第4章:陽だまりの幻と交差する思惑
第4章:陽だまりの幻と交差する思惑
一
対魔局の地下にある医務室は、常に無機質な白い光に満たされていた。消毒液の匂いと、生命維持装置の規則正しい電子音だけが響く空間。
蓮はパイプ椅子に座り、ベッドで眠る結月の寝顔を見つめていた。
彼女の肌は透き通るように白く、呼吸は浅い。極限の冷気を操る「絶対零度」を発動した代償として、彼女の深部体温は危険水域まで低下していた。特殊な保温カプセルに入れられ、魔力回復用の点滴を受けながら、結月は丸二日間眠り続けている。
「……無茶しやがって」
蓮は低く呟き、結月の冷たい手に自分の手を重ねた。
彼女が自分を庇って覚醒した時の光景が、脳裏に焼き付いている。普段は感情を見せない彼女が、蓮の死を恐れて絶叫したあの瞬間。
(俺が弱かったからだ)
蓮は拳を強く握りしめた。
ジンの圧倒的な力の前に、自分は何もできなかった。結衣の記憶が一部戻ったとはいえ、それは奇跡的な偶然に過ぎない。今のままでは、ジンを倒すどころか、仲間を守ることすらできない。
「雨宮隊員」
背後から声がして、蓮は振り返った。
白衣を着た初老の軍医、東郷がカルテボードを手に立っていた。
「柊の容態は?」
「体温は徐々に回復傾向にある。だが、魔力回路への負荷が大きすぎた。目覚めたとしても、しばらくは魔法の使用を禁じる必要があるな」
東郷はカルテにペンを走らせながら、淡々と言った。
「……いつ頃、目を覚ましますか?」
「早ければ今日中だろう。だが、無理はさせるなよ。彼女の『氷結』の代償は感情の喪失だが、今回の覚醒でそれがどう変化したか、まだ未知数だからな」
東郷の言葉に、蓮は眉をひそめた。
「代償が変化する……そんなことがあるんですか?」
「魔法適応社会になってまだ数年だ。我々にも分からないことだらけだよ。特に『覚醒』という現象は、術者の精神状態と密接にリンクしている。代償が重くなることもあれば、全く別の形に変質することもある」
東郷は蓮の胸のあたりをじっと見つめた。
「お前も、妙な光を放ったそうだな。神宮寺部隊長から報告は受けている」
「……ええ。ですが、身体に異常はありません」
「ならいいが。お前の『残響』の代償は記憶の欠落だ。もしそれが進行すれば、お前は自分自身すら失うことになる。気をつけろ」
東郷はそれだけ言うと、医務室の奥へと消えていった。
蓮は再び結月に向き直った。
彼女の代償が、これ以上重くならないことを祈るしかなかった。
その時、蓮のスマートフォンが震えた。
画面を見ると、桜井舞からのメッセージだった。
『蓮くん! ニュース見たよ! 港区の廃工場でテロリストと戦ったって本当!? 怪我してない!?』
蓮は少しだけ口角を上げ、返信を打った。
『俺は無事だ。だが、柊が少し怪我をした』
すぐに既読がつき、返信が来る。
『えっ、結月ちゃんが!? 大丈夫なの!? 私、お見舞いに行ってもいい!?』
対魔局の医務室は部外者立入禁止だ。しかし、舞は対魔局の「協力者」として登録されているため、手続きを踏めば入館できる。
『分かった。手続きをしておく。だが、静かにしろよ』
『了解! すぐ行く!』
蓮はスマートフォンをしまい、小さくため息をついた。
舞の明るさは、今の重苦しい空気を少しは和らげてくれるかもしれない。
二
一時間後。
「結月ちゃーん! 大丈夫!?」
医務室のドアが勢いよく開き、ピンク色の髪を揺らして舞が飛び込んできた。手には、不釣り合いなほど大きなフルーツバスケットを抱えている。
「静かにしろと言っただろ」
蓮が顔をしかめると、舞は「あ、ごめん」と口の前で手を合わせ、抜き足差し足でベッドに近づいてきた。
「結月ちゃん、顔色真っ白じゃん……。本当に大丈夫なの?」
舞は心配そうに結月の顔を覗き込む。
「命に別状はない。ただ、魔力を使いすぎただけだ」
「そっか……よかった」
舞はほっと胸を撫で下ろし、フルーツバスケットをサイドテーブルに置いた。
「蓮くんは? どこも怪我してない?」
舞が蓮の顔をじっと見つめてくる。その瞳には、純粋な心配の色が浮かんでいた。
「俺は平気だ。少し肋骨にヒビが入ったが、治癒魔法をかけてもらったからな」
「肋骨にヒビって、全然平気じゃないじゃん! もう、無茶しすぎだよ!」
舞は蓮の腕を軽く叩いた。
「……相手が強すぎたんだ。俺の力不足だ」
蓮が自嘲気味に言うと、舞は少しだけ真剣な顔になった。
「ねえ、蓮くん。私、蓮くんの力になりたい」
「お前はもう十分協力してくれてる。お前の『幻影』がなければ、スタジオの襲撃で俺たちは死んでいたかもしれない」
「そうじゃなくて……もっと直接的に、蓮くんをサポートしたいの」
舞は蓮の目を真っ直ぐに見つめた。
「私の『幻影』は、戦闘には向かない。でも、情報収集や陽動なら、もっと高度なことができるはず。だから、私にも戦わせて」
「ダメだ」
蓮は即座に却下した。
「お前の代償は『自己認識の喪失』だろ。これ以上魔法を使えば、お前は本当の自分を失ってしまうかもしれないんだぞ」
「それでもいい!」
舞は声を荒げた。
「私、蓮くんが傷つくのを見るのが嫌なの! 蓮くんは、いつも一人で全部背負い込もうとする。結月ちゃんもそう。二人とも、自分の命を削って戦ってる。……私だけ、安全な場所で笑ってるなんて、耐えられないよ!」
舞の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
蓮は言葉に詰まった。
舞の明るさの裏にある、深い孤独と無力感。彼女もまた、この魔法適応社会で苦しんでいる一人なのだ。
「……舞」
蓮は手を伸ばし、舞の頭を優しく撫でた。
「お前の気持ちは嬉しい。だが、俺はお前を危険な目に遭わせたくない。お前は、その明るさで俺たちを救ってくれてるんだ。だから、今は俺たちに任せておけ」
舞は蓮の手の温もりに触れ、少しだけ泣き止んだ。
「……蓮くんのバカ。かっこつけすぎ」
舞は涙を拭い、無理に笑顔を作った。
「分かった。でも、何かあったら絶対に私を頼ってね。約束だよ?」
「ああ、約束する」
蓮が頷いたその時。
「……騒がしいですね」
ベッドから、微かな声が聞こえた。
蓮と舞が振り返ると、結月がゆっくりと目を開けていた。
「柊!」
「結月ちゃん!」
二人がベッドに駆け寄る。
結月はぼんやりとした目で二人を見つめ、それから自分の手を見た。
「……私は、生きて……?」
「ああ。お前がジンを止めてくれたおかげだ」
蓮が言うと、結月は少しだけ安堵したように息を吐いた。
「……そうですか。よかったです」
結月の声は弱々しかったが、その表情には、以前のような冷たい無機質さはなかった。どこか柔らかく、人間らしい感情が宿っているように見えた。
「結月ちゃん、これ! フルーツ持ってきたよ! りんご剥こうか!?」
舞がフルーツバスケットを掲げて言うと、結月は少しだけ困ったような顔をした。
「……ありがとうございます。でも、今はまだ食欲が……」
「そっか! じゃあ、元気になったら一緒に食べよ!」
舞の明るい声に、結月は微かに微笑んだ。
「……はい」
その微笑みを見て、蓮はハッとした。
結月の代償である「感情の喪失」。それが、少しだけ和らいでいるように見えたのだ。
(覚醒の影響か……? それとも……)
蓮は、自分の身体から放たれたあの「光」を思い出した。
あの光が、結月の代償にも何らかの影響を与えたのだろうか。
「雨宮隊員」
結月が蓮を見上げた。
「……ジンは?」
「逃げられた。だが、奴の目的は分かった。奴は、特定の適性を持つ人間を集め、巨大な魔法を発動させようとしている」
蓮の言葉に、結月の表情が引き締まる。
「……止めなければ。彼らは、世界を壊すつもりです」
「ああ。だが、お前はまず身体を治せ。俺が必ず奴を止める」
蓮が力強く言うと、結月は少しだけ不満そうに唇を尖らせた。
「……私を置いていくつもりですか? 私はあなたの相棒です。一人で背負い込まないでください」
その言葉は、先ほどの舞の言葉と重なっていた。
蓮は苦笑し、結月の頭を軽く撫でた。
「分かったよ。お前が治るまで、無茶はしない」
結月は蓮の手に触れられ、少しだけ頬を染めて目を伏せた。
その様子を見ていた舞が、少しだけ寂しそうな、しかし優しい笑顔を浮かべていたことに、蓮は気づかなかった。
三
数日後。
結月は無事に退院し、現場復帰を果たした。
彼女の魔法はまだ完全には回復していなかったが、情報分析や後方支援の任務には支障がないと判断されたのだ。
そして、蓮と結月は、紗綾のオフィスに呼び出されていた。
「柊、復帰おめでとう。無理はしないようにね」
紗綾が労いの言葉をかけると、結月は深く頭を下げた。
「ご心配をおかけしました。すでに任務に支障はありません」
「そう。なら、早速だけど新しい任務よ」
紗綾はタブレットを操作し、モニターに一枚の写真を映し出した。
写真に写っていたのは、巨大な高層ビルだった。ガラス張りの近代的な外観で、ビルの頂上には「AETHER」という企業のロゴが輝いている。
「エーテル社。国内最大の魔法具製造企業よ」
紗綾が説明を始める。
「魔法具……魔法の『式』を物理的なアイテムに定着させ、適性がない人間でも簡易的な魔法を使えるようにする技術ですね」
結月が補足する。
「ええ。エーテル社は、その技術で莫大な利益を上げている。だが、最近彼らの周辺で妙な噂が絶えないの」
紗綾はモニターの画像を切り替えた。
今度は、エーテル社の内部資料と思われる文書が映し出された。
「彼らが、非合法な人体実験を行っているという噂よ」
「人体実験……?」
蓮が眉をひそめる。
「特定の適性を持つ人間を拉致し、彼らの『式』を抽出して、強力な兵器としての魔法具を開発している……という情報が、裏社会で流れているわ」
「それって、ノクスがやっていたことと同じじゃないですか!」
蓮が声を荒げる。
「そうよ。だから、上層部はエーテル社とノクスが裏で繋がっている可能性を疑っている。あなたたちには、エーテル社の内部に潜入し、その証拠を掴んできてもらいたい」
紗綾の言葉に、蓮と結月は顔を見合わせた。
「潜入捜査、ですか」
「ええ。エーテル社は明日、新作魔法具の発表パーティーを主催する。政財界の要人や、有名な魔法インフルエンサーが多数招待されているわ。あなたたちには、そのパーティーに潜り込んでもらう」
紗綾は机の下から、二つのアタッシュケースを取り出した。
「中には、パーティー用の衣装と、偽造された招待状が入っている。雨宮は若手実業家、柊はその秘書という設定よ」
蓮はアタッシュケースを開けた。
中には、高級なタキシードと、結月用のイブニングドレスが入っていた。
「……俺が実業家? 無理があるだろ」
蓮が顔をしかめると、紗綾は薄く笑った。
「演技力も任務のうちよ。それに、今回は強力な助っ人を用意しているわ」
「助っ人?」
その時、オフィスのドアが開き、ピンク色の髪の少女が飛び込んできた。
「やっほー! 待たせたね!」
桜井舞だった。
彼女は、普段の派手な衣装ではなく、上品なパーティードレスに身を包んでいた。
「舞? お前、なんでここに……」
「私も明日のパーティーに招待されてるの! 『魔法インフルエンサー代表』としてね!」
舞は得意げに胸を張った。
「神宮寺さんから頼まれたの。私がパーティーの会場で陽動を行って、その隙に蓮くんたちが地下の研究施設に潜入する作戦!」
「……部隊長、本気ですか? 彼女を危険な任務に巻き込むなんて」
蓮が紗綾を睨みつける。
「彼女自身の志願よ。それに、彼女の『幻影』は、セキュリティシステムを欺くのに最適なの。適材適所よ」
紗綾は冷徹に言い放った。
蓮は舞を見た。
舞は、真剣な瞳で蓮を見つめ返してきた。
「蓮くん、約束したでしょ? 私も戦うって。足手まといにはならないから、信じて」
その強い意志に、蓮はため息をつくしかなかった。
「……分かった。だが、絶対に無理はするな。危険だと判断したら、すぐに逃げろ」
「うん! 任せて!」
舞は満面の笑みを浮かべた。
「では、作戦のタイムテーブルを確認します」
結月がタブレットを開き、冷静に進行を始めた。
彼女の横顔は、いつものように凛としていたが、舞と蓮のやり取りを見るその目には、微かな焦燥の色が浮かんでいた。
四
翌日の夜。
エーテル社の本社ビルは、眩いばかりの光に包まれていた。
エントランスには高級車が次々と乗り付け、着飾ったセレブリティたちがレッドカーペットを歩いていく。周囲には多数の報道陣が詰めかけ、フラッシュの嵐が巻き起こっていた。
蓮と結月は、少し離れた場所に停めた車の中で待機していた。
蓮は窮屈なタキシードの襟を緩めながら、深くため息をついた。
「……最悪だ。首が絞まる」
「我慢してください。これも任務です」
結月は助手席で、タブレットの画面を操作しながら冷たく言った。
彼女は深いスリットの入った黒いイブニングドレスを着ており、普段の制服姿とは全く違う、妖艶な魅力を放っていた。
「お前は似合ってるな。そういう服」
蓮が何気なく言うと、結月の指がピタリと止まった。
「……お世辞は不要です。私は任務のために着ているだけですから」
結月は顔を背けたが、その耳が微かに赤くなっているのを、蓮は見逃さなかった。
「舞はもう中に入ったか?」
蓮が通信機で尋ねると、ノイズ混じりの舞の声が返ってきた。
『うん、バッチリ潜入完了! 今、会場のど真ん中で愛想振りまいてるとこ!』
「周囲の警戒はどうだ?」
『警備員がいっぱいいるけど、私の「幻影」でカメラの映像は誤魔化せるよ。いつでもいける!』
「了解した。俺たちも入る」
蓮と結月は車を降り、エントランスへと向かった。
偽造された招待状を提示し、金属探知機と魔力スキャナーのゲートをくぐる。紗綾が用意した偽装魔法具のおかげで、二人の魔力反応は一般人レベルに偽装されていた。
会場内は、クラシック音楽が流れ、シャンパンのグラスが触れ合う優雅な空間だった。
しかし、蓮の目には、会場のあちこちに配置された警備員たちの「式」がはっきりと見えていた。彼らは皆、戦闘用の魔法適性を持つプロの傭兵だ。
「……警備が厳重ですね。単なる新作発表会とは思えません」
結月が小声で囁く。
「ああ。地下に何か隠しているのは間違いない」
蓮はシャンパングラスを手に取り、周囲を観察した。
会場の奥には、VIP専用のVIPルームへと続くエレベーターがある。地下の研究施設へ行くには、あのエレベーターを使うしかない。しかし、エレベーターの前には二人の屈強な警備員が立っていた。
「舞、聞こえるか。エレベーター前の警備員を頼む」
蓮が通信機で指示を出す。
『了解! ちょっと派手にいくね!』
数分後。
会場の中央で、突然大きな歓声が上がった。
桜井舞が、自身の魔法「幻影」を使って、空中に巨大な光の蝶を無数に羽ばたかせたのだ。
「皆様、本日はエーテル社の新作発表会にお招きいただき、ありがとうございます! 私から、ささやかな魔法のプレゼントです!」
舞のパフォーマンスに、招待客たちは拍手喝采を送る。警備員たちの視線も、一斉に舞の方へと向けられた。
「今だ」
蓮と結月は、人混みに紛れてエレベーターへと近づいた。
警備員たちが舞のパフォーマンスに気を取られている隙に、結月がエレベーターの操作パネルに手を触れる。
「『氷結』――電子回路凍結」
結月の指先から微かな冷気が放たれ、操作パネルの内部回路をショートさせる。エレベーターの扉が、音もなく開いた。
二人は素早くエレベーターに乗り込み、地下の階層ボタンを押した。
「……上手くいきましたね」
結月が安堵の息を吐く。
「ああ。舞のおかげだ」
蓮が言うと、結月は少しだけ複雑な表情を見せた。
「……彼女は、強いですね。自分の代償を恐れず、あなたのために危険を冒す」
「あいつはバカなだけだ。後先考えてない」
蓮が苦笑すると、結月は真っ直ぐに蓮の目を見た。
「……私も、あなたのためなら、命を懸けられます」
その言葉は、静かで、しかし確かな熱を帯びていた。
蓮は驚いて結月を見つめ返した。
彼女の瞳には、かつての無機質な冷たさはなく、一人の女性としての強い感情が宿っていた。
「柊……」
蓮が何かを言いかけた時、エレベーターがガクンと揺れ、停止した。
「なっ……!?」
照明が消え、非常用の赤いランプが点灯する。
『侵入者を検知。地下区画を封鎖します』
無機質な機械音声が、エレベーター内に響き渡った。
「罠か……!」
蓮は舌打ちをし、エレベーターの扉をこじ開けようとした。
しかし、扉は強力な魔法のロックで固定されており、ビクともしない。
「雨宮隊員、上から来ます!」
結月が叫ぶ。
エレベーターの天井のハッチが吹き飛び、黒ずくめの男たちが次々と降りてきた。彼らの手には、エーテル社製の強力な魔法具が握られている。
「対魔局のネズミめ。ここで死ね!」
男の一人が、魔法具から高出力の炎のレーザーを放った。
「『残響』――氷壁!」
蓮は咄嗟に氷の壁を作り出し、レーザーを防ぐ。しかし、魔法具によって増幅された炎の威力は凄まじく、氷壁は一瞬で溶かされていく。
狭いエレベーター内での戦闘。逃げ場はない。
「柊、俺の背中に隠れろ!」
蓮は結月を庇うように前に出た。
「ダメです! 私も戦います!」
結月が冷気を放とうとするが、蓮はそれを制止した。
「お前の身体はまだ本調子じゃない! ここは俺がやる!」
蓮は限界まで意識を集中させ、男たちの魔法具の「式」を読み取ろうとした。
魔法具の式は、人間の脳内の式とは構造が違う。機械的で、無機質で、読み取るのに異常な負荷がかかる。
頭の中に、鋭い痛みが走る。
また、記憶が削られていく感覚。
(……くそっ! 負けるか!)
蓮は痛みに耐えながら、魔法具の式を強引にコピーした。
「『残響』――魔力逆流!」
蓮が叫ぶと、男たちの魔法具が突然火花を吹き、暴走を始めた。
「うわあっ!?」
「魔法具が……!」
暴走した魔法具が次々と爆発し、男たちは自らの炎に包まれて倒れ伏した。
「……はぁ、はぁ……」
蓮は荒い息を吐きながら、膝をついた。
頭が割れるように痛い。視界がぼやけ、自分が誰なのか、一瞬分からなくなりそうになる。
「雨宮隊員!」
結月が駆け寄り、蓮の身体を支える。
「大丈夫ですか!? また無茶をして……!」
「……平気だ。それより、ここから脱出しないと……」
蓮が立ち上がろうとした時、エレベーターの扉が外側からこじ開けられた。
そこに立っていたのは、白衣を着た一人の男だった。
眼鏡の奥の瞳は冷酷に光り、その周囲には、ジンと同じような「空間の歪み」が発生していた。
「素晴らしい。私の開発した魔法具の式を、一瞬で読み取り逆流させるとは」
男は拍手をしながら、ゆっくりとエレベーター内に入ってきた。
「お前は……」
「初めまして、対魔局の諸君。私はエーテル社の研究主任、御堂だ」
御堂は薄く笑った。
「そして、ノクスの『盾』でもある」
「ノクス……! やはり、エーテル社はノクスと繋がっていたのか!」
蓮が睨みつけると、御堂は肩をすくめた。
「繋がっている、という表現は正確ではないな。エーテル社は、ノクスの計画を支援するための資金源であり、実験場に過ぎない」
御堂が手をかざすと、蓮と結月の身体が、見えない力で壁に叩きつけられた。
「ぐっ……!」
「きゃあっ!」
「ジンの『空間歪曲』……! お前も使えるのか!」
蓮が呻くように言うと、御堂は冷たく笑った。
「ジン様から分け与えられた力だ。私自身の適性は『解析』。他人の式を分析し、魔法具に定着させる能力。だが、ジン様の力があれば、戦闘においても無敵だ」
御堂は蓮に近づき、その胸ぐらを掴み上げた。
「お前の『残響』、非常に興味深い。記憶を代償にして他人の式をコピーする能力……。私の研究の、素晴らしいサンプルになりそうだ」
「ふざけるな……!」
蓮は御堂を睨み返すが、空間の圧力で身動きが取れない。
「さあ、地下の研究室へご案内しよう。お前たちの脳から、一滴残らず式を抽出してやる」
御堂が残酷な笑みを浮かべた、その時。
『蓮くん! 結月ちゃん!』
通信機から、舞の悲痛な叫び声が聞こえた。
『逃げて! 会場に……ノクスの連中が……!』
通信はそこで途絶えた。
「舞! 舞、応答しろ!」
蓮が叫ぶが、返事はない。
「おや、上の会場も制圧されたようだな。あのピンク髪の小娘も、良いサンプルになりそうだ」
御堂の言葉に、蓮の心の中で、何かがブツリと切れる音がした。
妹を奪われ。
結月を傷つけられ。
そして今度は、舞まで奪おうとしている。
「……殺す」
蓮の瞳が、暗い復讐の炎で赤く染まった。
「お前らノクスは……俺が全員、殺してやる!」
蓮の身体から、再びあの「温かい光」が溢れ出した。
しかし、今回の光は温かくはなかった。それは、蓮の怒りと憎悪に染まった、赤黒い「残響」の光だった。
「なっ……この光は……!?」
御堂が驚愕に目を見開く。
蓮の暴走が、始まろうとしていた。
【第4章終了】
【第4章登場魔法・用語解説】
「魔力逆流」:蓮がエーテル社の魔法具の式を読み取り、その魔力回路を強制的に逆流させることで暴走・爆発させる応用技。機械的な式を読み取るため、人間の式を読み取る以上の激しい頭痛と記憶の欠落(代償)を伴う。
「魔法具」:エーテル社が開発・製造しているアイテム。魔法の「式」を物理的な物体(銃や剣、アクセサリーなど)に定着させ、魔力を流し込むだけで誰でも簡易的な魔法が使えるようになる。ノクスの人体実験によって得られたデータが技術の基盤となっている。
五
赤黒い光が、エレベーター内を埋め尽くしていく。
それは、蓮の「残響」が限界を超えて暴走し始めた証だった。
「ぐあああああっ!」
蓮は獣のような咆哮を上げた。
頭蓋骨が内側から砕けそうなほどの激痛。記憶が、感情が、理性が、凄まじい勢いで削り取られていく。
結衣の笑顔。
結月の冷たい声。
舞の明るい笑い声。
それらが、シュレッダーにかけられたように粉々になり、赤黒い光の中に溶けていく。
「雨宮隊員! ダメです、それ以上は……!」
結月が悲鳴のような声を上げるが、蓮の耳には届いていない。
「……バカな。ジン様の『空間歪曲』を、力技で破ろうというのか!?」
御堂が焦燥の声を上げる。
蓮の身体から放たれる赤黒い光は、御堂が展開していた空間の歪みを、文字通り「食い破って」いた。
「『残響』――全式解放!」
蓮が叫んだ瞬間、彼がこれまでにコピーしてきた全ての魔法の式が、一斉に発動した。
炎、氷、雷、風、重力。
相反する属性の魔法が、狭いエレベーター内で無秩序に暴れ狂う。
「ひぃっ……!」
御堂は慌てて空間歪曲の盾を展開しようとしたが、遅かった。
暴走した魔法の奔流が、御堂の身体を容赦なく飲み込んだ。
「ぎゃあああああっ!」
御堂の悲鳴が響き渡り、エレベーターの壁がひしゃげ、天井が吹き飛ぶ。
「雨宮隊員!」
結月は咄嗟に「氷結」で自身の周囲に防御壁を作り、魔法の奔流から身を守った。しかし、暴走する蓮の力は凄まじく、氷の壁には次々と亀裂が入っていく。
(このままでは、彼自身が魔力に飲み込まれて死んでしまう……!)
結月は決死の覚悟で氷の壁を解除し、暴れ狂う魔法の嵐の中へと飛び込んだ。
炎が彼女のドレスを焦がし、雷が肌を焼く。
それでも彼女は止まらず、蓮の元へと駆け寄った。
「雨宮隊員! 目を覚まして!」
結月は蓮の背中から抱きつき、その身体を強く締め付けた。
「……離せ……! 殺す……ノクスは……全部……!」
蓮の瞳は焦点が定まっておらず、ただ破壊衝動だけが彼を突き動かしていた。
「ダメです! あなたは、そんなことのために戦っているんじゃないはずです!」
結月は蓮の耳元で叫んだ。
「結衣ちゃんが……あなたの妹が、そんなことを望んでいると思いますか!?」
その言葉が、蓮の脳裏に微かな波紋を広げた。
『お兄ちゃんは、まだ終わってない』
闇の中で聞いた、結衣の声。
蓮の動きが、一瞬だけ止まった。
「……ゆい……?」
「そうです! 思い出してください! あなたが守りたかったものを!」
結月は蓮の身体に自身の魔力を流し込み、暴走する「残響」の式を強制的に冷却しようと試みた。
彼女の「氷結」の冷気が、蓮の赤黒い光を少しずつ鎮めていく。
「……あ……ああ……」
蓮の瞳から、赤黒い光が消え、元の黒い瞳に戻った。
同時に、全身の力が抜け、蓮はその場に崩れ落ちた。
「雨宮隊員!」
結月が蓮の身体を支える。
蓮の息は絶え絶えで、全身から冷や汗が噴き出していた。
「……柊……俺は……」
「大丈夫です。暴走は収まりました」
結月は安堵の涙を浮かべながら、蓮の顔を覗き込んだ。
エレベーター内は、凄惨な有様だった。
壁は焼け焦げ、床は凍りつき、御堂は全身に重傷を負って気絶していた。
「……舞は……?」
蓮が掠れた声で尋ねる。
「分かりません。でも、彼女ならきっと無事です。今は、ここから脱出するのが先決です」
結月は蓮の腕を肩に回し、立ち上がらせた。
「……すまない。また、お前に助けられた」
「相棒ですから。当然です」
結月は微かに微笑んだ。
その微笑みは、以前よりもずっと自然で、温かいものだった。
二人は、半壊したエレベーターから這い出し、地下の研究施設へと足を踏み入れた。
そこには、エーテル社とノクスの、おぞましい真実が隠されているはずだ。
そして、上の階で孤立している舞を救い出さなければならない。
蓮は、ズキズキと痛む頭を押さえながら、暗い廊下を見据えた。
記憶はまた少し欠落してしまったかもしれない。しかし、結月という存在が、今の彼を現実に繋ぎ止めていた。
(待ってろ、舞。必ず助け出す)
蓮と結月は、互いを支え合いながら、闇の奥へと進んでいった。
【第4章終了】
【第4章登場魔法・用語解説】
「魔力逆流」:蓮がエーテル社の魔法具の式を読み取り、その魔力回路を強制的に逆流させることで暴走・爆発させる応用技。機械的な式を読み取るため、人間の式を読み取る以上の激しい頭痛と記憶の欠落(代償)を伴う。
「全式解放」:蓮の「残響」が怒りと憎悪によって暴走した状態。これまでにコピーした全ての魔法の式を無秩序に同時発動させる。圧倒的な破壊力を持つが、術者の脳と肉体に致命的な負荷をかけ、最悪の場合は魔力に飲み込まれて自滅する。
「魔法具」:エーテル社が開発・製造しているアイテム。魔法の「式」を物理的な物体(銃や剣、アクセサリーなど)に定着させ、魔力を流し込むだけで誰でも簡易的な魔法が使えるようになる。ノクスの人体実験によって得られたデータが技術の基盤となっている。
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