第2章:虚飾の光と幻影
第2章:虚飾の光と幻影
一
歌舞伎町での魔法テロから三日が過ぎた。
その日、対魔局のオフィスは朝から異様な空気に包まれていた。隊員たちは皆、自分のモニターを食い入るように見つめ、ひそひそと声を潜めて話している。
蓮がオフィスに入ると、結月が足早に近づいてきた。彼女の表情は相変わらず乏しいが、その足取りには明らかな焦りがあった。
「雨宮隊員、これを見てください」
結月は蓮を自分のデスクに促し、モニターを指差した。
画面には、動画共有サイト「MagicTube」の再生画面が映し出されていた。再生回数はすでに三百万回を超え、コメント欄は凄まじい勢いで滝のように流れている。
動画のタイトルは『【衝撃】対魔局のヤバすぎる魔法使い、テロリストを瞬殺!』。
蓮は眉をひそめた。動画が再生される。
画面に映っていたのは、三日前の歌舞伎町での戦闘だった。蓮が炎の壁を作り出し、テロリストの炎と激突させるシーン。そして、雷を操る女の背後に回り込み、手刀を叩き込むシーン。スマートフォンで撮影されたと思われるその映像は、手ブレが酷く画質も荒かったが、蓮の顔と、彼が使った魔法の「式」の光ははっきりと映っていた。
「……誰が撮ったんだ」
「分かりません。現場には野次馬が多数いましたから。問題は、この動画がSNSで爆発的に拡散されていることです」
結月はキーボードを叩き、別の画面を開いた。今度はSNSのタイムラインだ。
『対魔局の黒コート、強すぎだろwww』
『炎と雷、両方使えるってどういうこと? 適性二つ持ち?』
『いや、あれは相手の魔法をコピーしてるんだよ。式の形が同じだった』
『コピー能力とかチートじゃん。対魔局もエグい隠し玉持ってるな』
蓮は舌打ちをした。
「俺の魔法が『残響』だとバレているのか」
「ネットの特定班を甘く見ない方がいいです。彼らは動画のコマ送りから『式』の構造を解析し、あなたの能力を推測しています。現在、あなたの名前『雨宮蓮』と『残響』というワードが、トレンドの一位と二位を独占しています」
結月の言葉に、蓮は深くため息をついた。
対魔局の隊員は、基本的に顔や能力を公にしない。違法魔法使いからの報復を防ぐためだ。しかし、これだけ顔と能力が割れてしまえば、隠密行動は不可能になる。
「部隊長は?」
「神宮寺部隊長は現在、上層部と会議中です。この動画の対応について協議していると思われます」
「……面倒なことになったな」
蓮が頭を掻きむしっていると、オフィスの奥から紗綾が歩いてきた。その表情は険しく、足取りは重い。彼女の魔法「重力」の代償が、少しずつ彼女の身体を蝕んでいる証拠だった。
「雨宮、柊。会議室に来なさい」
紗綾の短い言葉に、蓮と結月は顔を見合わせ、彼女の後を追った。
二
会議室のドアが閉まると、紗綾は深くため息をつき、椅子に腰を下ろした。
「単刀直入に言うわ。雨宮、あなたはしばらく現場から外れてもらう」
「……動画の件ですか」
「ええ。上層部は、あなたの顔と能力が割れたことを重く見ている。違法魔法使いの標的になる可能性が高い。ほとぼりが冷めるまで、内勤に回れという指示よ」
蓮は拳を握りしめた。
「冗談じゃない。俺は現場に出るためにここに入ったんだ。内勤なんかやってる暇はない」
「命令よ、雨宮。これは決定事項」
紗綾の言葉は冷たかったが、その目には蓮を案じる色が浮かんでいた。
「……分かりました」
蓮は不承不承頷いた。ここで反発しても、上層部の決定が覆るわけではない。
「柊、あなたは引き続き現場に出てもらう。ただし、雨宮の護衛も兼ねてね。彼が勝手な行動を起こさないよう、監視しなさい」
「了解しました」
結月は短く答えた。
「それから、もう一つ」
紗綾は机の上のタブレットを操作し、モニターに一枚の写真を映し出した。
写真に写っていたのは、ピンク色の髪をした少女だった。年齢は十八歳くらいだろうか。フリルのついた派手な衣装を着て、カメラに向かってウインクをしている。
「桜井舞。十八歳。現在、SNSで絶大な人気を誇る『魔法インフルエンサー』よ」
「魔法インフルエンサー?」
蓮が怪訝な顔をする。
「ええ。彼女は自分の魔法を使ったパフォーマンスを動画で配信し、数百万人のフォロワーを持っている。彼女の魔法は『幻影』。光と音を操り、リアルな幻を作り出す能力よ」
「それが、俺たちと何の関係があるんですか?」
結月が尋ねる。
「彼女は、対魔局の『協力者』なのよ」
紗綾の言葉に、蓮と結月は驚きの声を上げた。
「協力者? あんな派手な小娘が?」
「彼女の『幻影』は、情報操作や陽動に非常に有効なの。対魔局は彼女に資金と機材を提供する代わりに、必要な時に彼女の能力を借りている。……実は、今回のあなたの動画拡散の件で、彼女に協力を要請したの」
「動画を消させるのか?」
「いいえ。一度ネットに拡散された情報を完全に消すことは不可能よ。だから、逆に利用するの」
紗綾は薄く笑った。
「桜井舞のチャンネルで、あなたを『対魔局の公式ヒーロー』として紹介する。違法魔法使いと戦う正義の魔法使い。そういうキャラクターを作り上げ、世間の目を『恐怖』から『熱狂』へと逸らすのよ」
「……ふざけるな」
蓮は立ち上がった。
「俺は見世物じゃない。そんな茶番に付き合う気はない」
「これは上層部の決定よ。それに、あなたにとっても悪い話じゃないはずよ」
紗綾は蓮を真っ直ぐに見つめた。
「あなたが探している『ノクス』。彼らは今、世間の混乱に乗じて勢力を拡大しようとしている。あなたが『ヒーロー』として表舞台に立てば、ノクスの方からあなたに接触してくる可能性が高いわ」
蓮は言葉に詰まった。
確かに、ノクスの尻尾を掴むためには、彼らの方から動かせるのが一番手っ取り早い。
「……分かった。やります」
蓮は渋々頷いた。
「よろしい。今日の午後、彼女のスタジオで打ち合わせがある。柊、あなたも同行しなさい」
「了解しました」
会議室を出た蓮は、深くため息をついた。
妹の死の真相を暴くためとはいえ、まさか自分がインフルエンサーの動画に出演することになるとは思わなかった。
「……憂鬱だ」
「我慢してください。これも任務です」
結月が冷たく言い放つ。
二人は、桜井舞のスタジオがある渋谷へと向かった。
三
渋谷の裏路地にある雑居ビル。その地下に、桜井舞のスタジオはあった。
重い防音扉を開けると、そこは別世界だった。壁一面にグリーンバックが張られ、天井からは無数の照明機材が吊るされている。部屋の隅には高性能なパソコンが何台も並び、数人のスタッフが忙しそうに動き回っていた。
「あ! 来た来た!」
部屋の奥から、ピンク色の髪の少女が駆け寄ってきた。写真で見た通りの、派手な衣装を着ている。
「初めまして! 桜井舞です! あなたが雨宮蓮くんね? 動画見たよー、すっごいカッコよかった!」
舞は蓮の手を握り、ぶんぶんと上下に振った。その手は温かく、柔らかかった。
「……どうも」
蓮は戸惑いながら手を引き抜いた。
「こっちは柊結月ちゃんね! クールビューティーって感じで最高! 私のチャンネルに出たら絶対人気出るよ!」
舞は結月にも絡んでいくが、結月は無表情のまま一歩後ずさった。
「私は裏方ですので、出演は辞退します」
「えー、もったいない! まあいいや。とりあえず、今日の打ち合わせ始めよっか!」
舞は二人をソファに座らせ、自分も向かいに座った。
「神宮寺さんから話は聞いてるよね? 蓮くんを『対魔局の公式ヒーロー』としてプロデュースする計画」
「ああ。だが、俺は演技なんてできないぞ」
「大丈夫大丈夫! 蓮くんはそのままの『無愛想でクールなダークヒーロー』って感じでいけばいいから。私が上手く編集で魔法をかけるからさ!」
舞はウインクをして見せた。
「で、具体的に何をするんだ?」
「まずは、私のチャンネルで蓮くんの紹介動画を出す。そこで、蓮くんの魔法『残響』の凄さをアピールするの。もちろん、対魔局の許可は取ってあるよ」
舞はタブレットを操作し、画面を蓮に見せた。
そこには、すでに作成された動画のサムネイルが表示されていた。『【独占】対魔局の最強魔法使い・雨宮蓮に密着! 彼の魔法「残響」の秘密とは!?』という、いかにもなタイトルがつけられている。
「……仕事が早いな」
「インフルエンサーはスピードが命だからね! で、この動画を出した後、蓮くんには私の配信にゲスト出演してもらう。そこで、視聴者からの質問に答えたり、ちょっとした魔法のデモンストレーションをしたりするの」
「デモンストレーション?」
「そう! 蓮くんの『残響』で、私の『幻影』をコピーしてみてよ。絶対バズるから!」
舞の提案に、蓮は顔をしかめた。
「断る。俺の魔法は、見世物じゃない」
「えー、なんで? 減るもんじゃないでしょ?」
「減るんだよ」
蓮は低く呟いた。
「俺の魔法は、使うたびに記憶が削られる。遊びで使えるような代物じゃない」
その言葉に、舞の表情が少しだけ曇った。
「……そっか。ごめん、知らなかった」
舞は申し訳なさそうに目を伏せた。
「魔法の代償……だよね。対魔局の人たちは、みんな重い代償を背負ってるって聞いてたけど」
「お前はどうなんだ?」
蓮が尋ねると、舞は少しだけ沈黙した後、顔を上げた。
「私の代償はね……『自己認識の喪失』」
「自己認識の喪失?」
「うん。私の魔法『幻影』は、光と音を操ってリアルな幻を作り出す能力。でも、その幻を作り続けるうちに、どれが本当の自分で、どれが幻なのか分からなくなってくるの」
舞は自分の頬に触れた。
「鏡を見ても、自分の顔が他人の顔に見えることがある。自分の声が、他人の声に聞こえることがある。……いつか、本当の自分が消えちゃうんじゃないかって、時々すごく怖くなる」
その言葉には、先ほどの明るいインフルエンサーとしての顔とは違う、一人の少女としての切実な恐怖が滲んでいた。
蓮は何も言えなかった。
魔法適応社会。誰もが魔法を使えるようになったこの世界で、強い力を持つ者は皆、何らかの代償を背負って生きている。蓮の記憶の欠落、結月の感情の喪失、紗綾の身体の麻痺。そして、舞の自己認識の喪失。
「……悪かった。お前も、楽な思いをしてるわけじゃないんだな」
蓮が言うと、舞はすぐにいつもの明るい笑顔に戻った。
「あはは、気にしないで! 私が自分で選んだ道だから! それに、私の動画を見て笑顔になってくれる人がいるなら、それでいいの!」
舞の笑顔は、幻影のように儚く、しかし確かに光り輝いていた。
「じゃあ、デモンストレーションはなしで、トークだけでいこう! 蓮くんのクールな魅力を引き出すから、任せて!」
「……手加減してくれよ」
蓮はため息をつきながら、ソファに深く背中を預けた。
四
数日後。
桜井舞のチャンネルで公開された蓮の紹介動画は、瞬く間に数百万回の再生を記録した。
『雨宮蓮、マジでカッコいい!』
『残響って能力、チートだけど代償が重いんだな……』
『対魔局も大変なんだね。応援したくなった』
コメント欄は、概ね好意的な意見で埋め尽くされていた。紗綾の狙い通り、世間の目は「恐怖」から「熱狂」へと見事にシフトしたのだ。
そして今日、蓮は舞の生配信にゲスト出演することになっていた。
「はい、カメラ回ります! 3、2、1……」
スタッフの合図と共に、配信がスタートした。
「みんなー! こんばんは! 桜井舞だよー!」
舞がカメラに向かって元気に手を振る。画面の端には、リアルタイムで流れるコメントの滝が表示されている。
「今日はスペシャルゲストをお呼びしてます! 対魔局の若きエース、雨宮蓮くんです!」
カメラが蓮を映し出す。蓮は黒いコートを着たまま、無表情でカメラを見つめた。
「……どうも」
『蓮くんキターーー!』
『無愛想なとこがたまらん!』
『コート暑くないの?w』
コメントが凄まじい勢いで流れていく。
「蓮くん、今日はよろしくね! 早速だけど、視聴者からの質問に答えていこっか!」
舞がタブレットを見ながら進行していく。
「えーと、『蓮くんの好きな食べ物は何ですか?』だって!」
「……コーヒーだ。ブラックの」
「渋い! さすがダークヒーロー! じゃあ次、『休みの日は何をしてますか?』」
「……寝てるか、訓練してるかだ」
「ストイック! 結月ちゃん、蓮くんって普段からこんな感じなの?」
カメラの枠外に立っていた結月に、舞が話を振る。
「はい。彼は常に規則違反すれすれの行動をとる、問題児です」
結月の冷たい声がマイクに拾われる。
『相棒ちゃん辛辣www』
『このコンビ最高かよ』
配信は、舞の巧みなトークスキルのおかげで、予想以上に盛り上がっていた。蓮はただ無愛想に答えているだけだったが、それが逆に「クールなキャラクター」として受け入れられているようだった。
(……早く終わらないかな)
蓮が心の中でため息をついた、その時だった。
突然、スタジオの照明が全て消え、真っ暗になった。
「えっ? 停電?」
舞が戸惑う声が響く。
「……違う」
蓮は暗闇の中で目を凝らした。
彼の目には、空間を漂う「式」の光がはっきりと見えていた。それは、スタジオの配電盤をショートさせるための、雷の魔法の式だった。
「柊、警戒しろ! 敵だ!」
蓮が叫ぶと同時に、スタジオの防音扉が吹き飛ばされた。
爆風と共に、数人の黒ずくめの男たちがなだれ込んでくる。その手には、それぞれ炎や氷の魔法が灯っていた。
「対魔局の犬め……! 調子に乗りやがって!」
先頭の男が叫び、蓮に向かって炎の槍を放つ。
「『残響』――氷壁!」
蓮は咄嗟に、以前結月からコピーしていた氷の魔法を発動した。彼の目の前に分厚い氷の壁が出現し、炎の槍を防ぐ。氷が溶け、大量の水蒸気がスタジオ内に充満した。
「きゃあっ!」
舞が悲鳴を上げる。
「舞、下がってろ!」
蓮は舞を庇うように前に出た。
「雨宮隊員、右から来ます!」
結月の声と共に、別の男が風の刃を放ってきた。結月は自身の「氷結」でそれを相殺する。
「こいつら……ノクスか!」
蓮は暗闇の中で男たちの「式」を読み取る。彼らの魔法は、歌舞伎町のテロリストたちよりも洗練されていた。明らかに訓練された戦闘員だ。
「お前が雨宮蓮か。我らがノクスの邪魔をするなら、ここで死んでもらう!」
男の一人が、両手に雷の魔法を集中させる。
「やらせるか!」
蓮は男に向かって駆け出した。
(……頭が痛い。だが、ここで倒れるわけにはいかない!)
蓮は男が放った雷の「式」を読み取り、同時に自身の「残響」を発動する。
「『残響』――雷撃!」
蓮の手から放たれた青白い電流が、男の雷と激突する。凄まじい閃光と轟音がスタジオを包み込んだ。
「ぐあっ……!」
男は感電し、床に倒れ伏した。
しかし、他の男たちが次々と蓮に襲いかかる。蓮は格闘術と魔法を織り交ぜながら、必死に応戦した。結月も後方から氷の魔法で援護するが、敵の数が多すぎる。
「ちっ……キリがない!」
蓮が舌打ちをした時、背後から舞の声が響いた。
「蓮くん、目を閉じて!」
蓮は反射的に目を閉じた。
次の瞬間、スタジオ内に強烈な光と爆音が弾けた。
「うわあっ!?」
「目が……!」
男たちが悲鳴を上げ、目を押さえてうずくまる。
蓮が目を開けると、そこには無数の「蓮の幻影」が立っていた。舞の魔法「幻影」だ。光と音を操り、敵の視覚と聴覚を完全に奪ったのだ。
「今だよ、蓮くん!」
舞の叫びに、蓮は動いた。
幻影に惑わされている男たちの隙を突き、次々と手刀を叩き込んで意識を刈り取っていく。結月も氷の魔法で男たちの足を凍らせ、動きを封じた。
数分後。
スタジオ内に立っているのは、蓮と結月、そして舞だけになっていた。
「……終わったか」
蓮は荒い息を吐きながら、床に倒れた男たちを見下ろした。
「蓮くん、怪我はない!?」
舞が駆け寄ってくる。その顔は青ざめていたが、瞳には強い光が宿っていた。
「ああ、大丈夫だ。お前のおかげで助かった」
蓮が言うと、舞はほっとしたように微笑んだ。
「よかった……。私、戦うのは苦手だけど、サポートならできるから」
「十分すぎるサポートだ」
蓮は舞の頭を軽く撫でた。舞は少し驚いたような顔をした後、嬉しそうに目を細めた。
「雨宮隊員、敵の拘束を完了しました。警察と対魔局の応援を呼びます」
結月が淡々と報告する。その視線が、蓮と舞のやり取りを少しだけ冷たく見つめていたことに、蓮は気づかなかった。
五
事件から数時間後。
対魔局の取調室で、蓮は捕らえた男の一人と対峙していた。
男は椅子に縛り付けられ、虚ろな目で宙を見つめている。対魔局の特殊な自白剤を投与されているため、抵抗する気力は残っていないはずだった。
「お前たちはノクスのメンバーだな。目的は何だ?」
蓮が冷たい声で尋ねる。
「……我々は……ノクスの……剣……」
男はうわ言のように呟いた。
「ジンからの指示か?」
「……ジン様は……大いなる計画を……進めておられる……」
「大いなる計画?」
蓮は眉をひそめた。
「……世界を……あるべき姿に……戻す……。偽りの……式を……破壊し……」
男の言葉は断片的で、意味を成していなかった。しかし、その目に宿る狂信的な光は、彼らが単なるテロリストではなく、何らかの思想に憑りつかれたカルト集団であることを示していた。
「偽りの式とは何だ? 答えろ!」
蓮が男の胸ぐらを掴み上げる。
しかし、男は突然白目を剥き、口から泡を吹いて痙攣し始めた。
「なっ……おい!」
蓮は慌てて男を床に寝かせ、気道を確保しようとした。しかし、男の身体は激しく痙攣し続け、やがてピタリと動かなくなった。
「……死んだ」
蓮は男の首筋に指を当て、舌打ちをした。
「脳内の『式』が強制的に書き換えられ、脳死状態に陥ったようです」
取調室に入ってきた結月が、男の瞳孔を確認しながら言った。
「口封じか。ノクスの連中、末端のメンバーにまで自爆用の魔法を仕込んでいたのか」
「恐ろしい組織です。彼らは命を何とも思っていない」
結月の言葉に、蓮は深く頷いた。
ノクス。黒崎ジン。彼らの目的は「国家転覆」だけではないのかもしれない。もっと深く、もっと恐ろしい何かを企んでいる。
「……雨宮隊員」
結月が、少し躊躇うように口を開いた。
「先ほどのスタジオでの戦闘……あなたの代償は、大丈夫ですか?」
蓮は自分のこめかみに触れた。
戦闘中、何度も魔法をコピーし、発動した。そのたびに、頭の中に鋭い痛みが走り、記憶が削られていくのを感じた。
「……問題ない」
蓮は嘘をついた。
本当は、結衣の顔が、声が、少しずつ思い出せなくなってきている。写真を見なければ、妹の笑顔すら曖昧になりつつあった。
しかし、それを結月に言うわけにはいかない。彼女に心配をかけたくなかったし、何より、自分が壊れかけていることを認めたくなかった。
「……そうですか。ならいいですが」
結月はそれ以上追及しなかった。しかし、その目は蓮の嘘を見透かしているようだった。
六
その夜。
蓮は再び、新宿の外れにある古い喫茶店を訪れていた。
奥のテーブルには、いつものように橘凛音が座っている。彼女のノートパソコンの画面には、無数のデータが滝のように流れていた。
「遅かったね、蓮くん。スタジオの襲撃事件、ニュースになってるよ」
凛音はコーヒーを啜りながら言った。
「ああ。ノクスの連中だった。だが、口封じのために自爆しやがった」
蓮は向かいに座り、ため息をついた。
「自爆? 脳内の式を書き換える魔法か。エグいことするね」
凛音はキーボードを叩き、画面を切り替えた。
「実は、私もノクスの動きについて新しい情報を掴んだんだ」
「何だ?」
「彼ら、最近『特定の適性』を持つ人間を誘拐してるみたい」
「特定の適性?」
「うん。炎や氷みたいな物理的な干渉じゃなくて、もっと抽象的な……『空間』や『精神』に干渉する適性を持つ人間。彼らを集めて、何か大規模な実験をしようとしてる形跡がある」
凛音の言葉に、蓮は眉をひそめた。
「実験……? まさか、一年前の暴走魔法災害と同じことを……」
「その可能性は高い。一年前の災害は、ノクスが引き起こした『実験の失敗』だったんじゃないかって、私は睨んでる」
凛音は眼鏡を押し上げた。
「そして、その実験には、政府の極秘機関が関わっていた形跡がある。ノクスと政府は、裏で繋がっているんだよ」
蓮は拳を握りしめた。
妹の死は、やはり事故ではなかった。ノクスと政府の、おぞましい実験の犠牲になったのだ。
「……ジンを見つけ出す。そして、全てを吐かせる」
蓮の目に、暗い復讐の炎が宿る。
「焦らないで、蓮くん。相手は国家とテロ組織だよ。正面からぶつかっても勝ち目はない」
凛音は蓮を宥めるように言った。
「私が引き続き情報を集める。蓮くんは、対魔局の中で動ける範囲で動いて。……それと」
凛音は少しだけ真剣な顔になった。
「代償の進行、大丈夫? 最近、無理しすぎじゃない?」
「……お前まで結月と同じことを言うのか」
「結月ちゃん? ああ、あの氷のお姫様か。彼女も心配してるんだね」
凛音は薄く笑った。
「蓮くんの『残響』は、使えば使うほど記憶を失う。復讐を果たす前に、復讐する理由すら忘れちゃったら、意味がないでしょ?」
その言葉は、蓮の胸に深く突き刺さった。
妹の死の真相を暴くために戦っているのに、妹の記憶を失っていく。これほどの矛盾があるだろうか。
「……分かってる。気をつける」
蓮は短く答え、立ち上がった。
「頼むぞ、凛音。何か分かったらすぐに連絡してくれ」
「了解。気をつけてね、蓮くん」
喫茶店を出ると、夜の冷たい風が蓮の頬を撫でた。
空には、相変わらず「式」が浮かんでいる。青白く輝くその光は、まるで世界を監視する巨大な目のようだった。
(俺は忘れない。結衣のことだけは、絶対に)
蓮はポケットの中の写真を強く握りしめ、夜の街へと歩き出した。
彼の戦いは、まだ始まったばかりだ。そして、その先には、さらに過酷な運命が待ち受けていることを、彼はまだ知らなかった。
【第2章終了】
【第2章登場魔法・用語解説】
「幻影」:桜井舞の魔法。光と音を操り、リアルな幻を作り出す。戦闘力は低いが、陽動や情報操作において絶大な効果を発揮する。代償として、使い続けると「自己認識の喪失」を引き起こし、自分の本当の顔や声が分からなくなっていく。
「魔法インフルエンサー」:魔法を使ったパフォーマンスをSNSや動画サイトで配信し、人気を集める者たちの総称。政府の許可を得て活動している者が多いが、中には違法な配信を行う者もいる。
「脳内の式の書き換え」:ノクスが末端メンバーに施していた自爆用の魔法。特定の条件(捕縛される、情報を漏らそうとするなど)を満たすと発動し、脳内の式を破壊して脳死状態に陥らせる。極めて高度で残酷な魔法技術。
ここまで読んでくれてありがとうございました!
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