無言の跳躍14
無言の跳躍・未来灯編
評議会が去った後も世界はしばらく静まり返っていた
まるで人類全体が同じ夢から目覚めた直後のように
だが、夢ではなかった
東京湾沿岸では夜空に残った巨大扉の残光が数日間消えなかった
月面都市では評議会の声を聞いたと証言する子供たちが現れた
火星では宗教団体が一斉に分裂した
世界は変わった
自分たちは宇宙の中で観測されている
その事実を人類は知ってしまったのだ
共有観測局・中央棟
玲奈は一人薄暗い観測室にいた
巨大スクリーンには安定化した世界線波形が表示されている
以前より揺らぎは小さい
だが完全安定ではない
それでいい
玲奈はそう思った
完全固定は、もうだれも望んでいない
背後で扉が開く
「また徹夜?」
汐里が両手にコーヒーを持って言う
玲奈は笑う
「観測者は寝不足気味なんだよ」
「人類代表が過労死したら笑えないんだけど」
汐里が隣へ座る
少しの沈黙
やがて汐里が小さく言った
「直人、最近出てる?」
玲奈は窓の外を見る
「…時々」
完全には消えていない、観測残響
星空の隙間
反射ガラス
夢と現実の境界
ほんの一瞬だけ、彼の姿を見ることがある
でも以前より遠い
たぶん、人類の観測が安定するほど直人の役目は終えていく
玲奈は少し寂しかった
その時、観測室の片隅で小さな光が揺れた
玲奈と汐里が同時に振り向く
空間ノイズ
しかし警報は鳴らない
柔らかい波形
光が集まり人影になる
黒いコート
玲奈の呼吸が止まる
「…直人」
直人は以前よりさらに薄い
夜空に溶けかけた星みたいだった
それでも彼は、いつもの通り無愛想だった
「少しだけ時間ができた」
玲奈が笑う
「観測者ジョーク?」
「半分本当」
汐里は気を遣ったのか、静かに部屋を出ていった
二人だけになる
観測室には、機械の低い駆動音だけが響く
玲奈は直人を見つめる
言いたいことは山ほどあった
怒りも
感謝も
寂しさも
でも最初に出た言葉はそれだった
「ねえ」
「ん?」
「未来って、まだ見えてるの?」
直人は少し考える
「見えすぎるくらいな」
「じゃあ、人類はどうなるの?」
直人は窓の外を見た
東京の夜景
空中交通
光る海
無数の生活
「滅びる未来もある」
玲奈は苦笑する
「正直だね」
「隠しても意味がない」
直人は続ける
「でも、生き残る未来も増えた」
玲奈は静かに息を吐く
それだけで十分だった
しばらく沈黙が続く
やがて直人がぽつり言った
「玲奈」
「なに」
「ありがとう」
玲奈は目を見開く
直人が、こんな風に言うのは珍しい
「お前が共有観測を選ばなかったら人類は固定へ戻ってた」
玲奈は少し笑った
「私一人じゃないよ」
「…ああ」
直人も小さく頷く
「それが人類らしかった」
風が吹く
直人の輪郭が少し崩れる
時間がない
玲奈は分かってしまう
「また行くの」
「観測層が呼んでいる」
「そっか」
寂しい、でも以前ほど絶望ではない
もう人類は一人じゃない
そして直人も完全に孤独ではない
世界中の誰かが彼を覚えてる
それが存在を繋いでる
玲奈はふと思い出したように笑った
「そういえば、最初に会った時、あなた無茶苦茶感じ悪かった」
直人が眉をひそめる
「…そうだったか?」
「規約しか喋らなかったし」
「仕事だった」
「融通ゼロだったし」
「否定はしない」
二人は少し笑う
ほんの短い普通の会話
宇宙の命運とも、観測文明とも関係ない
ただの人間同士の時間
やがて直人の身体が光へ崩れ始める
玲奈は静かに言った
「またね」
直人は少し驚いた顔をした
「別れじゃないんだな」
玲奈は窓の外の星空を見る
「未来、決まってないから」
直人はほんの少しだけ笑った
それは監察局時代にはほとんど見せなかった柔らかい笑い方だった
「…ああ」
次の瞬間、彼の姿は夜空へ溶けるように消えた
玲奈は一人窓辺に立つ
東京の空には星が見えていた
昔より少しだけ多く
観測文明
共有観測
宇宙評議会
世界はあまりにも大きい
それでも、人類は今自分たちの意思で未来を歩き始めている
間違えながら
迷いながら
誰かと繋がりながら
玲奈は小さく呟いた
「さて…続き見に行こうか」
そして共有観測局の灯りは静かに夜を照らし続けていた




