人の現状
それからスカラは数日に一度山を登ってくるようになった。
ギルスレイドは決して集落には近寄らなかったが、スカラが向かってきていることに気付くと迎えに行った。
そのうち自然と集落から少し離れた山中の開けた場所で落ち合うようになったふたり。倒木に並んで腰掛け、スカラの話を聞くのが常だった。
旅の途中で両親を失いひとりになってしまったこと。同じように親を亡くした歳上の女と姉妹のように過ごしてきたこと。子を孕む彼女を心配していること。
スカラはそんな己の境遇や、集落での暮らしについて話した。
「ディアだっておかしいって思うでしょ?」
四十人ほどの集落を纏める長と呼ばれる者がいるが名ばかりで、実際は魔力を持つ数人が幅を利かせているという。
「確かに便利かもしれないけど、使わなくったって生きていけるじゃない。なのにどうしてあんなに特別扱いしなきゃならないの?」
「特別だと思っているからだろう」
「そんなのあの人たちが勝手に思ってるだけじゃない!」
不服そうに声をあげてから、声を荒らげてしまったことに気付いて頬を赤く染めた。
暫く恥ずかしそうにうつむいていたが、そのうちちらりとディアを見る。目が合うとまた前を向き、だって、と零した。
「ちょっと火をつけたり風を起こしたりできるだけなのに威張りくさってバカみたい。それが普通だって思ってる皆もおかしい」
吐露されるのは、おそらく集落の誰にも明かすことができない本心なのだろう。
「もういっそ誰も使えなくなっちゃえばいいのに」
息が詰まりそうと呟いたあの時を思い起こさせる、低く抑揚のない声音。
ディアには何も言えることはなく、吐息とともに瞳を伏せるスカラを見つめることしかできなかった。
スカラとの逢瀬は続いた。
スカラは宣言通り、意見を求めることはあってもディア自身のことは何も尋ねなかった。
積み重なるのはただ隣に座り話すだけの日々。そして、それを楽しいと思う心情。
こちらの正体も知らぬ人相手にとの自嘲と理由なく抱く好意への戸惑いを覚え、棲処よりも寒い地上へ出ることが億劫だと思う一方で、それでもなぜか足は向いた。
明るく元気な姿を見ると安堵する反面、時折見せる沈んだ様相に憂慮する。
スカラがその顔を見せるのは、決まって集落のことについて語る時だった。
スカラの話では、集落に魔力持ちは四人いるという。
――ギルスレイドはあまり人と関わってはこなかったが、それでも全く人を知らぬ訳ではない。
その記憶の中では、人は皆僅かながら魔力を感知し使っていた。自然のほんの一部をささやかに動かし、大きな魔力を感じ取ることで魔物を避け、時には捕らえ生きていた。
それが今では、だ。
おそらく集落にいる魔力持ちはかつて以上にごく僅かな魔力しか使うことができないのだろう。だからこそ山頂に棲む龍に気付かず、スカラたち住民にも近付くなと注意喚起ができなかった。それどころかディアが集落近くまで下りても気取った様子はないままで。
それでも持たぬ者からすると得難いものではあり、だからこそこうして不服を述べるスカラは浮いた存在となる。
話せば話すほどに露わになっていく、スカラの行き場のない葛藤。
誰かに聞いてもらえるだけでも嬉しいと微笑むその瞳に、いつまでも消えない翳りがあることは知っていても。
それをどうにかできるすべは、ディアには思いつかなかった。
顔を合わせ、話をする。
ただそれだけの穏やかな時間。
スカラは次第に集落について語ることが減り、単にディアとともに過ごす時間を楽しんでいるように見えた。
目の前の変わりゆく景色やかつて見た風景を、その時の思いとともに語る。
時にはディアが麓よりも実りの遅い山頂から木の実を持ち寄り、並んで食べることもあった。
増す寒さは人よりも骨身に沁みるが、耐えられるうちはと思う程度には、ギルスレイドもこの逢瀬を楽しみにしていた。
――しかし、そんな日々も長くは続かない。
それまで三日と空けずに来ていたスカラが、五日経っても登ってこなくなった。
最初に覚えたのは少しの寂しさとこれでいいのだという諦めに似た安堵。
龍と人との逢瀬など、もとよりおかしな状況であるのだ。それが普通に戻っただけのこと。
そう思い棲処に籠り、今更ではあるが自分も東に移動しようかと思っていた七日目。
こちらへ向かってくるスカラの気配に、ギルスレイドは慌てて山を下りた。
スカラはいつもの場所よりも上まで登ってきていた。
「ディア」
ディアの姿を見つけたスカラはほっとしたように名を呟く。
七日振りのその顔に、ディアは驚き目を瞠った。
「よかった、まだ来てくれたのね」
「スカラ、怪我を……?」
左の唇の端が切れ、血が滲むように赤い。
そっと指先で隠し、スカラが困ったように微笑んだ。
「大丈夫。恥ずかしいからあまり見ないでね」
「何があった?」
「話すほどのことじゃないわ」
伝わる気持ちは嘘ではない。しかしどこか濁りを含む。
「スカラ」
意図せず表立つギルスレイドとしての強い声に、びくりとスカラが身を震わせた。
「何があった?」
一度目と同じ言葉ではあるが、その重さは比べるまでもなく。
青ざめたスカラが胸の前で手を握り合わせる。
ディアは無意識に伸ばしかけた手を一度止めたものの、惑いを振り切り肩へと触れた。
再び身動いだスカラがゆっくりと顔を上げる。不安と迷いに揺れるその瞳を見据えたディアは、最早ためらわず言葉を継いだ。
「話してくれ」
滲む心配は龍でなくとも気取ることができたのだろう。
呆然と見返す陽だまり色の瞳から、はらりと涙が零れ落ちた。
泣き出したスカラを宥めて座らせたディアは、その真向かいに膝を着いた。
覗き込む金の瞳にやがて落ち着きを取り戻したスカラが、啜り上げながらぽつぽつと話し始める。
「……私にも……子どもを産めと言うの」
「番になるということか」
「違うわ。子どもを産むだけ」
ディアから視線を逸らしたスカラは嘲るように口元を歪めた。
「魔力を持つ子を……」
「魔力持ちを?」
「そう。あの三人には奥さんも子どももいるわ。でも魔力のある子どもがいるのは一組だけ」
目に見えて先細る現状に焦った長たちは、どうにか子を残そうと考えたのだろう。妻以外の女の腹にも子を宿せばいいと言い出した。
「親のいない私たちは都合がよかったのよ」
スカラの義姉が孕むのも、そんな三人のうちのひとりとの子。スカラは残るひとりと子を作れと言われたという。
嫌だと言うと、頭を冷やせと閉じ込められた。毎日続けられる説得の隙をついてようやく抜け出してきたと彼女は告げる。
「もし魔力を持つ子が生まれたら扱いもよくなるからって言われたけど、私はああなりたくないし、あんな人の子もああなる子も産みたくない」
苦々しく落ちる呟きを受け止める方法など、人ではないギルスレイドが知るはずもなく。
ふたりの間に満ちる静寂に、スカラはふっと息をついた。
「……ありがとう。ディアに話してたら、自分がどうしたいのかよくわかったわ」
顔を上げたスカラがにこりと微笑む。
「やっぱり嫌だって、皆にもちゃんと言うわ」
翳りは笑みにも残っていたが、その声音はまだ前を向いていた。
何も言うことができなかったディアに、それでもスカラは礼を言って集落に戻っていった。
またすぐに来るわ、と微笑んで――。
ギルスレイドは棲処に戻ってからずっと、次にスカラと会った時にかけるべき言葉を探していた。
しかし龍である自分に、片割れでもない人の気持ちなどわからない。
それならばスカラ本人に尋ねればいいのだと思い至った頃には、もう三日が過ぎていた。
来たら尋ねよう。そしてもし自分にできることがあれば、と。そう思うものの。
次の日も、また次の日も。
スカラは一向に姿を見せなかった。






