無言の跳躍12
無言の跳躍・人類紀編
共有観測事件から十五年後
人類はまだ滅びていなかった
それどころか、以前より奇妙な形で進化していた
国家は残っている
争いの残っている
愚かさも消えていない
だが一つだけ、決定的に変わったものがあった
完全な孤立が消えたのだ
共有観測技術・通称[コネクト]
玲奈が偶然生み出したあの現象は、その後、人類社会へ限定的に応用されていった
感情同期
共感通信
記憶共有補助
もちろん危険性も高い
依存問題
感情暴走
人格境界の希薄化
何度も禁止論争が起きた
それでも人類は手放さなかった
誰かを理解できるという感覚を、一度知ってしまったから
東京湾沿岸
[共有観測局・第一軌道棟]
玲奈は窓際でコーヒーを飲んでいた
年齢は四十代半ば
だが観測核の影響で外見はほとんど変わっていない
その代わり、最近自分の時間感覚を失いつつあった
昨日と十年前が近い
未来の断片が夢に混ざる
そして時々まだ起きていない会話を先に思い出す
観測者化は静かに進んでいた
「また難しい顔してる」
玲奈が振り返る
今では正式な共同観測管理官の汐里がいた
白髪は少し伸び、美香氏より柔らかい雰囲気になっていた
玲奈は笑う
「管理職はつらいんだよ」
「人間っぽいこと言うね」
「まだ人間のつもりだから」
汐里は少し黙る
そして窓の外を見る
軌道エレベータ
空中交通網
月との定期便
世界は進んでいた
だが空には今も時折小さな裂け目が現れる
観測文明たちは、まだ人類を見ている
その時、観察室の照明が落ちた
玲奈と汐里の表情が変わる
空間ノイズ、しかし敵性反応ではない
玲奈はゆっくりと立ち上がる
「来る」
次の瞬間、部屋の中央に光の粒子が集まり始めた
人型の黒いコート
汐里が息を呑む
「まさか」
光が形を結ぶ、そして直人がそこに立っていた
玲奈は動けなかった
直人は以前より薄い
まるで星の光を無理矢理人型にしたようだった
でも、その不愛想な顔だけは変わらない
「久しぶり」
玲奈の目に涙が浮かぶ
「遅い」
直人は少し困ったように笑う
「時間の感覚が曖昧でな」
「観測者ジョークやめて」
汐里が呆然としている
「存在固定している…どうやって」
直人は窓の外を見た
「人類側の観測密度が上がった」
玲奈は理解する
共有観測
人類同士が互いに強く認識しあうことで、存在固定能力そのものが強化される
つまり、誰かを覚えていることが存在を支える力になり始めている
玲奈は震える声で言った
「…戻ってこられるの?」
直人は沈黙する
それだけで答えはわかった
完全には戻れない
彼はもう人類と観測領域の境界にいる
だが、以前より確かに近い
直人は観察室中央へ歩く
そして空中へ指を滑らせた
無数の星図が浮かぶ
玲奈の顔色が変わる
「これ」
銀河地図、だが人類のものではない
複数宇宙規模の観測網
そこには数えきれない文明が表示されていた
そして、いくつかの光点が消えている
直人は静かに言った
「自由観測文明が、また消え始めている」
汐里が息を呑む
「世界線戦争?」
直人は頷く
「観測文明同士の衝突が増えている」
玲奈は眉をひそめる
「なんで急に」
直人の瞳の奥で時計盤がゆっくり回転する
「人類に影響だ」
玲奈は意味を理解できなかった
直人は続ける
「共有観測は特殊なんだ、他文明は固定か完全自由しか選べなかった」
だが人類は違う、不安定のまま繋がり始めた
矛盾を抱えたまま
それが、観測文明全体へ波及している
汐里が呟く
「前例がないんだ…」
直人が頷いた
「だから今、宇宙全体が揺れている」
玲奈は苦笑する
「迷惑な種族だね、人類は」
「否定できない」
珍しく直人も笑った
突然、観測室全体が振動した
警告
だが今までとは違う
玲奈の血が冷える
この波形は
「直人!」
直人も空を見上げていた
遠い場所を見るように
「来たか」
窓の外、夜空に巨大な扉が開き始めていた
黒い空間、その向こうから無数の時計光が見える
汐里が青ざめる
「観測評議会…」
玲奈は息を呑む
「評議会?」
直人の表情が観測者としての顔に静かに変わる
「宇宙規模の管理機関だ」
扉の向こうから重い声が響く
[対象文明:人類]
[最終観測審査を開始する]
東京の夜空が静かに裂けていった




