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無言の跳躍10


 無言の跳躍・薄明観測編


猶予は永遠ではなかった

別歴史観測機関が去ってから三年が過ぎた

世界はかろうじて安定を取り戻していた

空の裂け目は減少し、漂流歴現象も以前より穏やかになった

だが完全には消えない


時折、誰かが存在しなかった記憶を語る

一晩だけ別世界の街が現れる

幼い子供が、まだ起きていない未来を夢に見る


世界は今も揺れていた


そして玲奈もまた、変化していた


東京湾沿岸[時間漂流対策局・中央観測棟]

深夜、玲奈は一人で巨大スクリーンを見つめていた

世界線波形は安定域

だが微細なノイズが増えている

玲奈は指先で空中端末を操作する

その動きは、もう普通の人間の速度ではなかった

観測能力

直人から受け継いだ核は、今も玲奈の中で脈動している

ただし、代償もあった

玲奈は最近、自分の過去を曖昧に感じ始めていた

子供時代の記憶

監察局時代の匂い

直人との会話

どれも少しずつ薄れていく

代わりに増えるのは、他人の人生

無数の世界線の感情が、夜になると流れ込んでくる

それは静かな浸食だった


「まだ寝てないんですか」


振り返ると、白髪の少女が立っていた

今では対策局の正式所属になっている

名前も付いた

[汐里]

本人が海を見て決めた


玲奈は苦笑する

「観測者に睡眠管理を言われる日が来るとは」


「半分観測者の人が何を言ってるの」

汐里は缶コーヒーを机に置く


玲奈は礼を言いながら受け取る

缶の温かさが少し安心した

まだ感覚は残ってる

まだ人間だ、そう思えた


その時、警報が鳴った

玲奈と汐里の表情が同時に変わる


スクリーンに赤い波形


[大規模観測以上]

座標はーー月


玲奈は眉をひそめる

「月面都市?」

だが違う

映像が切り替わる

そこに映ったのは、月の裏側だった

巨大な黒い建造物

今まで存在しなかったはずの建造物が突然観測された

表面には無数の時計


玲奈の血が冷える


「…観測機関」

汐里が呟く


しかし以前の球体とは形状が違う

細長い塔、まるで墓標


その瞬間、世界中の通信へ同時にノイズが走った

そして声が響く

[観測試験開始]


玲奈の顔色が変わる

「試験…?」


次の瞬間、東京の夜空が反転した


人々が悲鳴を上げる

空が海になっていた

星々が水中の泡のように揺れている

ビル群はさかさまに浮かび上がる

重力が狂ってる


玲奈は即座に観測領域を展開した

空間固定、対策局周辺だけが安定する

だが被害は世界規模だった


汐里が震える声で言う

「観測圧…!」


玲奈は理解する

試されているのだ

人類が自由観測状態で存続可能か

別歴史観測機関による査定

玲奈は月の塔を見つめる

すると頭の中へ情報が流れ込んできた

無数の文明、その多くが滅んでいる

自由化された時間技術

自己改変

世界線戦争

そして最後は、現実そのものの崩壊


玲奈は歯を食いしばる

「だから試すの?」


[確認]

直接声が響く

[自由維持可能性を再測定]


汐里が玲奈を見る

「どうするの?」


玲奈は沈黙する

もし失敗と判断されれば、人類は再び固定されるかもしれない

あるいは、観測対象から排除される

玲奈は空を見た、反転した海空の向こう

ほんの一瞬だけ、黒いコートの残像が見えた気がした

直人、彼なら何と言うだろう

たぶん、何も言わない

最後まで、選ぶのは人類だと考えるから

玲奈は深呼吸する

「汐里」


「何?」


「全世界の観測局へ繋いで」


汐里が目を見開く

「まさか…」


玲奈は頷いた

「世界中の人間に選ばせる」


「危険すぎる!」


「でも、それが自由だよ」

玲奈の瞳の奥で、時計盤が回転する

だが以前より柔らかな光だった

「誰か一人が決める未来はもう終わりにする」


汐里はしばらく玲奈を見つめた後、苦笑した

「ほんと、直人と真逆」


玲奈も少し笑う

「そうかな」


「うん」

汐里は端末を起動する


世界同時接続

数十億人規模の共有観測回線は前代未聞

失敗すれば、人類全体の意識崩壊すら起こる

それでも…

玲奈は静かに空へ手を伸ばした

「見てて、直人」

反転した夜空の向こうで、星がゆっくり瞬いた


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