邂逅
葉を落とし枯れゆく大木と今まさに伸び上がる若木の混ざる山中。枯れ葉混じりの地面がのそりと盛り上がり、滑り落ちるはずの土は見る間に滑らかな光沢の鱗へと変わる。
差し込むのは早朝の薄日だというのに、返るのは昼の日を思わせる眩い光。
頭をもたげた黄金の龍は、近寄る気配に空を仰ぎ見た。
ざわりと風が抜け、周囲の枯れ葉が枝ごと落ちる。頭上から降るそれを鬱陶しそうに振り落とした黄金龍は、通り過ぎた風を振り返った。
「来るなら来るで、もう少し静かに来てくれ」
呆れた声音で呟く黄金龍の背後に、すうっと白い輪郭が浮かび上がる。幹の間を縫うように収められた長い体が朝日に銀色に輝いた。
「仕方ないだろう。木が枯れてるからで、俺のせいじゃない」
悪びれず答えた風龍は、それより、と続ける。
「俺ももう東に移ることにする」
年々気温が下がり続けていることはもちろんギルスレイドも気付いていた。この先まだ気温が下がる時期だというのに、既に土の外の空気は冷たさを孕む。
「そうか」
「ついでに例の泉とやらも覗いてこようと思ってな」
「あれか。皆面白がっていたな」
ここから東の山中に治癒の泉があるという。
見つけた龍たちが伝えてきたものの、そうそう傷を負うことなどないので使うことはまずない。一部の好奇心旺盛なものたちが、時々見に行っているらしい。
「どうだ? 一緒に来ないか?」
この付近に居るのは風龍と自分だけで、ほかの龍たちは既に暖かな東へと移っている。
暫し思案し、ギルスレイドは首を振った。
「俺はもう少し残ることにするよ」
土の中はまだ暖かいし、地龍である自分は地中を移動できるので、空を行く風龍よりは気温の影響が少ない。
風龍もそれ以上誘うことはせず、ただわかったと頷いた。
「西の方が騒がしくなってきた。こっちがこれだけ寒くなったんだ、生き物がまた移動してきているんだろう」
言い切る様子からすると、上空から見渡しただけではなく実際に見てきてくれたのかもしれない。
「お前は目立つんだから。気をつけるようにな」
銀色の眼に僅かに覗く懸念に、人もこちらへ向かっているのだと知る。
「ああ。ありがとう」
礼を言っても心配が晴れた様子はなかったが、またなと言い残し風龍は風に紛れた。
再び静寂が訪れた。ギルスレイドは地中に戻り、風龍の話を今一度考える。
残るとは言ったものの、おそらくすぐに自分も移動することになるだろう。
(見つかると面倒だからな……)
人の中には龍の魂を持つという龍の愛子や互いに絆を結べるという片割れがいるというが、この千年の間に出会ったことはない。以前の棲処では人が近付くこともあったが、何も特別なものなど感じなかった。
黄金龍であるギルスレイド。稀有なその輝きに、姿を目にした多くの者は畏敬の念を、そして時折欲心を抱く者もいたが。どちらにしても平穏を乱され、ギルスレイドにとっては煩わしいものでしかなかった。
その煩わしさから逃れるためにやってきた今の棲処は山頂近く。そうそう近付くものもいないだろう。
それにしても、随分急に気候も変わったものだと独りごちる。
――レストア大陸の気温は年々少しずつ下がり始めている。
大陸全土に散らばっていた龍は、長距離移動ができることもあり、比較的早い段階で暖かな南東へと向かい始めた。
動物や小型の魔物はその地に適応するものと、本能的に生き延びることができる方角へと移動するものに分かれた。
内陸に住んでいた人は、衣服を纏い火を熾して寒さに耐えしのぎそこに留まっていた。しかし東へ流れてきたということは、居続けられない何かがあったのだろう。
交わらずに済むことを願いながら、ギルスレイドは眼を閉じた。
それから暫くで西から移動してきた生き物たちが、ギルスレイドの棲処からある程度の距離を保って住み始めた。
幾分気温が下がった頃には人も辿り着き、予想よりも中腹寄りに腰を落ち着けたようだった。
とはいえここまではそれなりに距離もある。わざわざ登ってくることなどないだろうと思っていたギルスレイドは、ある日聞こえた枝を踏む音に思わず溜息をついた。
(……まさかここまで入ってくるとはな)
ためらうような足音が棲処へと向かってきている。悪意がない分気配に気付かず、ここまでの侵入を許してしまったようだ。
大方迷い込んだだけ、放っておいたらすぐに下りていくだろう。そう思い静観するものの、足音の主は棲処の周囲をウロウロと歩き回っている。ようやく離れていったかと思えば、また暫くで戻ってくる始末。
一度認識してしまうと近くをウロウロされているのが煩わしく。仕方なくギルスレイドは棲処から少し離れた場所から地上に出て、鮮やかな金の髪と瞳の二十歳前後の男の姿を取った。
獣道すらない山中で立ち止まり、確かめるように辺りを見回している迷い人の背後に回る。身体に見合わぬ大きな籠を背負うのは、濃い茶色の髪をひとつに結った娘。小柄な身体つきもあってか、大人というには幼く見える。
覚えた感覚に無意識に眉を寄せてから、ギルスレイドは娘に声をかけた。
「こんなところで何をしている」
「ひっ」
短い悲鳴を上げて娘が飛び退き振り返る。橙色の瞳が大きく瞠られ、開いたままの唇からはそれ以上の悲鳴は洩れずに惚けたように固まった。
暖かな陽だまりのような瞳にまっすぐに見据えられ、ギルスレイドは居心地悪そうに息をつく。
目の娘は何やら企んでここへ来たわけではないという、根拠のない、しかし抗い難い信用が生まれていた。
不可解な己の心情に疑問を持ちつつも、表には出さずに再度口を開く。
「で、どうした?」
「あっ、ご、ごめんなさい」
我に返った娘が頬を染めて頭を下げた。
「採るのに夢中で帰り道がわからなくなってしまって」
娘の言葉に嘘はない。龍の眼からしてそれは事実であるのだが、加えてなんの疑心もなくその存在を受け入れていいのだという安心感に似たものを感じる。
(……片割れではない、だろうが……)
今までに出逢ったことはないが、片割れはすぐにわかるらしい。となると、おそらくこのような曖昧な感覚ではないのだろう。
己の気持ちの出どころに内心首をかしげながら、ギルスレイドは改めて娘を見返した。
「集落の者か?」
「え、ええ。あなたは見ない顔だけど――」
「詮索は無用だ。集落まで案内する」
短く言い切って歩き出すと、待って、と慌てた声と足音が追いかけてきた。
足を止めて振り返ったギルスレイドの前に、目の前まで距離を詰めていた娘がすっと右手を差し出す。
小さく華奢な、そして草木で切ったのだろう傷が見える手。
出された手の意味はギルスレイドもわかってはいたが、経験したことはない。いざ目前にするとどうすればいいのかわからずためらってしまい、その手を取れなかった。
「ありがとう。私はスカラ。あなたは?」
つい先程怯えた声を上げていたというのに、最早影も形もない。
柔らかく微笑むその顔と反応を待つ手を見比べてから、ギルスレイドはぽつりと呟く。
「……ディア」
「ディアね」
中途半端な位置で止まっていたギルスレイド――ディアの手を両手で迎えにいったスカラは、その手をぎゅっと握った。






