7.ヴァルダスの来訪
村人たちの視線が変わってから、俺は少し外に出る回数を減らしていた。
家の裏で薪を割り、母の手伝いをし、父の畑について歩く。それだけで日が暮れる。誰かの揉め事に呼ばれても、行かないことにした。行けば、また「見透かされた」と言われる。
そうやって二十日ほど過ごした昼下がりに、村の入り口の方から、馬の蹄と車輪の音が聞こえてきた。
この村に馬車が来ることは、年に数えるほどしかない。
一人の男が、村の広場に降り立った。彼は他の旅人たちとは一線を画す、洗練された装いをしていた。その佇まいからは、ある種の威厳と、確かな実務能力が感じ取れた。
「おや、この村は静かだな」
男は軽く笑いながら、周囲を見渡した。その視線が、一瞬、俺のいる方向を捉えた気がした。俺は反射的に視線を逸らしたが、その視線が、俺の存在を認識したことを確信した。
男は、周囲の村人たちに挨拶をすると、すぐに俺の元へと歩み寄ってきた。その足取りには迷いがなく、まるで目的地に向かうかのように確固としていた。
「君が、あの『還り子』か」
男の口調は丁寧だが、どこか探るような響きがあった。俺は心臓が跳ねるのを感じた。まさか、この男が、俺の正体を知っているとは。
「……」
俺は何も答えなかった。前世の弁護士なら、この段階で相手の意図を探るべきだ。だが、今はただ、この状況を観察するしかない。
「私はヴァルダス・レーヴェンだ。銀翼商業ギルドのギルド長を務めている」
男はそう名乗った。その名を聞いて、俺の脳裏に、ギルドという言葉が響いた。商業都市。それは、俺がこれから踏み出すべき、新たな舞台の入り口だ。
「君の評判は、ここにも届いている」
ヴァルダスは、俺の存在が、単なる迷信ではなく、何らかの形で世間に認知されていることを示唆した。俺は、前世の経験から、この種の「紹介」が、いかに強力な武器になるかを知っている。
「……」
俺は言葉を選んだ。ここで全てを話せば、ただの奇人として扱われるだろう。だが、何も言わなければ、この機会を逃すことになる。
「私は、ただ、物事の筋道を整理したいだけです」
俺は、前世の訓練で培った、最も無難で、かつ本質を突いた言葉を選んだ。それは、前回の村での対応と同じだが、今回は相手が明確な「仕事」を持ち込んできたという点で、少しだけ違う。
ヴァルダスは、俺の言葉に一瞬、目を細めた。その表情には、懐疑心よりも、むしろ興味の色が浮かんでいた。
「筋道、か。面白い。君のその言葉の選び方、まるで法廷の弁論のようだ」
ヴァルダスは、俺の言葉の裏にある論理構造を、一瞬で読み取ったようだった。それは、俺が前世で学んだ、論理的思考の賜物だ。
「私は、まだ、お仕事の経験が浅い。ですが、もし、何か、整理すべき案件があれば、お力になれるかもしれません」
俺は、自分の立場を明確にした。ギルドの人間として、何らかの形で関わることを望んでいる。それは、この異質な存在としての自分を、社会のルールの中で証明する第一歩となるだろう。
ヴァルダスは、満足げに頷いた。その表情は、まるで獲物を見つけた捕食者のようだ。
「そうか。ならば、君のその『整理術』を、私に見せてほしい」
彼はそう言うと、手元の契約書を広げた。それは、商会同士の複雑な利害関係が絡み合った、厄介な案件の書類だった。
「まずは、簡単なものからだ。君の交渉術が、どれほどのものか、試させてもらおう」
ヴァルダスは、俺にいくつかの模擬的な交渉のシミュレーションを提示した。それは、商人の納期遅延に関する些細なトラブルだったが、その裏には、利害関係者間の隠された意図が複雑に絡み合っていた。
俺は、その書類を手に取り、前世の知識をフル回転させた。契約書の曖昧な条項、相手の言葉の裏に隠された意図、そして、誰が真の利害関係者なのか。全てが、論理的に整理されていく。
「この契約書には、明確な抜け穴があります。相手方は、こちらの認識を誤らせるために、この条項を意図的に曖昧にしている。証拠として、この過去の取引記録を参照すれば、その意図は明らかです」
俺は、淡々と、しかし断固とした口調で説明した。まるで法廷で証人を尋問するように、相手の矛盾点を一つ一つ指摘していく。
ヴァルダスは、俺の対応に目を見張った。彼の周りの商人が、一瞬、息を呑むのが分かった。これは、ただの子供の戯言ではない。これは、プロの交渉術だ。
数分後、ヴァルダスは書類を閉じ、深く息を吐いた。
「……驚いた。君は、まるで経験豊富な交渉人のようだ」
彼は立ち上がり、俺の肩を軽く叩いた。「カイン・ヴォルティス。君は、ただの還り子ではない。君には、この世界で役立つ、非常に強力な『技術』がある」
ヴァルダスは、真剣な眼差しで俺を見つめた。
「私は、君を銀翼商業ギルドの見習いとして迎え入れたい。君のその能力を、本気で試させてもらおう」
その言葉は、俺にとって、何よりも大きな肯定だった。孤独だった俺の周りに、初めて確かな「居場所」が見えてきた。
「……ありがとうございます、ギルド長」
俺は、心からの感謝を込めて答えた。前世の弁護士が、新たな戦場へと足を踏み出す瞬間だった。俺の異質さは、今、一つの「才能」として、この世界に受け入れられ始めたのだ。




