析の眼が、かつてない緊迫感とともにその異常な運動機能の崩壊を捉えた 。


 それは、チート異能の果てに社会から廃棄された未知のエラー患者と、神城馨(かみしろかおる)という一介の作業療法士の因果が、この退廃した廃病院で初めて交錯した瞬間だった 。



ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。

はじめまして、秋嵩あきたかタクロウと申します。


改めて、この物語は、現実の世界における、ステータスが人間の価値を支配し、適合できない者を落伍者としてゴミ箱へ使い捨てる、歪んだ社会システムへの激しい憤りから始まりました。


世界が押し付ける理不尽な欺瞞に対し、主人公・神城馨が挑むのは、力まかせの破壊や剥き出しの闘争ではありません。

それは、他者が奪われた尊厳を、知性とプロの技術だけでゼロから再設計していく、泥臭くも圧倒的な【治療】の物語です。

彼の「環境治療」は、まだ始まったばかりです。


もし、この冷徹で熱い治療者の軌跡があなたの胸に少しでも届いたなら、ほんのささやかな応援として、画面下部にあります【ブックマーク】や、【星】での評価をいただけますと、作者の大きな励みになります。

皆さまからの応援が、執筆を続ける何よりのエネルギーです。今後ともよろしくお願いいたします。


しがない一介の作業療法士の行く末を、これからも静かに注視していただければ幸いです。

ありがとうございました。

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