その花の名は
翌朝、リーは緊張を顔に貼りつけて組織の敷地内を歩いていた。
向かうのはラミエの家。
一緒にバドックへも泊まりがけで行っているというのに、何をそんなに緊張しているのかとアーキスには笑われたが。
あの日と違い、今日は自分たちふたりだけ。そして自分は色恋沙汰が得手ではない。
ふたりきりでの長時間は嬉しい反面、飽きさせたりつまらない思いをさせないだろうかと不安になるのだ。
いつも寂しい思いをさせている分、今日は楽しんでもらえたら。
家の前で気合を入れなおして臨んだリーを迎えたのは、ラミエの母ミルフェだった。
「ちゃんと暗くなる前に送り届けますので」
姿は見えないが、セインに少しでも心配をかけないようにと思いそう告げると、うふふと華やかな笑みを向けられる。
「ありがとう。よければ夕飯はうちで食べていってくださいね」
「へっ?」
「ごめんね、リー。おまたせ!」
零れた間抜けな声をごまかす間もなく、ラミエが奥から駆け出してきた。
リーがラミエの少し大きめの荷を預かり、ふたり並んで歩きだす。
「そうなの。母さん張り切っちゃって」
同行員の訓練を始めてからは基本動きやすい服装をしていたラミエだが、今日は淡い水色のワンピース姿。髪も半分は下ろされ、残りはいつもの金細工の髪留めで纏められている。
普段は見ないその装いが眩しくて。惚けて見ていた己に気付き、リーは慌てて視線を逸らした。
「リーさえいいなら帰りに寄ってね」
「あっ、ああ」
慌てた返事に怪訝そうな顔をするラミエ。
「リー?」
覗き込まれる気配にちらりと見やると、どこか不安気な瞳と目が合った。
「……ごめん。ちょっと緊張してる」
理由はとんでもなく情けないのでごまかしたいが、ラミエを不安にさせるなら話は別。
正直に白状すると、足を止めたラミエの表情が更に曇った。
「夕食、無理に来なくても――」
「違う。そっちじゃなくてっ」
もちろんそちらも緊張はしているが、嫌でも断るつもりもない。
「こういうの初めてだから楽しんでもらえるか心配なのと、あと、ラミエ、今日いつもと格好が違うから……」
見惚れていたとは言えず口籠るものの。
「おかしい、かな……」
「そうじゃなくて! かわいいって思って――」
結局はすべて暴露することになり、赤面してあさってを向くことになる。
きょとんとリーを見返してから、ラミエもまた頬を染めた。
「……ありがとう」
すっと伸ばされた指が、袖ではなく手に触れる。
「リーと一緒だったらどこでも嬉しいよ」
「そっか」
そっぽを向いたままその手を握り込み、リーはゆっくり歩き出した。
家々の間を抜け、店舗地区を通り過ぎた先、蔦の這う小さな門と柵が現れる。
門の奥にはきれいに整えられた小道が続き、両側には草花が行儀よく植えられているのが見えていた。
「こんなとこあったんだな」
門に掲げられた『第五研究所薬草園分園』の文字を見上げ、リーが呟く。
「花を咲かせる薬草を、こうして中の住人が見に来れるようにしてくれてるの」
薬品の研究をしている第五研究所、こうして薬草を育てる技術も持っているのだろう。
入口で所属証を見せて中へと入る。利用できるのは組織員とユシェイグ内の居住区に住む家族たちのみだ。
娯楽の少ない場所なので、こうした配慮がされているのかもしれない。
「結構広いんだな」
視界の先、分離と合流を繰り返しながら小道は奥へと続く。その間の広々とした畑には、名の書かれた立て札を先頭に小さな白い花が揺れていた。
次の区画にはまた別の橙色の花が咲き、別の場所にはまだ葉だけのものもある。
近くに住む人たちだろうか、散歩を楽しむように小道を歩く者もいた。
「一般的な薬草は大体ここで育ててるから。葉を摘む種類は分所の奥で育ててるんだって」
「そっか、第五の分所もこの辺だったな」
「うん。奥に建物があるよ」
事務員らしくスラスラと答えるラミエ。
「ここで作る薬だけで、ユシェイグ内で使う分はだいたい賄えてるかな」
薬や食料のみならず、住居に仕事まで。望めばユシェイグから出ずとも暮らせるだけの設備が揃っている、その理由はおそらく。
「……第三の人たちから色々話を聞いたんだけど。第五もそうなのかな」
何が『そう』なのか。明言を避けたリーの問いに満たない呟きに、そうだねとラミエが頷く。
薬草園を見渡すように眼差しを上げ、穏やかに微笑んだ。
「皆がいないと、もうここの生活は成り立たないよ」
畑に並ぶ色も形も大きさも様々な花々。調合師でなくても使える薬草ばかりなので見知った名が多いものの、その佇まいまでは知らず。どこか新鮮な気持ちで見回ることができた。
何かをするというよりは、ただ草花を眺めながら歩き、お喋りをする。
いつもの帰り道のようでも、すぐ目の前に終わりのない時間は気持ちのゆとりと緩みをもたらして。話題自体は他愛のないことだが、自然にもう一歩を踏み込むことができた。
薬草からアーキスの話へ、そこからソリングに立ち寄った時の話になり、見守られる気持ちになったことを話したリー。
ラミエはハーフエルフの話から、自身の葛藤を話してくれた。
絆す生き物であるエルフ。
請負人組織に勤めたために多くの人と対峙することとなったラミエの、人を絆すものである苦悩。
以前何もできなかったと落ち込む自分を励ましてくれた時、『普通にしてくれるのが嬉しい』と言ったラミエ。あの時の言葉の意味がようやくわかった。
ラミエもまた、彼と同じように絆すものであることに悩んでいた。そのうえで、自分に出逢えてよかったと、彼の代わりにそう言ってくれたのだ。
あの頃は龍の愛子が絆されない者だと知らなかったとはいえ、慰めるための少し大袈裟な言葉だと思っていた己が不甲斐ない。
足を止めて見つめるリーに、ラミエは恥ずかしそうに微笑む。
「お昼作ってきたから、向こうの広場で食べよう」
「え? 作って??」
思わず預かったままの荷に目をやるリーの手を引っ張って、ラミエが歩きだした。
広場には小道が集束し、中央の小さな池からは枝分かれした細い水路が二本流れ出ていた。
木陰ができるようにという配慮だろうか、それともこれも薬草として育てられているのか、蔦の這う木とベンチが等間隔に並んでいる。
日陰になっているベンチに並んで座ると、ラミエはリーに預けていた荷から紙包みを取り出した。
「簡単なものでごめんね」
そう言い手渡された中身はサンドイッチ。簡単なものと言われたが、どうやらすべて中身が違う。
「……これで簡単、なんだ……?」
「挟んだだけだから。そんなに見てないで食べて」
くすくす笑うラミエに礼を言い、いただきますと食べ始める。
しっかりと具が挟まれたサンドイッチは、自分の腹に合わせてくれたのだろう。
「うん。美味い。確かに前のスープも美味かったもんな」
「覚えてくれてたの?」
「当たり前だろ」
嬉しそうなラミエに即答する。
シングラリアの調査に付き合い食堂が閉まるまでに戻れなかった自分とフェイのために、ラミエが宿に食事を届けてくれていたことがあった。
慣れない高所に疲れきった身体にも心にも、あの温かさが本当に嬉しかった。
「あん時ってまだ話すようになったばっかりだったのに――」
「私はリーのこと知ってたよ」
遮る声にリーが動きを止める。
ゆっくり隣へ視線を向けると、ラミエはまっすぐに自分を見つめていた。
「リーが養成所に入る前から知ってる」
初めて紫三番に到着した日。食堂で酒を出すのをためらったラミエに、自分は成人しているからとぼやいたらしい。
リー自身にとってはよくある状況であるがゆえ、正直覚えていなかった。
素直に謝ると、だろうね、とラミエが笑う。
「請負人になってからも、リーは私のこと全然覚えてくれなかったしね」
「いや、その、きれいな子がいるなとは思ってたけど……」
慌てるリーに、責めてるんじゃないの、と首を振るラミエ。
「リーはいつだって誰にだって同じだったから。最初はエルフじゃなくて私として接してもらえてるのが嬉しくて。でもそのうち、エルフとしてでもいいから私を見てほしくて」
微笑むラミエに葛藤は見えず、纏う空気はいつも以上に凛として。
その苦悩を乗り越えたからこその佇まいに、リーは改めてラミエの言葉を思い出して拳を握りしめる。
(……俺、全然わかってなかったんだな)
『普通にしてくれるだけで嬉しかった』
『その子として接してもらえるだけで嬉しかった』
あの日ラミエが自分に告げた言葉には、既に六年もの時間を経ての想いが込められていたのだ。
向けられた気持ちを喜ぶにはあまりにも自分が情けなく。何かに耐えるように力が込められるリーの拳に、ラミエはそっと手を伸ばす。
「……ずっとリーを見てたから。やっと話せるようになれて、ほんとに嬉しかった」
触れられた手から伝わるぬくもりと。
「それに、今はこうして一緒にいられて幸せだよ」
耳朶を打つはにかむような甘い響き。
次第に緩む拳の隙間に満ちる愛しさに、リーは人目も憚らずラミエを引き寄せ抱きしめた。
「気付かなくてごめん……」
リーにしては珍しい強めの抱擁に、ラミエが宥めるように背に手を添える。
「私に気付かないリーだから、私が気付けたんだよ」
気付かせてくれてありがとう。
継がれた言葉には、ただ深い感謝が滲んでいた。
ラミエとのエピソード参照は第一弾『双子のエルフとはぐれ火龍』内の、
『調査』
『出逢えただけで』
『《余話》遺されるもの』
になります。
作品を跨ぐため、わかりづらくて申し訳ない……。






