episode:浪速ゆたか
あ、こんにちは。葛西さん……ですかね。僕、斎藤くんの同僚の浪速ゆたかです。
えー、本屋の『やまなか堂』って知ってますか? ああ、そうです。ひらがなのやまなかに、お堂の堂で。
駅前にあるあの大きい本屋です。
イントネーションがちょっと? 祖父が関西の出なんで、そのせいかな。すみません、こっちに出てから結構直ったと思ってたんですけど。やっぱり分かりますか?
あー、握手は……僕ちょっと多汗症なんで、掌に結構汗かくんですよね。本屋だと致命的ですよね。
あ、そうそう斎藤くんのこと……あー、珈琲駄目なんです、僕。
紅茶頂いてもいいですか?
ありがとうございます。
すいません! ホットのアールグレイティーを、あー、……どうしようかな。じゃあ、ミルクで。あ、いや、すみません、やっぱりレモンでお願いします。
レモンってポーションですか? 輪切り……良かったです、じゃあそれで。
それだけで大丈夫です、よろしくお願いします。
それで、斎藤くんのことですよね。
彼は大体土日と祝日だけシフト入ってましたね。搬入がある八時から一七時までいてくれるんで助かるって店長が言ってました。僕らも、結構斎藤くんのこと頼りにしてるんですよね。
特に、土日って棚の配置換えとか、本の入れ替えとかが結構あって、人手がすごく欲しいんですよ。祝日の駅前の本屋なんてすごい人だから、猫の手も借りたいくらいで。
斎藤くんは、レジが早いんですよね。読み込めないバーコードを打ち込むのも早くて、すごく助かるんですよ。
あ、あとレジ誤差は絶対出さなかったですね。僕は結構出しちゃって、斎藤くんに泣き付いたことも結構ありました。
あー……数回クレームは来たことありしたね。髪が脂っぽくて不潔っぽいとか。でも、斎藤くんって洗剤のいい匂いがするんですよ。一回何使ってるのか聞いたら、ただのアタックだって言ってましたけど。
ありがとうございます、ホットの紅茶って地味に届くまで遅いですよね。ここの紅茶、ポットで届くの嬉しいです。
あっ、でもレモンが一枚だけだ。
いえ、別にそこまでレモンが重要なわけじゃなくて、ただポットだと二回分入ってるじゃないですか、それでレモンが一枚だと、少し損をした気になるんですよね。
すみません、いただきます。
……あちっ。僕、ホットの紅茶好きなんですけど、結構猫舌なんですよ。昔、猫舌は舌が先に迎えにいくから熱いって聞いた事があるんですけど、むしろ舌で迎えにいかなかったらどうするんでしょうね。
口の中、大火傷じゃないですか。
あ、それで斎藤くんですね。すみません、何度も話が逸れちゃって。
でも、斎藤くんのことって言っても、週に一度か二度、会うか会わないかくらいなので。
斎藤くんって、すごく不思議な人でしたね。飲み会ってなると、うちの本屋はみんな結構喜ぶんですよ、店長の奢りでご飯食べれるんで。でも、斎藤くんって一度も来なかったんですよね。
でも寡黙とか、人付き合いが嫌いなわけじゃなくて、話しかけたら普通に話してくれるし、映画の話も付き合ってくれたりしましたね。
あ、そうなんです。僕、映画大好きで。映画館にも行くんですけど、なによりもTSUTAYAとかGEOで借りたり、Netflixで観たりしてるんですよ。
どの映画の話を振っても返してくれるんで、相当な映画好きだと思いますよ。なんなら、同僚たちの間でゾンビ映画とサメ映画で分からないものがあったら斎藤くんに聞けってくらいでしたから。
知ってます? 世界で最も遅いゾンビチェイスって映画。これ、『ロンドンゾンビ紀行』って映画なんですけど、同僚も先輩も巻き込んでみんなでうんうん言ってたら、斎藤くんが横から「それ、ロンドンゾンビ紀行です」って言ってくれたんですよ。
知ってることなんて世界で最も遅いゾンビチェイスってことだけですよ! すごいですよね。
TSUTAYAで働かないのかって聞いたら、本屋の方が好きって言ってたんですよね。
そうそう、僕、次の土日休みを入れてるんで、斎藤くんに早く戻ってきてもらわないと困るんですよね。葛西さん、どこにいるか知ってます?
知らないですよねー。どこか行くなら、せめて職場のLINEに残して欲しかったですよ。
うーん、斎藤くんと友達かって言われたら、友達では無いと思います。ただの同僚かな。
別に、映画の話をしてもどこか出かけたわけじゃないし、斎藤くんの下の名前も知らないし、住んでるところとか、家族構成とか、どこの大学行ってるかも知らないんですよね。
なんか、講義があるからって言ってたから大学生らしいっていうのは知ってるくらいで。
なんなら、電車通勤なのか自転車通勤なのかすらも知らないですよ。斎藤くん、勤務時間終わったらすぐ帰るんで。
僕たち、社割で本を安く買えるから結構勤務時間後に買ったりするんですけど、そういうのも無かったな。
すみません、僕が知ってるの本当にこれくらいで。
電話が入ったので失礼します。
紅茶、ご馳走様でした。




