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ダンジョン化した世界で、作業療法士の俺だけが“環境”を治療する  作者: 秋嵩タクロウ


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第5話:『治療完了』<Ⅲ>

 一ヶ月前、中堅ギルドの最前線 。


 れんは誰かの盾になるために筋超回復を繰り返し、その代償として右手の感覚(固有覚)を失い、周囲から「乱暴になった」と誤解され雑用へ落とされていた 。


 それでも彼は、何か役に立てることはないかと、誰も見向きもしない地道な大荷物の運搬を、一人で黙々とこなし続けていた 。


 そんな彼の健気な姿に唯一気づき、誰よりも彼の苦しみに共感し、その実直さを褒めてくれたのが、ギルドの補欠メンバーである一人の少女だった 。


 『進藤さんは、世界で一番優しい前衛ヒーローだよ』


 その言葉にれんの心は救われ、たとえ雑用であってもこのギルドのために貢献しようと固く誓ったのだ 。


 だが、モンスター討伐の遠征の折り、れんという絶対的な盾を失った前衛のアライメントは脆くも崩壊し、ギルドは凄惨な窮地へと立たされた 。


 一時撤退の号令が下る喧騒のなか、逃げ遅れたのは、あの大量の荷物を一人で抱えた補欠の少女だった 。


 他の隊員たちは彼女に見向きもせず、我先にとシステムUIの脱出ナビに従って逃げていく 。れんだけが雑用としてその場に残り、少女を救うために牙を剥くモンスターの前に飛び出した 。


 少女に迫る、死の爪 。


 (頼む、動いてくれ……! 誰かを、守るんだ……!)


 れんは絶望のなかで異能を最大開放した 。


 だが、受容器の遅延ラグを起こした狂った右腕は、出力のコントロールを完全に見失っていた。


 あたり一面を吹き飛ばす、制御不全の衝撃波 。


 ふと気づけば、転がる怪物の残骸の横で、少女が冷たく倒れていた。


 無慈悲に切り刻まれた胸元。


 そこから噴き出す血の線は、まるで彼女の命を辛うじて繋ぎ止める、細い赤い糸のようだった。


 『少女に重傷を負わせたのはお前か!』『この暴走能力者が!』


 ダンジョンから少女を抱きかかえ、自らの不器用な右腕を呪いながら帰還したれんを待っていたのは、ギルドメンバーたちの辛辣な糾弾と、脳内のステータスUIが非情に告げる『ランク:F(廃棄対象)』の烙印だった 。


 れんはその夜、全てに絶望し、誰の役にも立てなくなった自分を呪いながら、ギルドから飛び出して逃げたのだ 。


 回想から、現在へと意識が引き戻される 。


「そう、あなたは逃げ出したのです、無様に 。それは私にとって、最高に愉快なショーでしたよ!」


 オーフェンは気障ったらしく髪をかき上げ、恍惚とした愉悦を言葉に乗せた 。


「打ちひしがれているでしょう。打ちのめされているでしょう、進藤蓮 。そんなあなたを、さらに深い絶望の底へ沈める素晴らしい真実を、私からプレゼントして差し上げましょう」


 真紅の異形が、冷酷に、そして醜悪に唇を歪めた 。


「あの日、あのドームの喧噪のなか、あなたが少女を救うために放った暴走の一撃──。実はね、あの歪んだ一閃こそが、少女の命を正しく救い上げていたのですよ」


「……な、にを……?」


 泥のなかで、れんの切れ長の目が驚愕に大きく見開かれた 。


「──とでも、言うとでも思いましたか?」


 オーフェンは自らの真紅の拳を見つめ、キスキスと愉しげに笑った。


「実におしい、実に平凡な失敗だ。私はそんな退屈な結末、絶対に許しません。だからね、私が付けて差し上げたのですよ。最高の、劇的な決着というやつを」


「な、にを……」


「当てたのですよ、私が。そう、あなたの攻撃が空振りしたその最奥で、この私が、あの目障りな補欠の女に『真なる一撃』を叩き込んでやったのです」


「お前が……彼女を……?」


「あとは簡単です 。勝手に勘違いして自責の念に駆られたあなたが無様に逃げ出し、状況を確認することもしない、システム(数値)の奴隷であるギルドの烏合の衆が、私を認めなかったあなたを勝手に糾弾してくれた 。すべては仕様通りだ!」


「そんな話……なぜ、お前が、そんなことを……ッ!!」


 理解の許容量を超えた最悪の因果を前に、れんの思考アライメントが、激しい困惑と絶望のノイズで完全に粉砕されようとしていた 。


「おや……? そんなに驚くことですか」


 オーフェンは首を斜めに傾げ、真紅のフィンを気障に揺らしながら独白を続けた 。


 その歪んだ性格ゆえに、かつてのギルドでは誰からも相手にされず、常に孤立の底にいたオーフェン=弱泉移空三(よわいずみ いそみ)


 どれほど死に物狂いで他者を蹴落とそうと、システムUIが提示する評価は冷徹な『ランク:C』 。


 その傍らで、誰かの盾になり、無償の献身を捧げるだけで大衆からもてはやされていた進藤蓮への、狂おしいほどの劣等感と嫉妬 。


 (私は、誰よりも努力していた……! なのに誰も私を認めない! 画面の数値システムにすがりつくしか、この世界で這い上がる道はないんだ……!)


 それは、簒奪者カルノの胸の奥にあった「椅子の剥奪への恐怖」と、力学的に全く同じ病理エラーだった 。


 だからこそ彼は、輝く前衛に一矢報いるためだけに、あの最悪の欺瞞を執行したのだ 。


「あなたがギルドを飛び出した、あの最高に美しい夜のことです 。絶望に沈む私の脳内で、システムUIが、まるで天啓のごとくこの真紅のクロスのアイデアを可視化ナビゲートしたのですよ!」


 ──それからは、私への周囲の目は変わりました 。


「能力の飛躍!ランクBへのすばらしい躍進! そして世界が私に与えた二つ名こそが──【唯我の真空】オーフェン・ローフェン! すべてはあの日から始まったのです! 私こそが権力! 私が奪い、私が与える! 地に伏せよ、泥濘を這い回る蛆虫たちよ!」


 自らの勝利と社会の力学を盲信し、恍惚とした高揚のなかで叫ぶ簒奪者 。


 その言動──権力が個を磨り潰し、システムが家畜を踊らせる社会の欺瞞そのものを前にして、かおるの網膜の奥に、再び黒炎のような激怒が走った 。


 また、俺の前に壁が現れた 。人間の尊厳を数値ひとつで使い捨て、歪んだ強者をさらに狂わせる、打ち壊すべき社会の壁が 。


 (……間違っているのはアイツじゃない 。社会システム──お前たちのほうだ)


「──ふん」


 かおるはネイビーのハイネックをきしませ、再びオーフェンと正面から相まみえた 。


 刹那の攻防が爆ぜる。

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