理
また三日が過ぎてもスカラは来なかった。
ギルスレイドは地中から様子を窺いに行こうかと考えたものの、迷った末にやめた。
不用意に近付いて魔力持ちに存在を悟られれば面倒事が増える。その前にもう少しの間待ちたかった。
龍の眼を持っていても、当然ながら眼前にいないものの気持ちを見透かすことはできない。また来ると言ったスカラの言葉は心からのものだったとしても、その心の変化までは伝わらない。
その望みを集落に受け入れられたことで自分と会う必要がなくなった可能性もある。ならば自分は姿を見せない方がいい。
そう思い棲処に留まり、どこかもどかしい時間を過ごすギルスレイド。
変化は更に五日後の真夜中に訪れた。
地上に出るなりの寒風にギルスレイドは僅かに身を竦ませた。一瞬怪訝そうに眉を寄せたものの、それでもすぐにディアの姿となり、よろめきながら走るスカラの姿を確かめてから前に出る。
「スカラ!」
声をかけてから、ディアはスカラの様子もおかしいことに気付いた。
龍とは違い人は夜目など利かぬというのに灯りも持たず、足場の悪い山道を走って転んだのか、身体のあちこちが土で汚れている。
突然木陰から飛び出した影に怯えきった顔で身を震わせたスカラは、その影がディアだと認めるとほっと息をついてその場に崩折れた。
駆け寄るディアに、スカラが手を伸ばす。
その手首には、人の目には夜闇に紛れただろう赤紫の痣が細くついているのが見えた。
「ディア……」
「何があった?」
屈んでその手を取り、問う。
見上げる瞳に涙を浮かべ、スカラはもう片方の手も添えた。
「逃げてきたの」
集落に戻って皆を説得しようとしたが受け入れられず、また監禁された。見かねた義姉がこっそり逃がしてくれたのだという。
ディアの手を包み込むスカラの両手にぎゅっと力が込められる。
「お願い、ディア。あなたが人じゃなくてもいい。あなたと一緒にいさせて」
まっすぐに見つめる瞳には畏れも戸惑いもなかった。
何も言えず、ディアはスカラを見下ろしていた。
伝わる覚悟は取り繕ったものではない。しかしだからといって頷くことはできなかった。
確かに自分はスカラのことを好ましく思っているのだろうし、龍の眼からしてもこちらに害をなすような者ではないといえる。
だが、彼女は『人』である。
『龍』である自分の理の内には入ることのないものなのだ。
ひと言無理だと断ればいいだけなのかもしれない。
人に対する経験が浅い自分には、これでいいのかはわからない。
それでも、示さぬまま拒絶することはできなかった。
闇の中、ディアの双眸が金に煌めく。
「……人ではないならなんだと思っているんだ?」
「聞かないようにしていたもの、わからないわ」
初日は身動ぎした龍の眼差しに、スカラは微塵も動じなかった。
「でも、ディアはディアよね」
「これでも、か?」
スカラから離れたディアの手がゆらりと輪郭を崩す。人の形から膨れ上がりながら、金の鱗に覆われた龍の姿へと変化した。
木々越しの夜空から零れる光を纏う黄金龍。本来の姿を曝け出したギルスレイドに、橙の瞳が瞠られる。
凝視したまま悲鳴どころか声ひとつ洩らさないスカラへと、ギルスレイドはゆっくり頭を近付けた。
「人の幸せは人の傍にしかないだろう。集落を出たところで生きてはいけまい」
言い聞かせるように低く声を響かせるギルスレイド。
動かぬままのスカラからは、大きな感情の揺れは伝わってこなかった。
怯えた様子はないものの黙り込んだままのスカラ。
予想以上に静かなその反応に、どうしたものかとギルスレイドは考える。
怖がって逃げてくれたなら彼女も人の理に戻れただろう。人ではない自分に救いを求めるのではなく、いるべき理の中で己の望みに向かって足掻けるだろう。
もしくは彼女の望まぬ未来とはいえ、自分の鱗ひとつでも渡して龍の庇護下にあるとでも言い触れることで、集落に戻っても時が来るまで身を守ることができるかもしれない。
たとえどんなに納得できないことがあるとしても、彼女が人として生きるには集落に戻るしかない。
しかしそう考える一方で、怯えられなかったことへの安堵を覚える自分もいた。
彼女がこれ以上辛い思いをするのは嫌だと感じる。
己にできることがあるならばしてやりたいと思う気持ちもある。
その手を取りたいという思いも、また――。
(……馬鹿なことを)
相反する己の心情を持て余しながらも、やはり退くべきだと結論づける。
ここから連れ出したところでスカラに生き長らえる未来はない。
人は群れてこそ生きられるものであるのだから――。
「勝手に決めないで」
唐突に強い口調で言い放たれた言葉に、離れようとしていたギルスレイドは動きを止めた。
「……何を」
小さな呟きを、橙の瞳が真っ向から睨みつける。
「私の幸せがどこにあるかを勝手に決めないで」
きっぱりと言い切り、スカラはギルスレイドに手を伸ばした。恐れることなく口元に触れられ、ギルスレイドの方が頭を引く。
引かれた分だけ更に伸ばし、スカラは再度ギルスレイドに触れた。
「お願い。私はディアといる方が幸せなの」
ぶつけられるのは心からの願い。真摯な声に一度ためらい、それでもギルスレイドは否を口にする。
「……龍は……俺は魔物だ。人のようには生きられない」
「当たり前でしょう?」
龍の理と人の理、確実に在るその差すらなんでもないことのようにスカラは微笑んだ。
「ディアはディアだもの」
龍としてのその在り方ごと受け入れるような言葉に。
頷けないまま、ギルスレイドはそうではないと唸る。
「生き方も、生きる時間も、何もかも違う」
「そうね」
スカラの手がするりとギルスレイドの鱗を撫でた。
「ディアはディアとして生きて。私は私として生きて。結果としてすぐに一緒にいられなくなっても、少しの間でもいいの」
身動きできないままのギルスレイドに一歩近付き、その体に頬を寄せる。
「それでも、私はディアといたい」
何かを吹っ切ったようなその声音の奥に滲む後悔と切望。よぎる翳りは今までのものとはまた異なる暗さも含んでいたが。
それでも向けられるのは、誇張も偽りもない純然たる好意だった。
「ディアは私が嫌い?」
「いや……」
「一緒になんていたくない?」
「そんなことはない」
見上げるスカラがくすりと笑う。
「なら、いいじゃない。ディアが嫌になるまででいいから。あなたの時間のほんの少しだけ、私も一緒に過ごさせて」






